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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
12/96

   2

 フィリルから完治の手紙が届いたのは諸々の手続きを終えた三日後のことだった。ヨクリはそれを受けてからアーシスらに連絡し、その次の日少女の寮へと向かった。


 日が昇りきらない朝の気温は低い。ちょうど昨夜降りた霜が溶けはじめている。正門もきらきらと光る水滴でしっとりと湿っていた。わずかな足下の違和感に目をやると、靴の半ばまで濡れている。


 入校も慣れたもので、守衛とも顔見知りになっており、言わずとも札が出てくるようになっていた。ぶら下げる首元にも違和感がなくなっている。会釈だけ交わし、大きな門をくぐり、広い通りを抜け、生徒達が寝食する寮の前まで足を運んだ。

 手紙に書いてあったとおりに中を移動し、迷わず少女の部屋にたどり着く。衣服についた埃を払い、扉飾りを幾度か鳴らすと、奥からわずかに物音が聞こえ、扉が開く。


「はい」


 フィリルが応対しながら顔をのぞかせ、ヨクリをみとめると「少しお待ちを」と平坦に告げる。ヨクリは「急がなくてもいいよ」と声を掛けたが、既に扉が閉まったあとだった。


「はぁ」


 ひとつため息を吐いたあと、体を震わせる。最近はめっきり冷え込んで、太陽の出ている時間でも寒い。

 手の甲を逆の手で擦りながらフィリルを待っていると、がちゃりと音がする。支度が終わったようだ。


「お待たせしました」


 いつもの制服。肩から下げた革帯の腰の辺りに、分断された槍斧を括り付けている。わずかに少女の体が槍の方に傾いていて、見た目すごく重そうだった。持ってやろうかと口を開きかけ、思い直す。今後この武器を使っていくなら、慣れなければいけないだろうから。


「今日は依頼管理所に行こう」

「管理所へ?」

「うん。依頼の受注から完了の流れをわかってもらうためにね。基礎課程が終わって野外演習も増える五年次から似たような課題が出ると思うけれど、それの予習だと思ってよ」

「わかりました」

「この近くにもあるから、歩いていこう。アーシスとマルスも待ってる」

「はい」


 フィリルに語りながらヨクリは歩き出した。少女もヨクリに倣い、追従する。正門前で札を返却し、基礎校の敷地内を抜けて大通りに出たとき、唐突に声が響く。


「今日は、人が少ないのですね」


 珍しいフィリルの雑談にヨクリは一瞬戸惑ったが、答えられる内容であり、付け加えてそれが一般的な知識であると頭の中で判断するやいなや、逆に質問を返す。


「ん、知らないの?」

「はい」

「意外だな……神学は取ってない?」

「はい」

「そうか……」


 学業の優秀さからフィリルが博識であると思っていたヨクリは、目をしばたかせた。任意受講で神学を専攻していないならばこういう世俗的な物事に関して、試験で答案を要求される事態は少ないだろう。しかし、それにしても学業以外にこうも疎いとは予想していなかった。

 どことなく返答を期待したように見ているフィリルにヨクリは気付き、平然を装って、


「伏日だからだよ」

「伏日?」

「多分、知らないのはきみくらいじゃないのかな」

「そうですか」


 口調は優しくしたが、ヨクリができる限り攻撃的な台詞をわざと選んでも、それに頓着しない。頭の別の所で分析しつつ、つらつらと答えた。


「伏日はランウェイルの暦で今日、下月の枯の十二日。この国でリリス教が盛んに布教されているのはエイルーンも知っているだろうけれど、冬期になると、植物が枯れて作物も育たなくなる。昔の人は植物神リリスが眠っていると考えたらしくて、彼女を騒ぎ立てて起こさないように、半月あまりの休日を設けたんだ。その名残で、国は今日を伏日と名付けた……だったかな。明確に定められているわけじゃないけれど、休みを取る店や人が多いんだ。熱心な信者は昔に倣って半月休みをとるみたい……ほら」


 言い終わる前にヨクリは目視できる距離にそびえる鐘楼を指さし、「リリス教会や教学校なんかも、今は長期休暇の最中。教会の扉にはカギがかかっているし、鐘もならない。帰省とかの理由で基礎校も休みになっているけれど、もしかしたら、元々伏日があるからなのかもね」


 ヨクリはリリス教を含めた宗教全般に関して、他人と論を交えようなどとは考えていなかった。


 ランウェイルで暮らすようになってから、真っ先に疑問に思ったのが宗教だった。この国で生きる人間のほとんどが神を信じている。あたりまえのように感謝しリリスに祈りを捧げる教徒を見てヨクリが滑稽に感じたのは事実だったが、時がたち、大人になるにつれて、宗教というものが人を豊かにすると知った。


 ヨクリ自身は今でも神を信じていないが、神に自らの行動を逐一見られていると意識し、規則正しく清廉潔白に生きる教徒を知り、道徳を学ぶ上で宗教は優れた教書だと思えたのだ。しかし反面、宗教を信じている者たちがもし教会の意のままに操られるときがきたなら、それよりも怖いことはないとも感じている。それだけこの国の人間は宗教に対して敬虔で、ある意味盲目的なのだ。


 こういった反社会的な考えを他人にひけらかすのはただ水を差すようなものだ。だからヨクリは誰かに問われない限り宗教に関して言及する気が起きないし、ヨクリの身の上はすでに遊戯盤から弾かれた駒のようなものなので、そんな機会もない。そして、仮に意見を述べたとしても慎重に言葉を選ぼうと努めるだろう。おそらくそれは、これからもそうだと思っている。


 その持論があるから、ヨクリは話を膨らませずに説明的な説明をしたあとに話題を変え、歩みを進めた。


「管理所は開いているから、心配しなくても大丈夫だよ」

「はい」


 先のやり取りをヨクリは疑問に思う。

 伏日を知らないというのなら、リリス教に信仰深いというわけではないのだろう。それどころか、いろいろ執着しないこの少女はヨクリと同じ神を信じていない人間——大仰にいえば、無神論者の可能性が高い。ならばなぜ、教会の象徴を模した首飾りを持っていたのか。そのことが引っかかった。


「と、着いたね」


 思考しているうちに到着する。ヨクリは二歩ほど下がっていたフィリルに目で促すと、ゆらりと一歩距離を詰めた。

 扉に寄ろうとしたヨクリは入り口の正面に佇む人影を見つける。腕組みして目を閉じている眼鏡の青年は、ヨクリを待っていた。声をかける前に、ヨクリに気づく。


「やあ」

「早いねマルス。外寒くない?」

「どうにも、あの空気が好きになれないんだ」


 上品に首をすくめながら、金髪の青年は答える。


「今度から、場所かえようか」

「いや、それはそれで面倒だ。……徐々に慣れるさ」


 ヨクリは苦笑いし、「入ろう」と声をかける。扉を開き、先にフィリル、次にマルスを中に入れ、ヨクリも後を追って扉を閉めた。


 基礎校に近いからなのか、煙草の煙は見当たらないし、どことなく訪れる業者も素行がよいように見える。子供であるフィリルを連れているのを言い訳にしているのは自覚の上で、少しだけほっとする。ヨクリ自身とて、粗暴な輩と関わりたくはないのだ。


 ヨクリは二人を受付の奥にある待ち合い室に連れ立った。きょろきょろしながら探していると、マルスが「こっちだ」と合図をくれる。マルスに従い四人がけの机の側で来ると、視線の先に着席している人がいる。アーシスだ。


「よう」

「二人とも早いなぁ。……俺もこれから気をつけるよ」

「ま、予定より早く来たのはオレらなんだし、気にすんな」


 ヨクリに軽く笑いかけるアーシス。でも、やっぱりもう少し早くしようと、ヨクリは思い改めた。用事も指定した場所もヨクリが決め、頼んだからだ。

 ヨクリは「ごめん」と短く謝り、皆が席に着いたのを確認すると、用件を切り出した。


「それじゃあ、はじめようか」


 机上に一枚の依頼書をフィリルが見えやすいほうへ置く。


「この依頼を受けようと思うんだ」

「ふむ……」


 皆、依頼書を覗き込み、真剣に読んでいる。少し間があり、最初に声を上げたのはアーシスだった。


「あー、これか。懐かしいな」

「アーシスは受けたことあるんだ?」

「すっげー前だけどな」


 駆け出しの業者が好んで請けるとフラウが言っていた。どうやらアーシスも基礎校出身ではないにしろ、例に漏れなかったらしい。

 経験者が居るのは良い。ヨクリは一人頷く。


 二人はまだ依頼書に目を通しているところだが、取り立てて複雑な内容が書かれているわけでもない。ヨクリは口頭で話を進めて問題ないと判断する。


「概要を説明するよ。読んでもらってるからわかると思うけれど、依頼の具体的な内容は、都市間車道の警備」

「都市間車道」


 フィリルが単語を繰り返す。

 都市間車道とは、ランウェイルに十二ある円形都市間を結ぶ超長距離の車道だ。道には施紋された線路が走っており、その上を高速の都市間列車が行く。


 都市間車道には線路に沿うように防衛施設が設置されており、そこには信頼のおける業者や上等校卒業の具者、それに各地方の治安維持隊などが駐屯している。円形都市にある管理塔と同種の魔獣を感知する波動情報を発信したり、都市と都市の中間地点など、すぐに業者や維持隊が駆けつけられない場所の護衛をしたりしている。


 用心しすぎるくらい用心しているがそれは当然で、都市と都市を移動するためには都市間列車を使うしか現実的な方法はなく、物流のほとんどもこれなくしては成り立たない。だから国は都市間車道の警らを円形都市防衛とならんで優先事項と決めており、道の護衛依頼は管理所で常に発行されている。


「そう。何もないときは、たまに路上に転がってる獣の死体をどかして列車が脱輪しないようにしたり、獣よけの薬を撒いたりする。……って、書いてある」


 マルスはヨクリが付け加えた言葉に反応する。


「ヨクリはこの依頼、初めてなのか」

「まぁ、うん。俺が最初に請けたのは、別のやつだよ。だからアーシス、期待してるよ」

「んな難しいもんでもねえよ」


 マルスにヨクリは正面のアーシスに軽口をたたきながら答える。続けて、


「今から受注に行くけれど、マルスは請けないよね?」

「いや。僕も行こう」


 ヨクリは目を丸くした。マルスには何度か依頼に誘ったことがあったが、ほとんど断られていたからだ。ましてや、いつもの依頼と違って少女の護衛と教育もある。


「珍しいね。どういう風の吹き回し?」

「図術を教えるなら、僕も必要になるかもしれないだろう?」

「確かにそうなんだけれど」

「なら、いいじゃないか」


 マルスを見るが、普段と様子は変わらない。気のせいかと考え、本当に自分に協力してくれているだけだ、とヨクリは思いなおした。


「わかった。頼むよ」


 やりとりを静観していたアーシスが気を利かせて、


「んじゃ、受注書取ってくるわ」

「悪いね」


 ひらひらと手を振りながら、アーシスは受付のほうへ消える。

 待っている間、ヨクリはフィリルに管理所について簡単に教えてしまおうと決め、


「この依頼、きみの先生が進めてくれたんだよ。はじめての都市外だろうけれど、不安はないよ」

「そうですか」

「それと、これからきみの引具を調整して、干渉図術を使えるようにする。都市外なら図術の練習に持ってこいだからね」

「調整は僕の家でやる。そのとき少々注釈をいれるが、まぁ君なら問題なく使いこなせるだろう」


 ヨクリの言葉をマルスが引き継ぎ、それを聞いた少女はこくりと頷いた。


「じゃあ、アーシスが戻ってくるまでに、軽く管理所について教えるね」


 ヨクリはフィリルに手近なものから話しはじめる。


「まず、今座っているところが待合室で、業者が受注書書いたり、依頼を見繕ったりするところ。ちょうど今日の俺みたいに、知り合いの業者との待ち合わせ場所に指定することも多いね」


 次にヨクリは階段を指差し、


「上は業者に開放された会議場、みたいなものかな。依頼を受けた後の顔合わせとか、細かな打ち合わせのときに使われるよ。先に受付で言付ければ、指定した時間に予約を入れられる。今日この時間に俺が部屋を取っているから、依頼の受注が終わったらそこでまた話をするよ」


 そうやって設備や仕組みを解説しているうちに、アーシスが受注書を携えて戻ってくる。


「ほいよ」


 着席すると、各々記入事項を書き込みはじめた。ヨクリは自分の紙に筆を走らせながらフィリルのほうを覗き込み、「うん、そうそう。それでいい。……あぁ、そこは空白でいいよ」などと添削する。

 全員書き終えると、揃って受注口に行く。窓口の受付嬢にヨクリが代表して話しかけた。


「依頼の受注をお願いします」

「かしこまりました」


 受付嬢はざっと四人分読んだあとヨクリの後ろに居るフィリルに視線を合わせ、


「……あら? そちらの女の子はまだ基礎校生ですね」

「はい。彼女は優秀生です。こちらに詳細が」


 ヨクリは答えつつ、数枚の書類を取り出し受付嬢に手渡した。

 取り出したのは別の依頼書の一部——キリヤに頼まれたフィリルの依頼のほうで、基礎校卒業の資格しか持たないヨクリでもこういった例外に対応できるようにキリヤから持たされた、特別な書状だ。

 受付嬢はそれを確認すると、一度ヨクリに「少々お待ちください」と言い残して後ろに引っ込んだ。背後のアーシスが怪訝そうな目をヨクリにやったが、ヨクリは首を振ってアーシスの懸念を否定する。

 無聊を託つ間を与えず、受付嬢が戻ってくる。


「確かに承りました。他のかたも、問題ありません。四名様ですね。では、期日にまた受付までお越し下さい。必要物をお渡しします」


 軍属の、しかも六大貴族と名高いステイレル家の息女から出された書状だ。かなり無茶な要求でも通る。ヨクリは密かに首を一度縦に振った。

 受付嬢の言葉に三者三様、首肯の意を示す。ヨクリはそれを視認したのち、「それでは」と短く言う。受付嬢の「有り難うございました」を背に受け、その場を離れた。

 次にヨクリらは階上へのぼり、一つの部屋に入る。各々の手荷物を適当に置いたのち、机を囲んだ。


「依頼を受注したら、業者達はだいたいこの部屋で話し合いをするんだ」

「自己紹介のようなものですか」

「そう。ここでいう”自己紹介”は、各業者が得意な距離、仕事。それから、業者同士の順位」

「順位?」

「業者には位が設けられていて、下級、中級、次級、上級の四段階ある。下級が一番低くて、上級が一番高い。今のエイルーンみたいな人は業者の中で”外級”と呼ばれているよ。例えば商隊の護衛依頼とかでは、商隊の人たちが”外級”に値するんだ」


 業者は依頼管理所に登録したとき、自動的に下級の位を与えられる。その後依頼をこなしていって、依頼達成数、達成率があがっていくと、中級、次級へと進む仕組みになっている。あまりにも難度の高い依頼は下級では受注できない。これは管理所の業者管理を楽にする目的で作られたものだが、業者達がだいたいの力量把握にもよく用いられる。


「ようするに、非戦闘員が外級というわけさ」


 ヨクリはマルスに頷いて、


「俺とアーシスが次級、マルスが中級の業者」

「上級には、上等校を卒業しなければなれないのですか?」

「察しがいいね。そうだよ」


 少女の読み通り、上等校を卒業した者でなければ上級にあがれず、上級の業者は稀だった。上等校卒業の人間はほとんど軍に入ってしまうからだ。ただ例外があり、十年以上の業者歴があって、特筆して成績が良ければ、特級という位をあたえられる。特級は上級の業者と同じ、上級依頼を請けられる。そういうふうにヨクリは聞いていた。

 ただし、特級業者について、ヨクリは噂すら知らない。あまりにも例外なのだ。


「俺みたいな若い人間が次級になれるところからわかると思うけれど、業者は次級が一番多いんだ。マルスみたいに依頼に消極的な業者じゃない限り、だいたいの人間は二、三年で次級にあがるよ」


 死ななければね、とヨクリは内心で付け加える。


「僕は引具の修理、点検のような、どちらかといえば学術院寄りの依頼しか請けないからな。話の外だと思ってくれてかまわない」

「まぁ、業者の位についてはこんなところ。ここからが本題」


 ヨクリは話に区切りをつけて、先へ進める。


「多人数で依頼を請けるときの役割分担の話だな」


 マルスの言葉に頷き、説明を始める。


「業者には大まかにわけると五種類の役割がある。近接手、遠射手、支援手、治癒者、それから展開者。治療者と展開者の話は、今は省こう。ほとんど死に役割だからね」続けて、


「近接手は接近して攻撃する役割を果たす人間で、遠射手は弓とか図術で遠くから撃つのが仕事の人間。支援手は物資を運んだり、持ち帰ったりする人。依頼経験の少ない新人業者にはよくお鉢が回ってくる。運び屋とも呼ばれているんだ」

「近接、遠射」

「うん。今回支援手は皆でやっちゃうとして、エイルーンが近接と遠射、どちらを学びたいか。それを聞きたい」


 フィリルが答えないでいると、アーシスが助言のつもりか、皆の役割を話しはじめた。


「ヨクリは近接、オレはどっちだってかまわねぇな。マルスは?」

「格闘戦は、てんで向いていないんだ」

「……そんな感じ。まぁ、今は深く考えずに決めてくれて構わないよ」


 少女は一度目を閉じ、少し考えるようなそぶりを見せたあと、目を開いて、


「では、近接手で」

「わかった。それじゃあ二・二で、アーシスは遠射に回って」

「任せろ」


 アーシスの受諾により、管理所と業者についての解説は終わる。


「あとは、マルスの家かな」

「ああ。干渉図術を使えるようにしよう」

「行こうか」


 場所を移すと決まると、皆荷物を纏め、マルス、フィリルの順に部屋から出る。少し遅れて身支度を整えたヨクリは、室内に残るもう一人の男を見る。

 自分の荷である革袋を携えたまま、アーシスは佇立していた。ヨクリを待っているつもりのようだったが、上の空であることは明らかだった。


「アーシス?」

「ん、ああ終わったか?」

「……」


 さてどうしたものかと思案するが、「行こうぜ」と促され、ヨクリは従った。

 広い背中を見据えつつ、ヨクリは腹を決めていた。依頼が終わり次第、この男に協力しようと。

 

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