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途上のシャムロック  作者: 納戸
贄のこども
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三話 静寂に研ぐ刃

「……丙、極めて順調に技術向上。仔細は別紙に記載。乙、丙に対し、都市外への教育を行う予定である。否決された場合、甲の意向を確認、今後の方針とする……こんなもんか」


 一区切りつき、伸びをする。ヨクリは今回の依頼——少女の教育に関する提出記録をまとめていた。


「しっかし……慣れないなぁこれは」


 ひとりごち、記録を推敲して誤字脱字を修正する。文章を書くのは久しぶりで、ヨクリははやくもうんざりしていた。苦手、というわけではないが、外の獣を相手にしていたほうが気分は幾分かましだ。

 書類を作成しおえたヨクリは、次に脇に置いてあった厚みの薄い雑誌を手に取り、ぺらぺらと捲りながら思案に耽る。


(食べ物……特に嗜好品の基準値が上がってるな。……レンワイスもそろそろ潮時か)


 半月に一度更新される業者用の誌面を読みながら、ヨクリはこの依頼のあとのことをすでに考えはじめていた。


 円形都市内ではあらゆる品物が分類別に値段設定されており、その全てを、経済を統括する首都フェリアルミスの財議会が調整している。値段は一週単位で微妙に上下し、常に変動し続けている。

 風土や気候、魔獣の数の差、それによる被害件数が大きく違う都市間の経済格差をなるべく無くすためで、人口や各都市の来都人数、農耕の豊作不作、新技術の発見など様々な要素が複雑に絡み合っている。大体の情報は公開されているが、結局学術院で経済を専攻している人間など、そっちに博学な人物以外、それらがどう影響しあっているかなどの詳細はわからない。


 ヨクリが判断できるのはせいぜい値段変動からの物流をおおざっぱに把握し、各都市の依頼情報と照らし合わせ、どこに移るのが利率がいいのかをなんとなく掴むくらいで、要するに、行動の方針を決める際に参考にする、という程度だ。


 ぱちぱちと、暖炉の火が爆ぜる音。置かれている調度品の価値はヨクリには金額の検討がつかなかったが、ぴかぴかに磨かれたカップや木目の美しい机椅子。肌触りが心地よい清潔な寝具以外は全て部屋にあった赤褐色で統一されており、控えめの装飾も派手さではなく、気品を添えている。所どころの真鍮製の金具も具合のいい強調点となっている。

 どうやらなかなかに上等な物のようだ。フィリルに足が治るまで待機、と命じたあとの晩にヨクリが取ったこの部屋は、レンワイスの都市内でも評判の良い宿だった。


 贅沢をするのはフィリルが完治するまで、とヨクリは決めていた。頭の痛い話で、前の依頼の金はフィリル関連で全てすっ飛び、先月まで遡行せねばならぬほどの赤字をたたき出していたからだ。

 フィリルの調子が戻り次第、基礎校レンワイス管理塔東付近のこの宿に連絡が来る手筈になっているので、宿を変更するわけにはいかない。つまり依頼の再開が清貧の開始である。


 暖まった室内でカップを舐め啜りながら、さらに別の封筒を手に取る。封を破り、中から一枚の紙を取り出して広げ、中身を見る。


「金貨が……二百を切ってるのか。まいったな」


 頭を掻きながらぼやくヨクリ。悩みの種である一枚の書は金商の発行紙で、ヨクリ個人のものである。誌面には額にして残り金貨百九十六、銀貨三十八、銅貨十七と書かれてあり、右下に黄金色の盾の家紋が押印されている。


 この金盾の家紋はツェリッシュ家のものであり、金商で財を成し、五十年前に六大貴族入りした家だ。ランウェイル国で一番資産を抱えている家はおそらくこのツェリッシュ家だと噂されている。現存する新興貴族の代名詞であり、平民の出自が貴族に成り代われるという、ある種平民の希望とも言える貴族だ。


 ヨクリはあまり商標や銘柄に頓着しない。というのは、例えば図術品にも工房や社の有名商品が多数存在し、それに対する諸々の批評はあらゆる媒体を通して具者同士に伝達されあっているが、結局のところその情報は個々人の差異や主観が多大に含まれるからだ。特に自らの命を預ける引具は、工房等が公表している正確な規格以外は基本的にアテにしていない。


 だが、ヨクリも例に漏れず、ツェリッシュ家には勝手な好意を少なからず抱いていた。何故なら、かの家は守銭奴という形容詞がすっぽり当てはまるくらいに、金に貪欲なのだ。つまり、儲けられると判断した相手には対価を必ず用意する。ヨクリが滞在しているこの宿もツェリッシュ家が出資者であり、貧民、平民、貴族など、あらゆる地位人種を問わず金を持っている人間なら泊まることを許可している。特にシャニール人に対しての利用を断る店が数多くある中で、ツェリッシュ家が管轄する店舗は絶対に差別区別をしないのだ。その信念に間接的に助けられているヨクリは、ゆえにツェリッシュ家に悪評を下さない。


 フォル、というのはランウェイルの通貨である。金貨一枚10000フォルに相当し、銀貨はおよそ100、銅貨は1だ。しかしフォルという言葉自体は、組織予算など大規模な金額に値する場合か、今ヨクリが渋面で眺めている形式張った書類などでしか使われていない。例えば62200フォルの物なら、金貨六枚に銀貨二十二枚、と言ったかたちで人々に呼ばれる。


 都市間によってばらつきはあるが、ランウェイルで質素に暮らすなら金貨六十、七十枚あれば、人一人が一年間生活できる。つまり、ヨクリにはおよそ三年分の蓄えがある……のだが。


(この先も同じだけの収入があるとは限らないし……)


 ヨクリは同年代の業者に比べれば、稼ぎがあるほうだった。しかし、日々依頼で都市外へ出ていれば、不意の災難が起こるかもしれない。大病や怪我で長期間働けなくなったときのために、少しでも多くの貯蓄をしておけなければならないと日頃から考えていた。

 誰も庇護してはくれないのだ。自分の身は自分で守る。もとより、危ない橋を渡っているのだから。


 フィリルの依頼が終わり次第、別の都市へ移り、しばらく依頼を休まずこなそうか。そんな予定を頭の中でたてながら口元へ手をやろうとし、頬に痛みを感じた。なんだろうと首を傾げたのもつかの間、すぐに原因に思い当たって、ヨクリは再び苦い顔をする。


 先日の、フィリルと模擬戦をしたとき。

 フィリルに対しての徹底した対応ではなく、そのあと、職員——フラウへ放った暴言についてヨクリは後悔していた。

 ああやってうちに秘めた暴力的な感情を意識的に外へ出す行為自体は、ヨクリにとって必要だった。それを憂えているわけではない。ただ、状況が変化した場合にすぐ感情を切り替えられないのは非常に不本意だった。


 フラウが止めに入ったときに冷静さを欠いていたのは、愚かだった。職員の性格如何では今頃牢屋の中に逆戻りでもおかしくはない。担当したのがフラウで、運がよかったのだ。


「まだまだ俺も子どもなんだな……」


 一人呟きながら次はない、と内心で二度としないように、自律を誓う。

 ヨクリはなにものにも脅かされない精神を渇望していた。全てを損得だけで判断できたなら、どんなに楽かと。

 しかしそれらについて考えだすと、ヨクリはヨクリ自身の触れられたくないところに触れなければならなかったので、ほとんど無意識に思考を中断する。

 拳をぎゅっと握りしめ一度深呼吸し、大きなため息を吐いた。


「……さぁ、仕事だ」


 そう自身に言い聞かせ、まずは今日の仕事を済ませることを第一に、机上の書類を纏める。暖炉の側まで寄り火掻き棒で種火をいじってすり消すと、椅子にかけていた上着と首巻きを着用し、扉を開けた。


 真鍮の鍵で部屋を閉じ、廊下へ出ると、給仕がヨクリを見て軽い会釈をする。ツェリッシュ家に勤める者達の教育や指導は徹底しており、金を持っている相手なら礼節の限りを尽くす。それはシャニール人であり、見た目が小柄で幼げなヨクリはおろか、年端の行かない子どもへでさえもだった。ヨクリはその業務への姿勢は見習ってしかるべきものだと思っている。それができない人間がどれだけ居るのかを、ヨクリは知っているからだった。


 金銭に貪欲なツェリッシュ家だが、欲に対する嫌らしさを感じないのは、ひたむきに従事している何よりの証拠だ。いかに金を得るためとはいえ、個を消すのはとても難しい。世間で言われているような汚さを見いだすことはできないばかりか、逆にどこか誇り高くヨクリに映る。


 そういう意味からも、やはり風説、噂の域を出ないものは信用ならない。 


 ヨクリは人知れずため息を吐きながら階下へ降り、広い控え室で従事の者に声をかけ、外出する旨を伝えた後、大きな扉を開けて外へ出る。

 屋外は体の芯まで凍るように寒く、本格的な冬の訪れを感じさせた。首元に首巻きを引き寄せ、全身を震わせる。ヨクリは早くもじんわりとしみる暖炉の火が恋しくなった。


 ヨクリが白い吐息を引きずって向かった先は依頼管理所だった。しかし先日訪れた管理所ではなく、フィリルの通う基礎校の近くに建設されたそれだった。都市には依頼管理所がいくつもあり、大体は駅の近く、加えると、基礎校五年次以降の生徒が仕組みを把握するために講座の一貫として依頼を受注することもあるから、ヨクリが今居るような、基礎校付近にも多く措かれている。


 扉を開くと、ヨクリは受注口へ向かう。幸い空いていて、待つことなく用事を済ませそうだった。受付嬢にある言付けをすると、幾枚かの紙面を手渡される。ヨクリはそれを持って別部屋の長椅子に腰掛けた。

 受け取った紙に記載されているのは都市外の魔獣討伐依頼だ。そのうちからヨクリが見繕ったのはうんと難度の低い討伐依頼で、なおかつ期間が短い内容のものだった。言うまでもなく、あくまで優秀生であるフィリルを育てるのが目的なわけだから、少女の手に負えないような依頼や、有事の際にヨクリらが少女の補佐にあたれないものは除外すべきだろう。


「ふぅむ」


 小声で唸りながら、絞った書面を睨みつける。普段請け負う依頼はあらゆる面において今吟味している内容よりも高い。それどころかヨクリが基礎校を卒業してからすぐに請けたもののほうが難しいという始末で、どうしたものかと頭を掻いた。


 そんなヨクリがふと目を逸らすと、見知った姿があった。早急に人を集ったり、人員を厳選していたりしている依頼——特別依頼が貼られている掲示板の前だ。

 特別依頼というのは、主に一攫千金を狙う腕利きの業者が請け負うもので、急を要するものが多い。管理所の受付口で見繕う依頼よりも報酬は高いが、同様に倍から数倍、死亡率も高い。上卒——上等校卒業資格を持たなくても請けられる数少ない高額依頼だが、その危険度から積極的に請け負う人間は少ないのが現状だ。内容も半月単位でくるくるとめまぐるしく入れ替わる。


 ちなみにヨクリは特別依頼の情報を積極的に収集していない。報酬と難易度がよい意味で釣り合わない”美味しい”依頼は確かにあるのだが、そのほとんどは特別依頼を専門とする凄腕業者達が誰より早く嗅ぎ付けてしまい、そのためだけに追いかけるのが馬鹿らしいからだ。


 ヨクリは紙をひとまとめにし、その姿に近づく。視線がやる先を覗くと、そこに貼られている依頼の内容はなかなかに物騒なものだった。


「人斬りか」

「……ヨクリか。奇遇だな」


 ヨクリをみとめたアーシスは、再び掲示板に向き直る。


「うん。……これ請けるの、アーシス」


 アーシスに答えながら、ヨクリはアーシスに問うた。


「……うちの派閥連中がやられたらしくてな」

「アーシスって、派閥に入ってたんだ」

「最近、な」


 派閥とは繋がりの強い業者の集団の呼称だ。派閥に属する業者は密に連絡を取り合うことで各地の依頼を厳選したり、派閥の者同士で依頼をこなしたりしている。大きな派閥は都市の全依頼をまるごと受注する、という大掛かりな例もある。人数の少ない非公式なものから、管理所や維持隊がみとめる公式なものまで存在し、最大派閥”金枝”ともなると、末端の者を含め一万人を超えるらしい。


 ヨクリは派閥に所属した経験がなくその実態をよく知らないが、しかし外から見ているだけでもわかることがあった。派閥の人間は良くも悪くも仲間意識が強く、あまり他の業者と関わりたがらないのが特徴で、かつ仲の悪い派閥同士があり、特に”老狼”と”毒蛇”は派閥に属さない人間にも有名なほど犬猿の仲だ。

 まあつまるところ、気の合う連中でかたまり、そりのあわない人間と付き合うのを避けている偏屈な人々、という身も蓋もない見解がヨクリの知る限りだった。もちろん、上手な付き合いをしていないヨクリは、大きな口を叩けないのだが。


「ふぅん」


 相づちをうちながら詳細を確認する。


「切羽詰まってるみたいだね」

「……だな。金もかなり高い」

「貴族殺しは軍も放っておかない、か」


 どうやら、貴族を殺した者たちがレンワイスに入都しているらしい。必要な人数の上限もなく、その者を捕らえた人間に報償が与えられるという内容だ。一文にある”生死を問わず”は、実際のところ殺せと命じているようなものだ。

 これは正式にレンワイスの維持隊が発注しているようで、特別依頼のなかでも報酬金額がやけに高かった。


「……ま、俺は”身内”じゃないから。好きにしなよ」

「……」

「手伝うことがあったら言ってくれてかまわない。今回の件は本当に助かってる」

「ん、ああ」


 腕を組んだままの生返事に、ヨクリは目をまたたかせた。アーシスが人好きのする性格だということはヨクリの知るところで、そのアーシスが人前で浮ついているのはあまりみなかったからだ。

 仕事に関して口出しするつもりはないが、少なくともことさら人間関係を大事にする男だから、こうやってあからさまに礼を失するところは記憶になかった。


 ヨクリは追求しようかどうか迷って、やめた。派閥がどうのと説明していたのを思い出したからだ。派閥に関するならば口を挟むのは野暮だろう。アーシスがヨクリに相談を持ちかけたときだけに意見を述べればよい。

 ヨクリは一歩下がって、予定があるからと一言アーシスに別れを告げた。そのまま依頼管理所を後にしようと出口へ向かいながら、本来の用事を思い出す。


(どうするか)


 逡巡して、変わらず出口へ歩くヨクリ。今日は下見のつもりだったし、依頼はいくつか手元にある。ならば次の予定と一緒にしてしまえばよかった。このあと、助言を貰えそうな人物に会うからだ。おそらくこの手のことには自分などよりも知識が豊富だろうし、少女の性質にも詳しいだろう。

 そうと決まってしまえば、運ぶ足は軽い。管理所を出て向かうのは、基礎校。



 床に斜陽が反射し、思わぬまばゆさに目を細めた。手を掲げて光を遮り、視線をずらす。

 夕刻の廊下はひとけがなく、響くのはヨクリの足音のみだった。ヨクリは一つの扉の前で立ち止まり、埃を払い、手櫛で軽く身なりを整えた。


「失礼致します」


 数度扉を叩いてから礼をし、入室する。部屋を見渡し、目的の女性を見つけると、歩み寄って声を掛けた。


「お時間宜しいですか」

「ああ、ヨクリさんですね」


 金髪の女性はフィリルの担当教官であるフラウだった。この部屋は基礎校の職員達が事務をこなすところで、ヨクリは来客用の札を首から下げている。室内にはフラウ以外の職員はいなかった。冬期休暇期間だから、最低限の職員を残しているのだろう。

 フラウの机上は必要書類や優先して行う業務がヨクリにも一目でわかるほど整頓されており、この金髪の職員の几帳面さを覗かせている。マルスも見習ってほしいよ、などとヨクリは余計な世話を片隅でめぐらせた。

 フラウはヨクリに向き直り、軽く会釈する。


「ええと、フィリルさんに関してですね」

「はい。そろそろ都市外へ出て、簡単な依頼をやってみようと考えているのですが、どうでしょう」

「ええ、私もそうすべきだと思います」

「それで、いくつか依頼を見繕ってきたので、目を通して頂けませんか。恥ずかしい話ですが、どのくらいの難度のものを受ければよいのか自分だけでは判断に困りまして」


 持参した書類をフラウに手渡す。フラウは受け取りながら、隣の椅子を引いてヨクリに促した。ヨクリは頭を下げ、着席する。ぱらぱらと書類をめくる音。ほどなくして、


「かなりばらつきがありますね」

「そう、でしょうか。この中から、というのは難しいですかね」

「いえ、そんなことはありませんよ。……ちなみにヨクリさんが基礎校を卒業して初めて請けた依頼は、どのようなものでした?」


 基礎校の課程で依頼を受注する、という課目はあるが、ほとんどが依頼とは名ばかりの戦闘能力に関係しない内容のものばかりだったので、フラウは意図的に省いたのだろう。ヨクリはそう察して、


「ええと、持ってきた依頼の一番難度の高いものよりも、少しだけ難しい内容でした」

「となると……」


 記憶を探りながらフラウに答える。


「確か、中級の討伐でしたね。まあ、人数合わせのようなものでしたが」 

「中級ですか……」


 感嘆の声をあげるフラウ。ヨクリがそれに空笑いでやりすごすと、フラウは話の脱線に気がついたのか、ヨクリの持ってきた依頼のなかから一枚取り出した。


「でしたら、こちらはどうでしょう。基礎校を卒業する生徒のほとんどは最初にこの依頼を受注します」

「なるほど……」ヨクリは少しだけ考え、


「わかりました。なら、これを受けます」


 職員のフラウがいうなら、間違いはないだろう。ヨクリは二つ返事でフラウの提案を了承した。そして、目的のうちの一つを切り出す。


「出都許可をいただけませんか」


 円形都市に住居をおく被扶養者が都市外へ出る際には出都許可が必要だ。該当する人間の大半は未成年者になる。ヨクリが直接フィリルへ許可を出すことはできないので、代わりに基礎校か少女の保護者に同意を得なければならなかった。


「はい、期日に間に合うように発行します。フィリルさんに渡しておきますね」

「助かります」


 面倒な手続きが必要なのではないかと身構えていたが存外すんなり行って、ヨクリは拍子抜けしつつ礼を述べる。続いて、もう一つのほうもフラウに提案する。


「あとは、彼女の干渉図術ですが、これも使用の許可を頂きたいと……」

「フィリルさんに?」

「ええ。少しでも早く慣れたほうがよいと考えまして。彼女は強化図術を扱えていますから、おそらく問題ないと思っています。……万一は絶対に起こさせませんが、護印が使えないとなると、俺の対処が限定されます。もちろん、基礎程度にとどめるつもりではあります」


 ヨクリは干渉図術の特異さを考慮し、フラウに持ちかけた。そもそも、家に図術の環境がととのっている子ども——貴族は、他より早く図術を使い、慣れる。しかし、今の状況はフィリルの家の人間の許可が必要なので、それをフラウに頼む算段だった。


「……そうですね。都市外ですから、なにか起きないとも限りません。仰るとおりです」


 フラウは深く頷いて、


「わかりました、そちらのほうも基礎校で配慮します」


「ありがたいです」ヨクリは付け加え、「設定はファインの家にある施紋具で行うつもりですが、もし必要でしたら、以前と同様に彼の署名も頼んでおきます」


 初蝕や強化図術使用に関する書類は提出済みであり、問題なく受理されていた。


「ええ、お願いします」


 やはり必要だろう。ヨクリはフラウに首肯し、忘れないように手帳に記入しておく。こちらの許可がおりるかどうかは半々と睨んでいたが、承諾され、ヨクリはほっとした。

 フラウは逐一記帳しながら、話題を変えた。


「そういえば、ヨクリさんの依頼書を拝見致しましたが、本当に優秀ですね」

「いえ、そんな」


 依頼書をまとめながら言うフラウ。雑談へ移行したらしい。重要な用件は確かに終わったので、ヨクリもそれに合わせる。


「上等校へ進学する予定はなかったのですか?」

「筆記で落ちましたよ」


 あはは、と苦笑いしながら、ヨクリは嘘をついた。この質問に対しては、ごまかし慣れていた。


「俺なんか比較にならないくらい、エイルーンのほうが優秀ですよ。初蝕を一発で終わらせるなんて芸当は、それこそ先天的なものですから」


 口を挟ませずに、ヨクリはフィリルを褒めた。事実だし、特に不自然な会話の舵取りではないだろう。


「初蝕は体質的なものですから、比べても仕方がありません。だからこそ、基礎をおろそかにせず、常に努力する姿勢が大切だと、私は思います」


 基礎校の職員らしい言葉。以前ほぼ同じ、耳に心地よい台詞を言われた覚えがあるヨクリは、顔に少しだけ影を落とした。


「そう、ですね」

「くれぐれも、前のような無茶はしないでくださいね」

「はい。肝に銘じます」


 ヨクリは模擬戦での非礼を再び詫びる意味も込めて、慇懃に礼をする。


「最後に、こちら、彼女に関する記録です」


 今朝方まとめ終わった記録を提出する。フラウは笑顔でそれを受け取った。


「それでは、俺はこれで」

「はい」


 フラウのにこやかな見送りを背に、退室する。扉を閉め、ふうとヨクリは一息ついた。これでフィリルの足が治れば、都市外へ出ての教育になる。もう少し下準備に時間がかかると踏んでいたが、意外にもあっさりとここまでこれた。もう終わりも見えはじめている。


 これからが本腰をいれて取り組まなければならないところだったが、少女の実力と、それに人好きのする茶髪の男や、理知的な青年——頼もしい助っ人たちがいる。今後よほど難しい依頼を請けない限りは心配ないだろう。ヨクリはそう考えていた。


 しかし、なぜだか胸騒ぎがする。少女の性質や、初蝕における異常性。それらが心につっかかり、少女から目を逸らさせない。懸念はなにもないはずなのに、ヨクリにはどうしても楽観できなかった。

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