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54話 吸血鬼は人類に恐怖している

「…………ふう」



 男性はベッドから上体を起こすとため息をついた。

 その白い面相にはどことなく生気がない。


 いや、あっても困る。

 なにせ男性は吸血鬼である――『その肌色は常に体温を感じられない白であり、その赤い瞳は見据えられるだけで冷たい輝きに吸いこまれる』と言われる生物なのだ。


 もっとも、そう呼ばれたのもずいぶん昔のことだ。

 今ではそのへんの若い女の子に、普通に『おじさん』とか呼ばれる毎日である。


 やはり、かつて怖れられた時代、吸血鬼にはネームバリューみたいなものがあったのだろう。

『吸血鬼』がお伽噺にのみ登場する生物と化してしまった現代、彼はどうにも、世間的に、普通のおじさん以外のなにものでもないらしかった。



「……はあ」

「なんだ先ほどから、年寄りのため息ほど見苦しいものはないぞ」



 不意にかけられる声。

 男性は生気に欠けた赤い眼を声の方向へ向けた。


 視線の先――ベッド横の来客用ローテーブルの上にいるのは、赤い丸っこい物体だった。

 アレはこの家のペット的ポジションにちゃっかりおさまっている悲しい生き物(ドラゴン)であった。


 そうだ、悲しい。

 元の彼は山のような巨体を誇る偉大なる生物だったのだ。


 その振る舞いは傲岸にして不遜。

 気に入らぬことがあればすべてを灰燼に帰して良心の呵責さえない非道なる人外生命体――

 だったというのに。



「吸血鬼よ、ため息を一つつくたびに愛が一つ逃げていくのだ。もっと愛を大事にせよ」



 あの爬虫類、今は愛を説く。

 この変化に悲哀以外のどのような感情を覚えろというのか?


 男性はわからない。

 悲しい。

 すべてが――悲しい。



「……ふう。君にはわからないさ、私の心は……」

「わかるとも。――貴様、まだ引きずっておるのか」



 ドラゴンが言う。

 男性はギクリと身をすくませた。



「……なんのことかね?」

「とぼけんでいい。行きたかったのであろう? 『世界の工具展』に!」

「……………………」

「図星か」

「いやいや。なにを言うか。ここ数日聖女ちゃんの面会も断り一人ベッドで伏せていたのはそのような理由ではないぞ。『世界の工具展』に行きたかった? まさか! 心の底から行きたかったのであれば行ったとも! なにせ私は、誰に縛られこの城にいるわけではない。自分の意思で引きこもっているだけなのだからね。行きたければ行く。簡単なことであろう。行かなかったということはつまり、行きたくなかったのだと、逆説的にそういうことが言えるわけだ。違うかね?」

「ペラペラ言い訳する年寄りほど見苦しいものはないな……」

「先ほどから私を年寄り扱いするな! 君だって言い加減年寄りだろうが!」

「我は年寄りかもしれんが、ペラペラ見苦しく言い訳などせん」

「……」

「己の心に正直に生きている。なに一つ恥じることなどない」

「そのザマでか!」

「どのザマだ。これほどカワイく、これほど愛らしい自身を、我は心の底から好いている。今の我の姿は全世界の全人類から愛されて当然なほど素晴らしい生物だ。なにを恥じろと?」



 長い年月の果て、ドラゴンは恥を忘れたらしい。

 いや、もう彼は『強い』とか『弱い』というのが重要な価値を持つ世界から解脱したのだ。


 山のようだった体はちょっと太った子犬サイズとなり――

 カワイイだの愛されるだの、若い女の子みたいなこと言い出したが――


 彼はたしかに、後悔なんかしていなかった。

 はたから見ると涙をこらえるのが大変な姿であろうとも、自身の心に一点の曇りも一切のよどみもなく、ただただ(間違った)目標に邁進するその姿にはどことなく誇りのようなものも感じられる。


 自分とは大違いだ――

 吸血鬼は自嘲するように口の端を上げる。



「……たしかにな。君の言う通りだよ。私は――『世界の工具展』に行きたかった」

「なぜ行かんかった。貴様は別に、誰に強制されて引きこもっているというわけでもないのだろう?」

「たしかに、『強制』はされていない。あくまでも私の意思で、城にいる」

「なんだ伏線みたいな言い回しをしおって」

「……とにかく私は、たしかに、城を出ようと思えば、出られる。太陽とて、そこまで脅威ではない――帽子とサングラスでどうにかなる程度だ」

「では、なぜ……」

「私はいつでも表に出ることができる」

「それは聞いた」

「……そう、思っていた」

「む?」

「だが、『別にいつでも出られるのだから、今出なくてもいい』――そう考えヒキコモリを続けるうちに、私はだんだん、外の世界が怖ろしく感じられてきたのだ……! ああ、認めよう! 私は外に出るのが怖い!」

「なにを怖れる。貴様は吸血鬼であろう。この世でもっとも力持つ生物の一つ。神の実在せぬ世における神の一柱であろう」

「怖ろしいものはたくさんある」

「我ら人外を滅ぼしたヒトの力か? それとも愛か、あるいは奇跡か?」

「いいや、ヒトの視線だ」

「……」

「今時の世は、私の知る世とだいぶ変わってしまっている――それはケイタイ伝話(でんわ)や動画サイトの存在などからも明らかだ」

「ふむ」

「私はね、正直な話、ヒトの世はそこまで進歩しないと思っていたのだ」

「……と、言うと?」

「私も別に産まれてから今まで引きこもっていたわけではない。百年は表で活動していた」

「であるな」

「その百年を過ごして思ったのだ。――ヒトは変わらない。細かな変化はあろうと大きな変化はなく、いつまでも同じ問題で悩み続け、いつまでも年寄りと若者、富裕層と貧民層、国家と国家、民族と民族の小競り合いは続くのだろうと、そう思っていた」

「……」

「ブームは変わろうがトレンドは変わらない――そう思っていたのだ。……ところが! なんだ最近の変化は! 文明が急速に進歩しすぎではないか!?」

「であるな」

「こんな世の中に、五百年前の服を着て、私みたいなおじさんが表を歩いたら、きっと人々のクスクス笑いを向けられるに違いない!」

「笑いの絶えない素敵な世の中ではないか」

「そんな笑い、絶えてしまえ!」

「……冗談はさておき、我が貴様に金言を送ろう」

「なんだね」

「いいか吸血鬼よ。――世の中はな、貴様が思うほど、貴様に対して興味がないぞ」

「……」

「見られていると思うのは気のせいだ。笑い声が聞こえても、誰も貴様を笑ってなどいない。いいか、貴様は石ころだ。己の存在を肥大化するな。路傍の石は路傍の石らしく、粛々と転がっておるがいい」

「……」

「だいたい貴様、『興味を持ってもらうこと』の大変さがわかっておらんようだな……我が動画の再生数を伸ばそうと苦心している様を横で見ておきながら! それでもなんの努力もしていない貴様に世間が注目すると! 貴様はそう言うのか! この自信過剰め!」

「いや……」

「なんの苦労もなく世間に見てもらえると思うなよ! 歩いているだけで注目を集めるなどというのはな、才能なのだ! 貴様にそんな才能ないわバーカ! 我だってないのに!」

「いや、その……」



 たぶんそういう感じじゃない。

 でも、どう違うのか、吸血鬼には上手に説明できなかった。


 力一杯叫んだせいだろう、ドラゴンは息を切らせている。

 しばしハァハァと呼吸を整えてから――



「……ともかくだ吸血鬼よ。ヒトの視線など怖れるな。貴様はまだ、怖れるほどヒトに注目される術を知らない」

「……わかったよ。なんだかよくわからないが、君の迫力には負けた」

「では次に同じような催しがあれば行けるな?」

「いや」

「……いや?」

「視線を怖れるのが自信過剰だというのは、まあ、認めよう。実際に気にしないようにできるかはおいておくとしても、そういう思考方式で己を説得することはできそうだ。だが……」

「だが?」

「私にはまだ怖いものがある」

「なんだ」

「そうだな、色々あるが、次に大きな人類恐怖症は――」

「人類恐怖症とは……」

「人類の存在により私が抱く恐怖のことだ。人類恐怖症は……『人混み恐怖症』だ」

「……」

「気になって動画で『世界の工具展』の模様を見たのだが、なんだアレは。なぜあれほどヒトが集まるのだ……見ているだけで吐き気がするほどのヒトいきれを感じたぞ……あの大きな建物の内部がヒトというヒトでごった返す……想像しただけでクラクラしそうだ」

「…………」

「これはどうしたらいいと、君は思うかね?」

「貴様は永遠に引きこもっていろ」



 ドラゴンは渋い声で言った。

 男性は「ええ……」と心外そうな声をあげた。

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