132話 妖精はなくしたものを取り戻す
「……つまり、暗澹たる闇の中にきらめく一条の光なの」
「うむ、まあ、そうなのだろうね、君がそう言うならば……」
「というわけで、わたくし、〆切があるのでこれで! おじさま、また来るわ!」
かくして『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』は、聖女とともに帰っていった。
来客への対応を終えて、男性は「ふう」とため息をつく。
「……ううむ……それにしても、よもや……中年男性……筋肉……網タイツ……知らない世界が世の中には広がっているものだな……」
文化の隔たりに、男性はめまいを覚えていた。
男性は吸血鬼である。
五百年という短くない期間をヒキコモリで過ごしているので、もちろん、自分の文化と世間の文化には、小さくない隔たりがあるというのはわかっていたが……
まさか中年男性にウサギ耳をつけて、あんなことをする文化が存在するとは……
その異文化がもたらした衝撃を飲み下すのに、しばらく時間が必要そうだった。
男性が応接用ソファに深く背中をあずけ、見るともなしに天井を見ていると……
部屋のペット用ドアが『パカリ』と開く。
現れたのは、手のひら大の少女であった。
緑を基調としたきわどい服装をし、背中の四枚羽根をせわしなく動かし、部屋に入ってくるその生き物は――
「……妖精か。なんの用事だね?」
男性は背もたれから体を浮かせ、来客を迎える姿勢をとった。
妖精は羽根から光の粒子をちらしつつ、男性の正面――来客用ローテーブルの上に降り立ち、
「吸血鬼さん、妖精さんは闇の中できらめく一条の光なのです」
「……なんだって?」
「言わば世界を混沌に包みし暗闇……深淵が乾いた叫びとなってこだまする魔術的な邪なる瞳の左腕なのです……」
「……」
なぜか妖精言語が難解さを増していた。
男性はしばし考え……
「ひょっとして、私と『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』さんとの会話を聞いていたのかね?」
「先ほどの知的そうなしゃべり方をなさるニンゲンさんは、名前も知的なのです……そう、妖精さんは賢き者として、深淵なる暗闇の一条で光の言語を用いて闇に飲まれるのです」
「……あーその、なんだ……妖精よ……彼女の言語は、世間的に、別に賢さがにじみ出ているというわけではないのだが」
「暗黒ー」
「『暗黒』とは」
「よくわからないけれど、わかった、という意味なのです」
彼女が長い話(百文字ほど)をされた時に使う『わかるー』と同義らしい。
言語は難解になったがベースは変わっていないようで、少しホッとする。
「吸血鬼さん……妖精さんは、吸血鬼さんにお願いがあって来たのです」
「ああ、用事があったのか。なんだね?」
「それは暗闇を照らす一条の暗黒のような深淵なのです。ようするに光。その闇が深淵から暗闇になる時、魔術的ぃー」
「驚嘆すべき語彙の少なさだね……」
全然なに言ってるかわからん。
スラスラと色々な言葉を出してくる『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』の語彙力の高さを変なところで思い知る。
「妖精よ……そんな借り物の言葉ではなく、君らしい言葉で語ってくれないか?」
「賢き妖精さんは深淵の言語で一条暗黒なのです」
「……妖精よ。賢さとは、『人まね』で示すものではない。君が賢いなら、その賢さは誰をまねるでもなく、自然とにじみ出るものだ」
「……深淵?」
「そうだとも。自分らしさが一番だ。だから、どうか、いつものように、しゃべってくれ。でないと君がなにを言いたいか、まったくわからん」
「……妖精さんらしい言葉……」
「そう。君らしい、君が自然にできる言葉遣いだ」
「……わかったのです」
妖精は神妙な顔でうなずく。
そして――
「まるでパンプアップされた大胸筋のよう。スクワットのすえうなりをあげ全身を駆け巡る血流が毛細血管まで行き渡りそれすなわち求めるのはストレッチなのです」
「普段の君、そんなんだったかね?」
「妖精さんは賢い……賢さは筋肉……すなわち、筋肉」
「……わかった、わかった。では、こちらから質問するから、『はい』か『いいえ』で答えてくれたまえ」
「ハムストリングス!」
「君は私に用事があって来た。そうだね?」
「腹斜筋!」
「……『はい』か『いいえ』で」
「……? 妖精さんの言葉が僧帽筋の下に響かないのですか? 吸血鬼さんほどの筋力の持ち主であればパンプアップするまでもなく上腕二頭筋からほとばしる熱が緊張とともに血流を促し張り詰めた背筋だと思うのです……」
「……妖精、普通にしゃべってくれたまえよ。私には、今の君の言葉は難解だ」
「…………」
「妖精?」
「…………せ、脊柱起立筋?」
「……」
「腸腰筋……? 外腹射筋……? ふ、ふ、ふ……フロントブリッジ!?」
妖精がなにかに慌て、おびえている。
男性はしばしその様子をながめ、考えたが……
思い当たった可能性に、男性もまた、恐怖を覚えた。
「よ、妖精……君、まさか……」
「ど、ど、ど、ドラゴンフラッグ…………」
「通常の言語を忘れたのか、この一瞬で……?」
「ベントオーバーロー!」
妖精が激しく何度もうなずいた。
どうやら本当に言語を忘却したらしい。
「ううむ……とりあえず、私に続いて、同じようにしゃべってみなさい。『あ』」
「……ヒラメ筋……」
「一文字目から違うではないか! ……これは重症だ……」
男性は思わず顔を覆った。
指の隙間から見れば、混乱しきった様子の妖精が、意味もなくロボットダンスをしている姿が見えた。
気持ちは想像するにあまりある。
『さっきまで使っていた言語を忘れる』。
もし、自分がそのような目に遭ったら?
不安と恐怖で混乱し、人目はばからず醜態をさらすほど恐懼するであろう。
妖精は今、そのような恐怖と戦っているのだ。
そんな彼女に自分がしてあげられることはなにか――
男性は、妖精の心を落ち着かせる方法を、記憶から探り出す。
「妖精よ、筋トレをしよう」
「プロテイン!?」
「そうだ。君の好きな筋トレだ。君は言葉を忘れても、筋肉の名称は覚えているではないか。それに、トレーニングメニューの名称も、プロテインの名前だって覚えている」
「……尺側手根伸筋……」
「君は今、言葉を忘れ、混乱し、困惑しているだろう。思い出すきっかけさえわからず、不安に思っているのだろう……」
「……胸鎖乳突筋……」
「ならば、どうするか? ……そう、いつも君がやっていたことだ。忘れたことがあるなら、思い出せばいい。筋肉に負荷を与える方法――すなわち、筋トレによって!」
「……パンプアップ!」
「そう、パンプアップだ! ……さあ始めよう。動的ストレッチをしてから! 私も付き合う。筋肉を鍛え――言語を取り戻すのだ」
「リストカール!」
ちなみに妖精用ダンベルがないのでリストカールはできない。
二人は動的ストレッチをこなし、筋トレを始めた。
妖精は普段から筋トレを繰り返し体力作りにも余念がないが、昨日の筋トレの成果を翌日には忘れているぐらい頭も体もアホなので、体力はない。
しかし、それでも、妖精は筋トレをした。
二人並んでプッシュアップをした。
腹筋運動をこなし、背筋運動をする。
もちろん運動と運動のあいだには適切なインターバルもいれ、なるべく多くの回数、正しい姿勢で、正しい負荷がかかるよう心がけた。
いつしかゴシック調のおしゃれな男性の部屋には、筋肉が発散する熱と汗によるムワッとした空気が漂い始める。
男女二人の息づかいが重なるように響き続け、筋肉にかけられた負荷が全身にじんわりした疲労感をもたらす気がした(吸血鬼は筋トレをしても効果がない)。
そしていくつかの運動を終え、スクワットを行おうとした、その時――
「……き、き、き、筋肉! ……ではなく!」
「……妖精!?」
「き、き、き、きゅー、吸血鬼……吸血鬼さん!」
「妖精! 言葉を思い出したのか!」
「妖精さんは……妖精さんは……暗闇の中深淵を照らす一条の暗黒……」
「それは君の言語ではない」
「妖精さんは……妖精さんは……賢い!」
「妖精!」
男性は感動のあまり、スクワットをしながら涙ぐんだ。
妖精もガクガクと脚を痙攣させながら(本人はスクワットをしているつもりだが痙攣しかしていない)――
「妖精さんは……自分を取り戻したのです……」
「そうだ……そうだな。君は己を取り戻した。己とはすなわち、言葉だ。言葉により、知的生命は己と他者を定義する。言葉なくして文明はない……君は、文明を取り戻したのだ」
「わかるー」
「……ああ、それでこそ君だ。では、スクワットを終えて、静的ストレッチをして、運動を終えよう」
「きんにくー!」
妖精がかわいらしく叫ぶ。
男性も感涙を流しながら、笑った。
こうして妖精は、忘れたものを取り戻した。
そう、これは、絡み合う筋繊維が紡ぎ出した、汗臭い奇跡の物語――




