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106話 少年吸血鬼と眷属

「む……む……? む……!?」



 男性は己の声が高くなっていることに気付いた。

 この現象には心当たりがある。



「……まさか、また子供になっているのか……?」



 男性はおじさんであった。

 しかし、以前に一度、その肉体は子供になったことがある。


 どうしてこうも肉体年齢がガバガバなのか――

 その答えは、『男性が吸血鬼だから』という一言で示せるだろう。


 現代では『いないもの』とされている、幻想生物。

 数百年の時を生きる、ヒトよりはるかに長い寿命を持つ生き物。


 その肉体は常に最適なカタチに『再生』を続けている。

 なので、男性は半ば望んでおじさんの見た目でいるが――

 変身や分離も可能とするそのポテンシャルのせいで、なにかの拍子にうっかり少年のような見た目に変わってしまうという事故もありうるのだった。



「……いかんな……一度少年の肉体になったせいか、肉体年齢がゆるくなり始めているのかもしれない……」



 誰にも気付かれないうちに、肉体年齢を戻してしまおう。

 男性がそう思い、『体よ戻れ』と念じていると――


 コンコン。

 ガチャリ。

 ノックはしたが返事は待たずに入ってくる者があった。


 そいつは、メイド服を身につけた、幼い少女だ。

 黒髪で片目を隠すというこだわりの髪型をした、無表情な女の子――男性の眷属。


 彼女はどうやら、お茶を持ってきたらしかった。

 ティーセットを載せたトレイを片手に持っている。


 普段であれば完璧に体軸を揺らさぬ歩法により、ソーサーに伏せられたカップをカチャリとも鳴らさぬ見事なサーブ術を見せるが――

 その眷属が、なんと、男性の姿を見るなり、トレイを床に落とした。



「……あるじ、その、すがたは――」



 ガチャーン……

 静かな城内で、ティーセットが割れる音が反響する。


 しかし眷属は割れたティーセットには見向きもしない。

 彼女の視線は、ずっと男性の方へ注がれ続けている。


 男性は『まずいタイミングで見つかった』と感じた。

 なぜか男性が少年状態になると、眷属がめんどくさい子と化すのである。



「いや、なんだ……どうやら木彫りに夢中になりすぎたようでね。なに、すぐ戻るから、お前は割れたカップを片付けて部屋で待機していなさい」

「あるじ……」

「なんだね」

「ん、んん、んんん」



 眷属が意味ありげに咳払いをした。

 そして――



「大人に戻る必要はございますか?」

「!?」



 気合いの入った発声であった。

 普段は声を発する時、気が抜けているというか、いやいややっているという感じで、舌足らず気味なのだが……

 今のはまるで、しゃべることを仕事にしている者のような、綺麗で明瞭な発声だった。



「子供でも、いいではございませんか」

「いや……気合いを入れてしゃべってもらっているところ申し訳ないが、私はあの年齢の姿を気に入っているのだ。お前には話してもいいのだが、あの姿はね、私が人間であったころ私の父が――」

「主」

「なんだね」

「子供の姿なら、『働け』と言われませんよ」

「!?」

「お嫌でしょう? 働くのは」



 たしかにイヤだ……!

 男性は――働きたくない。

 だが、しかし……



「働くのがイヤだから子供の姿でいるというのは、なんというか……」

「主」

「なんだね」

「主の生活は、おじさんだから許されないのです」

「……」

「おじさんは、働くものです。おじさんは、決まった時間に起きて、決まった時間に眠るものです。おじさんは、家族を支えるものです。おじさんは、趣味に没頭して一日を潰したりしないものです」

「やめてくれ。胸が痛い」

「ところが――子供であれば、すべてが許されるのです」

「……」

「一日中遊んでいても、好きな時間に寝て起きても、家族を支える義務を負わなくとも、趣味に没頭して一日を潰しても、子供であれば、許されます」

「……なるほど」



 なんだかわからないがものすごい説得力だった。

 反論がまったく見当たらない。



「主――おじさんに許されることは、世の中に、あまりに少ないのです」

「……」

「世界はおじさんに厳しいのです。それが証拠に、世間のおじさんで、子供に戻りたいと思ったことがない方は、一人もいらっしゃいません」



 そのデータをどうやって収集したのかは、疑問だが――

 男性は『世間』を持ち出されると弱い。

 なぜならば男性はヒキコモリである――必要な買い物などをすべて眷属にまかせて、一切の交流を断っているのだ。『世間』のことなどなんにも知らない。



「主――許されましょう、世間に」

「……いや……しかしだね……」

「最近は気になるのでしょう? 世間の目が……」



 今日の眷属は痛いところをガンガン突いてくる。

 ずっと一番近くで男性を見ていた存在だけに、言葉選びがいちいち的確だ。



「世間体を気にするのも、いいことだとは思います。しかし、おじさんでありながらヒキコモリを続けるのは、世間という敵に対し、あまりに不利……精神が変化したならば、肉体も対応するべきです」

「……」

「おじさんであることに、メリットはございません。どうか、主、御身のためにも、子供のままで。その背の低いショタかわいい背の低い少女のような背の低い少年の姿のままで、これから生きていきましょう」



 優しい笑顔で眷属は言った。

 そうして、彼女は手を差し伸べてくる。


 きっと、その手をとれば、これから優しい世界で生きていけるのだろう。

 子供のままでいれば、働けと言われることもないし、働けと言われることもないし、そして働けと言われることもないのだろう。


 だけれど――

 男性は、首を横に振った。



「いや、私は戻るよ。おじさんに、戻るよ」

「なぜです……? なぜ、自ら、つらい道を選ばれるのです……? もういいではありませんか。主は、充分に戦われました。聖女の奸計に対して、立派に抵抗なさいました。これ以上、世間の要求と己の願望で板挟みになりながら、不利な戦いを続けることはないのですよ?」

「……ありがとう。お前も半分ぐらいは、本気で私を気遣って言ってくれているのだろうね。だけれど、私はやはり、おじさん呼ばわりされるあの容姿に戻る」

「……どうして……」

「理由は色々あるのだが――まあ、やはり、悔しいからかな」

「……?」

「だってそうだろう? 今まで私は、おじさんとして、聖女ちゃんと戦い続けてきた。彼女を通して伝わってくる世間からの『いい歳してんだろ働けよ』という圧力に抵抗を続けてきたのだ」

「……」

「だというのに――今まで戦い続けてきたのに、その戦いを途中で投げ出すのは、悔しいではないか」

「…………」

「しかしお前の気遣いも、しゃべることを嫌うお前の声を出しての訴えも、私の心にしっかりと刻まれたよ。ありがとう。お前が私の眷属で、本当によかった」

「……もったいないお言葉です」



 眷属は平静をたもとうとしていたが――

 その声が、泣きそうに揺らいだのを、男性は聞き逃さなかった。


 指摘はしなかった。

 それが眷属に対する礼儀だと思ったからだ。



「……うん、まあ、けれど、お前の語る『少年の姿の私』は心地よい生活を送っているようで、憧れないでもなかったかな」



 ――体がおじさんに戻っていく。

 たしかに、胸には未練が刻まれていた。

 だけれどそれを振り切って――


 男性はおじさんに戻る。

 おっさん吸血鬼の戦いは、まだまだ終わらないのだ。


 そうだ、今日も明日も、あさっても――

 聖女やほかの者が、なにを言ってきても――


 ――男性は働かない。

 絶対に、城から、出ない。

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