子どもになったヴィオラ
大精霊ボルゾイも傍にいたので、ホッとする。
彼女は慈愛に満ちた瞳でわたしを見ると、大丈夫だと訴えるように頷いてくれた。
「ヴィオラお嬢様、今日は何杯、お砂糖をお入れになりますか?」
「いいえ、必要ないわ」
「え?」
子ども時代のわたしは紅茶に砂糖をたっぷり入れて飲むのが好きだった。
けれどもそんな暮らしに慣れたあと、下町で暮らすことになって、砂糖は高いから入れるなと母に怒られてしまったのだ。
そんなやりとりを思い出し、切ない気持ちになる。
「本当によろしいのですか?」
「ええ、いらない」
そう言い切ってから紅茶を飲むと、渋くて顔を顰めてしまう。
大人になってからは砂糖なしの紅茶はすっかり平気になっていたものの、子どもの舌は耐えきれるものではなかったようだ。
そんなわたしの反応を見たメイドは、小首を傾げていた。
見た目は子どもだが、中身は大人のわたしだと言っても信じてもらえないだろう。
そのあとも、顔を洗う湯や、歯を磨く一式などもメイドが次々と用意してくれる。
着替えは腕を伸ばすだけで、メイド達がささっとやってくれるのだ。
なんて快適で贅沢な身分なのか。
ただ、子ども時代のわたしはこの暮らしにどっぷり浸かりきっていたばかりに、シュヴァーベン公爵屋敷を追放されたあとの生活で苦労したのだ。
メイドがいて、何もかもお世話してもらえる暮らしなんて、普通ではない。
一度目の人生を送っていたこの頃のわたしは、知る由もなかった。
身なりが整ったあと、頭を下げるメイド達にわたしは宣言する。
「明日から、服は自分で選んで、一人で身なりを整えるから、あなた達は必要ないわ」
メイド達は顔を上げ、驚いた表情でわたしを見つめる。
「朝の紅茶もいらないから」
仕事を奪ってしまって申し訳ないものの、愛人の娘に仕えることに関して、彼女らはよく思っていないはずだ。
内心、せいせいしているだろう。
メイド達は何も言わずに去って行く。扉がパタンと閉まると、ホッと胸をなで下ろした。
「ねえ、すごいわ! わたし、子ども時代まで時間が巻き戻っているの!」
『ええ、よかったですわね』
十歳くらいだろうから、まだ母が酒浸りや賭博漬けになる前である。
「母に会ってくるわ!!」
『ご一緒します』
母の部屋は隣である。
走って向かうも、扉の前にいた従僕に止められてしまった。
「ヴィオラお嬢様、お待ちください」
「どうしてあなたが止めるの? ここはお母様の部屋なのに」
「その……」
従僕は気まずげな表情でいる。
寝ているにしても、母の使用人でない彼がここにいるのはおかしいだろう。
「あなたに止められる筋合いはないわ」
「いえ、あります! ここにはまだ、シュヴァーベン公爵がいらっしゃるのです!」
「あ!」
納得の理由を聞いてしまい、動きを止めてしまう。
つまり従僕は何が言いたいのかと言うと、シュヴァーベン公爵が母と寝室を共にしていて、おそらく二人とも裸だろうから娘であっても入るべきではない。
そう言いたいのだろうが、子ども相手なので言えないでいたのだろう。
「えー、そのー、なんと言いますか」
「お父様とお母様は、朝から仲よくされているから、邪魔しないでってことなのね」
「ええ、あの、はい。その通りでございます」
従僕は気まずげな表情を見せつつも、わたしが納得した様子を見せたからか、瞳に安堵の色を浮かべているように思える。
「もう! つまんないの!」
なんて子どもらしいことを言ってから部屋に戻る。
扉を元気いっぱい閉めたあと、窓際に置いてあるロッキングチェアに飛び乗った。
『お母様に会えなくって、残念でしたわね』
「ええ、でも、シュヴァーベン公爵の寵愛があることがわかったわ」
いつからだったのか。父が母のもとを訪れなくなったのは。
そのせいで自暴自棄となり、酒に溺れ、賭博に熱中するようになってしまったのだ。
寵愛がある間は、美しさを保つことに夢中だったのである。
「たぶん、寵愛を失うような出来事があったのよね」
『おそらくそうなのでしょう』
母が何かしたのか、それともシュヴァーベン公爵に別の愛人ができたのか。
その辺もしっかり調べなければならない。
「振り返ってみれば、わたしは生意気なだけの子どもだったわ」
メイド達を当然のようにこき使い、侍女が行儀見習いや教養を叩き込もうとしても嫌がり、家庭教師の授業もほとんどすっぽかしていた。
そのためわたしは空っぽのまま大人になって、ナイトの野郎みたいなクズ野郎に引っかかってしまったのである。
「ここを追いだされるまで、真面目に勉強をしてみようかしら?」
『それもいいかもしれませんね』
あとは、母が酒と賭博に身を投じないよう、しっかり監視しておかなければならない。
「なんだか二回目の人生よりは、希望が持てるかもしれないわ」
これだけ時間が巻き戻っていたら、人生の軌道修正も上手くいくだろう。
もしかしたら追放されない未来もあるかもしれない。人生の舵取りは何もかも母次第なので、監視だけは怠らないようにしなくては。




