第5話:貴族議会と新時代の扉
王都上層、議事庁舎。
社交界と政界を繋ぐ中枢――王都貴族議会の門をくぐるのは、これが初めてだった。
古びた大理石の柱。漆黒の床には、歴史ある紋章が刻まれている。
私は、正装したドレスの裾を静かに揺らしながら、その扉の前に立った。
(……私が、この扉を開ける日が来るなんて)
「公爵夫人、どうぞ」
案内役の若い騎士が頭を下げ、重々しい扉を開く。
中へ入った瞬間、ざわめきが走った。
「……彼女が?」「あの、シュトラウス公爵の……」
「王妃陛下の命で、臨時議席に立つらしいですわ」
「とはいえ、元は“平民崩れ”じゃないのかしら?」
聞こえる声は、歓迎とは程遠い。
けれど、私は足を止めなかった。
まっすぐ、用意された席へと向かう。
その途中――ふと、最奥に座る年配の令嬢と目が合う。
公爵家筆頭の名門、マルグレーテ公爵夫人。
無表情のまま、じっと私を見ていた。
「アリシア・アルディネ公爵夫人、本議会へ臨時登壇を許可します」
議長代理が声を発した瞬間、議場の空気が張りつめる。
(ここからが、本当の戦場)
ゆっくりと席に着いた私は、丁寧にお辞儀をした。
「皆さま、はじめまして。公爵夫人としてこの場に立つことを許されたこと、心より光栄に存じます」
「ふん、礼儀だけは一人前ですわね」
吐き捨てるような声に、一部の貴族令嬢たちが笑いを漏らす。
だが私は、表情を崩さなかった。
「本日は、“礼儀”と“品位”の本質について、少しだけ話をさせてください」
議場がざわめく。
「私のように、“一度地に落ちた者”がこの場に立っている――それを不快に思われる方も、少なくないでしょう」
「……」
「ですが、落ちた者こそ、立ち上がり、秩序を守る覚悟を知ります。
公爵家の名に恥じぬよう、私はいかなる不敬も、不正も、決して見逃さない覚悟でここにおります」
まっすぐな言葉と、確かな視線。
それは、誰の威光でもなく――“アリシア”という一人の人間としての声だった。
やがて、会場の空気が変わり始める。
「……意外だな。見下すつもりでいたが、骨がありますね」
「噂とは違うな。“仮面”だけの方ではなかったようですわ」
低く交わされる声の中、マルグレーテ公爵夫人がようやく口を開いた。
「――アリシア様一つ、問わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、マルグレーテ様」
「貴女が語る“礼儀”と“品位”は、過去に貴女を嘲笑した者にも通ずるものですか?」
問いは鋭く、冷たい。だが私は、静かに頷いた。
「はい。品位とは、過去を許すことでもあります。
ですが――同じ過ちを繰り返す者には、相応の罰を下します。それが、私の信念です」
沈黙。
しかし次の瞬間――
「……面白い方ですね」
マルグレーテ公爵夫人が、わずかに笑みを浮かべた。
「議会の腐りかけた空気を、少しは変えてくれるかもしれません」
それは、認められた証だった。
そして、アリシアという名が、公爵家の妻としてだけでなく――
“新時代の貴族”として受け入れられた瞬間だった。




