第8話:嫉妬、誤解、そして初めての口づけ
その日、クレイグ様は朝から明らかに――不機嫌だった。
「……今日の昼、カミュ侯爵家のご令息が、屋敷を訪ねてくると?」
「はい。舞踏会でご挨拶した際に、“書の寄贈について相談したい”と仰っていたので」
「ふん……」
明らかに、不満そう。
「……公爵様?」
「書の話をしたければ、書店にでも行けばいい。わざわざここに来る必要があるのか」
「“シュトラウス公爵の奥方にこそ、相談したい”と仰ってました」
「……」
黙り込む彼を、私はじっと見つめた。
「……公爵様、それって嫉妬、ですよね?」
「違う」
即答だった。
でも、顔がほんのり赤い。耳の先まで。
「私はただ、正当な判断を――」
「嫉妬ですよね?」
「……黙れ」
ぷいっとそっぽを向かれたけれど、私は思わず微笑んでしまう。
公爵様が、嫉妬なんて――
ほんの少し前までは、考えられなかった。
でも、それが今は心から愛しくて、嬉しいと思える。
昼下がり、予定通りカミュ侯爵の息子が来訪した。
書の管理システムや記録法について、熱心に質問してくる彼に、私は丁寧に応じた。
……が、部屋の隅からずっと視線を送ってくる“誰か”がいる。
(……気になるなら、出ていらっしゃればいいのに)
そんなことを思っていたら――
「失礼する。少し、進行が長引いているようなのでな」
「……クレイグ様」
なぜか自然に入ってきた公爵様は、当然のように私の隣に座った。
「書の件なら、私も多少は知識がある」
「そ、そうでしたか……!」
カミュ家の令息は少し慌てたように言葉を整える。
(……明らかに“割り込み”よね)
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、それだけ気にしてくれていることが、愛しくて仕方なかった。
客を見送ったあとの廊下。
私はそっと声をかけた。
「嫉妬して、わざわざ割って入ってきたんですね?」
「……訂正を求める」
「でも、嬉しかったです」
「……」
彼は黙っていた。けれど、足を止め、私に向き直ると――
「……お前が他の男に笑いかけるのは、やはり、耐え難い」
その言葉に、胸がじんわり熱くなる。
「なら、言葉じゃなくて……証明してみますか?」
「……どういう意味だ?」
「例えば……こういうふうに」
私は、そっと彼のマントを引き寄せて――
ほんの少しだけ、背伸びをした。
一瞬の戸惑いののち、彼も静かに腕をまわし、私の背を抱いた。
唇が触れ合う。
静かな、けれど確かに心が溶け合うような、初めての口づけ。
時間が止まったような感覚の中、彼の腕の中で私は確信した。
ああ――私はこの人を、愛している。
そして、彼もまた、私を愛してくれている。
唇を離したあと、クレイグはひとことだけ、小さく呟いた。
「……形式では、ないな」
「はい。もう、何も」
心と心が重なったその夜。
形式の仮面は、ようやくすべて――外されたのだった。




