第九十一話 決意と正義、強さと弱さ
興味を持って下さりありがとうございます!
ユァーリカを助けねばという思いと自分の願いを叶えたいという二つの思いの間でヨルクは揺れる。
(ここでユァーリカが敗れてもルツカに危害が及ぶことはない)
ロビンにとってルツカはユァーリカを操るための餌であり、人質だ。人質は無事であるから価値がある。ロビンの元にいる限り、ルツカのことはロビンが心血を注いで守るはずだ。
(そして、ユァーリカも大きな怪我を負うことはないはずだ。ロビンはユァーリカにさせたいことがあるようだからな……まあ、何をさせたいのかはよく分からないが)
つまり、この場でヨルクが手を出さず、ユァーリカが負けたとしても実害はないとヨルクは思う。誰も何も失わないのだ。
(だが、それは正しいことなのか?)
思いがけない発想が自分から出て来たことにヨルクは思わず動揺した。
(バカな、何を今更! 正しいかどうかなんてどうでもいいはずだ。大切なのはレオルを生き返らせることだけだ。俺はそれだけを考えて生きてきたはずだ)
そうこうしているうちに、ユァーリカが再び躱し損ねた攻撃をくらい、それと共に、【紫炎霊装】の鎧が剥がれてしまう。だが、それでもユァーリカの瞳から闘志が失われることはない。その真っ直ぐな瞳を見て、ヨルクはユァーリカの言葉を思い出した。
“俺はずっとそのことを認められなかった。自分が弱かったせいで姉さんが死んだってことを”
ヨルクも同じだ。レオルが自分を庇って死んだことは今でも認められない。いや、認められないというより、そんなことはあってはならないのだから。
“だから、俺、誰かを守れる男になりたいんだ”
ユァーリカはそう言って、《悪食竜》に立ち向かい、大勢の命を救った。それを思い出した時、ヨルクは突然ある真実に気づいた。
(ああ、そうか。あいつは聖霊に選ばれたから救世主になったんじゃない。後ろを向かず、前に進もうとしたから救世主なんだ)
ヨルク自身はどうだろう。助けられたこと、大切な人を犠牲により永らえた命でやっていること。それただの自己満足でしかない。
(レオルは俺の命と引き替えに蘇ることなんて望んでいない。だから、俺に“忘れて”って言ったんだ)
あの時はただユァーリカの境遇と自分の境遇を重ねただけだった。だか、今なら何故、あの言葉に自分が揺り動かされたのかが分かる。
(俺はユァーリカと違って前に進めていない。そういうことか)
人は死ぬ。だが、生き残った誰かが、その遺志を汲み取ってくれれば、死は無ではなくなる。ユァーリカが選んだのはそう言った道かもしれない。
(レオルの遺志を汲み取り、前に進む。それはつまり……)
※※
鎧のようにユァーリカを覆っていた紫炎は既に右腕しか残っていなかった。紫炎が消える度にユァーリカが攻められる場面が多くなり、今ではただロビンの攻撃を受けるだけになっていた。
「流石にここまでだろう、ユァーリカ」
「勝った気になるのはまだまだ早いぞ」
ユァーリカは左手で額の汗を拭いながら、ロビンにそう告げる。そんなユァーリカを見て、ロビンは“困ったもんだ”とでもいうかのように首を振りながら、手を上げた。
「心配しなくても帝都に来れば必ずルツカを渡すと約束する。だから、ここで引いてくれないか。私はキミを傷つけたくないんだ」
「お前の都合なんか知るもんか!」
ユァーリカがそう叫び、突進する。彼を止めようと放たれる緑光と冷気を右手をはたき落としながら、ロビンへ肉薄し、一撃を加えるが、やはりダメージは与えられない。今まで通り、ユァーリカは引こうとするが、それを予期していたロビンの方が一瞬早い。
「しまっ──」
ユァーリカの額に緑光の剣が振り下ろされる。だが、ロビンの攻撃がユァーリカに届くことはなかった。何故なら、横から割って入ったヨルクが手にした何かで緑光の剣を受け止めたからだ。
「本当にそう思うならお前が折れたらいいんじゃないか、ロビン」
「ヨルク、一体何のつもりだ」
ロビンが厳しい眼差しでヨルクを睨む。だが、既に腹が決まっているヨルクがそれに怯える道理はない。
「ユァーリカは主人公だろ? 主人公の窮地には仲間が助けに来るもんだ」
そう言って、ヨルクはひびが入り始めた緊急脱出を振り抜き、ロビンの剣をいなす。案外あっさりと体勢を崩すロビンにヨルクは何かと決別するように手にした魔道具を突きつけた。
「俺はずっと認めたくない過去から逃げていた。楽な方、楽な方へと。だから、色々間違えた。お前の言葉を聞いたのもその一つだ」
突きつけられた短剣くらいの長さの鉄の棒を見ながら、ロビンは心底意外そうな顔をする。ヨルクの言葉はロビンにとって理解も共感も出来ないものだったからだ。
「何が不満だ? オレは別にキミや仲間に危害を加えたいわけではないぞ。確かに個人的なワガママがあるのは認めるが、それはさほど問題ないはずだ」
ヨルクは何も答えない。だが、ロビンの話は止まらなかった。
「帝国は救世主に倒されるべき悪だ。この世界のマナを私欲で消費し、滅亡へ向かわせる帝国は許されざる存在なのだ。しかし、ユァーリカにはまだ帝国を倒す動機がない。それはいずれ生まれてくるのかも知れないが、早いに越したことはないだろ」
「確かにそうかもな」
「だろ?」
ロビンが得意気にそう言う。だが、次のヨルクの言葉はロビンの予想もしないものだった。
「だが、お前には正義がない! 理屈はあっているかもしれないが、それはただの後付けだ。お前は自分の欲望を正当化しているだけだろ!」
「正義だと? オマエは一体何を言ってるんだ」
「お前には分からない話だよ!」
ヨルクがいつでも飛び出せるように身構える。少し体を前に倒したその姿勢はまるで猫のよう。ヨルクが臨戦態勢に入ったのを見て、ユァーリカはヨルクに並ぼうとするが、ヨルクは手で彼を制した。
「ユァーリカとルツカは皆に合流だ。ここは俺がやる」
「ヨルク、あいつは!」
「すまなかった」
「え?」
「俺は裏切り者だ。お前達よりもレオルを優先させようとしていた。お前は恩人のはずなのにな」
そう、間違えた。恩人を裏切るのは彼のポリシーに反するのだ。
「本当は分かっていたんだ。死んだ人間が生き返るわけはないって。だけど、レオルが死んだなんて認められなかった。嘘にしたかった。だから、間違えた」
「ヨルク……」
「だが、お前のおかげで── いや、いいや。とにかく行け」
「まさか、死ぬつもりなの、ヨルク?」
ルツカが探るような声色で言うのを聞き、ヨルクは安堵した。嘘をつきながらの旅だったが、彼らはヨルクのことを仲間だと思ってくれていたらしい。
(クロエにも謝らなきゃな)
今更ではあるが、そう思う。そして、その思いは力になった。したいことがあるなんて久しぶりのことだ。
「心配するな。俺には切り札があるからな。色々詫びなきゃいけねーし、こんな所で死ねねーよ。そういうのは俺のポリシーに反するからな」
ヨルクは二人にわざと自信ありげな態度を見せる。彼らが後ろ髪を引かれるようでは意味がないからだ。
「必ず帰って来なさいよ。身の毛もよだつ罰を考えておくから」
「おお、怖い怖い」
ヨルクは戯けて肩を竦める。それはもはや嘘ではない。
「ハンス、行きましょ」
「でも」
「いいから!」
ルツカはユァーリカをせき立てるように先へ急がせる。それでも何度も後ろを振り返るユァーリカにヨルクは親指を立てた拳を高く上げて見せた。
「そろそろ良いかな。末期の別れは」
そう言うと同時にロビンが右手の剣を振る。すると、それは光をヨルクに向けて飛ばし、彼の頬に浅い傷をつけた。
「残念だよ。オレは約束を破るつもりは無かったんだがな」
「俺もあんたが約束を破るとは思っていないさ。だが、あんたに従うことが正しいかどうかはまた別の話だ」
「一体何が不満なんだ。キミはそんなに感情的な人間じゃないと思っていたんだがな」
「ユァーリカはさ」
「ん?」
「あいつの最も凄い力は《死霊食い》なんかじゃない。何故か周りの人間を惹きつける力だ。ルツカにクロエ、ついには神聖エージェス教の教祖様やベルバーンの冒険達まで感化させてしまう。そして、俺もその一人だということさ」
「なるほど、ユァーリカの純粋さに影響されたというわけか。ますますユァーリカを逃すわけには行かないな」
「通すと思うか?」
更に真剣味を増していくロビン。ヨルクは手にした魔道具、緊急脱出を突きつける。だが、ロビンはそのひび割れた魔道具を見て、苦笑した。
「威勢がよい啖呵を切った割には頼りない魔道具だな。次にオレの《鬼火》を受けたら粉々になるぞ」
「まあそうだな」
それは誰の目にも明らかな事実だった。敵の圧倒的な力に対し、自分の手元には崩壊寸前の魔道具しかない。だが、それでもヨルクはロビンを止める自信があった。
(こいつの弱点は──)
その時、ロビンが動く。遅れてヨルクも反応し、何度か緑の光が瞬く。数秒後、緊急脱出が発動し、二人の姿はかき消える。その場に残ったのは、大量の血痕だけだった。
読んで頂きありがとうございます! 次話は明日の七時に投稿します!




