第九話 敗北 そして……
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「暗い」
意識が戻った時にハンスが口にしたのはそんなことだった。ハンスがいるのは、帝都に繋がる街道を守る砦の内の一つ。彼は勇者に破れた後、その地下牢に連れてこられたのだった。
(ここは……)
尚、ハンスは知らぬことだが、彼が意識を取り戻したのは二週間ぶりのこと。帝国としてはハンスに罪を着せ、処刑する必要があるので、最低限の治療はなされている。が、彼の火傷は酷く、もはやこのまま死ぬだろうと半ば諦められていた。
「俺は一体……」
そう言って起き上がろうとするが、体に力が入らないことに気づく。いや、力が入らないというよりも、感覚がないようだ。【紅炎鳥】の炎はハンスの皮膚や肉だけでなく、神経にまでダメージを与えていたのだ。
「まあ、いいか。どうせ、俺に出来ることはもう何もない」
そう言ってハンスが瞼を閉じようとしたその時、縋るようなか細い声が彼の耳に届いた。
「誰かいるの? ねえ、聞こえたら返事をして!」
ハンスはマナサイトを開き、首が動く範囲で辺りを見回す。すると、マナの流れから向かいの牢らしき空間に少女がいるのが分かった。ハンスは体のマナの流れを見ているだけなので、顔立ちなどの外見的な特徴は分からないが、大体彼と同じくらいの年齢だ。そして
(酷く怯えてる)
地下牢に入れられているのだから、当たり前かも知れないが、ハンスの目にはそれとは違うものがあるように見えた。
(何に怯えてるんだろう)
最早何もかもを投げ出したハンスに少しだけ好奇心が沸く。どの道、返事をするくらい大したことではないのだ。
「俺は君の目の前の牢にいるよ」
ハンスが返事をすると、少女がビクッと体を振るわせる。あまりに暗いため、ハンスにはそうした動きは分からないが、マナサイトのおかげで何かに驚いたのは分かる。
「ねえ、私をここから出して!」
それは無理だろうとハンスは思う。牢から出られる人間が牢の中にいるわけがない。だが、少女は必死だ。返事をしないハンスに対し、必至で懇願する。
「私が戻らないとお姉ちゃんが!」
姉……?
ハンスの胸にさざ波が起こる。
敵をとれないばかりか、何とか受け止めた姉の霊魂さえ奪われた彼には、もはや何も残っていないはずだったのだが。
「お姉ちゃん、病気なの。私、頑張って何とか薬を手に入れたんだけど、この砦の人に取り上げられて」
「それじゃあ、ここから出てもお姉ちゃんは助からないんじゃないか?」
ハンスは意地悪をいったつもりはない。自分の言葉が他人にどう受け取られるかさえ分からないくらい、今のハンスは現実を見ていなかった。
「そんなことない!お姉ちゃんは死んだりしない!」
「!!!」
まるで天啓を得たようにハンスの動かぬ体に電流が走る。
「薬は私が頑張ってまた買えばいい! お姉ちゃんが、お姉ちゃんがいなくなるなんて、そんなこと絶対ない!」
お姉ちゃんがいなくなるなんてことは絶対ない
その言葉をハンスは反芻する。
姉、リンダは確かに他界した。しかし、その霊魂はつい最近まで自分の中にあったのだ。
そして、それは勇者により奪われた。その証拠に今のハンスは姉の精霊魔法の力を失っている。それは確かだ。
(だけど、それは姉さんを勇者に奪われたということになるのか?)
姉の精霊魔法の力を奪われたこと。それは姉を奪われたこととは繋がるのだろうかとハンスは自問する。そして、その答えはすぐに出た。
(いや、違う。姉さんの力は精霊魔法だけじゃない!)
ハンスを呼ぶ声、ハンスの頬に触れる指先の感触、くすぐったくなるような過干渉。それらが今までハンスを奮い立たせ、無力なハンスを血の滲むような修練へと駆り立ててきたのだ。
(俺は馬鹿だ。姉さんの精霊魔法の力をとられたことで、姉さんを失ったような気持ちになっていたなんて)
若干、いやかなりのシスコン的発想ではあり、こんなハンスに軽く引く人は多いだろう。しかし、彼は大真面目である。
(俺から姉さんを奪える奴なんているわけがないんだ。だって、俺が姉さんのことを忘れるわけがないんだから)
姉さんが共にいてくれている
それを知ることは、ハンスにとって無限の力を引き出す魔法だった。ぼやけた思考が一瞬でクリアになり、体中に力が湧く。彼の意志が蘇ると同時に、体中のマナが活性化した。
(姉さんが一緒なら、絶対にやれる!)
ハンスは心の赴くまま、ボロボロになった体の許す限りの声を張り上げた。
「姉さんがいなくなるわけがない!」
急にハンスが張り上げた声に少女が体を硬直させる。しかし、ハンスはそれには構わず、咳き込む喉を抑え、声を張り上げた。
「俺は負けた。でも、次は必ずアイツを倒す!」
ハンスの声は音のない地下牢へ響き渡る。客観的に見れば、ただの妄言でしかなかったし、むしろ滑稽でさえあった。自身が囚人である上、体はほとんど動かない。そんな彼が何を為すというのか。
(それでも、俺はやる。姉さんは今も俺の中にいるんだ。なら、何だって出来るはずだ)
ハンスにとって絶対的な存在だった、姉リンダ。そんな姉を失ったことで彼は冷静さを失い、自分の怒りを敵にぶつけることしか、考えられなくなっていた。
姉の精霊魔法の力を受け継いだことで、何でも出来ると錯覚したのもそれを助長した。
そして、それを失った時、心が折れた。だが、少女の言葉でハンスは今までとは違った意味で冷静さを失っている。
(姉さんは完璧。姉さんは絶対。姉さんは……)
おかしな方向に思考が飛び、元々重傷であったシスコンが更に悪化する。
しかし……いや、だからこそハンスは新たな力に満ちていた。
(姉さんの敵を取る。そのためには、まずここから出るんだ)
ハンスが強くそう念じた瞬間、突然あちらこちらから陽炎のような光が立ち上り、人の影のような形をとりはじめた。
(死霊? この牢で死んだ人のものか)
生前の姿を模した陽炎は彼にしか聞こえない声でささやく。
“ここから出るなら、我々も連れていけ”
ハンスが一つ頷くと、死霊達は光になって引き寄せられるように彼へと飛び、体に入っていく。それと同時に、ハンスの心に何がか流れ込んできた。
(これは、死霊達の記憶か)
死霊達の生前の姿、想いはそれぞれだった。
あるものは、村人を虐げる貴族に反発して獄中死した騎士。
そしてまたあるものは、禁呪法の研究に反対して牢に入れられ、そのまま餓死した呪法使い。
罪を着せられた義賊もいた。
数知れぬ死霊達の望みはたった一つ、ここから出たいということだった。
死霊がハンスの魂に入っていく度に、ハンスの傷は癒え、心にその想いが刻まれる。
無念、未練、恨み。
胸が締め付けられるような想い、一つ一つを抱きしめる。それらは、他人であって、他人でない。何故なら、ハンスの今の想いと同じものだったからだ。
(俺は救世主なんかじゃない)
ハンスは心中で一人呟く。
(俺はただ、姉さんを守りたかっただけなんだ。なのに、姉さんは俺のせいで──)
それ以上は考えられなかった。それを考えれば、本当に何も出来なくなるから。だから、ハンスは別のことを考えた。
(姉さんを殺しただけでは飽き足らず、俺から姉さんの一部を奪った勇者。あいつは許さん、あいつだけは許さん!)
死霊達がハンスの想いに共感し、すすり泣く。死霊との共鳴によって、ハンスは回復し、むしろ以前よりも身体能力が強化されていく。
(ここを出る。そして、あいつを倒す力を得る)
ハンスは立ち上がり、目の前の鉄格子を飴細工のようにひしゃげさせると、少女の前に立った。
「行こう。君を姉さんのところへ連れて行くよ」
読んで頂きありがとうございます。次話は明日の七時に更新します。ハンスが色々やらかします!




