第五十九話 二人のハンス
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カーテン越しに朝日を感じ、クロエは目を覚ます。目の前の机にはペンやら羊皮紙やらが散乱している。彼女は昨夜考えごとをしている最中に寝てしまったのだ。
こめかみを押さえ、眠気を追いやりながら、クロエは体を起こす。机に突っ伏して寝たせいで体はあちこちこっていたが、彼女にはそれ以上に気になることがあった。
「私の見た未来、あれはこれから更新されるのか?」
意識が鮮明になると、昨日ずっと考えていたことが口をついて出た。
クロエがロビンの名を聞いた時に見た未来、それはハンスがロビンに殺されるというものだった。《霊剣》で心臓を一突きにされたハンスは魂を破壊され、人形のように倒れてしまうのだ。
(だけど、《未来予想図》の見せる予知は私達の行動で変わる。未来を変えるチャンスはある)
《未来予想図》による未来予知は外れない。しかし、一度見た予知の一部ないし全体が変わり、再度クロエに降りてくることがある。彼女はこれを『更新』と呼んでいた。
(ロビンと手を組むか否か、これが未来の分岐点になる可能性が高いな)
何か根拠があるわけでは無い。だが、クロエは何故かはっきりとそう感じていた。それは何度も未来が変わる瞬間を体験してきた経験から来る直感なのかも知れない。
(ロビンと手を組めば、ハンスがロビンと戦うことが無くなる……いや、そうとは限らないか。だが、手を組んだとしても戦いが起こらない保障もない)
クロエが見た未来については既にセリムに話してある。昨夜みんなでロビンのことを話した後も、彼と二人でこのことについて散々話し合ったのだが、結論は出なかった。
(ヨルクとも相談しておきたかったが、姿が見えなかったな)
ヨルクは時々姿が見えなくなることにクロエは気づいていた。一体何をしているのかが、気にならないといえば嘘になる。だが、クロエはヨルクのことを信じていた。それは、期待や信頼といった感情論ではない。厳然たる事実として、ヨルクが信用できる人間だと知っていたのだ。
(私が見たヨルクの未来は三つ。ハンスと出会った時のもの、キャラベルへ続く平原でのもの、あと一つは……)
未来は変わる。だが、この三つの未来予知は変わらないとクロエは分かっていた。理由は分からない。これもまた、彼女の直感がそう言っているのだ。
(出来ることをすることが、よい未来に繫がる。それはいつでも変わらない)
クロエは自らに気合を入れるように頬を叩いた。今は悩んでいても仕方がないのだ。
(ハンス、君のことは必ず私が守って見せる。それがダーリンとの約束だからな)
※※
三日目の公演も拍子抜けするくらい上手く行った。初日、二日目の評判が評判を呼び、観客のボルテージは既に最高潮だったのだ。勿論、ハンス達も出し惜しみはしないし、する必要もない。魔王ユリウスに師事したハンスの力があれば、どんな奇跡も思いのままなのだ。
尚、ロビンとの連絡はセリムが行っていた。影でハンスの精霊が護衛をしていたのだが、ロビンは気にした様子はなかった。ロビン自身、《自己複製》を使っていたので、おあいこだと思っていたのかもしれないが。
三日目が終わり、教皇庁からハンス達に教皇との謁見の話が挙がっているとの話をセリムが持ってきた時には、抜け目のないルツカも流石に“このままでも大丈夫そうね”と口にした程だ。
そして、そんなルツカの言葉は現実になった。教皇との謁見も、その後のエルヴィールとの合流も何一つ問題なく進み、ハンス達は門番から賛辞を贈られながら、キャラベルを後にした。
「この辺りで休憩にしよう」
キャラベルから出て一時間くらいすると、クロエがそう提案した。首都近くなので道はかなりならされているとはいえ、馬車はそれなりに揺れる。ハンス達はともかく、馬車に乗ったことさえなかったエルヴィールにとってはかなりの洗礼だった。
「エル、顔色悪いけど大丈夫?」
エルとはエルヴィールの愛称だ。エルヴィールは公演の間、ハンスやルツカと一緒にいたことですっかり打ち解けていたのだ。
「気分が悪い……」
エルの白い顔は今や蠟燭のように生気を失っている。
「水でも飲む? ハッカを入れるとすっとするよ」
思った以上にエルの具合が悪く、慌てて駆け寄るルツカ。しかし、エルは気丈にもしっかりと首を振った。
「大丈夫。きっとこれは旅立ちの洗礼。神の試練。耐えてみせる」
「ただの馬車酔いだから! いいから横になって」
馬車から下ろし、地面に敷いた敷物にエルを横たえると、ルツカはあれやこれやと介抱し始める。そんな彼女を遠目で見ながら、ハンスは皆から離れていく。
別に対した理由はない。トイレである。
ちょっとした茂みを見つけ、ハンスは用を足す。そして、馬車に戻ろうとしたその時、背中で足音がした。彼は慌てて振り返り、音の主を確かめる。
「ルツカか、びっくりしたよ」
そこにいたのはルツカだった。ハンスの驚いた顔を見て、彼女は彼の記憶通りの笑顔を浮かべる。
「遅かったから心配になって」
小さな、小さな違和感がある。それが何かを表現することが出来ないくらいの小さなものだ。
(何だろう。何かおかしい)
直感に従い、ハンスは最後にルツカを見た場面を思い出す。すると、ハンスには再び疑問がわく。
「エルはもういいの?」
「エル? ああ、うん。大したことないよ」
ハンスの違和感がさらに高まる。エルはかなりしんどそうだった。そんなエルを置いてくるなんて、全く彼女らしくない行動だ。
「どうしたの、ハンス? 怖い顔して」
ハンスが警戒しているのを見て、目の前のルツカに似た少女は小首をかしげた。まるで、自分がハンスに警戒される理由が分からないとでも言うかのように。
「君はルツカじゃな──」
ハンスが何かを言う前に、少女はハンスに抱きついた。自分の左手をハンスの腰に回し、体を密着させる。
「!!!」
「ねえ、ハンス。お願いがあるんだけど……」
吐息がかかるような距離にあるハンスの瞳を見つめながら、に少女が甘ったるい声を出す。
「私とここでっ!」
少女の手がまさぐるようにハンスの下半身へ落ちて行こうとした瞬間、彼の背中で火花が散った。それと同時に少女がハンスの体を突き飛ばす。ハンスは倒れまいとするが、その動きは僅かに遅れ、片膝をついた。
(衝撃を受けると鋼のように硬くなる魔物、アイアンバインにリウルを変化させ、攻撃を受けた一瞬だけ体を硬化させる技。上手くやれたと思ったけど、解除が少し遅れたか)
動きが鈍り、転倒したのは彼が直前に使っていた能力のせいだ。だが、そうとは知らない少女は驚いた顔を浮かべた。
「私の攻撃が防がれた、何故?」
ルツカに似た少女はもう消え、今は代わりに一人の女が目の前に姿を現している。胸と腰周りを覆っているだけの露出度の高い鎧を身につけた若い女だ。艶々とした髪は腰まで伸ばされ、彼女が動く度、男の気を引くように踊るように揺れている。
「ロビンは後ろをとったそうだけど、やっぱりその程度では君は倒せないのね、救世主くん」
「俺は救世主なんかじゃないっ!」
こんな馬鹿な罠にかかりそうになった自分が救世主なんていえるはずもない。
「まあ、でもこれで充分なんだけど」
女が妖艶に微笑みながら、ハンスの背中に突きつけたナイフを見せる。そこには、薄く血がついている。女に突き飛ばされた時にどこかを切られたのだろう。
「私の名前はキアラ。最強の勇者。そして」
女は血のついたナイフにゆっくりと舌を這わせ、綺麗にハンスの血を舐めとった。それと同時に女の姿が消え、ハンスの瓜二つの青年が現れる。
「これが私の固有技能、《変容》。あなたの力は頂いたわ!」
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