第五十二話 烙印(スティグマ)
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ハンスと話していた銀髪の少女が自室に戻ると同時に彼女の姉が寝室に入った。
「どうしたの?」
エメリーヌは銀髪の少女、エルヴィールの様子にいつもと違うものを感じたらしい。
「エメリー、実は!」
話し出そうとしたエルヴィールを姉のエメリーヌは手で制した。
「待って。話さなくても分かるから、もう寝ましょ。話は明日」
有無を言わせない姉に何も言えずに押し黙るエルヴィール。彼女達にとって、睡眠時間を確保することは重要だ。何故なら、体験をお互いに共有するためには、共に八時間眠らないといけないのだ。話さなくても分かることを話すために睡眠時間を削ることは、ある意味本末転倒とも言える。
(でも、私はエメリーとさっきあった男の子のことを話したかったな)
彼女達の力はそれぞれがその時感じたことまでは伝わらないのだ。
だが、エメリーヌのいうことは正しい。
エルヴィールのキャラベル脱出計画はエメリーヌと大司祭の間で計画されており、今はいつも以上に体験を共有しておくことが大切なのだ。だから、エルヴィールはエメリーヌの言うことに黙って頷くしかなかった。
「……うん、分かった」
いつものように手を握って眠りに落ちる。すると、彼女はエメリーヌの一日を夢の中で体験する。
(脱出計画、あの男の子いる一座に紛れて。以後はエメリーがロビンと応対する……)
そう言えば、あの男の子の名前を聞いていなかったと今更ながらに気づく。
(明日会えたらいいな)
目の前で繰り広げられるエメリーヌの一日を見ながら、ふと思う。だが、そんなことは許されるのだろうか。
夢の中でエメリーヌの一日が終わると同時にカーテン越しに朝日がさすのを感じ、エルヴィールは目を覚ます。当然、エメリーヌも一緒だ。そして、エメリーヌは開口一番にこう言った。
「今日も行くの?」
「……時間があれば」
エルヴィールはエメリーヌの様子を伺いながら、そう呟く。何かを考えこむエメリーヌを見ながら、エルヴィールは秘かにため息をついた。
(エメリーヌは頑張ってる間に行くなんて、やっぱり駄目……)
普段ならエルヴィールは日課以外に何かをするなんてことは考えなかったに違いない。実はエルヴィール自身、何故自分がこんなことを考えているのか若干の戸惑いを覚えていた。
(昨日から私、何かおかしい。どうしてこんなこと……)
まあ、実はただ単に、彼女には同世代の異性と話した経験など数える程しかなく、ハンスが目新しかっただけなのだが。
だが、例えエルヴィールが自分の心情を正確に理解できていなくても、自身が“浮ついている”ことは分かるし、そうしたことが許される立場ではないことも分かっている。従って、彼女は姉も許さないだろうと思った。
が、エメリーヌから返ってきたのは彼女の予想とは反する答えだった。
「そうね。確かにあなたの言うとおりだわ」
「えっ?」
「その男の子の力が気になるんじゃないの? 彼の力はあなたに匹敵する力よ。脱出するときに彼と一緒になるんだから、事前情報は必要。だから、今日もいくんでしょ?」
「え、あ、うん」
エルヴィールは目を白黒させながら頷く。逆にエメリーヌは顎に手をやりながら、考えこんだ。
「エルヴィールに匹敵する力を同年代の男の子が持っているなんて信じられない。大司教達も何も言ってなかったし」
「でも……」
“悪い感じがする人ではなかったけど”とエルヴィールが言う前にエメリーヌは口を出した。
「あなたのことを疑ってる訳じゃないのよ、エルヴィール。どちらにしろ、もう少し情報が必要だと思う」
「分かった」
いつものようにエメリーヌが方針を決めてしまうと、もうエルヴィールは頷くことしか出来ない。そこからはいつものように、大人に囲まれた一日が始まった。
※※
「みんなのおかげで、初日は上手くいった」
初日の公演が終わった次の日の朝。朝食をとって一息ついたハンス達を前にクロエはこう切り出した。
「だが、油断は禁物だ。今日の公演は昨日と違って、朝、昼、晩の三回になる」
初日は着いたのが昼過ぎだったので、晩にしか公演をしていないが、二日以降は一日三回行う。というのも、一度に住民全員に鑑賞させることは、スペースや経済的な観点から不可能なので、順番に住民が見られるようにしているのだ。
「昨日の公演の内容は既に噂になっているはずだ。だから、予定通り、演目を入れ替えていこうと思う。ハンス、大丈夫だな?」
「はい!」
元気よく返事をするハンスとは対照的にルツカは若干渋い顔をクロエに向けた。
「公演はそれで良いんですけど、肝心の救出作戦はどうなってるんですか?」
ナイスだ、ルツカ!
ヨルクは内心そう叫びんだが、そんな様子はおくびにも出さず、今そのことに気づいたような顔をして手を打った。
「あ、そうだった。なんか本来の目的を見失っていた気がするな」
だが、クロエは焦る様子一つ見せず、二人に対し、鷹揚に手を振った。
「分かってる、分かってる。そっちは連絡待ちだ。今日中に高位司教達の一人、オーギュストとセリムが面会して、教皇の受け渡し方法を聞く予定だ。私達が街中の関心を引きつければ、彼らも動きやすくなる。心配いらない」
“そんな単純なもんかね?”とヨルクは秘かに思ったが、クロエは自信ありげだ。最もそれは何の当てにもならないのだが。
(まあ、セリムはやり手だから、大丈夫だと思………って違う! 俺が教皇の脱出計画を心配してどうするんだ。俺はロビンに勝って貰わなきゃ困るんだ)
ヨルクはハンス達に流されそうになった自分に気づき、慌てて自ら戒める。彼は、どうも自分で思っているよりもハンス達に肩入れしてしまっているようだ。
(今回、ロビンからの指示は定期報告をするだけ。だが、気は抜けない)
そんなふうに目の前の課題から目を離したせいだろうか。ヨルクは物陰から自分達を窺うような視線があることに気がついた。
(昨日の今日で、知り合いが出来たってわけはないな。間諜の類いか? 何が目的だ?)
ヨルクの目には一人の少女がステージの傍にある礼拝堂に隠れながら、こちらをチラチラと見ている姿が移っていた。
(背丈から見るにハンスやルツカよりも少し年下かな?)
だが、幼いからといって油断できないのが、裏家業というものだ。ヨルクは警戒しながら、人影にゆっくりと近づく。彼の足音を聞き、人影が緊張感を強めるのを感じたが、その場を離れるつもりはないようだ。
(逃げる気がないなら、好都合だが……)
彼はそのまま視線の主をのぞき込み、声をかけた。
「どうかしたの……か?」
物陰にいたのは、銀髪の少女だった。しかも、際だって美しい。ルツカのように快活な魅力とは対照的に、人形のように整った美しさだ。こんな何でもない場所で出会うとは思えない美貌にヨルクは一瞬言葉を失う。
だが、それは少女の方はそうではなかった。自分の置かれた状況と取るべき行動を正確に理解し、実行した!
「変態っ!」
「はぁ?」
突然かけられた言いがかりに、呆気にとられて間の抜けた声を上げるヨルク。しかし、少女は止まらなかった。
「誰か助けっ──」
ヨルクは素早く手で少女の口を塞ぎ、身動き出来ないように壁に少女の体を押し付ける。完全に追いつめられていることには動じず、自分の意図を誰何するような視線を向ける少女の胆力に彼は感心した。
「騒ぐなって。別に変なことはしないさ」
「……!」
少女の目がふとヨルクの後方へと移動する。しかし、ヨルクはそれに釣られて少女から目を離すような素人ではない。
「言うことを聞くなら、ゆっくりと瞬きをしろ。そうすれば、命までは取らない」
少女の視線は相変わらずヨルクの後方を見たままだ。演技に動じない相手にそれを続けるのはなかなかの度胸だ。だが、ヨルクは二重スパイ。度胸で年下の少女に負ける訳にはいかない。
「どうする? あまり時間はやれないぞ」
「分かってる。今すぐその娘を離すんだ!」
急に聞こえたクロエの硬い声にヨルクは思わず振り返る。そこには、キツイ眼差しで彼を見つめるクロエと肩を怒らせたルツカ。それに、戸惑った顔のハンスがいた。
ヨルクは潔白を示すように両手を挙げた。
「待て待て。俺は怪しい奴を見つけただけだ」
「怪しいのはお前だっ! 年下好みだとは知ってたが、まさか性犯罪者だとはな!」
「性犯罪ってまだ何も──いや、年下好みってなんだよ!」
「見た目は軽薄でも、芯は誠実だと思ってたんだけどな」
先程までの怒りは何処へやら、何やら寂しそうな顔で呟くルツカの横顔がヨルクの肺腑をえぐる。
「いや、待て。俺の話を聞けよ」
弱々しくそういうヨルク。そんな彼の味方は同性のハンス(救世主)だけだったのだが………
「魔が差しただけだよな、ヨルク。俺も一緒に謝るからさ」
頼みの綱のハンスの救済は的外れ。ヨルクは自分につけられた烙印の痛みに獣のような声を上げた。
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