第四十九話 ある姉妹
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キャラベルの中央にある大礼拝堂。この建物は、神聖エージェス教の開祖が悟りを開いたその場に立てられたと言われている。そして、その後ろに立つ地味な建物こそが、各地の教会をまとめ、神聖エージェス教の実務部分を担う組織、教皇庁が入っている建物だ。今、その一室にロビンと教皇がいた。
「教えを遵守した組織運営に安堵しましたよ、教皇殿」
勇者の象徴である白銀の板金鎧を脱いだ一人の男が食事をしながら、そう切り出した。男の正面には“教皇”と呼ばれた少女が座っているだけで、部屋には他による誰も居ない。
「お叱りを受けずにすんで、私も安心しましたよ、聖人、ロビン殿」
少女は分厚いベールがかかった被り物をしていたが、それでも顔立ちが整ってっていることは一目で分かる。被り物から流れる髪は美しい銀色。ローブのようなゆったりとした法衣に身を包んだ姿はなかなかに神秘的で近寄りがたいものを感じさせる。
「ご冗談を。教皇殿の知識の深さには私も驚いています。これからも教えについて議論し、共に理解を深めたいと思っています」
「こちらこそよろしくお願いします」
少女の言葉には形式的であまり心がこもっていなかったが、ロビンはあまり気にした様子はなかった。ロビンも自分が歓迎される訳がないことくらい分かっているのだろう。
この夕食会は教皇庁から提案されたものだった。表向きは、教皇が聖人から指導を受けるというものだが、真意はロビンの正体、もっと言えば、その化けの皮を剥ぐことだ。教皇庁の大人たちは、皆、矢面に立つのを嫌い、さりとて、ロビンに支配されることにも我慢できなかったため、重責を一人の少女に押しつけたのであった。
やがて、質素な食事が終わり、給仕が食器を片付けた後、ロビンは懐から一冊の本を取り出した。
「では、昨日の続きから」
「創世記の二章からでしたね」
教皇も教典を机の上に出し、ページをめくる。意外というか、何というか、ロビンは教典をよく読み込んでいた。解釈が我流だと思われる部分もあるが、それも間違いというよりは興味深いという印象を抱かせるものばかりだ。中には、長い間、議論が分かれていることに対し、斬新な答えを指摘したものさえある。
(悪い時間ではない……けど)
少女は密かにそう思う理由はこの後にあった。小一時間ほどして宗教談義が終わると、次は取り調べにも似た面接を大司祭達から受けなければいけない。ロビンとの議論よりも明らかに長い報告を終えた後、教皇であるエルヴィールはようやく自室に戻ることを許された。
「疲れた!」
エルヴィールは自室に戻るなり、ベールを外すことも忘れてベッドに飛び込んだ。思わず口にした言葉が内言なのか、外言なのか分からないほど疲れようだ。
「お疲れ、エル」
部屋の影がすっと立ち上がり、エルヴィールと同じ声がそう告げる。双子の姉のエメリーヌだ。
「ありがとう、エメリー」
エルヴィールはそう言うと同時にエメリーヌの元へと歩み寄る。そして、それと全く同時にエメリーヌもエルヴィールの元へやって来た。同じタイミングに、同じ速度で近づいた二人はベッドの上で額をつきあわせ、目を閉じた。
「今日も大変だったね、エル」
「姉さんこそ」
「私は大したことはしていない。影だから」
エルヴィールは何かに怯えたように体を震わせる。瓜二つの双子の姉妹。何もかも同じ二人を周囲の大人はたった一つしかない相違点で区別し、妹を教皇に、姉をその影武者とした。
その相違点とは神聖魔法を使えるか否か。
妹のエルヴィールは神聖魔法を使えるが故に教皇に祭り上げられ、反対に姉のエメリーヌは神聖魔法を使えないために妹の影武者としての人生を余儀なくされたのだ。
「……」
「気にしないで。あなたのせいじゃない。それに、不満があるわけじゃない。不満なのは大司祭達の意気地のなさ」
「……みんな悪い人達じゃない」
エメリーヌはため息を一つついて、姉から身を離し、目を開けた。
「まあ、いいわ。今日はもう寝ましょ。同期するには八時間は寝ないと行けない。今からだと時間はギリギリよ」
エメリーヌが口にしなくても分かっていることをわざわざ言葉にしたのは、今議論をする気がないことを伝えるためだ。エルヴィールにはそれが分かっていたため、“そうね”というと手早く寝る支度をし、灯りを消した。
「エメリーは今日、どんなことをして、どんな人に会ったの?」
エルヴィールがこう言ったのは、例えどうせ分かることでも姉の口から聞きたいと思ったからだ。
「どうしたの? どうせ分かることでしょ?」
同じく支度を終えたエメリーヌがエルヴィールに訝しげに問う。
二人は同じベッドで寝ることで自らの体験を共有できる。額を合わせただけでも漠然としたことはお互いに共有しているが、一緒に寝ることでそれはまるで自分が体験したことのように鮮明で、はっきりしたものになる。
そんなことがどうしてできるのか。はっきりした理由は分からない。だが、明らかなことは、妹の影武者として姉のエメリーヌほど優秀な人材はいないということだ。
(でも、私はあなたじゃないし、あなたは私じゃない。せめて二人の時はそうありたいのに)
普通の姉妹のように何があったのかを相手の口から聞きたいときもある。しかし、そんなエルヴィールの思いはエメリーヌには伝わらなかった。
「そうじゃなくて」
「朝の礼拝まで時間がないわ。もう寝ないと」
そう言うと、エメリーヌはエルヴィールに手を伸ばした。エルヴィールはもうそれ以上は何も言わず、姉の手を握って目を閉じた。
※※
妹の影武者たるエメリーヌの一日。キャラベルという広い町のあちこちへ慰問や説法という目的で出向くもの。それは常に周りからの敬意と尊敬を集めるものたが、その数と質が上がれば上がるほど、それらが自分に向けられたものでないことをエメリーヌは感じる。
(ここには私を見ている人はいない)
エメリーヌの周りには、彼女をエルヴィールだと思っている人ばかり。彼らを騙しているという罪悪感はある。だが、正直、罪悪感よりも寂しさの方が勝るのが事実だった。
(これからも、私はこうして誰にも知られずに生きていく……)
エルヴィールに向けられた思いをエルヴィールを演じながら受け取り、生きていく。彼女がエルヴィールではなく、エメリーヌだということは誰にも気づかれないまま。
※※
教皇であるエルヴィールの一日。それは、大人達の愚痴を聞き、身と心を削るものだ。それも人々の生活とは無縁の醜い権力闘争から生じたものばかり。
慰問や説法といった表向きの行事は影武者であり、姉でもあるエメリーヌでも出来るが、こう言ったことは例えそのまま教皇に伝わると知っていても皆、直接進言したがる。そのため、自然と姉と妹には役割分担が出来てしまっていた。
(町の皆が知っているのは、姉のエルヴィール。私が会うのは自分のことばかり考える汚い大人ばかり)
姉は影武者だと人は言うが、果たしてそうなのだろうかとエルヴィールは自問する。
(私がいなくなって困るのはごく限られた人だけ。それも新たな教皇が選ばれるまでの間だけ。でも、姉さんがいなくなったら、悲しむ人はいっぱいいる)
自分のせいで望む人生がおくれない姉に対する申し訳なさは勿論ある。だが、時折、“果たしてどちらが影なのだろうか”という思いが彼女の心をかすめるのだ。
※※
次の日の朝早くに二人は同時に目覚めた。二人とも寝返り一つ打たないため、寝た時と同じ姿勢だ。繋いだままになっていた手を離しながら、エメリーヌは妹に呟いた。
「ロビン殿よりも大司教達の方が手間がかかるみたいね」
「姉さんこそ、休む暇もなく移動してるじゃない」
「まあ、仕事だから」
エメリーヌはそういうと立ち上がり、支度を始める。エルヴィールはまだ話がしたかったのだが、姉を引き止めることは出来ない。彼女達には時間がないのだ。
(お互い分かっているようで分かっていない……)
体験は共有できても、感情は共有できないのだ。しかも、二人で話す時間はほとんどない。
そんなことをぼーっと考えていると、支度を終えて部屋から出ようとしていたエメリーヌが立ち止まり、エルヴィールの方を向く。何かと思うと、エメリーヌはエルヴィールへそっと手を伸ばした。
「早く行くわよ。朝食を摂りながらなら少しは話せる」
「う、うん!」
エルヴィールは勢いよく立ち上がる。姉が自分のことを気にかけてくれている、今はそのことに満足しようと考えながら。
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