第四十三話 勇者●●●
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改めて言うまでもないですが、この物語はフィクションなので、現実に存在する個人•集団の名称とは一切関係がありません。
「まるで冗談のような光景だな」
眼下を埋め尽くす揃いの白銀の板金鎧を見て、一人が手を止めてそう呟く。叱責すべきなのだろうが、それを聞いたロアンとて同じ思いなのだから出来るはずもない。ロアンは部下を制する立場にあるのだが、結局“急げよ”と注意するだけに留めておいた。
彼らは都市を囲む勇者との戦いに備え、周囲の防御壁にバリスタなどの兵器を設置しているのだ。元々、キャラベルは戦闘向きに作られた都市ではないため、有事の際にはこうした作業が必要になる。
(だが、まあ、これが使われることはないだろう)
作業を終え、立ち上がると自分達が据え付けたバリスタが頼りなく思えるが、これもある種のポーズなのだから、気にはならない。
(帝国だって馬鹿じゃないんだから、戦争をしに来たわけじゃないだろとしな)
じゃあ、千を超える勇者(に見える)者達は何なのかということになるのだが、ロアンもまた他の兵士同様にそこは深くは考えない。何故なら、このキャラベルを侵すことは誰にも出来ないからだ。
(神聖エージェス教の主神、エージェスを祀るこの都市の教皇の神聖魔法を破れるはずがない)
神聖魔法は創られた神を信仰する存在が多ければ多いほど力を増す。そのため、神聖エージェス教は異教の神ですら、主神エージェスに使える神として認めることでその信者を広めてきた。帝国が領土を奪って国力を上げてきたのとは対照的に、神聖エージェス教国は弱い者から信仰を奪うことで国力を上げてきたのだ。
「教皇様っ!」
誰かが叫ぶのが聞こえるとロアンは反射的に先程上げたばかりの腰を落とす。教皇のおられる場で許しなく立ち上がるのは決して許されない行為だ。
「“我誓う。邪なる者、その罪を滅殺せん、【天雷召喚】”」
教皇の詠唱は瞬く間に空を曇らせ、極大の雷を勇者達に落とす。最高位の神聖魔法は天候さえも操るのだ。網膜を焼くような雷光に僅かに遅れて、鼓膜を裂くような爆音が鳴り響く。慌てて耳を塞いだとしても全てが遅い。
音だけで味方が倒れるような雷を浴びた勇者達は常識的に考えれば全滅しているはずだったが──
「無傷だと!?」
倒れ伏しているべき勇者達には何も変化がない。代わりに、彼らの目の前で神の意志の代行者たる教皇が大きくよろめくのが見える。あり得ない光景を前にざわめく兵士。しかし、その声は一人の勇者の声で静まった。
「見事だ。使徒列伝にある神の雷を再現した魔法だな。確か、神の敵を滅ぼすのではなく、改心させるのだったか」
神聖エージェス教の経典の一つ、使徒列伝。それは教団の上位の者ですら読み解けない書物だ。その内容を敵である帝国の守護者が何故知っているのか。
その勇者は誰も声に出せなかった問いに答えてみせた。
「私は君達の敵ではない。新たな教えを与える者だ。故に、神聖エージェス教の神は私に力を与えている。今すぐ、門をあけたまえ」
今度こそ、兵士達に動揺が走る。信じたくない言葉だが、それ以外に教皇の魔法を凌ぐ方法があるはずがないのも事実だ。天変地異をおこすことさえできる神聖魔法を防ぐ力、それは同じ神聖エージェス教の神聖魔法でしか有り得ない。
だが、これを受けた教皇の言葉は、勇者の言葉よりも兵士に衝撃を与えた。
「其方が我よりも篤き信仰を持つとの話、事実ならまことあらまほしきこと」
まさか、天上人たる教皇様が負けを認めるとは!
兵士は地が崩れ、天が落ちる思いを味わったが、それは杞憂だった。少なくとも、この時点では。
「だか、其方はまだ我が信仰を全て見極めたわけではない。先程の其方の言葉がもし真実なら、我が信仰より出る奇蹟を受け止めてみせよ!」
それが挑発だと気づいたものはほとんどいなかった。それほどまでに教皇の言葉には威厳と自信が漲っていたからだ。
「よかろう。お主の信仰、私に見せてみよ」
あくまでも上の立場を崩さない守護者に対してロアンが感じたのは哀れみだった。神聖エージェス教の神聖魔法は敵に干ばつを、そして味方に溢れんばかりの豊作を与えることさえ可能。単に敵を討ち滅ぼすことなぞ造作もない。先程は、都市への被害を抑える為に威力を絞ったに過ぎないのだ。
そんなロアンの考えを上書きするように上位司祭が詠唱し、都市全体に魔法効果を無効化する壁を張る。魔法には鉄壁の防御力を誇る一方、物理攻撃に無力なこの魔法はおよそ実戦向きとは言えないのだが、今は頼もしい。何故なら、今度こそ教皇の全力の魔法によって不信仰者に神罰が落ちるからだ。
「“原初にありしは、限りなき飢えと虚無”」
教皇の詠唱は、神聖エージェス教の信者なら毎日唱える聖句だ。そのため、ロアンも他のものも自然と復唱した。
「“それを哀れみし我が神は、人に一つの教えをさずけたもう”」
声は次第に大きく、そして一つになる。まるで、その場にいる兵士、いや信者の全てが詠唱をしているかのように。
「“かくして世は満ち、命が芽吹く”」
まるで催眠にかかったのように一心に祈りを唱える群衆。彼らの体の中では無意識の内にマナが活性化し、一つのパターンへと練り上げられていく。そのパターンが増えるたび、教皇のマナが飛躍的に活性化する。
戒律で毎日決まった時間に唱えるよう定められた祈り。それは、教皇の切り札たる魔法に力を与えるためのものだったのだ。
「“神に敬意を、教えに感謝を”」
練り上げた一定のパターンのマナが天を突く教皇の指先へと集まっていく。それと同時に人々は地に伏すが、祈りを止めることはない。一度唱え始めれば、もはや自分の意志で止めることは出来ないのだ。
「“我ら、神の僕は無知なる者には真理を施さん、【聖獣召喚】”」
教皇の指先から空へ白い光が伸びる。それは空で幾筋にも分かれ、再び合流する。それが繰り返されるうちに、空に複雑な幾何学模様が生み出された。
すると、その奥から何かが突き出してくるかのように模様が歪み始める。一つ、また一つと増える歪みは数と共に大きさも増し、やがて幾何学模様を引きちぎるように何かが顔を出した。
(あれは、まさか、伝説の聖獣、ケーリュケイオンか! 神聖エージェス教の開祖であり初代教皇となった聖人、アノニマスが悟りを開いた時について姿を見せ、祝福したというあの聖獣なのか!?)
ロアンを始めとする群衆の目の前によるあったのは、額に大きな角を生やした水牛だった。白い光を具現化したような毛並みを持つそれがゆっくり首を一振りすると、ガラスか何かのように空を砕け散る。そして、まるで空に足場があるかのようにのそりのそりと歩くと、地上にいる勇者達を睨みつけた。
その尋常ならざるプレッシャーに少なくない数の勇者がたじろぐ中、先程まで教皇と応答していた一人の守護者が手を叩いた。
「見事だ、教皇。神の使いを召還するとは。まさに君は教皇の名を名乗るのに相応しい。だが、私が何者なのかは、まだ理解出来ていないと見える。ならば、今再び、それを悟る機会を与えよう」
勇者は高々と右手を上げ、一言詠唱した。
「“引用する”!」
その瞬間、聖獣が現れる前に空に書かれた幾何学模様が七つ同時に現れる。初めて見る光景にも関わらず、神聖エージェス教の信者達は次に何が起こるのかを理解した。
(そ、そんな、まさか! あれは、あの錫杖はっ!)
幾何学模様を裂くように現れ、勇者の手に収まったのは純白の光を放つ錫杖。それは、聖獣により神から聖人に与えられたという伝説の錫杖だ。今は遺失し、レプリカのみが保管されているというその宝物を、守護者が教典にあるように三度振る。すると、聖獣はかつての聖人にしたように頭を垂れた。
途端に錫杖から七つの白光が真っ直ぐに空へと伸びる。それは雲を突き、天の果てへと続く柱となる。
(こ、これは教典にある聖人誕生にある光景そのものだ!)
宗教画にあるような光景にロアンはそう思わされる。だとすると、自分が目の当たりにしていた人物は……
彼が結論づける頃にはどことなく、純白の光を放つ錫杖を持つ守護者に平伏しながら、聖句を唱える者が現れ始めた。その声は次第に増え、力強くなっていく。彼らはついに悟ったのだ。新たな聖人が現れたことを。
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