第三十四話 約束
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獣のような声を上げながら、体を起こす。肩で息をしながら、首を、腕を、自分の体がそこにあることを確かめる。そこまでして、ハンスは自分が感じた痛みが現実のものでないことを知った。
(いや、だが、あれは幻じゃない)
ザンデの修行は、彼の言ったとおり、血の滲むような痛みを伴うものだった。
(だが、負けない! 俺はザンデさんのように必ず強くなるんだ
)
汗でぐっしょりと濡れた体を抱きながら、ハンスは誓う。ずっと望んでいた力が目の前にあるというのに、休んでいる暇はないのだ。
(よし、もう一度だ)
再び目を閉じ、自らの内に籠もろうとしたハンスだったが、それはすぐに中断させられた。
「ハンス!」「何があった!」
ドアを蹴破るクロエに、彼に飛びつかんばかりの勢いで迫るルツカ。少し気を付ければ、部屋の外から様子を窺うヨルクも見えたはずだ。
「あ、いや、大丈夫」
「ウソ! 今の声は普通じゃなかったよ。何があったの?」
「まあ、修行自体は大変だけど」
「修行? どう言うことだ?」
ルツカとクロエから入れ替わり立ち替わり質問攻めに会うのに四苦八苦しつつ、ハンスは何とか二人に経過を説明した。
「それって、ザンデさんがハンスを助けてくれるってこと?」
「力になってくれているのは確かだけど、俺自身が努力しなきゃいけないのは確かだな。何しろ、自分の問題だし」
「分かった。私はハンスが修行に集中できるようにサポートする!」
「ありがとう、ルツカ」
「べっ、別にこれは恩返しだから、特別な意味なんてないんだからね!」
「?」
ルツカは赤くした顔をハンスから背けてそう言うが、良くも悪くもハンスには意図は伝わっていない。まるで予定調和のようなやりとりにクロエは少し微笑み、ヨルクはげんなりした表情を浮かべた。
「眠りについた時に、ユリウスが稽古をつけてくれると言うわけか。そして、それが魂の傷を塞ぐことに繋がっていると。つまり、ハンスの修行が上手く行けば万事解決ということか」
「あー、よかった。借りられる手は借りておくのが俺のポリシーだ」
ヨルクはいつも通りの能天気な仮面を維持しながら、内心では全く別のことを考えていた。
(逆に失敗すれば、八方ふさがりだ。そもそも、ユリウスと対話できてること自体がハンスの傷つきを意味するわけだから、これは危険な賭けだな)
だが、そんなことは恐らくクロエも気づいている。あえて口にしないのは二人の心情を考えてのことだ。
「ハンス。君は次に修行するまでに心を癒やしておいた方がいいだろう。ルツカ、彼の世話を頼む」
「え? あ、はい」
「ヨルク、君は私と朝食の準備だ。来てくれ」
「あ、ああ」
二人が部屋から出て行った後、椅子にかけていた上衣を羽織ろうとした。が、精神的なダメージは思ってより深く、服を取り落としたり、ボタンをかけ間違えたりしてしまうことが発覚した。
(やっぱり調子が悪いな)
そんなことを思いつつ、ハンスは何とか上着を着た。
「大丈夫? 随分具合が悪そうだね」
ルツカが心配そうにハンスの顔を覗きこむ。その美しい栗色の瞳に何もかも見抜かれそうな気がして、ハンスは慌てて首を振り、立ち上がろうとしたが、やはり少しふらついてしまった。
「ほらっ! 私の前で強がったって仕方がないでしょ!」
そういいながら差し出されるルツカの手から逃れようと体を翻すとまたもや体がふらつき、バランスを崩す。彼に手を伸ばしていたルツカも巻きこまれ、二人は共にベッドに倒れ込んだ。
一瞬で入れかわる視界。そのせいか、最初に鮮明になったのは、触覚だった。唇に始めて感じる柔らかい感触に、ハンスは驚く。
だが、本当に驚くのは、自分が置かれている状況を知ってからだった。
ハンスはルツカを押し倒すようにベッドに倒れ込んでしまったのだ。そして、彼らの唇は──
「!!!」
偶然とはいえ、自分のしでかしてしまったことに動揺し、急いで起き上がるハンス。それに反して、ルツカはゆっくりと起き上がるが、赤い顔を隠すように顔を伏せる。常日頃の彼女らしくない様子に一層慌てたハンスは土下座するような勢いで、ルツカに謝った。
「その、ルツカ、ごめん!」
次に来る一言にハンスの緊張は否が応にも高まるが、彼の予想に反して、ルツカは怒っていなかった。そして、ルツカも怒りや戸惑いといった感情が起こらず、ただ恍惚としてしまったことに驚いていた。
だが、それをハンスに知られることは、ルツカにとって何より恥ずかしいことだ。何故なら、それは自分のハンスに対する想いを告白しているのと同じなのだから。
「だ、大丈夫。今のは事故だし。私は何にも気にしてないから、ハンスも早く忘れて!」
そういうと、いつもの表情を作りながら、ルツカはハンスの方を向く。だが、依然として顔は赤く、語尾も震えていてはあまり意味はない。
「でも、ハンスが強がったせいで、こんなことになったんだから、反省してよね。体がしんどいときにはきちんと言う、これは約束だからね」
ルツカの剣幕に押されてハンスは曖昧に同意するが、それが虚勢であることはハンスにだって分かる。
(どっちが強がってるんだか)
密かにハンスはそう思い、同時に“そんな強情なところが可愛いな”と感じた。
「ありがとう、ルツカ。しんどいときは君に言うよ」
そういうと、ハンスはルツカの髪を軽く手で撫でる。ルツカは一瞬ビクリとしたものの、ハンスが手を離すと名残惜しそうに彼を見つめた。
(っ!)
ハンスはその視線に心の底から何か今まで感じたことのない衝動が湧き起こるのを感じだが、彼がそれを理解する前にルツカの唇が動く。
「ありがとう、ハンス。とりあえず、私も着替えてくるから先に行ってて」
それを聞いて、ハンスの唇も自然に動く。
「部屋の前で待ってるから、一緒に行こう」
それを聞き、ルツカは幸せそうな笑顔を浮かべた。
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