第三十三話 思い出
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「ありがとう、ヨルク。そして、ごめん」
「なんだ、急に?」
「私、あなたのこと疑っていた。本心が見えない人だって。でも、実は優しい人なのね」
「……!」
声を出しそうになったのをすんでで自制できたのは、奇跡だとヨルクは思った。そして、思わず今はいない大切な人とルツカを重ねてしまったことを恥じた。
(ばかな。たまたまレオルと同じ言葉を吐いたからって何だというんだ。あいつの言葉と小娘の言葉が等価なわけもないだろ!)
ヨルクは何故か動揺する自分の心を必死で抑える。幸い感情を抑えつけるのは、慣れているのだ。
「ヨルク、どうしたの?」
妙な間が空いたことを少し訝しむルツカにヨルクはいつものおどけた顔を見せた。
「いや、ルツカがらしくないことを言うからさ。単にポリシーだよ。ハンスには何度も命を救われてるからな」
そういうと、ヨルクは前を向いた。我慢はそれが限界だったからだ。
足音を忍ばせてしばらく歩き、ハンスが向かった部屋へとたどり着くと、二人の耳には何やら話し声が聞こえてきた。木製の簡素なドアなので、遮音性は高くないのだ。
「ここにいるみたいだけど、何を話しているかまでは分からないわ」
ルツカが小声で呟くと、ヨルクはドアを少し調べた後、音もなくドアをほんの僅かだけ開けて見せた。驚くルツカにヨルクは少し得意気な顔を見せ、耳をそばだてる。
何やら緊迫した雰囲気で、何かをハンスが伝えようとしているようだ。だが、彼はすでに心を決めているらしい。さほど間もなく、ハンスは口を開いた。
「あなたを愛している、と」
※※※
時を遡ること五~十分。ハンスはヨルクに教えて貰った部屋にたどり着いていた。軽くノックをすると、クロエの“入れ”と短い答えを聞いてから入室した。
クロエがいた部屋はハンスが寝かされていた部屋とさほど変わらず、殺風景とさえ言える。唯一の違いは姿見があるくらいか。
クロエは何か書き物をしていたらしく、彼女の前にある机には地図やら、紙やらが散乱している。
「どうした? 眠れないか?」
「いえ、実は……」
そう切り出すと、ハンスは先程のルツカとのやりとりや、《死霊食い》の力が使えなくなったことをクロエに話した。
「そうか。いくつか分からない点もあるが、貴重な情報だ。話してくれてありがとう」
「むしろ、俺の方が色々して貰っているような気がするんですが」
躊躇いがちに言うハンスにクロエはゆっくり頭を振った。
「気にすることはない。これはユリウスとの約束だからな」
「約束ですか?」
「契約と言ってもいいがな。そうだな、もし良かったら、君がユリウスと会った時のことを詳しく話して貰えないか。彼に会ったのはもう随分昔のことでね」
「昔?」
「彼が亡くなって百年は過ぎた。もう思い出話を出来る相手もいないんだ」
そういうとクロエは自嘲気味に笑った。大抵悠然と構えている彼女の予想外な表情は少し寂しそうに見える。そんなクロエを見て、ハンスは、彼女から姉の面影を見て安らいだことを思い出した。
(この人も俺と一緒か。もう会えない人のことを想ってるんだ)
そう気づいた時、彼の唇は静かにザンデとの会話を語り出した。ルツカに話したときのように単に得られた情報を話すのではなく、ザンデが自分に向けた感情や彼の人柄が伝わるように詳しくだ。
クロエはハンスの話を聞きながら、ザンデのことを思い出しているのだろう。頷いたり、口元を綻ばせたりと今まで見たことがないくらい、表情が変わっていく。
「君の中にユリウスがいるのは間違いないな」
話し続けたハンスが唇を湿らせるために口を切ると、クロエは嬉しそうにそう言った。その顔を見て、ハンスは彼女がザンデのいう“想い人”だと確信した。
「後、あなたにザンデさんから伝えてくれと頼まれた言葉があります」
クロエの顔が急に引き締まる。まさか、自分宛の伝言があるとは思わなかったのだろう。期待と不安が混ざったような表情は、姉が決してしなかったものだ。
(目元以外はかなり似てるのにやっぱり姉さんとは違うな)
自分を真っ直ぐに見据える彼女の顔をみながら、ハンスは改めてそう思った。ちなみに、クロエとリンダは目元以外はミリ単位で瓜二つの顔立ちだ。それでも、ハンスはクロエとリンダを別人だと見分けていた。
「あなたを愛している、と」
ハンスが言うか否か、クロエの表情が消えた。そして、音もなく、目尻から光が糸のように流れて落ちる。それが涙だと気づいたのはクロエが肩に寄りかかってからだった。
「すまないが、少し肩を貸してくれ」
ハンスの耳元でクロエが囁く。彼は何かを言う代わりに、背中を撫でることで彼女に答えた。声なき嗚咽にハンスも思わず涙する。
大切な人。
だか、今は会えない人。
人知れず、そんな喪失感を抱えた二人は似た者同士だったのだろう。それは客観的にみれば、傷の舐め合いに過ぎなかったかもしれない。しかし、だからこそ、二人は満たされないものを共有出来た。
そして、だからこそ、二人は気づけなかった。
気づかぬ内に開いたドアが、知らぬうちに閉じていたことを。
彼らのいた部屋には、彼ら以外の耳目があったことを。
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