第三十一話 悪寒
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「ハンス! ハンス!」
誰かが自分を呼ぶ声がする。声の主は時折誰かに制止されるが、すぐに必死で自分の名を呼ぶ。聞き慣れたというほど長い時間を共にしたわけではない。ただ、ハンスはこの時、その声に安らぎを覚えている自分にふと気づいた。
(ルツカ……無事なんだな)
ハンスが何かを言う前に、ルツカが胸に飛び込む。彼女の頬に涙が流れるのを感じ、ハンスはルツカの髪を不器用そうに撫でた。
「ルツカ、怪我はなかった?」
だが、これは明らかに失敗だった。ルツカは急にハンスから身を離すと拳を彼の胸に次々と振り下ろし始めた。
「バカバカバカ! 怪我してたのはハンスでしょ! 人の気も知らないでっ!」
「ごめん、ルツカ……って結構痛いよ!」
端から見れば、いちゃついているようにしか見えない問答をする二人。クロエは一つ咳払いをして、二人の注意を周囲へ向けさせる。すると、ルツカは赤面して俯いてしまった。
「こうなるのは分かっていたが、目の当たりにすると……まあ、それはいいか。ハンス、話があるんだが、もう体の具合はいいか?」
「あ、ハイ。おかげさまで」
実際、もう痛みはなかった。恐らく傷もほとんど残っていないだろう。地下牢で出会った多数の死霊はすでに解放されたが、ハンスの中にはその力の一部が残っている。そのため、ハンスの回復力は常人離れした水準に達しているのだ。
「これから話すことはすでにルツカとヨルクには聞いてもらったことだが、全て真実だ。驚かずに聞いて欲しい。実は、救世主オルヴァリエは、勇者で、この世界とは別の世界から来た人間なのだ」
「そして、ユリウスは魔王ではなく俺の先代の救世主だった」
「ああ。知っているんだな。話が早い」
クロエはにわかには信じがたいハンスの返事にも特に驚いた顔は見せなかった。何故なら彼女にはハンスの答えが分かっていたからだ。
クロエの固有技能は《未来予想図》。彼女の意識している相手の次の言動が分かるという力だ。この力のおかげで、彼女は相手が答える前に返事が分かるし、戦闘では敵の攻撃を先読みできる。さらに、ある条件が揃うと、その者の遠い未来まで見ることができるのだ。
「やっぱりあれは夢じゃなかったのか…… 何が起こってたのか、聞いておけば良かったな、ザンデさんに」
「ザンデだと!?」
押し倒さんばかりにハンスに詰め寄るクロエ。彼は、クロエの態度の変貌ぶりにたじろぎ、体を浮かした。
「どこでダ-リ、ごほっ! どこでその名を聞いたのだ、ハンス!」
「どこって、その……」
冷静であれば、クロエは自身の固有技能のおかげで全てがすぐに分かったはずだ。しかし、おもわぬ名前を聞いて動揺したクロエは、固有技能を使う余裕がない。
「はっきり言え、救世主!」
「俺は救世主なんかじゃないですよ、クロエさん」
その言葉を聞いてクロエは自分の使命を思い出し、頭が冷えた。ハンスはまだ救世主としての自覚が薄い。そんな彼を導くために自分がここにいるのだ。
「すまなかった。取り乱して。あまりに予想外のことだったのでな。許して欲しい」
軽く頭を下げるクロエにハンスは慌てて手を振る。
「え? いや、そんな大げさな話じゃないので、頭を上げて下さ──」
「わかった」
クロエがいつもの調子に戻ったことで、逆に戸惑うハンス。だが、彼女はそんな彼には構わず話を続ける。何せ渡さなければならない情報は膨大にあるのだ。
「とりあえず、私は敵でないということは分かって貰えたと理解して良いかな?」
ハンスだけでなく、ルツカやヨルクを見回すクロエに一同はしっかりと頷いた。不明なところは多々あるものの、今クロエがハンスを害しようとしているとは微塵も思えないのは確かだ。
「では、その上で聞くが、君に今、一番必要なものは何だ、ハンス。まずは、それから用意しよう」
「俺は世界を知りたい。何故なら、俺は世界についてあまりにも知らなさすぎる。このままじゃ、姉さんの霊魂を解放するなんて永遠に出来っこない」
「世界を知りたい、か」
問うた瞬間に答えが分かっていたとはいえ、あまりに青臭い言葉に思わずクロエは考え込む。
「世界、か。何か心境の変化でもあったの?」
ルツカが尋ねると、ハンスは事も無げに答えた。
「実は寝ている間に、ザンデさん、あ! 前任の救世主のユリウスさんと話してさ、救世主として為すべきことを考えるにはもっと色んなことを知らなきゃいけないなと思ってさ」
ルツカは前半部分の内容がよく分からず首を傾げるが、後半部分については感銘を受けたようだ。しかし、クロエの反応は違った。
「救世主ユリウスの本名を知っていたのは、そういうことか! これは不味いな」
クロエは目に見えて焦りだした。だが、彼女以外には何がマズいのかがよく分からない。
「一体何が不味いんですか?」
「君だ、ハンス。君の魂が不安定になっている。何があったのかは分からないが、今すぐ治療が必要だ」
そう言われてもハンスにはピンと来ない。心身共に痛みは無いし、気分も悪くない。そうしたことをクロエに告げると、彼女はイライラと足を踏んだ。
「魂が傷ついて心身に影響が出たときにはもはや手遅れだ。君がユリウスと話が出来たのは、聖霊を取り込んだ君の魂が傷付き、聖霊の力が漏れ出しているからだ」
「傷?」
「心当たりはないか? まあ、それは道中で聞く。どの道移動するつもりだったから、準備はほぼ出来ている。明日の朝、出発するから、そのつもりでな」
踵を返し、足早に立ち去ろうとするクロエ。しかし、彼らにしたら、寝耳に水の話だ。そんな中でクロエの背に疑問をぶつけられたのはルツカだけだった。
「待って! もし、ハンスの魂についた傷がこのままだったらどうなるんですか?」
「最低でも救世主としての力は失われる。だが、その時、ハンスは聖霊に取り込まれてしまう。つまり、この世から消える」
「そんなっ! 一体どうしたら」
「だから、急いでいる。いつどうなるか分からないんだ。明日の朝は早いぞ。準備は私に任せて急いで休むんだ」
あまりにショッキングな事実に今度こそ誰も声を出せなくなる。クロエは、誰にも止められることなく、部屋を後にした。
ルツカはクロエの姿を追うハンスの表情をそっとうかがう。
「ハンス……大丈夫?」
「え? ああ。ビックリしたけど、今すぐどうこうと言うわけじゃないだろうし、俺はザンデさんと話が出来て良かったと思ってるから」
「そ、そう?」
「なんか、変かもしれないけど、ザンデさんの助言のおかげで今、もやもやしていた視界が晴れたような気分なんだ。だからかな?」
「そう? まあ、深刻になりすぎるよりはいいけど。で、どんなことを話したの?」
ルツカに問われるままにハンスはザンデとの会話を話した。途中、ルツカには理解できず考え込む場面もあったが、ハンスの話が終わったときには彼女は笑顔でこう言った。
「いい人ね、ザンデさん」
「だろ?」
「楽観は禁物だけど、その人からの警告がないってことは、少なくとも今は大丈夫っていうことかもね」
「何となく俺もそんな気がするんだ」
「でもっ!」
ルツカは相槌を打つハンスの鼻先に釘を指すように指を突きつけた。
「軽く見たら駄目だからね。クロエさんの焦った様子を見てたでしょ? 確かに傷は負ってるんだと思う。体でも魂でも傷を放っておくと良くないのは確かなんだから」
「それなんだけど、俺の魂は何で傷ついたんだろう。ルツカは分かる?」
「覚えているかわからないけど、あの時に無理しすぎたんじゃない?」
ルツカは自分が勇者に立ちふさがった時、紫炎が勇者の形になって彼女を救った時のことを話した。
「そんなことか? いや、でも……」
はっきりとは覚えていないが、ルツカの言葉は何か心に引っかかる。
「やっぱり、意識が曖昧だったんだ。なんか、悪夢を見ているような感じだったし」
「そうなのか? いや、そうかもしれないな」
「あの精霊をもう一度呼び出せれば、何か分かるかも知れない。でも、いきなり呼び出すのは危険ね」
ルツカが独り言のようにつぶやく。ハンスはそれを聞いて思いついたことを口にした。
「じゃあ、簡単なものから、試してみようか」
「え? ああ、なるほど。でも大丈夫?」
「大丈夫さ」
ハンスは軽く請け負うと、《死霊食い》の力を使い、剣を創り出そうとした。しかし、どれだけ力を込めても剣は現れない。
(嘘だろ!? 戦闘中でも簡単に作れるのに!)
単に調子が悪いとかそういう問題ではない。《死霊食い》の力が全く働かないのだ。
何故? と考えたその時、彼の脳裏にある光景がフラッシュバックした。姉が、ルツカが自分を背中で庇う光景。それと共に、止めようもない感情が溢れてくる。
怒り、憎しみ、さらには名前さえつけられないような感情
それらが入り混じり、ハンスの五感を支配する。思わず声を上げそうになった時、彼はルツカの声で現実に戻された。
「ハンス、どうしたの?」
「あ、ああ」
不思議そうにハンスの顔をのぞき込むルツカの視線をさけ、汗でぐっしょりと濡れた掌を服で拭う。体感的には数分間はあったように思ったが、実際には一瞬の出来事だったようだ。
「ちょっと具合が悪いみたいだ。やっぱり力を使いすぎたな」
「ごめん、私を助けるために無理させちゃって」
「違うんだ!」
ルツカが謝るのを聞き、反射的に否定するハンス。その勢いにルツカは驚くが、それ以上に驚いたのはハンス自身だった。
(何が違うんだ?)
ハンスは自問自答し、思わず黙り込む。
「どうしたの、ハンス?」
「いや、ルツカのせいじゃないよ。大丈夫、大したことじゃないから」
そういうと、ハンスはルツカに背を向けて部屋を出た。何か得体の知れない悪寒を胸に抱きながら。
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