第三十話 先輩
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暖かい
ハンスが最初に感じたのはそんなことだった。それからぼんやりしていた意識が次第にはっきりと明確になっていく。
(【陽炎波】を使った後、ルツカが……)
そこまで思い出してハッとした。
(ルツカは無事なのか!?)
勢いよく体を起こすと勇者に斬られた傷が引きつるように痛み、ハンスはそのまま倒れ込んだ。
(……俺はベッドに寝かされていたのか)
頬にあたる清潔な毛布の感触でそのことに気づく。どうやら傷も手当てされているようだ。
「ここは……どこだ?」
ハンスがいた部屋はさほど広い部屋ではなかった。家具もハンスが寝かされていたベッド以外には小さな物入れと書き物をするための机、それにクローゼットくらいしかない。
また、壁が固めた土になっていること、窓がないことを考えると地下にあるのだろう。室内に満ちた白い光は迷宮によくあるヒカリゴケの灯りだろうか。
そこまで考えたとき、木製のドアがノックされた。
「気がついたか? 入るぞ」
知らない女性の声がして、ドアが開かれる。入ってきたのは、意志の強そうな切れ長の瞳が印象的な美しい女性だ。年齢は二十代くらいだろうか。だが、ハンスはある理由でそんなことを考える余裕がなかった。
「ね、姉さん!?」
現れた女性はハンスの姉、リンダとそっくりの顔をしていたのだ。正確に言えば、目だけが違う。普段のハンスなら、すぐにそのことに気づいただろうが。
女性はそう言われることを知っていたかのように落ち着き払ってハンスに答えた。
「私は君の姉ではない。偶然容姿が似ているだけだ。それは君が一番よく知っているだろう?」
確かにそうなのだ。ハンスの中には今、姉の霊魂がある。従って、いくら似ていても目の前の女性が姉であるはずはないのだが……
(俺の力を知っているのか? 何故?)
ハンスは、今まで自分が救世主として選ばれたこと以上に自身の力、《死霊食い》を隠してきた。それは、かの魔王と同じ力を持っているということは外聞が悪いだろうと考えたためだ。だから、目の前の女性がそれを知っているということはつまり……
「分かってる。君がそう考えるのも最もだし、実は的外れというわけでもない。だが、私は“預言者”で君の味方だ。そして、ルツカもヨルクも無事だ」
女性はハンスの思考を先読みするようにそう言った。そう言われて、ハンスはほっとしてしまう。
本来なら、それは少しおかしな話だ。話された内容には何の保証もなかったし、実はハンスの考えを否定した訳でも無い。
ただ、ハンスは姉によく似た容姿をした存在から、“味方だ”と言われて、安心したのだ。それは、姉と同じ顔を持つ相手を疑うよりもはるかに楽で、落ち着ける話だったからだ。
「とりあえず、納得して貰えたようで良かった」
一体、どうやって読み取ったのかは分からないが、目の前の女性はハンスが警戒を解いたことに満足したようだ。ゆっくりと近づき、傷を覆う包帯の具合を見ると、されるがままのハンスを再び寝かせた。
「傷は決して浅くはない。もう少し休め。話は次に起きたときだ」
口調も仕草もなにもかもリンダとは違う。だが、弱ったハンスは姉の姿を重ねることが出来る存在に会い、いつも姉が傍にいた頃のことを少しだけ思い出し、安らいだのだった。
※※※
「で、話の続きだが」
「続きというか、まだあなたの名前がクロエだということしか聞いてないんですけど」
ハンスが寝ている部屋から出て来た女性──名前はクロエという──は、ルツカとヨルクにしていた話を続けようとしたが、ルツカにすかさず突っ込まれた。
刺々しい態度だが仕方がない。ハンスに負担をかけないためだと言われ、ルツカは彼のいる部屋から閉め出しを食らっているのだ。
「まあ、名前だけ聞いたとこで、ハンスのうめき声が聞こえたんだから仕方ない」
ヨルクがルツカを宥めるように声をかける。ルツカもそれ以上、噛みつくような発言はしなかった。
「すまない。彼には早く回復して貰わなくてはならないんだ。ハンスは君のことを心配していた。次に起きたときには顔を見せてやれば、ハンスも喜ぶと思う」
「ついでに抱きしめたりしたら、いいんじゃな──っ!」
ヨルクは軽口の代償として、ルツカの本気の拳を腹に受ける。細い体からよくもという威力にヨルクはえづき、地に伏した。
「で、続きだが」
クロエは今のやりとりを完全に無視するつもりらしい。赤面して顔を伏せるルツカと未だに咳き込むヨルクに話を続けた。
「“勇者”とは、帝国がこことは違う次元にある世界から召喚した者達だ。召喚された者達は、皆、固有技能という強力なスキルを持つ。この者達の力で帝国は幾度となく侵略戦争に勝利してきたのだ」
「こことは違う世界?」
ルツカが聞き慣れない言葉を消化するように繰り返す。
「私のいた世界では、“異世界”などといったが、こちらにはそうした言葉はないようだな」
「“私のいた世界”?」
「クロエさんも異世界から来たってことで……まさか!?」
ヨルクがとぼけた振りをしてわざと結論をぼかし、ルツカは警戒する。二人の前でクロエは一つ頷いた。
「そうだ。勇者だ。ただし、“元”な。私は百年前に召喚され、ある者との戦いを機に帝国から脱走した。今は帝国のお尋ね者だ」
勇者とは帝国最強の存在であり、同時に皇帝に次いで敬意を払われる騎士である。手に入らないものはなく、恐れるものもない。ルツカ自身に金銭や名誉に対する欲があるわけではないが、“何で脱走を?”という疑問は生じる。
「分かってる。私が帝国を裏切った理由についても説明する。だが、そのためにはまず、先代の救世主と帝国についての説明が先だ」
「何だっけ? 救世主オルヴァリエと魔王ユリウスだっけ? オルヴァリエがハンスの先代ってことか?」
三歳の子どもでも知っている話である。世界を征服しようとした魔王ユリウスと救世主オルヴァリエの戦い。両者は相打ちになったが、魔王ユリウスの手勢である魔物は未だ人々を脅かしている、という話だ。
「違う」
しかし、クロエは常識を語るヨルクの言葉を切って捨てた。
「ハンスの先代の救世主は、今は魔王と呼ばれ、その名を貶められているユリウスだ。オルヴァリエは、当時の勇者の名前だ」
※※※
再び目を閉じると、ハンスはあっさりと眠りに落ちた。だから、視界を覆う白い霧が見えたかときにもあまり不思議には思わず、“ああ、夢か”と思った程度だった。
霧の奧から見慣れない人影が現れ、声をかけられてもそれは同じだ。
“フム。初めましてだな、我が後輩よ”
「後輩?」
ハンスは首をかしげたが、どこからともなく、彼の疑問を補完する知識が伝わってくる。目の前の人物は、自分より前に聖霊に選ばれた救世主らしい。姿は霞のように曖昧でよく分からないが、黒い外套を纏い、髪は少し長めに伸ばしている男のようだ。顔立ちははっきりとは分からないが、威厳と孤独を感じさせる雰囲気を持っている。
「じゃあ、あなたがオルヴァリエ様ですか?」
“違う”
相手が眉間にしわを寄せると、先ほどのように知らないはずの出来事が彼の脳裏をよぎっていく。
勇者を大量に呼び出し、世界を征服しようとした帝国。そして、それを知った救世主ユリウスは犠牲になった者達の力を借りて、たった一人で阻止しようとしたこと。
(俺が知っていた話は全部嘘だったってわけか!)
伝わる情報に混乱すると共に、必死の想いが叶わなかったことにハンスは哀しみを感じた。そして、それは相手にとっても同じらしい。ハンスの知識が伝わるにつれ、憂いを帯びるのが分かった。
“フム。今ではそのように言われているとは、残念だ。私の創り出した魔物達も私の死後、人を襲うようになるとは……いや、これは何者かの作為を感じるな”
「何者かの作為?」
“魔物達に必要なのは私達のマナだ。私は魔物達の間でそれがやりとり出来るように一つの閉じた生態系を作った。故に、本来魔物達が人や他の動植物を襲うなどあり得ない話なのだ。恐らく、異世界からの召喚に必要な代償から目を逸らせるための策略だろう”
「生態系? 召喚? 代償?」
今までのように何か伝わってくるような気がするが、情報が多すぎて理解できない。そんなハンスの様子を見て、男は自嘲するように笑った。
“すまんな、焦りすぎた。時間があるわけでもないのでな。フム、どこから話したものか……”
迷う男に反して、ハンスははっきりと自分の願いを告げることにした。今まで誰にも聞けず、誰にも相談できなかったことを。
「ユリウスさん、あなたが何故世界を救おうと、帝国と戦おうとしたかを教えてくれませんか」
“君は私のことが知りたいと言うのか?”
「ええ、そうです」
ハンスの言葉は、彼の想いを伝えるにはあまりにも足りなさすぎた。しかし、幸いにもこの空間ではそれはあまり支障がない。
“フム。なりほど。君は救世主として何をすべきか、どうあるべきかに迷っているというわけか。確かに私は絶好の相手だな。だか、さほど立派な理由ではないぞ”
「世界を救う理由が立派ではない?」
“私は愛した女を鎖から解き放ちたかっただけだ。もっと言えば、自分のものにしたかったのだ。そのためには、帝国を倒す必要があった”
「そ、それだけですか?」
失礼と言えば、失礼なハンスの返事にも男は怒らなかった。何故なら、ハンスの思いも考えも彼には筒抜けだったからだ。
“そうだ。だから、君もあまり気負う必要はない。お姉さんの霊魂を解放するために、救世主としての目的を見つける必要があるからと言って、そんな大げさなものである必要はない”
「死霊の未練を晴らしても世界は救われないし、姉さんの魂も解放されないと?」
“無意味だとは言わないが、もう少し肩の荷を下ろした方がいい。まあ、かといってあまりに独りよがりだと、誰もついてこないがな”
「そうですか」
気落ちするハンス。目の前の男が自分のことを否定したわけではないことは分かっていたが、また正解から遠ざかったような気がしたのだ。
(先は長いなあ……)
つまりそう言うことだろう。じっくり取り組まなければいけないということだ。
(俺は、地下牢の死霊の晴れやかな顔を見て、焦ってたのかなあ)
気づかなかった盲点に気づかされ、ハンスは秘かに落ち込んだ。
“フム。あまり参考にはならなかったかな。折角後輩と話が出来たのに残念だ”
「いえ、そんなことはないです。今まで自分が焦ってたんだってことが分かりました」
“そうか”
男は少し頷いた。
“色んな人と話し、すべきだと思ったことをするといい。そうすれば、自ずと道が見えるはずだ”
「はい」
ハンスは男の優しさに目頭が熱くなるのを必死に堪えた。確かに自分にはまだまだ知らなければいけないことが多すぎる。
男はそんな彼の姿を眩しそうに見つめていたが、次第に周りの白い霧が晴れ、男の輪郭も露わになる。しかし、それと同時に男の姿は金色の光を発し始めた。
“フム。もう時間か”
「時間?」
“残念だが、仕方がないな。すまんが、最後に頼まれてくれんか”
「何でしょう?」
自らに導きを与えてくれた恩人の頼みだ。ハンスは何としてでも叶えるつもりだったが、男は笑いながらそう言った。
“難しい話ではない。伝言を頼みたいのだ。私の想い人に、ザンデが愛していると言っていたと伝えてくれ”
「ザンデ? 想い人っていうのは?」
“ザンデとは私が救世主になる前の名だ。私の想い人は、今君の近くにいる”
そう言うと男の姿は金色の光に呑まれて消えた。それと共に白い霧が消えていくと、自分のことを呼ぶ声が聞こえ始める。ハンスが注意をそちらの方を向けると、急速に意識が目覚め始めた。
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