魔法
週末になると約束通り香月さんはマッサージのために俺の家へとやってきた。
しかしなんだかその日の香月さんはいつもと様子が違った。
やけにそわそわしたり、時おり上の空だったり、なんだか緊張している。
「そろそろマッサージしようか?」
「そのことなんですけど……」
「どうしたの? 今日はやめておく?」
「や、やります! やるんですけど、その……」
香月さんはなんだか太ももをモジモジと擦り合わせて俯く。
なんだか背徳的な行為に及ぶ前みたいな仕草でゾクッとしてしまう。
「一度、これをしてみようかと思いまして」
そう言って香月さんはアイマスクを鞄から取り出した。
「目隠ししてマッサージするの? 見えなくても何となくは分かるけど、自信ないな」
「そ、そうじゃなくて私がするんです」
「香月さんが!? なんでまた!?」
「予測不能でされる方がよりスリリングといいますか……違ったよさがありそうで…」
「え? なに?」
ボソボソとなにか呟かれたがよく聞こえない。スリルがどうしたとか聞こえた気もするが……
「し、視覚を奪われた方がよりマッサージに集中出来るんじゃないかと思うんです」
「あー、なるほど。それは一理あるかも。リラクゼーション効果もありそうだ。いいね。やってみよう」
目を閉じると内面の感覚を味わいやすいというのは聞いたことがある。
さっそく香月さんはマッサージ用のフィットネスブラトップとスパッツに着替えてくる。
前回はライトグレーだったけど今回は黒色だ。
「色違いのを買ったんだ?」
「き、気付いたんですか!?」
なぜか香月さんはギクッと肩を震わせた。
「ライトグレーも似合うけど黒も大人っぽくていいね」
「く、黒の方がその、汗とかかいても滲まないからいいかな、と……」
「はあ、なるほど……」
マッサージをしても別に汗なんてかかないのに不思議なことを言う。
香月さんはマットに寝そべるとアイマスクを着けた。
「それじゃ始めようか」
「せっかく目隠ししたので今日はどこを揉むとか言わずにして欲しいんです」
「いきなりだとビックリしない?」
「それがいいんです」
「それがいい?」
よく分からないけど本人が希望するならそうしてあげよう。
寝そべった香月さんの背中に手を添える。
脚から来ると思っていたのか、香月さんはビクッと震えた。
オイルを垂らしてゆっくりと肩や背中に伸ばし、白い肌がテラテラと光る。
薄くて張りのある肌を探るように揉みほぐしていった。
「んんっ……なんかいつもと全然違いますっ……見えないと不安といいますか、ドキッとします」
「目隠し外す?」
「いえ。これはこれでいい感じです」
「そう?」
自分の内面と向き合えるということだろうか?
俺も血流を意識しながら身体を揉んでいく。
「んぁっ……そ、そこ……」
「腰椎?」
「はい……そこがびゅくってなります」
「びゅく?」
独特な言い回しだけどようは凝っているのだろう。
腰椎を中心に背骨沿いに指を沈めていく。
「そ、そこばっかりっ……弱いの知ってていじわるですよっ……うぁ……あ……」
「いじわるしているわけじゃないんだけど」
「お、圧して……そこを強く圧してください……」
「いきなり激しくするのはよくないよ」
なんだか心配になり、一旦腰椎の指圧を止める。
すると香月さんは肩透かしを食らったみたいに「ああっ」と声を漏らした。
「焦らしてお預けなんてひどいです」
「そういう問題じゃないから」
目隠しをしているからか、香月さんはいつもより甘えん坊な口調でなんだか可愛い。
中殿筋から大殿筋へともにゅもにゅっと指を這わせていく。
香月さんの臀部は運動をしている妹と比べて柔らかい。
繊細な身体なので刺激が強すぎないよう気を付ける。
「んっ……はっ……」
「どうしたの? 息を止めないで」
「だって……」
「痛い?」
香月さんはブンブンと首を振る。
「擽ったいかな?」
「やめないで……その……きもちいー、ですから」
「そうなんだ。じゃあよかった」
「なんか恥ずかしいです……お尻が気持ちいいなんて……」
「普通だよ。臀部には筋肉やツボがたくさんあるから」
「お尻太ってるから恥ずかしいです」
「太ってないって」
「うそ。なんか最近体重が増えてきてますし……」
「筋肉がついたんじゃない? 以前より少し張りが強いよ」
香月さんは耳を赤くして「むー……」と唸る。
「太っちゃったら嫌いになっちゃいますか?」
「なるわけないだろ。そりゃ丸々としちゃったら驚くけど。でもどんな見た目であろうと俺は香月さんが好きだよ」
「嬉しいです……」
「それに香月さんが思ってるほど太ってないから。俺はきれいなお尻だと思うし、好きだよ」
口にしてなんかとんでもないことを言ってる気がして恥ずかしくなる。
「お尻が好きなんですか?」
「も、もちろんほかも好きだからね」
「じゃあ好きなところを教えてください」
「そんなのたくさんあるけど」
「待って。言葉じゃなくて指圧して教えてください」
「分かった」
恋人同士じゃなきゃ出来ない、他人にはとても見せられないやり取りだ。
「そうだなぁ……まずは」
すらりと伸びた脚。そのなかでもほどよくふっくらした太ももを圧す。
「ぴゃあっ! そ、そこですか?」
「とてもきれいだよ」
「わ、わたしのコンプレックスあるところばっかり」
「ここも」
「ああっ! ふくらはぎ弱いのにっ……あううっ……そんなにもにゅもにゅされるとっ……」
「あとここ」
「ふぁあ! 足の指ですよ、そこ!?」
「脚はスラッとしてて引き締まってるのに、足の指はコロコロっとしてて可愛い」
「きゃははっ! 擽ったい! ひゃははは! んあっ!」
「腋もきれいだよね」
「ちょっ!? あーっ! 絶対擽りたいだけでしょ」
「暴れないで」
「無理っ! 無理だってば! ひゃははは! わ、脇腹も駄目っ!」
あちこち擽ると香月さんは身悶えながら転がり回る。
アイマスクもずれ、髪もくしゃくしゃに乱れて顔にかかっていた。
笑いすぎて瞳は涙で濡れ、はーはーと荒い息遣いをしていた。
気の抜けたようなその顔も堪らなく可愛い。
「あとはもちろん、その顔も」
顔にかかった髪を指でゆっくりと梳く。
香月さんは自らアイマスクを外してじぃっと俺を見つめてきた。
「相楽くんが好きなところは『圧す』約束ですよ」
その顔は既に惚けていなかった。
じっと真剣な眼差しを俺に向けてくる。
「顔の指圧はまだしたことないからなぁ」
「指じゃなくても……いいんですよ」
香月さんの視線は間違いなく俺の唇に向けられている。
俺はゆっくりと香月さんに顔を近づけた。
「香月さんの顔も好きだよ」
「私もです……相楽くんの全部が好き……」
至近距離で見ると改めてその可愛さに息を飲む。
おでこをつけ、鼻の頭をぴとっとくっつけると香月さんは静かに目を閉じた。
俺はそのまま香月さんの唇にキスをした。
「んっ……」
わずか一秒程度の触れるだけのキスだったけど、頭が幸せでぽーっとなる。
唇を離したあとも俺たちは愛おしさを籠めた瞳で見つめあっていた。
「大好きだよ」
「ありがとうございます。私もです」
香月さんは俺の背中に腕を回し、ひしっと抱き付いてくる。
俺も同じように抱き返した。
「キスって不思議ですね。ちょんと触れただけなのに心臓がばくばくして、胸がきゅーんってなります」
「俺も同じこと思った。今までもすごく好きだったのに、なんだか更にもっと好きになった気がする」
「それ分かります。いま自分でもビックリするくらい相楽くんのことが好きなんです」
言葉で伝えきれない思いを伝えることが出来る。
キスって最強だ。




