ウィルがいいのに
ケニーの言葉をリリーは思わず聞き返した。
「脈があるって、どういう意味?」
「だから、殿下と結婚したいんだろ? 一人で犯罪者の巣窟に乗り込んできたのは、少なからずあんたに気があるからなんじゃないの」
リリーとケニーと侍女は今、麻薬組織の拠点である館の、客間的なところでのんびり会話している。
ウィルは今、軍へ応援を呼びに行っている。人手が増えれば、リリーたちは軍の護衛付きで屋敷に帰してもらえるらしい。
今日の出来事を決して口外しないようにと隊長に何度も念を押されたケニーは、酷く残念がっていた。麻薬組織に誘拐され王弟に救出されるという刺激的な体験を、誰にも話してはいけないなんて横暴だと嘆いていた。ひとしきり嘆いたあと、ケニーはリリーに対し、ウィルはリリーに気があるのではという話を振ってきたのである。
「友だちの妹を助けるなんて、普通でしょ?」
「あんた友だちの妹という地位がどんだけ偉いと思ってんの。家族でもない人間に普通ここまでしないって。まぁやろうと思っても出来ないだろうけど」
「私も今日、確信しました。殿下はお嬢様を特別に想っておいでですよ。たった一人でお嬢様を助けに来たんです。これはすごいことです」
リリーの頬はゆっくりと緩んでいった。
「そうかなぁ。ウィルは私に夢中なのかなぁ」
「夢中とまでは言ってない」
ケニーの言葉をリリーはあえて聞き流した。そしてウィルが自分に愛を囁いてくれる夢想をして幸せな気分に浸った。
「ウィルは照れてるだけなのかも。本当はウィルも、私と結婚したいのかも。そう思わない?」
「だからそこまでは言ってない。でもさ、いざとなったら断れないんじゃないの。泣いてすがればいいじゃん。あんたに懇願されたら断れないよ殿下は」
「泣いてすがれ? ああ、男ってどうしてこうなの?」
リリーはまるで経験豊富な大人の女のように、大仰に嘆いて見せた。一度言ってみたかったセリフなのだ。
リリーはいい女風のポーズを決め悦に入りながら、考えた。泣きながら結婚を迫られるなんて、それは迫られる方にとってはもはや恐怖ではないだろうか。
「嘘泣きなんて、あざとくない? 私そんな浅はかなこと出来ない」
「今日こそチャンスですよ! 誘拐されて、怖かったって泣きつけばいいんです!」
なんて有能な侍女なのだろう。そんな自然な流れで嘘泣きを披露する方法があったなんて。リリーは入念にイメージトレーニングをしながら、ウィルが戻ってくるのを今か今かと待ちわびた。
リリーは舘に戻ってきたウィルに、二人きりで話がしたいと持ちかけた。ウィルは何も疑うことなく「いいよ」と言って、誰もいない部屋に連れていってくれた。
警戒心のない子羊を素早く射止めるべく、リリーはウィルと二人きりになった瞬間に迷いなく嘘泣きを披露した。
嘘泣きで同情心を引き出したあとどさくさに紛れて結婚の約束を取り付けようという計画は、予想外の方向に行ってしまった。リリーはウィルが、自分のことをどれだけ心配しているか分かっていなかったのだ。
「何か嫌なことでもされたのか?」
ウィルは不安げな顔でリリーの顔を覗き込んできた。リリーが首を横に振ってもウィルはすぐには信じなかった。
「本当に? 僕に言いづらいなら話しやすい相手を探すけど」
「あの、ごめんなさい。本当はあんまり、怖くなかった」
「嘘つかなくてもいいんだよ」
困った。嘘泣きといえどすぐには止められない。
根気強く何もされていないと訴え続けると、ウィルはようやく理解してくれた。ウィルは脱力するついでに近くにあった机の上に腰かけた。行儀の悪いウィルは珍しい。
「本当に……生きた心地がしなかったよ。無事でよかった」
しみじみとしたウィルの声を聞いて、リリーの心は罪悪感やら嬉しさやらで一杯になった。
「ウィルは私のことが好きなの?」
リリーの唐突な質問に、ウィルは驚いたように目を丸くした。
「好きだよ。当たり前だろ」
「恋愛感情があるかどうか聞いてるのよ」
ウィルは口をつぐみ、しばらく何かを考え込んでいた。それからばつが悪そうな表情を浮かべ、口を開いた。
「もしリリーの身になにかあったら、多分、生きていけないかも」
それは恋とは違うのだろうか。
リリーはもやもやした気分を覚えながらウィルの隣に腰を下ろした。
「私と結婚したい? したくない?」
思いきって尋ねてみれば、ウィルは自嘲するみたいに笑った。
「それは、自分じゃ決められないな。王家の許可がないと。いつ結婚できるかなんて分からないし」
「私はウィルの気持ちを聞いてるの」
不機嫌な声で訴えると、ウィルはひどく場違いな、柔らかい声を返してきた。
「どうしてそんなに結婚したいの? 今しか出来ない楽しいことが、たくさんあるだろう」
「だって、ぼんやりしてたらお父様に人生を全て決められちゃうわ。そんなの嫌」
「勝手に決めさせたりしないよ。約束する」
リリーはウィルの言葉を疑ったりしなかったが、それで安心するような気持ちにはなれなかった。本当に悲しくなってきて、自分の意思とは関係なく勝手に涙がこぼれ落ちた。
「ウィルがいいのに……」
ドレスの上にぽたぽたと滴が落ちる。ウィルはリリーの肩をそっと抱いた。
「泣かないでよ」
「嫌なら嫌って言えばいいのに。ウィルなんか悪い女の人に騙されちゃえばいいんだ」
しゃくりあげながら恨み言を呟く。ウィルは涙を流すリリーをじっと見つめて、それから長いため息をついた。
面倒くさいと思われたのかもしれない。泣いてしまったことを後悔しているリリーに、ウィルが言った。
「分かった」
リリーは「ん?」と眉根を寄せ、涙を流すのをピタリと止めた。それから素早くウィルの顔を見上げる。
「今何て言った?」
「分かった。結婚は出来ないけど、婚約ならまぁ、許してもらえるかも」
「本当? 本当の本当に? 嘘じゃない?」
勢いよく詰め寄ると、ウィルは苦笑しながらリリーのことをやんわり押し返した。
「今すぐは無理だ。あと一年よく考えてみて。十六歳になってもリリーの考えが変わらないなら、もうはぐらかしたりしないから」
リリーは数回瞬きしてから、非難がましい声を上げた。
「あと一年も? 必要ない、そんなの。私の気持ちは絶対に変わらないもの」
「なら問題ないだろ。来年だって、再来年だって」
子供を言いくるめるなんて卑怯ではないだろうか。しかし自分が不利になったときだけ子供扱いしろというのも卑怯かもしれない。
リリーは渋々頷いた。
「約束よ。やっぱりやめたなんて無しよ」
「もちろん。じゃあ、もう帰ろう。疲れただろ。屋敷まで送るから」
何事も無かったかのようにウィルは話を切り上げた。リリーはいまいち実感がわかずに、疑わしいという目でウィルを見た。どういう心境の変化だろう。何か企んでいるのだろうか。
ウィルはリリーの視線を気にせず、立ち上がった。




