1134話 どちらが愚かか
「交渉決裂だな」
エーデルワイスは炎を放とうとして……
「……甘いな」
ジーベンは笑みと共に、足元に魔法陣を展開させた。
複雑な術式で構築されていて、それでいて芸術品のように精密で。
知識ある者がその魔法陣を見れば腰を抜かすことだろう。
発動はジーベンの方が早い。
会話中にあらかじめ準備を進めていたのだろう。
つまり……
ジーベンは、エーデルワイスとまともに交渉をするつもりなんてなかった。
交渉のふりをした時間稼ぎ。
どうせ決裂するだろうと……いや。
そもそも、最初から決裂させるつもりだったのだ。
そのための密かな準備。
そして奇襲。
「これは……」
「くくく……どうだ、まともに動けまい。これは、儂の切り札でな……魔力の流れを阻害する結界を展開した。範囲内の者は、常に魔力錠をつけられているようなもの。いかに魔王といえど、どうすることもできまい」
「……ふむ?」
エーデルワイスは小首を傾げつつ、体を動かそうとした。
……重い。
水の中にいるかのように。
手足に鉛をつけられたかのように。
思ったように体を動かすことができず、もどかしさに、若干、苛立ちを覚えた。
「なるほど。確かに、これは厄介だな」
「落ち着いているな。儂の結界の中でも、まだ動くことができるのは称賛に値するが……しかし、まともに戦えぬはず。強がりはよせ」
「……はぁあああ」
ため息。
特大のため息。
エーデルワイスは、呆れの視線をジーベンに向ける。
それから……
呆れは極大の殺意に変わる。
「舐めるなよ」
「っ……!?」
ゴゥッ! と、殺意が質量を伴い暴風となって吹き荒れた。
魔力錠をつけられている状態と変わらないはずなのに、エーデルワイスの力はまったく衰えていない。
いや。
知る者が見れば、ある程度は衰えている。
ただ、本当にある程度で……
二割減、といったところだろうか。
エーデルワイスは最強種であり。
そして、その全ての頂点に君臨する『魔王』だ。
魔力錠ごときでどうにかできるはずがない。
「ちっ……まさか、ここまでとは」
「おとなしく私に殺されるつもりになったか?」
「……ふん。忌々しい。とはいえ、この展開を想定しなかったわけではない。儂には、まだ他にも切り札が……」
「ああ、そうそう」
エーデルワイスは思い出したように言う。
「つまらぬ小細工を弄していたようだが……」
「なにが言いたい?」
「私達も、ちと小細工をしていてな」
「……なんだと?」
エーデルワイスの含みのある言い方。
『達』と言う。
それは、つまり……
「……解析、完了いたしました」
コハネの静かな声が響いた。
ジーベンの結界が展開される中。
なんてことのないように、コハネはひっそりと、とある作業を続けていて……
いや。
それ以前に、エーデルワイスとジーベンが交渉をしている時から作業を始めていた。
エーデルワイスの指示によるものだ。
ジーベンが二人を出し抜こうとしていたことを、エーデルワイスはあっさりと見抜いて。
ならばこちらも出し抜いてやろうと、コハネに攻撃準備をお願いしていたのだ。
ちなみに、お願いの方法はアイコンタクト。
色々な意味で繋がりの深い位置にいる二人なので、それくらいは簡単なことだ。
ジーベンは後ずさる。
「くっ……な、なにをするつもりかわからぬが、儂には邪神の寵愛が……」
「それはもう無駄です」
「なんだと?」
「おぞましき偽神の寵愛の解析、完了いたしました。無効化、開始……完了。これで、あなたは、なにも力を持たない『ただの人間』です」
「ふ……ふざけるな!? そのようなバカなこと、ありえるはずがない!!!」
今まで誰にも破られることのなかった邪神の寵愛を無効化した?
しかもこの短時間に?
なにもしてなさそうなのに?
ありえるわけがない。
ありえるはずがないのだけど……
「ありえるのだよ」
エーデルワイスが不敵に笑う。
「コハネは、私よりも……世界の誰よりも邪神に詳しいからな。なにしろ、世界の管理者だ。その敵となる存在のことを調べておかないはずがない」
「な、なにを……」
「まあ、いちいち説明してやる義理も義務もないな。とりあえず……」
エーデルワイスは、黒い炎が宿る手の平をジーベンに向けた。
「お前は死ね」




