1097話 奪われたから奪う
本名はもう覚えていない。
そんなものはいらないと、昔、捨てた。
それまでの人生は奪われるだけだった。
家族を。
恋人を。
友を。
そして、故郷を奪われていた。
その犯人は、反省することはない。
笑いながら強奪を繰り返して……
被害者のことを覚えていることもない。
犯人は、わかりやすい盗賊であったり。
善人を装う詐欺師であったり。
裏社会に染まる貴族でもあった。
奪われた。
何度も何度も何度も奪われた。
だから、奪う側に回ることを決意した。
このまま、黙って搾取されるつもりなんてない。
おとなしく殴られているつもりはない。
こちらも殴り返してやる。
後悔させてやる。
……故に、盗みを働くようになった。
ありとあらゆるものを盗んで。
時に、依頼を受けて盗んで。
気がつけば、世界に名が知れ渡るほどになっていた。
それなりに痛快な気分だった。
虐げられる側から虐げる側に回ることができた。
それは、とても素晴らしいこと……そう思っていた。
ただ、実際は虚しいだけだ。
なにかを得たようで、しかし、なにも得られていない。
この手の掴んだものは幻で、形になるものは残らない。
盗みや潜入。
そして、殺しの技術が身についただけ。
他に得たものはない。
とある小さな組織で、大神官と呼ばれるようになったけれど、それもどうでもいいことだ。
その組織が、後に邪教徒と呼ばれるようになり、世界にケンカを売り始めたけど、やはりどうでもいいことだ。
興味がない。
どうでもいい。
なにをしても、なにをされても。
所詮、この世界は変わらない。
人間は汚いままだ。
だから、どうでもいい。
世捨て人となり、残りの余生、適当に過ごすだけ。
……そう思っていたのだけど。
「……まだ大丈夫、ってことなんじゃないかな? 俺は、そう思う」
若い青年は、一切の迷いを抱くことなく、そう言ってみせた。
若さゆえの過ちか。
周りが見えておらず、甘いことを口にする。
最初はそう思ったが、彼の場合は違うことに気がついた。
この青年は、きちんと世界を見ている。
残酷なところも理不尽なところも容赦がないところも、全て知っている。
その上で、救いはあると言ってみせたのだ。
本気で。
強い。
この青年には敵わないと、心の底から思った。
なにもかも諦めて。
適当な余生を過ごすと決めていたが……
「……もう少しだけ、がんばってみようか」
――――――――――
「レインか……いい名前だな」
そう言うラウル・ラズナは、人の温かさを感じさせた。
「あなたは……」
「バストールという村を知っているか?」
突然の話題転換に戸惑いつつ、その村は知らないため、首を横に振る。
コハネも知らないらしく、怪訝そうな顔をしていた。
「地図にも載っていないような小さな村だ……知らなくて当然か」
「その村がどうしたんだ?」
「村人全員が邪教徒で、そして、邪教徒の中心地であり、ゼクスやフィアなどの大神官もそこに拠点を構えているだろう」
「それは……」
とても重要な情報だけど、しかし、信じていいのだろうか?
一瞬、そんな迷いが浮かぶ。
「なぜ、そのような話を今になって表に出すのでしょうか?」
コハネの鋭い視線に怯むことなく、ラウル・ラズナは苦笑と共に答えた。
「……かつて、過ちを犯した。こうすることが正しいと考えていたが、しかし、それは大きな間違いだった。そこから逃げて、逃げて、逃げて……今も、まともに向き合うことをしていない。しかし、それはあまりに情けないと思ってな。ただ、情報を渡すことくらいしかできないが……レインに賭けてみたくなった。それだけだ」
「その話を信じろと?」
「もちろん、信じてくれなくていい。ただ、今後の方針にはなるだろう? バストールを調べる……そうすることで、色々なものを得られるはずだ」
「……嘘はついていないようですね」
「信じるのか?」
「なかなか難しいですが、しかし、呼吸のパターンや視線の動き方。言葉を紡ぐタイミング……色々と計算したところ、嘘を吐く者にありがちなパターンとは一致しませんでした」
そんなことを測り、相手の言葉の真偽を見抜いていたのか?
コハネはすごいな。
「ふっ……敵わないな」
彼は苦笑して、それからこちらに背を向けた。
もう話はない。
話せることは全部話した、という感じだ。
俺達はこの場を後にしようとして。
その前に立ち止まり、彼の背中に声をかける。
「ありがとう。あなたからもらった情報は、必ず活かしてみせる」
「……ああ、期待しよう」
◇ お知らせ ◇
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