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行き掛けの駄賃とばかりに裏切った護衛の傭兵らを当たるを幸いになぎ倒し、竜人はフロアの奥にある非常口を蹴破る勢いで外へとまろび出た。

そこは錆びた鉄骨が剥き出しの非常階段の踊り場で、方向転換に手すりがひん曲がるほどの蹴りを入れて上階へと駆け上がって行く。

ハルミたち三人もそのあとを追うべく駆けだそうとしていたが、おりしもそこに人質の身から解放されたイリヤー姫が、求める国王の許へと駆けつけてくるところだった。


「陛下…ッ!」


厚ぼったいルンの民族衣装のスカートをまくり上げていっさんに駆け寄ってきたイリヤーは、有無も言わさずハルミの小さな身体に抱きついて……身長差からそのまま抱き上げる格好で……力いっぱいに抱擁した。


「陛下! 陛下ッ」

「イ、イリヤー…?」

「ああっ! 本当に御無事でよかった!」


美人の王女様に熱烈に抱擁されるそのさまは、男としては冥利に尽きる勝ち組確定シーンに違いなかったが、散々な目に合わされて床に這いつくばる傭兵たちは高給待遇要人SPから労災認定絶望の傷病失職者へと急転直下したおのれの境遇に呆然としていて、その光景をぽかんと眺めるばかりであった。

イリヤーのあとから上がってきた株式会社GEKKO警備部の面々は、王女様の感謝が直接救出に参上した白馬のナイトたる自分たちに向けられなかったことにショックを受けたようだった。


「…オレらが助けたんだけどさ」

「言うな……オレ達ゃいつも日陰の黒子なんだからよ…」

「ち、ちきしょう……何が足りないんだ! オレたちに…ッ」


そのちびっ子集団のあとから駆けつけてきた刑事コンビは、映画のクライマックスシーンのようなテンション高めの異常空間に心の準備もなく飛び出してしまって、とっさのエアリーディングスキルでもって物影へと飛び込んだ。


「ギンさん! 見ましたかアレ!」

「キスの嵐って、ああいうものなのか……初めて見たぜ」

「欧米ッスよ! この国にあってはいけない欧米ヘブンがあそこにあるッスよ!」

「…泣くんじゃねえよ、みっともない」

「あのガキんちょは生まれながらにして勝ち組ッス! 生まれながらにして自分ら一般庶民は負けていたんスかね!」

「あれはたぶん常識では測れねえ特別製のガキだ。普通に較べねえほうがいいと思うぞ」

「ただでさえ刑事は自由時間が合わないとか体育会系のパシリみたいなしゃべり方がちょっとヤダとか文句言われて振られるってのに…」

「まあ、刑事とパシリ口調は関係ないと思うがな」


手に持ったままの拳銃を素早く確認してから、刑事たちはおのれたちがせねばならない役割をきっちりと果たすべく、すぐに物影から飛び出してきた。

転がる危険きわまりない銃火器を蹴り払いながら、ギンジが傭兵たちを拳銃で威嚇し、その優位が動かぬ前にと相棒のユウタ刑事が傭兵たちを拘束していく。


「全員拘束しました! …王女様の身柄も無事保護して……やった! オレらやりとげたんスよ!」

「…ユウ!」


そのとき叱咤するようにギンジが声を張り上げた。

我に返ったユウタ刑事は、最前まで追いかけていたちびっ子集団が再び動き出したことに遅まきながら気がついた。

ちびっ子集団の前方には、集団のリーダーと思しき幼女加積ミユウが背中を躍らせており、くだんの熱烈抱擁中であったイリヤー姫とハルミが今しもそのあとを追おうと動き出したところであった。

彼らの向かう先には開け放たれた非常口があり、吹き込んでくる強いビル風が室内のカーテンをなびかせている。


「あいつら、一体どこへ」

「…いくぞ、ユウ!」


ギンジのひと声で、ユウタ刑事もまた再起動した。

騒動の舞台はデパート屋上へと移った。






先頭を切ってかつて屋上遊園地があった開けたスペースへと躍り出たミユウは、そのもっとも奥まったあたりでローターを回転させ始めているヘリを発見した。

《焔》の上級幹部が、何の安全措置も取らずに会見に臨むわけもなかった。まさしくエリア支配人李陽文の帰着を待っていたヘリは、当の主人が搭乗を要求しているというのにその目の前から逃げ出そうとしているらしい。護衛のひとりと思しき黒服が中から銃撃を加えている。


「あいつ、自分の羽で飛べばよいのに。『人』であった感覚からまだ抜け出せていないのかしら…」

「…先ほどの攻防でいくらか破れてございましたし、羽を痛めたんではないでしょうか」

「あっ、やられた」


基本、人類の柔肌(まさにその通りの紙装甲だ)に合わせた殺傷兵器が、規格外の硬度を持つ化け物の外皮を貫くのは難しそうだ。羽の皮膜を傷つけられるのを嫌がっていた竜人も、迫ってくる追っ手を見て焦ったのか捨て身になってヘリに張り付いた。

銃撃するために半開きになっていたドアをこじ開けて、銃弾をばら撒く護衛の頭を鷲掴みにする。そうして外に投げ捨てた。

操縦士も逃げ出そうとしたが、後ろから凶悪な爪で死命を制されて、死人のような顔で離陸作業を開始した。

ローターの回転速度が急速に高まっていく。運動能力の高い大人の四肢を持っていればあるいは間に合ったかもしれない。が、どれだけ底上げされていようと幼児の手足では大きく足りなかった。

ヘリがデパートの屋上から浮揚し始めたのを見たクロードが、とっさに方向転換、屋上よりもさらに高みにある屋上ペントハウス、さらにその上のいまは鉄骨剥き出しの宣伝看板へとするするとよじ登る。

そしてほとんど躊躇なくその小さな身体の全筋力を振り絞り、夜の空中へとダイブした!

それにはミユウも絶句した。


「無茶!」


間に合わなかった彼女が手すりに取り付いて、緩やかに放物線を描きつつある幼児の投身自殺を目で追っていく。

むろん無謀ではあったものの、闇雲なダイブなどではなかった。ちょうどその直下で方向転換し始めていたヘリの尾部がこちらに振り出されつつあったのだ。

ぺたり。そんな擬音が付きそうな着地だった。

クロードは着地の瞬間、幼児特性として避け得ないアンバランスな頭部をバッティングしたらしくつかの間呻いていたが、垂れる鼻血を拭って顔を上げた。

その目はすでに目標へと向かっている。

手足の取っ掛かりを充分に確認しつつ、トカゲのようにするすると搭乗口に近づいてゆく。目指す搭乗口は、竜人の巨体を納め切れずに全開になったままだ。

クロードはまさに注意の隙をたくみに突く黒い原生昆虫のように隙間から中へと入り込み、姿が消えた。


「マジか…」


ベテランのスタントマンでも躊躇しそうなアクションを命綱もなしに行った幼児たちを見てユウタ刑事が絶句した。市民の安全を守る彼らの職務的に、幼児たちの常識外の躍動はまさしく目の毒であっただろう。

彼の前ではイリヤー姫が声にもならない悲鳴を上げていたが、その隙を突いて腕の中から脱出を果たしたハルミが刑事たちの間を割るように逆方向へと駆けだした。

まさに風。

ハルミの足はほとんど地に着いていないように見えた。わずかに響く足音がけっして飛んではいないのだと伝えていたが、非常階段の踊り場までの十数段をわずか数歩で落ちるように駆け下りているのは間違いなかった。


「ヘリが落ち始めたぞ!」


デパートの手すりに集まっていた幼児たちが歓声のような声を上げた。

呆然とする刑事たちの前を、ミユウが、そして再起動したイリヤーが駆け抜けていく。デパート屋上でのイベントはわずかな時間のうちに終りを告げ、役者たちがあらたな舞台を求めて移動を開始させている。

手すりのところに集まっていた幼児たちも、リーダの動きに合わせて大挙して移動を開始する。ある意味この場で一番常識人であった二人の刑事は、場面の急転について行くことができずに呆然と見送ることとなった。


「…オレらもついて行きますか、ギンさん」


「まあ、あんましもうお呼びじゃねえだろうけどな……何かあってもその場に責任ある大人がいねえってのはいかんだろう。ユウ、部に連絡してここの後始末をさせとけ。テロリストの大量検挙だ。物的証拠ありまくりだから四の五の難しいこと言わせんな。現行犯逮捕だっつっとけ」

「了解っス!」


連絡をユウタ刑事に任せて、ギンジは残り少ないシケモクに火をつけながら屋上の手すりに近寄って行く。

いい年した大人が元気いっぱいの子供のあとを平気で追っていけるわけもない。落ち着いて行き先を確認してから向かえばいいのだ。どうせヘリが墜落したら大騒ぎになることは分かっているのだ。


「うへっ、都庁にぶつかんじゃねえか」


ビルの谷間をふらふらと低空飛行するヘリは、まっすぐにこの街のシンボルと言っていい独特な外観をした庁舎ビルへと一直線に向かっていた。

まあその一部は彼の血税が遣われているだろう公共物であったが、おのれの所有物的な感覚は皆無なので珍しい花火が破裂するのを待つような感覚である。

間に合うものではないと分かって入るのだが、善良な一市民として通報すべきところではあっただろう。

都庁の番号は分からなかったので、おのれの所属する組織のほうに電話することにした。上司に出られるのはいやだったので、同僚のひとりにかけたのだが…。


「あっ、もう手遅れか」


案の定、ヘリはすでに都庁舎をかすめる位置に来ていた。通話の先で相手が出たのはその瞬間だった。


「どうしたんだよ、ギンさん」

「あ、わるいわるい、たぶんもう間に合わねえわ」

「間に合わないって、おい、ギンさん!」

「おっ、なんとかかわしたぞ。ぎりぎりであのチビが乗っ取ったか…」

「ギンさん!」

「ああ、悪いけど消防手配しといてくれねえか。新宿の辺でヘリが墜落するみてえだからよ」

「…ッ! 墜落って、ちょっと」

「ふはは。役所の職員らもたまげたこったろうな。庁舎の電気が次々つき始めたぞ」

「まだ勝手に捜査続けてるんだって? そっちで何かトラブッたのか!」

「いま相棒が上に連絡してっからよ、おまえらも出動準備しとけな。…そうだ、そのへんにバカ(課長)がいたら伝言頼むわ」

「出動って、おい」

「『オレたち大勝利』ってよ! ふはは」


笑った瞬間に残りわずかなシケモクが空に舞った。


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