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「GOだ」


館内に鳴り響いた警報を合図に、《株式会社GEKKO》警備部は行動を開始した。

真っ暗なデパートのいたるところに潜伏していた幼児たちは、ほとんど足音も立てることなく手近の敵勢力の排除に取り掛かった。


「久々だとさすがに緊張するな」

「やつら完全に気が緩みきってるぜ。最近のマフィアはこんなものか」


暗闇に乗じて接近し、悲鳴も上げさせずに昏倒する。幼児たちの振るう警棒は、いわゆる特殊警棒ではなく、接触と同時に数万ボルトの電気ショックを与える過激なものだ。照明はほとんど殺されていたが、それはあくまでこの国の警察のしょぼしょぼ装備を想定しての暗闇であったのだろう。しかし暗視ゴーグルを備えた幼児たちにとって、その暗闇は真昼と同じであった。

敵を昏倒して、そのまま去るわけでもない。身動きが取れないうちに、取り出したインシュロック(梱包用の止め具)で両手両足の親指を締め付け、完全に動きを封殺する。たかがプラスチックの止め具とバカにはできない。海外では手錠代わりに使われることもある優れものだ。

そうして確実に敵勢力を排除しつつ、警備部第一課はフロアの『面』を制圧した。


「ひとつのフロアに一〇人前後か……なめてやがるな」

「それでも全員銃火器で武装してるし。油断大敵」

「オレらもあれが使えりゃ楽なのにな。この小さい体が忌々しいぜ」

「場合によりけりやろ。今回のミッションには、むしろこっちのほうが隠密性が高くて効率がいい。攻め手の人数が把握されないうちに戦力を削りまくって、ソッコーで敵の防御計画を破綻させちまおうぜ」

「ひとりで何人狩れるか、賭けな!」


隊長の一撃で、エレベータ前に陣取っていたまじめそうな男を打ち倒す。敵は全員母国から連れてきているのだろうか。よく日に焼けて体つきも締まっている。

インシュロックで両手を拘束したところで、その色黒男が早々と意識を回復して暴れだした。南方なまりの言葉でわめきだしたところを、喉仏を幼児パンチするという容赦ない荒業で沈黙させる。

頚動脈を締め付けて再び気絶させると、二人の幼児は階段に向かって駆け出した。


「フロア制圧にだいたい3分か…」

「集合確認! 警備部第一課、揃いました」


負傷者は皆無。チーム6人が仲良く拳をぶつけ合って、手早く賭けの清算が行われる。いわゆる『マッチ棒清算』というやつで、リーダーがうっしっしとほくそ笑みつつ集めたマッチ棒をポケットに突っ込んだ。


「…人質確保で臨時ボーナスとのお達しだ。…気張るぞ!」

「おっ、二課チームが階段を押し上げはじめたぞ。ってか、オレら負けてんじゃね!」


最前まで彼らの物音を消してくれていた警報機の騒音もいつの間にか止んでしまっている。代わりに剣呑な発砲音と火薬の匂いがあたりに立ちこめ始めている。

階上では派手な銃撃戦が開始されたようだ。


「野郎ども! 続け!」

「おうとも!」


背を丸めた幼児たちが隊列を汲んで階段を駆け上がっていく。

幼児たちの姿は、すぐに闇にまぎれていった。






幼児たちの戦闘シーンを物陰からうかがっていた刑事ふたりは、さすがに開いた口がふさがらないというふうに呆然としていた。


「や、やりますね、最近のちびっ子たちは…」

「おっかねえガキどもだ」


銃声がとどろいたところで、さすがに平和主義の刑事たちもおのれの武器を手に取った。平和ボケの国とはいえさすがに装備の更新が進んでいる日本警察の、中枢近い本庁の刑事ともなれば、携行する拳銃もそれなりに高性能なものになっている。

P230……SIGといわれるオートマチックタイプの拳銃である。

もっとも、正体不明のサブマシンガンが派手に銃弾をばら撒いている戦場のような場所で、いささか役者不足であるのは否めない。

バリバリバリバリッ!

階段の暗がりの中をマズルフラッシュの閃光と射撃音、そして人の怒声が反響する。ここはホントに日本なのかと疑いたくなるような銃撃戦のなかに、防弾ベストも着ずに立ち向かうなどばかげている。ユウタ刑事が目で訴えるのを、ギンジはため息とともに問いにして返した。


「だからって、ガキどもをほうっておくのか。姫さんはどうする」

「ですが、それでもやっぱ無理ッスよ! ぜったいにオレらが行っても勝ち目ありませんよ! 弾なんかマニュアル通りいちいち空砲撃ってたらすぐに空ッスから!」

「なら、あれを使うか。いまなら拾い放題だぞ」


ギンジの目配せで、そこにテロリストが持っていた銃が転がっているのをユウタ刑事も目にした。しかし彼らには、それらの強力な火器を手にしようという発想は浮かばなかった。


「…それはなんか反則みたいでイヤですね」

「だろう? なら文句垂れてねえで腹ぁ決めろや」

「だからといって、上の階の戦争に飛び込んでいくのはまた次元の違う話だとは思うんスけど…」

「じゃあお前は、悲壮なケツイで危険に立ち向かう相棒を放っておいて、ひとりで安全地帯に隠れてるってんだな」

「そんないい方しなくても! わ、分かりましたよ、行けばいいんでしょ!」

「正義の味方は、やっぱ勇敢じゃなくちゃな」

「こういうのは向こう見ずっていうんですよ! 死んだら化けて出てやるっス!」


ふたりして背中を守りながら、刑事たちは階上へと向かった。






階下で銃声が鳴り響いたとき、新生ルン王国と《焔》の使用人たちは顔色ひとつ変えず、互いの出方を見守るように見つめあった。


「…これは何かの趣向ですかな」

「不正取引しかできないやからに、いつまでも付き合っていられないからね。もうあなたたちに頭を下げて乞い願うのは時間の浪費と判断した」


足を投げ出したまま、淡々と通告するハルミの姿に、陽文は平板な声で、


「この建物は《焔》傘下の日本法人が資本参加しているファンドの所有物です。破壊されると値が下がる。即刻破壊活動をやめていただきたい」

「銃をぶっ放しているのはあなたの部下でしょ? 言いがかりはやめてもらいたいね」


しばらくもせぬうちに階下の銃撃戦の音がずいぶんと接近している。それは刻々と《焔》の勢力が駆逐されている可能性を示している。陽文の背後に立っていた護衛人たちがざわめきだした。


「陛下のお望みはあの姫君の無事な解放であったはずですが。これではとうていそのお望みをかなえて差し上げるわけにはまいりませんね」

「イリヤーを殺そうとでもいうの? いいよ。そのかわりあなたたち自身もその応分の代価を支払うことになると思うけれど」


そもそもこの襲撃に腹を立ててイリヤー姫を殺したりしたら、彼らは決定的な取引の材料を失うことになる。ダイヤモンド鉱山を欲しているのならば、その対価として用意したイリヤー姫を彼らは殺せやしない。

李陽文は、ようやく顔面にはりついていた薄っぺらい笑みを消した。

懐に差し入れられた手が、次の瞬間武器を握っていた。ベレッタM92。


「姫君のお命では代金に足りないようです。ならばそれに陛下ご自身のお命を合わせたらどういたしますか」


陽文の手に現われた拳銃を見て、近しい幼児たちはなんら反応しなかった。

雇い主の意向を汲んだ護衛たちもいっせいに銃を抜き放ち、ぴたりと銃口をハルミたち主従に定めてくる。

大人たちがようやく薄っぺらな笑顔をかなぐり捨てた瞬間だった。


「護身用のを持ってるのは分かっていたけれど、拳銃は外国製を持ってるんだ。てっきりトカレフかと思ってたけれど」

「ずいぶんと余裕がありますね」


そのとき陽文は何のためらいもなく引き金を引いていた。

乾いた銃声。

むろんそれはハルミの体を狙ったものではなかった。わずかに狙いをそらした銃弾は、足元のカーペットに痕を残していた。


「銃の扱いにはあまり慣れていませんが、この距離ではずすとは思わないでいただきたい。小さい体とはいえ、頭とお腹は十分に的になる大きさが…」


陽文の言葉が終わるのをミユウはおとなしく待ってはいなかった。元近衛隊長ティシャ・グランウルは、《風と踊る隼》の異名をとる王国指折りの剣士の一人である。

陽文の目が反応するよりも速く、ミユウの体が突出した。すでにその手には警棒型スタンガンが握られている。銃口が狙いを定めるまでのコンマ数秒あれば十分だった。


「…ッ!」


手首を打たれた陽文が拳銃を取り落としてうずくまるところへ、二撃目が襲いかかる。それをあやうく回避した陽文であったが、足をソファにとられて倒れるように座り込んだ。

意図せず最前の交渉モードに戻った格好だが、事態の険悪さまでは変わろうはずもない。

ミユウが警棒で陽文を追い詰めているその周囲では、護衛人たちがいっせいに拳銃の狙う先を変更した。


「もういいよ、ティシャ」


銃撃に微動だにしなかったハルミが、そこでようやく制止する。


「わが剣たちが、『圏外』をあらかた駆逐した。『領域』は十分に狭まったよ。もうこの小世界は『掌握』したから」

「そう……ですか」


ほんの少しだけ残念そうに、ミユウは警棒のスイッチから指を離し、折りたたんで仕舞った。そうして「御意のままに」とハルミの耳元でささやいた。


「掌握? なにをですか」


手首は折れていなかったのか、ふたたびベレッタを構えた陽文が、狙いをミユウの額に定めた。


「この小娘が」


陽文はミユウを「排除すべき戦闘力」とみなして、躊躇なく引き金を引いた。

距離はわずかに三メートル。たとえそれが子供の投げたボールであっても、その距離で球筋を見極めることは難しかっただろう。

発射と同時に着弾。たった五歳の少女はスイカが破裂するように即死するはずだった。

だが…!


「バカなッ」


陽文は顔色を失ったままおのれの手の内にある拳銃を眺め見た。

そうして、再び引き金を引いてみる。

パンッ!

乾質な発射音と、それが着弾した証左となる壁の銃痕。しかし銃弾自体は、標的である幼女の身体にかすりさえしていない。


「バカな…」


陽文はけっして威嚇のために撃ったわけではない。確実にこの恐るべき幼女を射殺するために引き金を引いたのだ。射撃は得意ではなかったが、この距離ではずすほど下手であるつもりもない。


「きさま、銃を貸せ」


陽文はベレッタを放り投げると、護衛のひとりから拳銃を取り上げた。こちらはR国製のMP446ヴァイキングである。

きっとベレッタの銃身にゆがみが生じて、射線がありうべからざる誤差を生み出したのに違いない。陽文は再びMP446の引き金を引いた。

パンッパンッ!

うっすらと幕を引いた硝煙の向こうで、相変わらずあの幼女がたたずんでいる。しかも彼を小バカにするように、その小さな唇を微笑むようにゆがめている。


「なぜ当らん」


その疑問に答えたのは、テーブルの上のクッキーを整理し終えて、侍従よろしくハルミの傍らに控えていた吉崎クロード(5)だった。


「失礼ですが、あなたが誰をお相手にしているのか、いま少し冷静に思い巡らされたらいかがですか」


混乱しかかっていた陽文の思考が、そこでやや落ち着きを取り戻す。彼がいま相対しているのは、かつてルン王国で死亡したはずの国王である可能性のある子供。

野分ハルミ。

五年前に死んで、いままたここに五歳として存在する非常識な人間。

不死ではない。それはヒマラヤの古き信仰が作り出した『転生』という伝承が体をなしたかのような奇跡の体現である。



(転生者…)



何度も何度も、生と死を繰り返してきたであろう人間。

それはとりもなおさず、この五歳にしか過ぎぬ幼児が、実際には百歳とも千歳とも解釈のできることを意味する。

陽文を育んできた文化的な下地は、それを『神仙』という言葉に還元することで事態を理解可能なものとした。

この子供が、銃弾を捻じ曲げた。

そんなことは不可能だ。超能力と呼ばれるシックスセンスを顕し始めている人間たちを彼は知っている。テレパシー(念話)、クレヤボヤンス(千里眼・透視)、プレコグニション(予知)……世界各国で密かに研究は行われ、《焔》もまた、予知能力の経済効果に非常に興味を持ち、傘下の大学・研究機関に投資を続けている。

しかしこの子供の能力は、そんなレベルなのか?

せいぜいカードがなにか当てる程度。鼻息でも転がるマッチ棒がほんの少し動く程度。

彼が受けている報告では、とうてい投資を続けるべき分野でないことがはっきりしている。

が、『神仙』…!

その言葉がしっくりと彼の胸に落ちた。

足を投げ出したまま、じっと彼を見つめ続けている幼児。

野分ハルミ。

そんなおとぎ話から現われたような仙人に、ただの人間がかなうはずもない。だいたい万物の霊長とかいい気になっているこの人類が、実際は殺人者の持つ銃ひとつでいともたやすく命を奪われる脆弱さを持つことを、彼はよく知っていた。どんな屈強な格闘家であっても、彼の手のなかにあるMP446一丁で制圧することができる。

こいつらは、人間であるレベルをはなから逸脱している!



(《人間》風情が…!)



まさかここまでのレベルに進化した人類が存在しようとは。

陽文は呆然と成り行きを見守っている護衛たちに、幼児たちの射殺を命じた。相手がたとえ年端もない子供であったとしても、世界各地の血まみれの戦場から《焔》が拾い上げた男たちは、何の感慨も抱くことなく命令を遂行する。

護衛たちはいっせいにルン王国の主従に銃弾を浴びせかけた。

六人の護衛が一時に発射しうる数十発が、五歳の子供たちを肉片にするのに十分でないはずはなかった。処刑が行われる間に陽文はソファの裏側に回りこみ、距離をとった。


「あ、ありえん…」


呆然としたような護衛のつぶやき。弾が切れてもなお、引き金を引き続けずにはいられない恐怖。カシィッ、と弾切れを伝える引き金の音。

ゆっくりと、ハルミが立ち上がった。

たったそれだけで、命知らずの護衛たちが浮き足立った。

彼らが臆病なのではない。彼らは決して臆することなくどんな危地にでも立ち向かうことができる。人の手が届く存在が相手であるならば。


「なんだ」


ハルミが拍子抜けしたというふうに言葉を漏らした。

それはおのれに銃弾を浴びせかけてたくせに逃げ腰になりかけている、護衛たちに向けてのものではなかった。


「あなたは、《まれびと》だったのか」


見据えられて、陽文はようやくおのれのようすが変わっていきつつあることに気がついた。

指が節くれだつかわりに長さを持ち、爪が肉食獣のようにするどく伸びた。

肌の色が薄緑色になっていく。体躯の伸張に耐え切れずに、ワイシャツが破れ始めた。


「バッ、バケモノだッ!」


護衛たちが、おのれの守るべき対象からあとじさった。



(この、未開人どもが)



何年も前に施した異生化処理であったが、まだ効果が切れるまでに十年はあるはずだった。この肉体を変化させる処理は、おのれの身に危機的な事態が出来でもせぬ限り、簡単に解けることはない。

これがその、『危機的な事態』ということなのか。

陽文は長い爪で、メガネのずれを戻した。

李陽文という名の生き物は、地球上のあらゆる生物とも違う姿かたちを取り戻していた。



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