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新生ルン王国》御前会議(総参加者三名)は、長い討議の末、迫りくる王国の《危機》に部外者を巻き込まぬ人道的見地から、『仮宮』造営を決定した。
その際、《新生ルン王国》のこの国でのありようを、《法人格》を取得することで再定義し、国体を『株式会社GEKKO』、王国憲法を『社則』とし、首長であるエナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクを代表取締役社長とした。
競馬場でのやり方に味を占めた彼は、諸手続きで加積家の運転手をとことん便利使いした!
「…それでは登記が完了いたしましたら、ご連絡差し上げます。登記完了の確認用に、官報はご入用ですか?」
「いや、登記簿謄本さえいただければ、それで」
司法書士事務所を出てきた加積家の運転手は、汗を拭き拭き車に戻った。
「無事、会社設立手続き完了いたしました」
「ご苦労さま」
主人の慰労の言葉にほっと表情を崩して、運転手は今回用意した会社代表印と角印をハルミに手渡そうとした。
「まだ続きがあるんだから、そのまま持っててちょうだい」
「は、かしこまりました」
ミユウの《調教》は順調に進んでいるようである。どんどんと従順化していくこの五十路の男の未来を予感して、ハルミは心の中で黙祷した。
次に向かったのは、町の不動産屋だった。レナのところを使わなかったのは、むろん彼女の家族に累が及ばぬようにするためである。
どのような物件をお探しでと聞かれて、散々にわがままを並べ立てたのだが、そういう物件は意外にも探せば見つかるものである。
「お客様にピッタリの物件がございます!」
揉み手する業者はその物件を積極的に売り込んだ!
月の家賃十万円。敷金・礼金なし。
面積は、割合に広い一三二㎡。
多少荒事で壊されても惜しくもなさそうな風格(笑)は、築年数四六年の賜物。
堅牢な鉄筋コンクリート七階建て。もちろん冷暖房完備。そのほか光通信回線設置済。非常階段あり。
マナミが「うわ~、ボロ」と嘆声をあげたその外観は、まさに都心の廃墟! といった体である。
鉄道、地下鉄、路線バスその他もろもろの交通アクセスが微妙に悪く、しかも裏通りに面した古いビルである。
エレベーターは稼動していたが、壁や天井は薄汚れ、ボタンを押してもなかなか利かない階もある。トイレはむろん和式。しかも天井近くにタンクみたいのがある旧式タイプ。
「…本当にここにされるのですか?」
「ここなら突然襲撃されても、周囲に迷惑がかからないんじゃないかな。なにより、ぼくたち以外誰も入っていない廃ビル、ってのがいい」
ハルミのOKサインに運転手は小さくうなずいて、契約書にサインした。
「これで《仮宮》の準備が整った。次はテレビ局だ」
手元資金の充実が、《新生ルン王国》の国策を加速させる。
いまだ王国の復活を知らぬ臣民たちに、五色の風旗を流して見せねばならない。
「ちょうどルンの内戦を取り上げた報道特集を予定している局がある。ここのスポンサーに食い込んで、前後に集中してCMを流す。多くの臣民は、意識・無意識の別なくして、この番組に興味を持つはずだから」
「…そのCMが、返って《彼ら》を呼び寄せることにはなりませんか?」
「《彼ら》はわが《王室の秘儀》について、知らされてはいても半信半疑だと思う。嗅ぎ付けられてもしばらくはのらりくらりやり過ごせるよ、きっと」
「最近はテレビ離れが進んでCM料金も下がり気味です。全国一斉に流すとしても、予算枠は三千万円以内でお願いいたします。パパの会社なら、どうとでも融通できたんですけれど」
「予算の件に関しては、運転手さんに言ったほうがいいと思うけどね」
ミユウのまなざしが向かっただけで、運転手は直立不動の姿勢になった!
「は、はい! お任せください!」
返事をした運転手の顔は、まるで参観日の授業中に全力で手を上げる子供のように輝いて見えた。
*****
ひとは、二十歳を過ぎると時間の流れが速くなるという。
それは一日の暮らしがめまぐるしくて、あっという間に日が暮れてしまうためにそのように感じるのであろうが、五歳児にしてその境地へと至ったルン王国の三人は、自分のごく親しい周囲に、悠久の時間をすごす幼児たちがいることを失念しがちであった。
「むうう」
八神レナは、その日一日ずっとむくれたままだった。
最近、あたし、のけ者にされてない?
レナがそのような被害者意識にとらわれるようになったいわれはたしかにある。休み時間のたびに鳩首会議を行うハルミ・ミユウ・マナミの話に首を突っ込もうとして、そのレベルの高さにレナはめまいを覚えた!
ぶんむくれたままその日も終わり、
「ハルく~ん…」スキンシップを試みるレナ。
「あっ、ごめんね。今日オシゴトなんだ」
ジャリタレとして最近注目され始めているらしいハルミは、幼稚園が終わるやすぐさま迎えの車が来るようになった。息子が芸能界で成功するかもしれないと目を輝かせたリツコが、率先して送迎の任を買って出たのだ。
車で走り去る野分家母子が、だんだんと遠い存在になっていくような思いにとらわれて、レナは服を脱がそうとする北風に負けまいと心のコートを引き寄せた。
「あいつら、さいきん変だよな…」
レナの隣でぼやいたのは、リョウジである。彼が見ているのは、同じように迎えに来たミユウの車に、マナミもいっしょに乗り込もうとしているようすである。対ミユウで共同戦線を張っていた先日とは打って変わり、いまでは『マブダチ』のような仲のよさである。
さては、知らぬうちにハルくんのアパートでイベント発生して、秘密のフラグが立ったのかも…。
乙女の勘が、一球入魂の剛速球でストライクど真ん中に吸い込まれたのだが、悲しいかな彼女にそれを確かめるすべはなかった。
「あいつら最近、商店街でいろいろと買い物してるらしいぜ。父ちゃんが見かけたんだ」
「あたしのパパも見たって言うの。冷蔵庫とか戸棚とか、変なものたくさん買ってるみたいなの」
「あいつら、ゼッテーにヘンだよな」
「…あたし、見てくる」
「オレもいく!」
幼児ふたりのまなざしが交錯した。
そこに無線LANのごとく意思情報が疎通したのかどうかは定かではなかったが、ふたりのココロの捜査本部に『踊るハレノキ商店街大捜査線』のたて看板が打ち立てられた!
幼児単独の行動半径などはたかが知れているが、ハレノキ商店街は十分にその範囲内に含まれていた!
「なんだ、リョウちゃん、鬼ゴッコか?」
「レナちゃん、これ揚げすぎちゃったんだけど、食べてくかい?」
もともとこの商店街は、ふたりにとって『産湯に浸かった』街である。庭にも等しい小さな商店街を駆け回って、ミユウとマナミの乗った黒い高級車を見つけるのにそれほど苦労は要しなかった。
「なに買ってんだ、あいつら」
リョウジが戸惑ったのも無理はない。
そこは彼の家、《諏訪マート》に他ならなかったのだ。
待つほどのこともなく、張り込みするふたりの前に、買い物袋をいくつも抱えたミユウとマナミが姿を現した。抱えたそれらは、遠目にみて普通のお菓子や日用品、それに缶詰など食料のようだった。その後ろからは、そんなに持たせるなよとツッコミたくなるほど大量の買い物を抱えた運転手がよたよたと出てくる。そいつらを一切合財車のトランクに放り込むと、車は再び走り出した。
「あれじゃ、追いつけねえよ!」
車の追跡を徒歩で行うなど不可能である。リョウジは店に入ってマナミたちの購入品目を洗い出すことを提案したが、レナにはどうしても早急にあのふたりの行き先を知らなければならないという強い意志が生まれていた!
「レナだってお買い物したかったのに…!」
きっとあのふたりはとっても面白い遊びをやってるんだ。強いて言えば、リアルオママゴト。旦那さま(ハルミ)の帰りを待って、秘密基地でお料理とかしたりなんかして。
「うおっ! ヒミツ基地か!」
『基地』という単語に、リョウジの情熱のマグマが噴き上がった!
「「すぐにみつけなくっちゃ!」」
しかしどうやって見つければいいのかとリョウジが頭をひねるなか、レナはおませな知識を総動員して突破口を発見した!
「レナにいいカンガエがあるわ!」
ふたりはその突破口をもとに、走査線を急速に狭めることに成功した!
「マナちゃんとはぐれちゃったの? まあまあ」
二人が急遽向かったのは、マナミの家である。
マナミ母藤倉サヤコは、そのエプロンポケットから未来の寸胴ロボットよろしく便利アイテムを取り出した!
「GPS追跡機能付ケータイ『探しちゃうゾウ』!」
マナミの園児かばんには、ゾウさんキーホルダー型ICチップが内蔵されていたのだ!
「まあまあ、マナちゃん隣町にいるのね…」
赤ん坊の寝物語から不動産屋の英才教育を施されてきたレナにとって、地図を記憶することなど造作もないことであった。彼女のなかには、すでに半径二キロの住宅地図がインストール済みであった!
ふたりは追跡の成功を確信し、ハイタッチした。
ホシは追い詰められた!
「なんだ、探偵さんゴッコでもしてるのか」
ドラッグストアの軒先で品定めするふりをしていたふたりの刑事、藪沢ギンジとその相棒七瀬ユウタ(28)は、走り去った加積家の車を見送った幼児ふたりが、そば屋の看板の影から出るなりあたふたと駆けて行くさまを目撃した。
「いくぞ、ユウ」
「えっ? あっちの車は追わなくていいんスか。あのガキんちょどもは遊んでるだけなんじゃ…」
「このヤマはどうしてだかガキの姿をよく見る。なんか臭うじゃねえか」
「そんな暇があったら、はやく例のお姫様を保護して、仕事を終わらせちまいましょうよ! もう潜伏場所も分かってるんですから」
「ばかか、おまえは!」
『お姫さま』保護をその任務とする彼らにとって、ユウタ刑事の論はまさに『正論』であったが、ギンジはそれを鼻息で吹き飛ばした!
「それでおまえは、どうやってE国大使館にもぐりこんじまったお姫さまを『保護』差し上げようってんだ? バカもやすみやすみ言え」
「だからそれは! ギンさんが簡単に押さえられるって、自由に泳がせすぎたんですよ! まさかあんな暴走機関車みたいなSP連れてるなんて聞いちゃいなかったし!」
「取り逃がすほうが悪い。お前を信じたオレがバカだった」
「あ~ッ! 責任ぜんぶ擦り付けるつもりですか!」
見張る例のアパートを出てきたお姫さまを確認し、尾行を開始したふたりであったが、すぐに気付かれて逃走を許してしまったのだ。慌てて付近の同僚たちと協調して逃げ道を塞いだユウタ刑事は、異国の美しいVIP相手でもあり穏便にご同行願い出たのだが、そこで予想外の反撃を食らってしまった!
肩幅が倍もありそうながっちりしたユウタ刑事ににっこりと微笑んだそのすぐ後に、下げていたバッグを顔面に叩きつけて、脱兎のごとく逃走したのだ。あわてて追跡した刑事たちであったが、その行く手をさえぎったのはどこに潜んでいたのかお姫様を護衛する屈強なSPたちであった…。
「ともかく、はやくこのことを上に報告してしまいましょうよ。もう自分らにできることはないですよ! 課長の小言のひとつやふたつ我慢して…」
「やだね」
ギンジは口元をひん曲げて、上着のポケットに手を突っ込んだ。
「んなことしたら、この捜査自体が終わっちまうだろ。…まだヤマはまったく解明できてないってのによ」
ひん曲がったシケモクを取り出して、口にくわえる。ギンジのポケットの中は、いまはシケモク倉庫と化している。それもこれも、タバコ税を上げまくる政治家のせいである。
「このヤマは、きっとオレらレベルには知れねえようなでっけえ秘密があるぞ。『黒い霧』なんざ目じゃねえくらいのでっげえヤマだ!」
「そんなこといってもですね…」
「おっ、見失っちまう!」
ギンジは吸っていたタバコを吐き捨てて、靴でニジリ消しているところをドラッグストアの店員に見つかった!
「ああ、わるいわるい」
吸殻を摘み上げてから、ユウタ刑事に押し付ける。
「なんでぼくが!」
「ほら、いくぞ」
ふたりの刑事は、尾行を開始した。
むろん幼児ふたりは、尾行のプロにつけられていることを、毛ほども気付いてはいなかった。
着々と進む《仮宮》造営。
胎動を始めた《株式会社GEKKO》。
代表取締役エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクは、会社の一階フロアに『受付嬢』を置くかどうかに少しだけ頭を悩ませていた!




