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「いや〜、あんなにも注目されたのは生まれて初めてなんじゃないでしょうか」


超高額当選金! 夢の馬券長者現る! 的に、競馬場でばしばしと景気よくシャッターを切られていた加積家の運転手(52)は、運転席でひとり舞い上がりっぱなしであった! 

おウマさんデータベースの整理にいそしんでいたミユウが、他人事のようにぼそりといった。


「ああ、言うの忘れてたけど」

「はい、なんでございましょう」

「あなたそういえば、報道関係者に写真取られてたわよね?」


今後の計画について沈思していたハルミが、腕組みを解いた。

もう我が家のすぐそばである。適当なところで降ろしてもらわないと、マナミに見つかりでもしたら面倒である。「そろそろ停めて」と言葉が出かかったとき、運転手の悲鳴が車内にこだました。


「しょ、所得税、でございますか?」

「あの馬券、あなたが取ったことになってるから、たとえばニュースにでもなったら税務署がほっとかないと思うけれど、そのときはよろしく」

「そんな! わたしはただお嬢さまのご指示で…」

「当選金の一億三〇一一万二〇〇〇円は一時所得扱いね。所得税の概算は、六四六万二八〇〇円」(一億三〇一一万二〇〇〇円 − 所要金額(八五万六〇〇〇円) ÷ 2 × 0.1 = 六四六万二八〇〇円)

「ひぃーーーッ」


またいじめてるよ。

近衛隊長時代も、国軍の一般兵士たちを必要以上にいじめ倒していたものである。本人いわく、「犬のように従順」にしたほうがなにかと使いやすくなるということらしい。


「もしも請求がきたら、ぼくが責任持ってお支払いしますから…」


ハルミのとりなしに、運転手は救いの神を見つけた新興宗教の信者のように、涙ながらに取りすがった!

うわ、ちょっとハンドル放さないでよ!

そんなこんなで車を停めてもらうタイミングを逸して、アパートの下までやってきてしまう。

運転手があわててドアを開けようとする前に、ハルミは外に出た。


「それじゃ、また明日」


軽く手をふってアパートの階段を上り始めたハルミであったが、なかほどでふと足を止める。アパートの周りの路地を見回してから、まわりの建物の窓を順に見ていく。

そうして、ハルミの視線がすっと路地の奥まった場所に向けられた。


「お気づきになりましたか」

「何でついてくるの」


彼のすぐ後ろには、ミユウが当然のように立っていた。


「いちおうお母上には挨拶しておかなければと思いまして……それよりも、あの男は?」

「さあ」


ハルミには知るすべもない。彼の視線を感じたのか、相手は物陰に姿を潜めてしまっている。


「この感じは、プロですね」

「警察かもしれない」


ハルミが思わずポケットの通帳に手を添えたのは、競馬で増やした資金がこの国の法的に『違法』であったのではと不安を感じたからだ。それをミユウがあっさりと否定する。


「警察だとしても、その資金は大丈夫です。それはうちの召使いがハルさまに『融通』したものですから」

「何か嫌な予感がする」


ハルミはそれから何気なく歩き出した。

歩きながら、再び顔をのぞかせた不審人物にちらと目をやる。


「わたくしがいって締め上げましょうか?」

「いや、この国の公権にむやみにはむかうのはよくないと思う。とりあえずほっとくしかないよ」


ハルミは我が家のドアを開けて、気もそぞろに中へと入った。

「ただい…」


「オ、オカエリナサイ、マセ…」


嫌な予感は的中した!

玄関に三つ指突いてお辞儀していたのは、遠い異国のお姫さまだった!






「勘の鋭いガキだな…」


電柱の影に身を潜めながら、左手は上着のポケットを無意識にまさぐっている。禁煙を始めたのは三日前だが、挫折するのはそれほど遠くなさそうである。


「ギンさん、いちおう全員配置につきましたけど、この人数じゃ……所轄署にも連絡して、人員を引っ張ったらどうですか?」

「ばかか、おまえは。下手に情報が広がると、公安が割り込んできて何もかも掻っ攫われるぞ。あんな上品な姫さんひとり、オレたちでどうとでも確保できらぁ」

「そ、それはそうですけど…」


今回は公安の上には外務省が、下手をすれば官邸さえも動いているかもしれない。そんな状態で公安にこの情報が漏れれば、虎の衣を借りて強引に割り込まれるだろう。こんな国家レベルの大きなヤマに、定年までの短い間に再びありつけるかどうかなど知れたものではない。ギンジは意地でもこのヤマをおのれの記念碑とする覚悟であった。


「あの子供は、野分ハルミ(5)です。両親は離婚、いまは母子家庭としてあのアパートに住んでいます。一緒にいたのは、ひまわりテレビ社主の加積レイイチ氏(37)の一人娘、加積ミユウ(5)と思われます。…ちくしょう、いい車乗ってやがんなぁ」

「なあ、どうしてお姫さまが、あんなボロアパートに隠れたんだと思う?」


とうとう禁煙の封印を解いて、くたびれたタバコに火をつける。ギンジは最初の一口を思い切り深く吸った。

ぶはっと白煙を撒き散らして、


「あの姫さまは、『国家財政の破綻』を何とかしようとしてこの国に来たんだろう? 連絡があり次第会見を行う予定だった官邸は肩透かしを食らって右往左往だ」

「ギンさん…」

「あそこには、わが国のODAよりも多額の資金が眠ってるっていうのか」

「それは……ありえませんよ、絶対! たぶん何か別の事情で、何者かから脅迫まがいに呼び出されたとか」

「あの姫さんは、誓ってもいいが喜び勇んであのアパートに入っていったぞ」


タバコは吸い出したら止まらない。すぱすぱと瞬く間に一本を灰にして、次に手を伸ばす。


「…あのアパートから、なにかカネの臭いがしねえか」



*****



「で、どういうつもりなんですか」

「どういうつもりも何も」


部屋に入るなり、イリヤー姫とミユウとの間で激しい問答が始まった。本来ならハルミこそが難詰したい気分であったのだが、姫が自由に操れるのは英語とルン語の二つしかない。彼が急にルン語を流暢に話し出したら、さしもの鈍感リツコでも、おおいに不審に思うだろう。ここはミユウに任すしかなかった。


「すごい、ミューちゃん。外国語話してる」


ぽけっと座り込んでいるリツコの横に、マナミがちんまりと正座している。なんでも押しかけ妻が現われたと聞きつけ、未来の旦那さまの『浮気』をこちらも難詰しに乗り込んできたのだという。その相手があの異国のお姫さまだったために、圧倒されて何も言えずにいたらしい。


「陛下を国許に連れて帰るのがわたくしの務めです。一緒に帰っていただくまでは、ここでこうして起居をともにして…」

「主上はお帰りになりません。いい加減おあきらめなさい」

「いいえ、いいえ! あきらめるなど決していたしません」

「もはや主上はルン王族の血族でさえありません! それを」

「つながっていないのならば、つなげてしまえばよいのです! そのぐらいの覚悟はいたしております!」

「えっ…?」


ハルミが幻聴でも耳にしたように瞬きした。

絶句したミユウも、眼を見開いている。


「わたくしと結婚していただければ、王座もお譲りできます。そして子をなせば、それは紛れもないルン王の血脈を継ぐ御子となりましょう」


そうきたか。

がっくりとうなだれるハルミを見て、そういうところだけは野生動物並みの直感力を発揮するマナミが、異国の姫を真正の恋敵であると認識した。


「マナミは…!」


かあっと血が駆け巡るように全身が熱くなったマナミは、電流に打たれたように口をつぐんだ。その瞬間、彼女は姫君の呟きが聞き取れたような錯覚に見舞われた。


「誰なんですか、この女童は」


婿取り宣言をやってしまったイリヤー姫は、気分が高揚するままに問いを発した。ハルミのまわりにいる女たちが、すべて恋の鞘当のライバルではないかとの疑念を持ったからだろう。

そうして、その姫の言葉を、マナミはまるで日常の言葉を聴くようにすんなりと理解してしまった。


「あたしは……藤倉マナミ!」


いきなり現われた部外者から、阻害されるようないわれはさらさらなかった。だけれど相手は大人で、きれいで、おとぎ話のなかにいるお姫さまそのものだった。

悔しさと、焦り。

心臓が激しく脈打ち、じっと座っていられなくなる。

負けられない。自分だって、ハルミのことを好きで好きでたまらないのに。わたしはきっと、ずっとまえからハルミとは強いつながりを持っていて…。

つながり…?

疑問に思う間もなかった。


「今生の陛下の…」


マナミの口から、ルン語があふれ出した。


「その……イ、イイナズケなんだから!」


言ってしまってから。

マナミの中に、途方もない記憶が洪水のようにあふれ出した。

立ち上がりかけて、またひざを突いて座り込む。


「わたしは……侍女のニヤ・ファルム…」


かくかくと震えだして、倒れ掛かったところをハルミに抱きとめられる。潤んだ瞳が、おのれの主人を見出して、安心したように閉じられた。


「おかえり、ニヤ」


頭をなでると、マナミの体から力が抜けた。

気を失ったというよりも、眠りについたらしかった。

突然の幕間劇に、イリヤー姫は度肝を抜かれたように立ちすくんだ。


「転生…」


同じ『知識』でも、学習として得ただけのそれと、体感を通して理解したそれは、本質的に違うものである。まさに『王室の秘儀』を目の当たりにしたイリヤー姫は、父祖から伝えられた口伝をそのとき真に理解した。


「…その方は、いままさに『転生』されたのですか?」

「正確には、いま《目が覚めた》というところだけれどね」


ようやく自失から立ち返ったリツコが、おのれの部屋で気を失った大家の娘をわが子から受け取った。不安そうにその後の手当ての仕方を目で聞いてくる母上に、ハルミは「寝ているだけ」だからと、階下の大家宅に抱いて連れて行くことを提案する。リツコはうなずいてから、あたふたと部屋を出て行った。


「あっ、そういえば外にやつらがいたっけ…」

「もうすでにこの姫君のせいで疑われてますから、多少はもうどうということもないでしょう。…それよりも、母君がおられないほうが、何かと話しやすいはずですが」


促されて、ハルミはイリヤー姫を仰ぎ見た。

イリヤー姫ははっとして、見下ろす不敬を正して膝をついた。


「こんな感じに、ぼくの『ルン王国』は、ここで目覚めようとしている。このぼくについてきてくれた臣民を、放り出していくわけには行かないよ」

「この国で、新しい『ルン王国』が…」

「ぼくは王座を逐われた愚王だよ。いまさら戻ったところで、なにをすればいい? たとえばぼくが秘密のダイヤ鉱山を隠しているとして、それをみすみす外国の夜盗どもにくれてやればいいと思ってるの? それは王国に何のメリットもないし、ばかげてる」

「それは交渉の仕方しだいだと思います。第三国を介在させてうまく交渉すれば…」

「王宮内の安全すら確保できない敵の手中にこんな非力な子供が飛び込んでいって、なにをやれというの? 銃口を突きつけられたら、すべてそこで終わりだよ」

「それは…」


言いよどむイリヤー姫に、ミユウがつけつけと厳しい言葉を投げつけた。


「この女は、父親の安全のことしか考えておりません。戻ったが最後、主上を身代わりにして、父娘ともども国外に逃げ出すに決まっています」

「そっ、そんなことは!」

「けっしてない、とは言い切れないはずです。《彼ら》が、必要なのは主上だけと判断すれば、あなたの思惑などまるで関係なくそのようになるでしょう。…もっとも、そのときはあなた方も生きて国外に出られるとは限りませんが」

「………」

「それよりも」


ミユウはイリヤー姫を冷ややかに見つめながら、取り上げたリモコンで、テレビのスイッチを入れた。

画面が映ったところで、手早くチャンネルを変えていく。

そうしてわりと早い時間から夕方のニュースを流し始めている番組を見つけると、リモコンで自分の頬をぺちぺちと叩いた。


「『…日未明から行方不明となっているルン王国第一王女、イリヤー姫の捜索のため、今日午後三時ごろ、捜査員を乗せたルン王国の特別機が空港に到着いたしました。わが国でも警察官三千人を投入して捜索に当っていますが、国際テロ組織の拉致誘拐の可能性もあり、国際問題に発展する恐れも出ています。それでは空港から特派員の…』」


プツッ。スイッチを切る。


「あなたは無用な危険をこの家に持ち込んでいることを自覚すべきです」

「………」

「ちなみに『ルン王国の特別機』は、C国南海航空のチャーター便です。《焔家》資本の航空会社が、いったいどんな《捜査員》を乗せてくるのか、興味深いところだと思いませんか?」

「《焔家》が…」


ぶるっと身を振るわせたイリヤー姫は、すがるようなまなざしをハルミに向けた。しかし救いの手が差し伸べられることはないと察すると、唇を噛み締め「分かりました」と言った。


「でも、あきらめたわけではありません」


イリヤー姫は言葉を切った。


「ここはいったん身を引きます」


イリヤー姫は、泣き笑いのような笑顔を浮かべて、深々と額づいた。しばらく顔も上げずに震えていたが、ややして毅然と背筋を伸ばすと、立ち上がった。


「それでは、またいつか」


ぎゅっと、ハルミを抱きしめる。身長差のために、その抱擁はほとんど抱き上げるようになった。

このような年端もない子供に、真剣に求婚したおのれをおかしく思ったのか。最後に彼女は忍び笑いした。


「それでは、わが背の君」


そっと言い置いて、イリヤー姫は野分家を辞去した。






風雲急を告げる《新生ルン王国》。

またひとり新たな臣民を迎えたとはいえ、いまだ幼児三人だけの非力な王国でしかなかった!

エナ・ティラカ・サラシュバティ・ウルリクは、その日大きな決断を下した。



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