『小説家になろう』への敗北宣言
こんにちは、鳴海酒です。初めての人はこんにちは。そうでない人もこんにちは。
先日、とある短編小説を一つ完結させたんですよ。スローペースではありますが、頑張りました。ほめて。
タイトルは『新緑とミスゲシュタルト』。
大分と福岡が舞台の、大学生たちの青春物語のつもりです。めちゃ面白いぜ。このエッセイを読んで興味がわいたらぜひどうぞ。
まあそれはどうでもいいんですが、今回は書きながら思ったことが色々あるので、語っていきますね。
■敗北① 私に「いわゆるなろう系」は書けない
今回一番に痛感したのはこれですね。
実は私も過去に転生モノ・VRモノの長編をいくつか書いているんですが、冷静に考えてみると「いわゆるなろう系」とは少し違います。
まあ、なろう系と言っても要素がいくつかありますよね。
ファンタジー的世界観、剣や魔法の世界ってやつは大好きですよ。SF、VRゲーム要素も。
時代考証なんかの甘さについては「ナーロッパ」なんて揶揄されることもありますけど、これを言い出したらもうスレイヤーズやオーフェンなんかから始まる話だと思うし、よほど不自然なことが無い限りは気にしてません。
私が苦手な要素っていうのは、主人公に都合が良すぎる展開・舞台が揃っている世界観です。
思えば今まで私が好んで触れてきた小説や漫画の多くは、周りの環境がまずあって、その中で登場人物たちが四苦八苦するといったものでした。
もちろん大抵のお話に主人公補正やご都合主義はあると思います。
パッと思いついたのは、『うしおととら』と『鬼滅の刃』かな。人間の力をはるかに超えたラスボスに立ち向かうときに、どこまで奇跡の力や小さな可能性を通していくかって、本当に作者さんの匙加減の難しいところですよね。
それでも、世界の物理法則は敵にも味方にも同じように適用される。
世界のシステムは双方に平等だし、味方が使える能力は、相手も同じもの若しくはそれに代わるものを持っている。
鬼滅の呼吸とかジョジョの波紋、進撃の立体起動装置なんかは、相手の特殊能力がまずあって、それに対抗するために味方サイドが作り上げた感じですね。
対して、小説家になろう内で目にした作品の多くは、まず「主人公が活躍すること」を一番に置いているように感じました。
世界設定よりもストーリー展開を第一に置き、それに合わせて世界観が設定されていました。
当然主人公が苦戦する展開もあるのですが、苦戦の内容は軽く、ページ数もあまり割かれません。
鮮やかな逆転劇をメインで描写したいがために、端折られているようです。
これについて、私はけっこう衝撃を受けました。
私は元々、他人への共感性が低いタイプなので、小説の主人公に感情移入して読むことはあまりありません。胸糞展開とか後味悪い展開とかでも、「悲しいけどまあしゃーない」って感じだったんですよね。
なので、主人公が活躍する姿を自分に重ねてスカッとするというタイプの楽しみ方をする人が結構多いというのは、目からウロボロスだったのです。
が、しかし! これが、現実的なことばかり考えてしまう私には、とても苦手な部分なのです。
例えばドラゴン一つ(一匹?)考えるにしても、
・単体で森を焼け野原にするような生物って、自分の生息域までダメにして、勝手に亡ばないか?
・そもそも単一の生物だけそこまでとびぬけた進化をするなんて、どういう状況ならそうなるんだ?
などなどムダに考えすぎちゃって、気軽にドラゴン一つ書けないのですよ。
当然主人公だけとびぬけた力を持つなんて、ムリムリです。何で主人公だけ特別なのさ?からの、つじつま合わせで頭がパンクしてしまいます。
例えば先の『新緑の~』にはマリさんというちょっと特殊な立ち位置の登場人物が存在するのですが、この設定ですらかなり悩みました。
・マリは幽霊にしようかな。いや待てよ、現実の福岡が舞台なのに、幽霊を当然のように出すと混乱するよな。
・創作なんだから、いることにしてもいいか。でもマリがいるなら他の幽霊もいるかもしれないと、読者が身構えないかな?
とまあ、幽霊一つ出すにも脳内で大議論です。
いっそのこと「これはこういうものだ!」と言い切っちゃえる性格ならよかったのでしょうけど、私には無理でした。
■敗北② 「なろうテンプレ展開」から外れると、めちゃくちゃ受けが悪い
さてさて、昨年私は『賢者、二度目の転生(以下略)』というファンタジー物も完結させているんですが、今度はそのお話です。
「胸が大きいほうが魔力が大きい」という酔っ払いが考えたような設定の異世界で、主人公たちが酒を飲みながらダンジョンで無双したりするお話です。もちろん冒険者ギルドで依頼もこなします。
頑張って「いわゆるなろう系」を書いてみたんですが、なかなか受けが良くて、ぶち嬉しかったです。えへへ。
おもしろいよ、未読の人はぜひ読んでみて!
と、そんな物語ですが、第9章84話以降でサイバーパンク編に入ります。
そこまでの雰囲気とガラッと文体まで変えたお話が展開されるのですが、これがまあひどく評判が悪かった。
小説家になろうだと、各話ごとのPVがKasasagiさんで確認できますよね。
実はアルファポリスさんでも同じ話を掲載してるんですが、向こうは読者さんがどこまで読んだかを”しおり”で確認できるんですよ。
で、どちらも面白いくらいに84話前後でのPVに差が出てしまいました。
具体的な数字で言うと、以降読み進めてくれた方は、全体のたった3~4%ほどですね。
読者減少は予想していたのですが、ここまで顕著に読者が減るものかと、とても興味深かったです。
読者からすると、そこまで期待していたファンタジーものから急に予定外の方向転換をされたわけですから、読むのをやめてしまうのも仕方ないことでしょう。
ですが、ここまで80話以上も読んできたお話をいきなり打ち切るわけです。これは相当なものなんだなと、びっくりしました。
これについては敗北は敗北ですが、とても面白い実験ができたことにわりと満足しています。とはいえ、読むの途中でやめちゃった人たち、ごめんね。
■敗北③ AIの台頭
これを敗北にカウントしていいものかどうかわかりませんが。
少し前にカクヨムさんで、AI小説の大量投稿という事件がありました。細かい話は書きませんが、その時から私のAIに関する意識が少し変わりましたね。
今の私がAIについて一番厄介に思っている点は、低コストで大量に作品が生成できるところです。これは小説に限らず、音楽や絵についても同様です。
そして何より、それによってアマチュア創作者の(まさに私たちですよ!)作品発表の場が奪われることですね。
AIの学習や生成物そのものに関しては、そこまで気にしていません。気にしていませんというか、気にしてもしょうがないという、諦めと割り切りといったほうが正しいでしょうね。
結局はAIが何をするか(できるか)という部分よりも、AIを使った人間が何をするかのほうが問題だよねって感じでしょうか。
ついでに、創作物についてのあくまでも個人的な意見なのですが。
私は、AIで作られた作品は、人間の意思による創造物と別ジャンルのものだという考えです。
AIの創作物は、多数の見本の中から人気があると判断されたものを組み合わせて出力しているに過ぎません。そこに意図や意思は介在しません。加えて、芸術は作るという行為そのものが大切です。
これは出来上がったものの完成度とか独創性などは関係ありません。例えばフルメタルパニックに出てくるAI、アルが作った曲なら、創作物でしょうね。
ただし、「観測して区別ができないなら、その二つは同じものとして扱う」という考え方もあるので、なかなか区別って難しいですよね。
あくまでも私の勝手な意見だと思ってください。
■これからは、書きやすい小説を書いていこう
さてさて、以上を踏まえてなのですが。
じゃこれからなろう系小説書かないの? と聞かれたら、たぶん書き続けると思います。
自分の苦手なこと、できることできないことが昔よりわかってきたので、自分の書ける範囲でのお話を書いていこうかなということですね。
こうやって言葉にして残しておくって大切だと思います。「いいもの」が理解できないなら、「いいもの」は書けません。どこがいいのか、逆にどこが苦手なのか、しっかり形にして残しておきたくて。
色々チャレンジした結果わかったことなので、やったこと自体はすごく良かったと思います。
こういうのって個人の差が激しいですからね、私の意見なんかどこまであなたに役に立つかわかりません。ただ、向いている方向が一緒なら、一緒に頑張っていきましょう。
私にとって、まさにその一歩目が『新緑とミスゲシュタルト』なので。
■音楽とのかかわり方
最後に。
ここまでもずいぶん個人的な話が多かったんですが、さらに超個人的な話です。
でもまあ、せっかくここまで読んでくれたんだし、良かったら聞いてって。
実は私、音楽大好きなんですよ。
特に好きなのはロック、特にプログレ。
でも聞くのは大好きなんですが、演奏はからっきし。リズム感なんてどこかに置き忘れてきました。
そんな私ですが、音楽は小説でも表現できるということを知りました。
音楽も小説も、自分が思っていたよりもずっと自由な世界がありました。
それを知れたのが、今のところ、小説を書き始めて一番の収穫かな。
私の小説を読んだことがある人はご存じでしょうけど、そのほとんどが音楽ありき(ほとんどロックですが)のお話です。
章やサブタイトルに曲名を使ったり、アルバムを聞いて連想した話を小説にしたり。
そうやって演奏ができなくても、自分のできる分野で音楽を表現できることがあるんだなーと、ちょっと驚きました。
(囲碁の対局で音楽を表現しよう!っていうのはさすがに無理かなとも思うんですが)
芸術分野って枠が広いんですが、その枠は自分の能力や認識で決まっていくんですよね。小説、音楽、絵画、彫刻などなど色々ありますが、ジャンル間の壁を作るのは自分自身なんだなーってことです。
自分の手の届く範囲に枠がある。枠を広げたいなら、自分で手を伸ばさなきゃいけない。
一番手っ取り早いのは、違う世界に興味もつことですよね。知らなかった分野の知識が入ることで、世界が広がっていくのは楽しいものです。
ということで、色々ぐだぐだ書いていきましたが、これからも書き続けるのでよろしくね。
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
共感してくれたあなた、よかったら感想でもポイントでも、何か足跡残していってください。
一緒に創作活動がんばりましょ。




