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1999年の少年たち〜とある大罪人の記録〜  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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矢口の災難

「ちょっと待ってくれよ。あんた、何がしたいんだ?」


 矢口亘(ヤグチ ワタル)は、顔を引きつらせながら尋ねる。顔面は蒼白で、足は震えていた。 


 ・・・


 この矢口という男は、広域指定暴力団『銀星会』の構成員である。かつては、渋谷にて薬物の売買を仕切っていた大物だ。渋谷近辺で裏の商売をする人間は、矢口に挨拶するのが通過儀礼になっていた、とまで言われていた。

 しかし、今は見る影もなく落ちぶれている。酒井が通り魔事件を起こした一年後、矢口も傷害致死で逮捕された。路上でチンピラと肩が触れた触れないで言い合いとなり、相手を殴ったところ頭を打ち死んでしまったのだ。

 結果、十年の刑を言い渡される。二年ほど前、ようやく刑務所を出られたが、組でもお荷物扱いである。今時のヤクザは、刑務所に入ったからと言って(はく)がついたりはしない。むしろ、捕まることなく上手く商売を続けていくことの方が大事なのだ。

 ましてや、矢口の場合は仕事で逮捕されたわけではない。路上でのつまらない喧嘩で相手を殺してしまい、十年も刑務所に入っていた……こんなものは、何の自慢にもならない。

 今の矢口は、大麻や覚醒剤といった違法薬物の配達などをさせられている。本来なら、組に入ったばかりの若者がやらされる仕事だ。


 今日も矢口は、顧客に覚醒剤を届けることになっていた。待ちあわせの時間は午後十一時であり、彼は受け渡し場所へと歩いていく。

 そこは、閑静な住宅地の中にある公園だった。面積はかなり広く、中央には大きな池がある。昼間は親子連れで賑わっているが、夜になると人はほとんどいない状態だ。たまに、池の周囲をジョギングしている者や犬を散歩させる者がいるくらいである。

 矢口は公園に入っていき、辺りを見回す。と、待ち構えていたように近づいてくる者がいた。グレーのスーツを着た男だ。

 思わず首をひねる。今夜、取り引きするはずの相手は、違う格好をしているはずだ。しかし、向こうはお構い無しに近づいてくる。その目は、まっすぐに矢口を捉えていた。


「あんた誰だ?」


 聞いてみたが、相手は無言で近づいてくる。


「おい、何だてめえは?」


 矢口は、低い声で凄んだ。彼は、体格的には普通の男である。しかし、顔つきや態度などから、堅気の人間でないのは子供でもわかる。からかっていいタイプの人間には見えないだろう。

 ところが、相手はお構いなしだ。無言のまま近づいてきたかと思うと、いきなり右手を振るった。完全に不意を突かれ、躱す間もない。

 直後、矢口の顔面に何かが当たる。拳ではなく、手のひらによるものだ。ビンタのような一撃だが、速さも威力も凄まじいものだった。矢口の顔面は大きく歪み、同時に脳が揺らされる。

 脳震盪により、矢口は立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。しかし彼は、自分の身に何が起きたのか、まだ把握できていない。

 一方、相手は動き続けていた。矢口の背後に回ると、首に腕を巻きつけた。そのまま、キュッと狭めていく。矢口は反射的にもがいたが、腕は外れることなく絞め続けていく。

 動脈と気道を絞められ、矢口の意識は闇に沈んだ。




 それから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。

 気がつくと、矢口は見知らぬ場所にいた。上体を起こし、まずは状況を把握しようと努める。

 不気味な部屋だ。広さは六畳ほどだろうか。天井がやたら高く、壁はくすんだ灰色だ。中は暗く、家具らしきものは置かれていない。窓には鉄格子が付いており、ガラスを割ることが出来ない構造になっていた。床は汚く、貼られているタイルカーペットが腐りかけている。その上、虫がかさかさ蠢く音も聞こえるのだ。

 矢口は、刑務所にいた頃を思い出した。この部屋は、刑務所の独房に似ている。ということは、どこかの警官に逮捕されたのか。だが、そんな記憶はない。

 その時、ようやく直前の出来事を思い出した。公園で、見知らぬ男にいきなり叩きのめされたのだ。さらに首を絞められ、気絶させられた。

 そして今、この見知らぬ部屋にいる。となると、ここは警察署ではない。自分は、誰かに拉致されたのだ。おそらくは、裏社会の人間だろう。

 では、なんのために?


「お、おい! 誰かいないのか!」


 矢口は叫んだ。しかし、返事はない。


「おいコラ! 俺は銀星会の矢口だぞ! こんなことして、ただで済むと思ってんのか!」


 怒鳴った直後、ドアを蹴飛ばす。だが、鉄製のドアはびくともしない。恐ろしく頑丈だ。

 その時、外から声が聞こえてきた──


「すみません。あなたに、いくつか聞きたいことがあります」


 落ち着いた声だ。男のものであるのは間違いない。となると、公園でいきなり襲いかかってきたグレーのスーツを着た男だろう。

 いったい、何が目的だ?


「お前誰だ! 俺はな、銀星会の矢口なんだぞ! 俺が一声かけりゃあ、百人の手下が動くんだぞ!」


 怯えながらも、矢口は吠える。もちろん嘘だ。この男には百人どころか、ひとりの手下もいない。

 しかし、相手は怯んでいない。


「はい、あなたが銀星会の矢口さんであることはわかりました。しかし、いくらあなたでも、ここに今すぐ百人を呼ぶことは出来ません。まずは、落ち着いたらどうですか」


 ・・・


「ちょっと待ってくれよ。あんた、何がしたいんだ? 聞かせてくれ?」


 矢口は、顔を引きつらせながら尋ねる。顔面は蒼白で、足は震えていた。

 確かに、男の言う通りだった。今になって気づいたが、いつの間にかスマホを取り上げられている。外部と連絡を取る手段がないのだ。銀星会という看板を出したところで、何もならない。

 ならば、おとなしく相手の言うことを聞くしかなかった。


「私は、私立探偵の工藤淳作という者です。今回は、あなたにいろいろお聞きしたいことがありまして、それで来てもらいました」


 その言葉を聞き、矢口の頭はさらに混乱した。私立探偵だと? ならば、拉致監禁のような真似をせずアポを取り話を聞きに来ればいいではないか。なぜ、こんなことをする? そもそも、何を聞きたいというのだ?

 次々に疑問が湧き上がってくる矢口に対し、工藤と名乗った男は普通に語り続ける。


「あなたは当時、渋谷で酒井清人さんと一緒に薬物を売っていましたね。その当時のことを聞きたいのですよ」


「何を言ってるんた? 俺はそんな奴知らねえよ」


 思わず、そんな言葉が口から出ていた。もっとも、これは嘘である。

 十三年前、矢口と酒井は浅からぬ仲であった。当時、渋谷における違法薬物の売買は、このふたりに話を通さなくてはいけない……それがルールであった。両者は渋谷の顔役として、裏の世界に君臨していたのである。

 ところが、その帝国が崩壊する日が訪れる。突然、酒井は狂ってしまったのだ。渋谷の路上で、ナイフを振り回し三人を殺害して逮捕される。

 それを知った矢口は、愕然となっていた。酒井が、以前から覚醒剤をやっているのは知っていた。だが、ここまでトチ狂った真似をするとは思わなかったのだ。これは、全く想定外の事態である。

 いや、酒井のことはどうでもいい。このままだと、芋づる式に自分まで捜査の手が及ぶ……矢口は、すぐさま動いた。当面の商売は、下の人間に任せて姿を消す。ほとぼりが冷めるまで、海外に身を隠すことにしたのだ。

 幸いなことに、捜査が矢口まで及ぶことはなかった。警察は、酒井がそこまでの大物とは知らなかった。単なるシャブぼけ(覚醒剤でおかしくなった人間)だろう、としか思っていなかったのだ。酒井への取り調べは、己の起こした事件に関するものだけで終わった。

 通り魔事件から一年が経ち、そろそろ大丈夫かと商売に復帰しようとした矢口だったが、ここで災難に見舞われる。

 日本に帰ってきた直後、路上でチンピラと肩がぶつかり、言い合っているうちに手が出た。一発殴っただけだったが、相手は吹っ飛び道路に頭を打つ。それで死んでしまった。


「嘘をつかないでください。あなたは、酒井さんと一緒に商売をしていたはずです」


 扉の向こうから聞こえる声は、相変わらず冷たいものだ。矢口は、必死で考えを巡らせる。果たして、どう答えればよいのだろう。


「い、いや、その……」


「そうですか。あくまでシラを切るのですね。では、失礼します」


 言ったかと思うと、コツコツという音が聞こえてきた。

 これは足音だと気づいた時には、音はだいぶ小さくなっていた。つまりは、工藤がここから離れているということだ──


「おい! ちょっと待て! 冗談だろ!」


 矢口は、必死で怒鳴った。しかし、声は空しく響き渡るだけだ。答える者はいない。足音も聞こえない。

 この得体の知れない薄暗い部屋に、たったひとり閉じ込められてしまった。自分を助け出せたはずの者は、もういないらしい。

 どうすればいいのだ──


「クソ! ふざけるな! さっさと出せよ!」


 喚きながら、必死で辺りを見回した。だが、四方はコンクリートの壁に囲まれている。穴を空けることなど不可能だろう。

 上を見れば、窓が付いている。そこから、陽の光が射していた。となると、まだ人通りのある時間帯のはずだ。

 ならば、誰かが外を通るかもしれない。


「おおい! 誰かいないのか!」


 矢口は、あらん限りの声で叫んだ。しかし、反応はない。


「誰か助けてくれ! 閉じ込められたんだ!」


 もう一度、叫んだ。やはり、反応はない。

 その時、矢口はあることに気づく。ここで目覚めてからずっと、外からの音を聞いていないのだ。陽の光の射し方から察するに、まだ夕方にはなっていないはず。にもかかわらず、人の声が全く聞こえてこない。それどころか、車のエンジン音すら聞こえないのだ。

 つまり、ここは人里離れた山の中なのかもしれない──


「おおい! 誰か来てくれ! 助けてくれえ!」


 矢口は絶叫した。しかし、声は虚しく響き渡るだけだ。誰も来る気配がない。

 

「ざけんなよ……」


 言った直後、膝から崩れ落ちる。あまりのことに、体の力が抜けてしまったのだ。

 これから、何が待っているのだろう──

 

 

 





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