〈11〉
村上さんの実家はまさに百年名家――茅葺の重厚なお屋敷だった。
門を抜け、雪に覆われた広い前庭に僕たちを下ろす。車を車庫(というのか? そこだけで優に桑木画材店の大きさだった)に入れてから、冬麗さんは改めて玄関へと案内してくれた。
玄関を入るとまず広い土間。その先の、年月に磨かれて黒光りする板間の奥、畳敷きの12畳ほどの一室が見学者用の展示室として設えてあった。ここに4代に渡る当家の女性たちが織りあげた至宝が飾られている。
着物に仕立てられて衣紋に掛けたもの、手に取って見られるよう棚には反物も並べてある。実際に使われている地機も置かれていた。
「素晴らしい!」
「見れば見るほど魅了されます……」
越後上布を目の当たりにした僕と来海サンの心からの想いだ。
「長い冬、この地を埋め尽くす雪の色……その雪で織ったかと見紛う布たち……」
「きめ細かく、ヒヤリとする清涼な手触りといい、まさに雪を織り込んだように思えます」
「それ、ある意味、正しいです」
展示部屋の隣り、板敷の間の囲炉裏端に座布団を敷いてお茶を用意してくれていた冬麗さんがふと顔を上げる。襖越しに、祖母、母の布を眺めながらうなずいた。
「私もよく思うんです、越後上布は雪の姉妹に違いないと。と言うのは」
冬麗さんは立ち上がって葛籠を持って来た。中にはいくつか反物が入っていた。
一反、取り出して膝の上で広げる。
「ご覧ください。これ、シミができてるでしょう? これらの反物は旧いものでは祖母、そして母の織ったものです。それらを買い求めて愛おしみ、丁寧に着込んでくださった買い主さんたちが、再びわざわざ送って来てくださって、当家にシミ抜きを依頼されたものなんです」
確かに、布地には所々茶色い点々――汚れが目立っている。
吃驚して来海サンが訊いた。
「これ、とれるんですか?」
「大丈夫、見事にとれます」
爽やかに微笑む冬麗さん。
「早春、この地に残る特別のシミ抜き技法によって真っ白に再生できます」
悪戯っぽく瞬きをした。
「あ、私の名、そこから来てる、とか思わないでくださいね。シミがとれるからトゥーレ(る)、ちゃんととれるからトゥレー(る)……なんて」
「とんでもない!」
慌ててブンブン首を振る僕。
「いや、まさか! こんな素敵な人を前にそんなくだらないダジャレを言う人物などいるもんか」
来海サンが目配せする。
「うん、幸いにも兄さんはここにいないしね」
「あ」
僕らは三人でひとしきり笑いあった。
「〝冬麗〟は、確か、俳句の季語になっている美しい言葉ですよね?」
その道に通じた有島刑事ならもっといろいろ蘊蓄を述べるだろうが、僕は僕が知っている程度のささやかな知識を披露した。
「冬のよく晴れ渡った空……その煌めきを指すとか?」
来海サンも大きくうなずいて、
「冬麗さんにピッタリの名だと思います」
「ありがとうございます。大層な名で恥ずかしいんですが、母が付けてくれたので……私も自分の名が大好きです」
冬麗さんの白い頬がポッと色づいた。
「母は若い頃、欧州に遊学していた時期があって――実は、私の名に関して母自身がしょっちゅうダジャレを言っていたんです。♪トゥーレ、トゥーレ、ダ・トゥーレ。あなたは私のダ・トゥーレ……」
懐かしそうに歌いながら、教えてくれる。
「トゥーレってイタリア語で〈~をする人〉って意味らしいです。ダ・トゥーレで〈与える人〉」
♪ 冬麗、あなたはダ・トゥーレ
私に夢と希望、笑い、美しい思い出
全てを与えてくれる人……
「このことを地元の人や幼馴染みはよく耳にしてたせいで、未だに私を『トゥーレ』と呼ぶのよ」
「素敵!」
来海サンが手を叩いた。
「冬麗さんのお母様なら、冬麗さんと同じくお美しい方でしょうね?」
「ありがとうございます。そんなに褒めてくださって、何よりの供養になります」
冬麗さんは高い梁りを仰ぎ見た。その眼は更にその上に広がる晴れ渡った天空を見ているのだろう。
「母は昨年の年末に亡くなりました。あ、暗い話になって申し訳ない。でも、大丈夫、♪母こそ私のダ・トゥーレ。私は母にたくさんのものを与えてもらいました。見てください、ここまで内輪の話を披露したんですもの――」
冬麗さんは溢れる笑顔で指差した。部屋の隅、壁に立てかけてある板絵……
「奉納絵です。やっと完成できました。早速、神社へ納めるつもりなの」
それは、明るくて楽しい絵だった。
「奉納絵とは?」
「あまり一般的ではないのでしょうか? 亡くなった人の追善供養に、その人が生前好きだったものに囲まれた絵を神社に納める風習があるんです」
「初めて知りました。これまた勉強になりました。それにしても――いい絵ですね!」
中央に座る人が冬麗さんのお母さんだろう。よく似た優し気な面差しだ。和服姿で膝の上には猫。取り囲むようにケーキや和菓子のお皿。彼女が織った越前上布――仕立てて衣紋に掛けたものだけでなく反物もうず高く積んである。背後の長櫃の上にはクレマチスに縁どられた三角形の水晶の石。きっと誕生石かお気に入りの宝石に違いない。その他、花瓶に差した花・花・花。これらの隙間を埋め尽くして青春の日の思い出のイタリア語の辞書、教科書、ノート類。彼女の愛したお洒落な靴や帽子、カーニバル用の仮面まで、所狭しと描き込んでいる。
生前愛したものたちに囲まれる……
こんな素晴らしい風習があるとは! 死者はどんなに幸せなことだろう。
村上冬麗さんは車で送ると言ってくれたが僕たちは辞退した。
僕と来海サンは駅までの道を白い息を吐きながらゆっくりと歩いて帰った。二人、手を繋いで、この上なく満ち足りた思いで。
今回の上越への旅は謎の解明には何の役にも立たなかった。でも、僕と来海サンにはかけがえのない思い出となった。暮れて行く冬空には数多の流れ星!
「何を願ったの、名探偵さん?」
「多分、君と同じことをさ、名相棒くん」
そう、僕は願った。
こんな風に、いつまでも僕たちが僕たちであり続けられますように……!




