第百四十六話 南国少女と光源氏計画?
「伯爵様、男ばかりでムサいな」
「仕事ですからしょうがないですよ」
「まあ、気楽で開放的だと思えばいいのである!」
なかなか纏まらない魔族との交渉はお偉いさんに任せるとして、バウマイスター伯爵領に帰還した俺は古い中型の魔導飛行船を用いた南方探索隊を出航させた。
この船で行ける範囲内で島などを見つけたら、これをバウマイスター伯爵領に編入するわけだ。
船はバウマイスター伯爵家で運用しており、船員は雇い入れた元空軍軍人が多いので練度も士気も高い。
他にも、地図を作製する文官達に、エーリッヒ兄さんは王国からの監査役として、ブランタークさんはブライヒレーダー辺境伯の代理扱いで、あとは俺とエル、導師も参加していたが、彼は楽しそうだからと言って勝手に参加していた。
彼に具体的な仕事があるわけではないのだ。
むしろ、王都でもっと重要な仕事があるんじゃないかと俺は心配してしまった。
「導師、王城にいなくていいのですか?」
「魔族がすぐに戦争を吹っかける心配もなくなった以上、某がいても無意味なのである! 王城にいると書類を寄越す連中もいるので、いない方がいいのである!」
「ぶっちゃけるなぁ……」
「あんなもの、誰がサインしても同じである!」
「いや、中身は確認しておけよ。いい大人なんだから……」
堂々と書類仕事は嫌だと断言する導師に、エルが呆れていた。
ブランタークさんも、書類はサインする前に内容は読んでおけと釘を刺したが、さすがの導師も書類の内容を読まずにサインするなんて……ないよね?
「空と海が青いなぁ」
南の港から出発し、漁業と製糖事業関連の開発が進む南方諸島を眺めつつ、船は南方を進んでいく。
途中島が見つかると、何やら文官達が色々と測定をしながら地図に書き込んでいた。
彼らは王国から派遣されており、この船で行ける範囲内にある島はバウマイスター伯爵領であると、その証拠となる地図の作製を行っていたのだ。
あとで揉めないよう、役人である彼らは真面目に地図の作製作業に没頭していた。
「彼らの十分の一でいいから、導師が真面目ならな」
「あははっ……」
まさかそうですねとも言えず、俺達はブランタークさんの呟きをスルーした。
「これまで大きな島はありませんでしたね」
いくつか小さな島が見つかったが、どれも人が住めてもわずかであろう。
地図には記載したが、殖民するかどうかは不明であった。
「南方に何があるのか、今まで確認した者はいなかったのである! 探索は、まだこれからである!」
今回は、船員も含めて男性ばかりで探索を行っている。
どうせ数日で終わるし、たまには男だけで気を抜きたいという理由からだ。
西部に奥さんと赤ん坊を連れて行ったのは、あの時は紛争地域がテラハレス諸島なのでそこまで危険じゃないと判断したのと、エリーゼ達が自分の赤ん坊は自分で面倒を見たいと願ったからだ。
今回の探索は短期間であるし、未知の領域というわけでエリーゼ達は留守番になった。
結果、こうして男ばかりの探索隊となったわけだ。
「なあ、ヴェル」
「何だ? エル」
「無人の島ならいいけどよ。もし住民がいる島があったらどうするんだ?」
「陛下にご報告し、ご判断していただく」
魔族の件からわかるとおり、異民族が住む島が見つかったら王国政府に丸投げ……じゃなくて任せるのが一番であろう。
バウマイスター伯爵領にしても、まったく利益にならないところか、下手をすると統治の面倒さで大損をする可能性の方が高かったからだ。
「ミズホのような扱いにするか、貴族に序してもらうか。そうなれば、交易だけすればいいからな」
お互い干渉しない方が幸せってものだ。
民族や文化が違うのに無理矢理一緒にしても、騒動が起こるだけだからな。
「王国に任せた方が無難か」
「陛下は魔族の国との交渉に忙しく、こちらに丸投げされる可能性もあるのである!」
「それはあるかもしれませんね、導師殿」
「それは酷い……」
もし島に住む住民が少数の場合、そういう事も起こる可能性があるわけだ。
ユーバシャール外務卿に交渉を頼んでも、今は魔族の相手が忙しいから何もしてもらえないかもしれない。
導師とエーリッヒ兄さんからそう言われてしまうと、現実味がありすぎて怖かった。
「無人島しかなければいいな」
「ブランタークさん、俺はその可能性は低いと見ているのです」
一万年前に古代魔法文明が崩壊した時、ミズホ人は未開地からリンガイア大陸中を放浪してアキツ大盆地を新たな故郷とした。
ミズホ公爵が言うには、先祖がミズホ人全員を率いたとは思えず、他にもミズホ人が住んでいる場所があるかもしれないと。
ミズホ人だけじゃない。
古代魔法文明崩壊後の混乱から逃れるため、探索が始まったばかりの南方や東方に逃げ込んだ人達がいても不思議ではなかった。
「はははっ、そこの領主に娘がいて、ヴェルが娶る羽目になったりして」
「エル……」
そういう不吉な事を言うなよ。
もし現実になったらどうするつもりだ。
「お館様! 大きな島が見えます!」
「こらっ! エル!」
お前がそんな事を言うから、大きな島が見つかってしまったじゃないか!
「有人とは限らないじゃないか。まずは探索だな」
「船長、上陸の準備を」
「畏まりました」
まずは、その島の情報を集めないといけない。
段々とその全容が見えてくるがその島はかなりの大きさで、海岸と一部隣接する土地以外は鬱蒼としたジャングルに覆われていた。
そして、島の中心部に標高の高い山が見える。
山は形が富士山に似ており、八合目付近くらいからは根雪も確認され、ここは南の海上なのに一種独特な光景を作り出していた。
「標高が高いから、山頂付近に雪があるのか?」
形は似ていても、その山は富士山ほど標高が高くない。
ここは熱帯なのに、あの程度の標高で山の頂上付近に根雪が残るものなのだろうか?
他に原因があるかもしれないが、それは調査してみないとわからない。
「ヴェル、集落が見えるけど」
「エルぅ~~~!」
お前が余計なことを言うから住民がいたじゃないか!
「すげえ言いがかりだな! 俺のせいじゃないてーの! 人口も少なそうだし、上手く領民になってもらおうぜ」
「エルの坊主、それは難しくないか?」
エルの楽観論に、ブランタークさんが異論を挟んだ。
彼らは、一万年も他者と交流がなく独自にやってきた連中だ。
いきなりバウマイスター伯爵領の領民になれといっても反発するかもしれない。
「その前に、言葉が通じるかな?」
「それはわからん」
エルの疑問にブランタークさんも答えられなかった。
魔導飛行船が島に近づくにつれ、集落から数百名ほどの住民が集まり、こちらを指差して驚いていた。
どうやら、彼らは魔導飛行船を運用していないようだ。
初めて見る魔導飛行船に、興味と不安が入り混じった状態なのであろう。
「さて、降りるぞ」
「もうか?」
「時間が惜しいし……」
『探知』の結果、彼らの中には魔法使いが一人しかいなかった。
しかもその反応は、集落の奥にある大きな家の中から感じる。
この人物が集落の主で、こちらの様子を伺っているのかもしれない。
どのみち、この人物以外で俺達にとって脅威となる人間はいないはず。
「向こうの様子を探りたいじゃないか。もし敵対行動をされても大丈夫」
俺、ブランタークさん、導師がいるので、奥に引っ込んでいる魔法使いにもどうにもできないであろう。
この人物は、魔力量でいえば中級が精々であったからだ。
「というわけで、船長は警戒態勢を維持するように」
「了解しました。お館様、お気をつけて」
魔導飛行船は上空に待機させ、俺達は『飛翔』で島へと上陸する。
エルは、導師がおんぶして一緒に降りた。
「この集落の代表者はいるか?」
「村長は屋敷におりますが、お話なら私が聞きましょう」
俺達を見つける数百名の住民の中から、一人の老人が前に出てこちらの問いに答えた。
「村長は?」
「ええと……村長には、少し難しいお話と言いましょうか……私は副村長のネイと申します。事務的なお話ならば、私にしていただけますと……」
魔法使いと思われる村長は、何か病気なのであろうか?
それとも、交渉術の一貫としてわざと顔を出さないとか?
「まあいい。実はだな……」
俺の代わりにエルが、自分達はリンガイア大陸南端の未開地を新たに領地としたバウマイスター伯爵家の者である事。
南下して領地の確定作業を行っており、その途中でこの島を見つけた事。
できれば、バウマイスター伯爵領の領民になってほしい事。
嫌なら、ヘルムート王国と相談する事などを説明した。
「この集落の村長を領主にして、ヘルムート王国の貴族になるという手もあります。うちが寄親になると思いますけど」
さて、問題は彼らがこの条件を受け入れるかだ。
一万年も独自にやってきたので独立独歩の姿勢が強く、どこかに属するのを嫌がるかもしれないのだから。
「構いませんよ。むしろ喜んで」
「えっ! いいの?」
随分あっさりとこちらの要求を受け入れるから、俺は逆に怪しいと感じてしまった。
今まで前世も含めて生きてきて、美味い話には裏があったケースも多かったからなぁ……。
「我々が呆気なく受け入れたので疑問に感じていらっしゃると思いますが、これにはちゃんと理由があるのです」
副村長のネイ氏は、なぜバウマイスター伯爵領の領民になるのを受け入れたのか。
その理由について説明し始める。
「それは、この集落が成立した理由から来ています」
一万年以上も昔、この集落の住民の先祖はリンガイア大陸に住んでいた。
「大崩壊により、我らの祖先は危険なリンガイア大陸から南の海に逃れたのです。ですが、その海も安全ではありませんでした」
船で海上に出た彼らは、大量に出現した海竜の群れに襲われその多くが犠牲となった。
「あれ? 魔物は古代魔法文明崩壊後に生まれたのでは?」
「伯爵様、海竜は動物だ。急に海上に多くの人が逃れたから集まったんだろうな。餌が一杯あるって」
「そのとおりです。我々の祖先も大半が海竜に食べられてしまい、わずかな生き残りのみがこの島に逃れたわけです」
生き残りはわずか三十名ほど、船も壊れ、多くの物資や道具も失い、この島でほぼ一から文明を築き直す事になった。
「そんなわけでして、いい移住先があれば喜んで向かいます」
「この島に住まないのか?」
「少なくても、我々には拘りがありませんから。この島は、九割の領域が魔物の住む場所なのです」
「あれ? 魔物の領域も古代魔法文明崩壊後なのでは?」
膨大な魔力が爆発して各地に飛び散り、強い魔力の塊によって魔物と魔物の領域が生まれた。
ならば、崩壊直後に上陸したこの島が魔物の領域になるのはおかしくないか?
「昔は普通の森だったそうです。それが、あの南山を中心として徐々に魔物の領域が広がっていきました」
副村長は、頂上に根雪が残っている山を指差した。
魔物の領域が完成する途上に巻き込まれ、彼らは海岸沿いのわずかな土地に住めるだけになった。
「魔物に殺された者は数えきれません。島のわずかな土地で養える人数は限られていますし、必要な物資も集まり難いですし、何より食料が不足しやすく……」
人が使える土地が狭い以上、農業にも限界がある。
狩猟も、動物に関してはほとんどあてにならないはず。
魔物を狩るといっても、普通に人間にはかなり困難な作業だ。
この人口だと、魔法使いも滅多に出ない。
結果、一万年で大して人口も増えなかったわけだ。
「脱出は考えなかったのか?」
エルが、ならば他の島に移住すればいいのにと言う。
「実はこの島、周囲を海竜の住処や縄張りに囲まれておりまして……」
小さな船で出航したら、たちまち海竜の餌になってしまうのか。
「そんなわけでして、どこかいい移住先があれば喜んで従います」
「ない事もないけど……」
南方諸島でいくつか無人島があるので、そこで漁やサトウキビ栽培をすればそう生活に困らないはずだ。
現在、帝国でも消費量の増大で砂糖が不足しており、ペーターから生産量を増やしてほしいと頼まれていた。
新フィリップ公爵であるアルフォンスをせっついてビートの栽培も増やさせているそうだが、この世界のビートは品種改良が進んでいないので糖分が低い。
大量に作らないといけないので、なかなか需要に追いつかない状態だそうだ。
「サトウキビの栽培なら、普段からやっているので大丈夫です」
確かに、集落の周辺にある小さな畑にはサトウキビが植わっていた。
その代わりに、他の作物はわずかな芋と野菜くらいしか植わっていない。
農地にできる土地が少ないようで、土地のやり繰りに苦労しているようだ。
「空を飛ぶ船があるのなら、我らは脱出できますとも」
「よかったなぁ」
「やっとこの島から出られるね」
この島は、住民達に異常に人気がなかった。
故郷への思いとか、郷土愛とか微塵も存在しないようだ。
副村長以下、すべての住民が移住できると喜んでいる。
「少しは故郷に未練とかないのか?」
「未練ですか……まったくないとは言いませんが、差し迫った状況がありまして……」
副村長は、エルの疑問に焦ったような口調と態度で答えた。
どうやら一刻も早くこの島から出たいようだ。
「なぜ急ぐんだ?」
「若い騎士様。この島は海竜の住処に囲まれているのです。海竜は本来陸地にはあまり近寄らないのですが、この島は例外です。今年も漁に出た者が三名も食われまして、魚が獲れないので食料が不足しているのです。村長に撃退をお願いしているのですが、最近は海竜の襲撃が増えておりまして。どうやら、人間の肉の味を覚えてしまったようです」
人間は毛が少ないから、肉食の野生動物や魔物が好んで食べると聞いた事がある。
そして一度人肉の味を覚えると、繰り返し襲撃するようになると。
ああ、それは熊か。
「というわけでして……「副村長! 出たぞぉーーー!」」
「またか!」
突然村人らしき男性の叫び声が聞こえ、俺達が海上を見ると数匹の海竜の姿が見えた。
海竜達はこちらを見つけると、首をかまげてこちらに向かってくる。
「女、子供は逃げろぉーーー!」
「魔物の領域には入るなよ!」
突然の海竜による襲撃で、住民達は急ぎ内陸部へと逃げていく。
あまり森の奥深くまで逃げると魔物に襲われるので、ギリギリ奥まで逃げるようだ。
「(毎日のように怪獣に襲撃されているのか……)そりゃあ、移住を希望するよな」
船で逃げようにも、海竜に見つかって捕まってしまう。
人口から考えると魔法使いは滅多に出現せず、彼らは海竜の襲撃に怯えながら生活するしかなかったわけだ。
「村長様に撃退してもらうしかねぇだ」
「だが、村長はお疲れじゃねえか?」
「んだども!」
このところ海竜の襲撃が頻繁なようで、村長とやらは疲れているらしい。
だから、俺達が現れても顔すら出さないのか。
それにしても、どんな村長なんだろう?
「村長を呼びに行ってくるだ」
「つい半日前にも襲撃があって、海竜を追い払うのに魔力を消費してしまったべ! みんなで森の奥に避難するべ!」
「それはええが、村はどうする? 村長様が追い払ってくれないと、家や畑が壊されてしまうだ!」
海竜は水生生物だが、陸上で活動できなくもない。
海岸から百メートルくらいなら普通に陸上でも活動できた。
餌となる人間を捕えるために、村の家を破壊するくらいの事はできるのだ。
もし村の家や畑が破壊されてしまうと、海竜からは逃れられても住む場所は破壊され、作物も駄目になって将来食料が不足してしまう。
村長はそれを防ぐために、オーバーワークを強いられているようだ。
「村長にこれ以上無茶をさせるのは……」
「それはわかってるだ! んだども、他に方法が!」
「大丈夫、私が海竜を追い払うから!」
村人達が言い争っていると、遂に噂の村長が姿を見せた。
「ええーーい! 海竜覚悟しろ! 私が追い払ってやるんだからぁ!」
「「「「「……」」」」」
海竜による襲撃の多発で村長の魔力の消費は激しいようだが、やる気は十分なようだ。
だが、村長の姿を見た俺達は絶句した。
なぜなら……。
「あの……お嬢さん?」
「あっ、凄く格好いいお兄さんだ。お兄さんも避難しないと駄目だよ」
「そのつもりだけど、お嬢さんが村長さんなのかな?」
「うん、私が村長さんだよ」
村長は女性であった。
イケメンであるエーリッヒ兄さんに話しかけられると、とても嬉しそうに答える。
いついかなる時も、イケメンは得だという証拠だ。
いや、問題は村長が女性だからではない。
あまりに幼すぎるのだ。
「私は村長のルルだよ。よろしくね」
「こちらこそ、私の名前はエーリッヒです」
「エーリッヒ様ですね」
このルルという村長、どう見ても五歳くらいにしか見えない。
年齢の割にしっかりしているように見え、イケメンであるエーリッヒ兄さんと楽しそうに話しているが、こんな子供に村長をやらせて海竜撃退までさせているとは……。
「おい、ジジイ」
「仕方がないんですよぉ! 魔法を使えるのが村長しかいないから! 我々だって苦渋の決断なのです!」
幼女に海竜を撃退させている村人代表である副村長をエルがジト目で見つめ、それに副村長が全力で言い返した。
自分にそれができるのなら、とっくにやっていると。
「成人男子で警備隊くらい作れよ!」
「彼らは住民の避難で精一杯なのです! それにもし海竜撃退で負傷や死亡したら、誰が畑を耕すのです? 我々だって精一杯で、村長もそれをわかってくれているから……」
どうやらこの村、俺達が思っている以上に切羽詰まっているようだ。
エルもそれ以上は何も言えなくなってしまった。
「大丈夫です。私が撃退しますから」
「あのよ。それは結構な事だが、お嬢ちゃんの杖は?」
「杖? 杖って何に使うの?」
「「「「「……」」」」」
続けて、俺達は絶句してしまった。
何と、このルルという幼女は杖を持っていなかった。
この年齢で中級相当の魔力を持つのだから天才レベルの魔法使いだと思うが、それでもまだ中級なので杖がないと魔法の威力が落ちてしまう。
この年で、一人で、杖なしで海竜の群れに立ち向かっている。
実は中級なら海竜は倒せない事もないのだが、なぜ撃退しかできないのかようやく理解できた。
「副村長さんよ」
「杖なんてどうやって作ったらいいかわからないし、上陸時に持ち込めた荷の中にもなかったんですよぉ!」
エルに続きブランタークさんが副村長に苦言を呈し、彼は再び強く反論する。
もし持ち込めても、杖が一万年保つという保証もないか。
「大丈夫です、私が海竜を撃退しますから!」
幼いのに使命感に燃えているようで、ルルは自分が海竜を退治すると宣言した。
だが、俺達がいてこの子に海竜退治を任せるわけがない。
彼女の代わりに、海竜の前に出た。
「あっ、俺が退治するから」
「お兄さんがですか? 大丈夫ですか?」
どうやらこの子、魔法は独学以前にほぼ勘のみで使っていたようだ。
俺、導師、ブランタークさんを見ても魔法使いだと気がついていなかった。
他の魔法使いの実力を計る概念が存在しないのであろう。
「大丈夫。俺も、この小父さん達も魔法使いだから」
「そうなのですか」
ルルは、俺達を興味深そうに見つめた。
「これは、一から基礎を教えてやらないと駄目だな。まあ、それは後だ」
ブランタークさんがルルを自分の後ろに庇い、俺と導師が最前線に立つ。
「エーリッヒ様?」
「彼は私の弟なのだけど、優秀な魔法使いだから大丈夫」
「エーリッヒ様がそう言うのなら」
エーリッヒ兄さんの説明で、ルルは納得したようだ。
やはりイケメンの説得力は絶大だな。
「数は多いみたいだけど、所詮は海竜だからな」
海竜なんて、見た目が竜なだけだ。
退治など、さほどの難事でもない。
ヴィルマなんて、肉が美味しくて効率のいい獲物だって言っているくらいなのだから。
「バウマイスター伯爵、某もやるのである!」
「導師、遺骸の回収が面倒なので引き寄せてくださいよ」
「今日は、海竜の肉でバーベキューである!」
俺と導師が迫りくる海竜をギリギリまで引き寄せ、ブランタークさんは万が一に備えて魔法の準備をしていた。
エルも念のために戦闘態勢に入っている。
「ヴェル、数が多いみたいだけど……」
「海竜は弱いので安心してください。数の多さは不利になりません」
「やはり魔法使いは凄いんだね。漁師達は恐がっていると聞くけど」
文官肌のエーリッヒ兄さんからすれば、全長二十メートルを超える海竜が複数自分に迫ってくれば怯えて当然であった。
俺達は、色々と物凄いのを相手にしすぎて感覚が麻痺しているだけだ。
「導師、数が増えていませんか?」
最初に比べると、こちらに押し寄せる海竜の数が増えたような……。
ああ、俺達がいるから餌が増えたと思ったのか。
しかも、逃げないで堂々と砂浜に立っているし。
「ちょうど十匹なので、半分ずつ倒すのである!」
「わかりました」
俺は海水から氷で巨大なランスを作ると、それをぶん投げて海竜の口の中に突き刺した。
突き刺さった氷のランスは一撃で海竜の後頭部まで貫通し、即死した海竜はその場に崩れ落ちてしまう。
急所である延髄を貫けば、どんな生物でも即死して当たり前だ。
「次は某である!」
導師はその身に『魔法障壁』を纏うと、『飛翔』して海竜に接近し、魔力を篭めた拳で海竜の頭部を殴った。
それだけで海竜の頭部が大きく凹み、そのまま倒れてしまう。
続けて、魔力を篭めた足で海竜の首にすれ違いざま蹴りを入れると、それだけで首がちぎれて死んでしまった。
引き寄せてからの攻撃だったので、俺と導師の前に広がる海岸は海竜の血で真っ赤に染まった。
なお、大半が導師の仕業である。
「あーーーあ」
「えっ? 駄目ですか?」
海岸の惨状を見て、ブランタークさんは溜息をついた。
「首がちぎれてしまったのは、海竜がモロすぎるせいである!」
「ハグレの個体ならいいけどよ。巣の近くだから、追加で血に釣られてくるぞ」
「そうだったのである……」
導師が言い訳をしたが、ブランタークさんはそんなものは関係なく他の海竜が血で引き寄せられてくると彼に文句を言った。
「乗りかかった船である! 全滅させてしまうのである!」
「導師、その言い方は正しいのですか?」
「どうせ海竜は団体で来るのである! 精々歓迎してやるのである!」
それから一時間ほど、俺と導師の奮戦によりおびただしい数の海竜が討伐されたのであった。
「夕食分にしては多すぎですね」
「数が多かったなぁ。これだと暫く南に海上船を回さない方がいいかなぁ……」
結局、俺と導師により二十八匹もの海竜が退治された。
現在夕食用に船に乗っていた調理人達が肉を切り分けているが、追加で来ないという事はこの近辺の海竜は全滅したのであろうか?
「海竜の生態はわかっていないから、ヴェルと導師殿が強くて隠れただけかもしれないよ。他に巣がない保証もないからね」
冷静で慎重なエーリッヒ兄さんは、この周辺の海竜が全滅した確証がなく、油断は禁物だと俺に釘を差した。
「暫くは、魔導飛行船を運用するしかありませんね」
海上船を運行させて海竜の群れに襲われたら目も当てられない。
暫くは魔導飛行船を用いないと、南方諸島以南の島々に移動できないはず。
「陛下には事情を説明しておくよ。大型船に余裕はないけど、もっと中型、小型の魔導飛行船を回してもらう。幸い、就役する船は増えているからね」
今回は『何か見つかったら、調査に参加するのであるな』と、バウマイスター伯爵領内の地下遺跡発掘に出かけてしまったアーネストだが、彼のおかげで発掘され、稼働する魔導飛行船が増えていたのは確かであった。
船を動かす人員の確保が大変であったが、それも王国空軍が訓練を請け負う事になった。
空軍軍人の採用も増えており、貴族の子弟は職が増えたと喜んでいる。
貴族の中にも、独自に魔導飛行船の運用を開始したり、運用する船を増やす者が多かった。
元軍人に領内の若者や家臣の子弟を預けて訓練させている。
「王国は中、小型船を国内で大量に運用し、大型船は南方や東方との連絡に使いたいみたいだね。新大陸や無人の島々の開発も視野に入れているのさ」
南方開拓を進め、ヘルムート王国全体の国力を増す。
ちょうど魔族という新しい仮想敵国も誕生したので、開発の促進は必須というわけだ。
帝国も独自に動くかもしれない。
俺とペーターは友人同士だが、個人的な友好関係と国家同士の関係は別だからな。
王国を出し抜くような策を弄するかもしれないから、今のうちにやれることはやっておかないと。
「この島の魔物の領域は、あとで探索と試しに狩猟をさせてみます」
魔の森みたいに貴重な魔物や採集物があれば、無理に解放する必要はない。
ここに冒険者専用の町を作り、冒険者の島にしてしまえばいいのだから。
「開放してから開拓しても限度があるか。大きな山もあるし」
「その前に、まずは住民達の脱出ですね」
今日はもう海竜は来ないはずだから、一泊してから彼らを移住させなければいけない。
南方諸島で開発中の場所があるので、そこに移住させて暫く生活を支援すれば大丈夫であろう。
サトウキビの栽培経験があるそうなので、すぐに仕事も始められるはずだ。
「脅威だった海竜の肉がこんなに美味しいとは」
海竜は大量に獲れたので、船員や村人達にも提供された。
この島の住民は、久しぶりにお腹一杯食べられるようでとても嬉しそうだ。
またいつ海竜が現れるかもしれないので、探索を一時中断して彼らを輸送する事にもなった。
この島を出られる嬉しさもあり、村人達は楽しそうに談笑しながら焼いた海竜の肉を食べている。
「南方諸島のどこかに移住してもらうかな」
「それがいいだろうね」
似たような気候と環境なので、すぐに慣れるはずだ。
俺もエーリッヒ兄さんとそんな話をしながら食事を取っていたのだが、一つ気になる事があった。
「ヴェンデリン様、お肉のお代わりをどうぞ」
「うん、ありがとう」
「ヴェンデリン様は偉大な魔法使いなのですね」
「そうかな?」
「そうですよ。私なんて一匹も倒せなかったのに」
ルルの代わりに海竜を退治してしまったせいか、俺は妙に彼女に懐かれてしまったのだ。
海竜退治は導師もやっていたのだが、彼は元々子供受けがあまりよくない。
ブランタークさんは万が一に備えて準備はしていたが、実際に魔法を放っていない。
結果、俺は五歳の幼女に物凄く付き纏われていた。
「はははっ、ヴェルはモテモテだね」
ルルは魔法使いの素質がありながらも、現時点では中級レベルで、杖も持っていなかった。
海竜の襲撃頻度が上がって魔力の回復も万全とはいえず、もしあの時ルルだけが海竜を迎撃していたら負けていたかもしれない。
「そこにヴェルが救世主として現れたからね。魔法の威力も桁違いだし、好かれて当然だよ」
これは、エーリッヒ兄さんの発言である。
なお、彼も導師の事は軽くスルーした。
わざわざ導師が子供受けしない事実を口にして、彼に睨まれる必要はないというわけだ。
「ヴェル、お前は色々なタイプの女性にモテるな」
エルの奴、自分の事じゃないからって……。
あとで覚えていやがれ。
「ヴェンデリン様には奥様がいるのですか?」
「うん、それも複数」
エルは他人事なのをいい事に、軽くルルからの質問に答えていた。
「ヴェンデリン様ほどの偉大な魔法使いなら当然ですね。私も立派な魔法使いになって、ヴェンデリン様のいい奥さんになりますね」
「……」
そう言いながらニッコリと笑うルル。
現時点では娘のような年齢の幼女であったが、大きくなれば美人になると思う。
ただし、今は幼女でしかない。
愛でるよりも、保護する対象でしかないのだ。
「聞けばこの娘、家族がいないそうだぞ」
先ほど副村長から詳しい話を聞いたのだが、元々ルルは村の漁師の一人娘であった。
父親は彼女が生まれてからすぐ海竜に食われてしまい、その直後に母親も病で亡くなってしまった。
孤児となってしまったルルだが、生まれながらに魔力があったため、村の決まりとして村長に就任。
魔法使いが生まれなければ、副村長の家が代々村長を出す仕組みらしい。
戦闘力がある魔法使いに村長という地位を与え、実務は副村長が行うであろうから、半分名誉職みたいなものなのであろう。
「移住先で、魔法使いを村長にする必要もないからな」
そこなら海竜の襲撃もないわけだし、代々本来の村長で経験もある副村長に任せた方が安泰であろう。
ところが、ここでもう一つ問題が発生した。
村長としての役割を終えた彼女の養育を誰が担当するかであった。
『バウマイスター伯爵様、我々ではルルに魔法を教えられません。よろしくお願いします』
ルルは既に両親を亡くしている。
親戚もなく、魔法で海竜を追い払う仕事もなくなった。
そこで、彼女が立派な魔法使いになれるように養育してほしいと、副村長が俺に頼んできたのだ。
「ええと……」
「はい、喜んでお引き受けします」
俺が返事をする前に、エーリッヒ兄さんが了承してしまった。
「エーリッヒ兄さん?」
「断る理由もないじゃない。ルルちゃんは優秀な魔法使いになるわけだから、バウマイスター伯爵家で囲わない理由があるかな?」
エーリッヒ兄さんは優しくてイケメンだけど、貴族としても優秀であった。
ルルを俺が囲い込んで当然だと言う。
「身寄りのない魔法使いの子供、存在が知れたら貴族同士で奪い合いになるよ? その方が、ルルちゃんにとって大変になるかもしれない」
変な貴族に囲われると、一生大変な目に遭ってしまうかもしれないのは事実だ。
ましてや、ルルは女の子なのだから。
「幸いにして、ヴェルはルルちゃんに尊敬されているからね」
そして好かれてしまった。
俺の妻になると公言して、村人達や船員達もそれはよかったという顔をしている。
というか、誰か一人くらい異議を唱えてほしい……無理か……俺が村人でも伯爵様には何も言えないよな。
「暫くは、娘の面倒でも見ているのだと思えばいいんじゃないかな?」
エーリッヒ兄さんは随分と軽く言ってくれたが、翌日以降も幼女は俺の傍を離れなかった。
仕方がないので、魔法の訓練をさせながら島の住民達の移住作業を指揮する。
魔導飛行船に村人と荷物を載せ、携帯魔導通信機でローデリヒと連絡を取り、指定された開拓村へと運んでいく。
何往復かする必要があるので、俺達は島に残った。
海竜の襲撃に備えるためと、再びここから探索を始めるためだ。
「ルル、三番を一つ上げ」
「はい」
「四番も一つ上げ」
「はい」
「七番は一つ下げ」
「はい……ああっ!」
ルルに俺が考案した魔法の鍛錬方法をやらせてみたが、まだ子供なのですぐに失敗してしまった。
この鍛錬方法は目の前に十個の小石を並べ、まずは全部を目線の高さまで宙に浮かせる。
物を動かす魔法は基礎中の基礎なので、それを利用した鍛錬方法だ。
小石に番号をつけ、一つ上げと言ったら指定された小石を目線の高さから五十センチほど上げる。
下げと言ったら、同じく指定された小石を五十センチほど下げる。
簡単なゲームのような鍛錬方法であるが、これが意外と難しいのだ。
小石は十個あるので、すべて指示された高度を維持するのが難しい。
ルルのように不慣れだと、指示に従おうとして一つの小石を動かそうとした瞬間、他の小石のコントロールが疎かになって落下させてしまうわけだ。
「なかなか上手く行かないです」
「最初は誰も上手く行かないものさ」
「ヴェンデリン様もですか?」
「これは俺が考案したんだけど、考案者でも駄目だった」
アグネス達にも教えてやらせたのだが、やっぱり最初は全然駄目だった。
一時間続けてできるようになったら、大したものというレベルの鍛錬方法なのだ。
ブランタークさんは、何の苦もなく三時間ほどやってみんなを驚かせていた。
導師は十分も保たないで、逆の意味でみんなを驚かせていたが。
「さて、休憩だな」
「ルルは大丈夫ですよ」
「ルル、魔法の道は一日にして成らず。鍛錬も大切だが、ちゃんと休憩もしないと駄目だよ」
「わかりました」
実際に接してみると、ルルは素直で可愛い子であった。
話をしたり、魔法を教えていると、まるで娘でもできたかのような気持ちになってくる。
これからフリードリヒ達も大きくなって話をしたり、一緒に遊んだりできるようになるであろうから、その予行練習のような気持ちになってくるのだ。
「今日のオヤツは、魔の森のフルーツを使ったケーキだよ」
「うわぁ、凄いです」
魔法の袋から取り出した生クリームとフルーツたっぷりのケーキに、ルルは目を輝かせた。
この島にも甘味は存在していたが、それはサトウキビから採れる砂糖のみ。
しかも、これは生きるためのカロリーベースとして計算されている。
オヤツでお菓子を食べる余裕など、この島には存在しなかったのだ。
「いただきます」
ルルは、美味しそうにケーキを食べている。
鼻の先にちょっとクリームがついているのも、余計にその可愛らしさを増していた。
「なるほど、この前イーナが読んでいた本にあった。とある男性が小さな女の子を引き取って、理想の女性に育て上げるんだ……うべら!」
「ヴェンデリン様、エルさんはどうして倒れているのですか?」
「石にでも躓いたんじゃないかな?」
「そうなのですか?」
「ルル、王都のお店で買ってきたクッキーもあるよ」
「わーーーい、ありがとうございます」
俺は妙な事を抜かしたエルに、ルルから気がつかれないよう『エアハンマー』で地面に押しつけた。
エルは、まるで車に轢かれたカエルのように地面にへばりついている。
人を光源氏扱いしやがって。
というか、この世界にも似たようなお話があるんだな。
なぜイーナがそんな話を読んでいたのか、ちょっと疑問が残ってしまったが。
「あとは夕方まで訓練して、夕食後には簡単な漢字を教えてあげよう」
「ありがとうございます」
この島の住民はひらがな、カタカナの読み書きはできた。
ルルもまだ五歳なのに、頭がいいようでほぼ読み書きはできる。
でなければ、この幼さで納得して海竜の迎撃はしないよな。
だが、漢字が読める人がいなかったので、俺がルルに教育する事にしたのだ。
魔法使いが記した本の大半は、漢字が使用されている。
漢字を覚えないと本が読めないので、急ぎ覚える必要があったのだ。
「ヴェンデリン様のお話が聞きたいです」
「昔のお話でいいかな? 俺はルルよりも魔法に目覚めたのがちょっと遅かったな。暫く一人で修行をして、たまたま師匠に出会って……」
「凄いです」
純真なルルは、俺の話を目を輝かせながら聞いている。
一緒に夕食を食べ終わると、少しの時間、簡単な漢字から教えていく。
ルルはまだ幼いので就寝の時間は早いからだ。
俺も特にする事がないので、漢字の勉強が終わると彼女が早く寝つけるようにお話をしてあげた。
まるで父親のような事をしているが、副村長は涙を流して喜んでいる。
「この子は父親の顔を知らないのです。きっと今のルルは、バウマイスター伯爵様を父親のように思っているのでしょう」
いや、副村長。
感動しているところを悪いんだが、あんたの認識は一歩遅いと思う。
「ヴェンデリン様、ルルは早く大きくなっていいお嫁さんになりますね」
「……それは楽しみだなぁ」
拒絶するとルルに泣かれるような気がして、どうせ大きくなるまでの間に、別のいい男性が現れるさ……。
無理やりそう思う事にして、彼女におとぎ話代わりに自分の昔話を続けるのであった。




