第九十二話 新たな仲間?と、意外な人達との再会。
「私。村の外に出た事が無いので楽しみです」
「今は内戦中で、あまり素晴らしい場所には行けないけど」
「大丈夫です。フィリーネは、旦那様に付いて行きますから」
「なあ。ヴェル……」
「旦那様。頑張れよ」
「今。お前に少しイラっときた」
巡回看護を行った翌日の早朝、俺達はまた馬に乗って野戦陣地へと戻っていく。
人数は、昨晩に村長に押し付けられたフィリーネという少女が加わって一人増えている。
帰りの道のりでは、エリーゼと一緒の馬に乗りながらえらくはしゃいでいた。
何でも、生まれてから一度もあの村を出た事が無かったようで、外の景色は何でも珍しいらしい。
エリーゼと楽しそうに話をしながら、楽しそうに途中の景色を楽しんでいる。
「フィリーネのご両親は?」
「お母さんは私が生まれてすぐに死んだって村長さんが言っていました。お父様は遠い場所にいるって」
「そうですか。フィリーネは一人で大変だったのですね」
優しいお姉さんであるエリーゼは、教会で孤児達の相手をしていたので子供の扱いに慣れていた。
一緒に話をしながら、上手くフィリーネの事情を聞き出している。
そして彼女を俺に押し付けられたエルは、果たしてハルカにどう説明しようかと思案中だ。
俺からすると二人はまだ婚約状態で、今は状況が状況なのであまりイチャイチャしているような光景は見た事が無い。
精々で、一緒に刀の鍛錬をしているくらいであろうか?
あまり恋人同士のような事をしていると、間違いなくタケオミさんが邪魔しに来るはずなので物理的に不可能なのであろうが。
あの人は『今は戦時である』とか良く言って二人を牽制しているが、本音は重度のシスコンなので妹とエルが仲良くする光景を見たくないのであろう。
「普通にメイド見習いとして扱えば問題無い。違うか?」
「正論だけに反論できねぇ……」
フィリーネに途中で手を出し、側室にするとかそういう話はエル自身の責任になる。
俺が関与する余地などないのだ。
「ヴェル。調子に乗っていると、その内に罰が当たるからな」
「忠臣の諫言に留意しておきましょう」
特にトラブルも無く、俺達は野戦陣地に戻る。
無事に巡回看護を終えたのでテレーゼに報告に行くと、彼女はフィリーネを見た途端にとんでもない事を口走っていた。
「何じゃ? 新しい妾かえ?」
「違いますよ。エリーゼが引き取ったんです」
「別に気にせぬでよいぞ。ヴェンデリンに何人妻がいようと、妾の気持ちは変わらぬ」
「そっちは、普通に諦めてください」
「それは不可能じゃの」
「不可能なのかよ……」
追うテレーゼに、かわす俺。
最近では、フィリップ公爵家の家臣達も生暖かい目で見るようになっていた。
さすがに慣れたのであろう。
「妾は、へこたれない女じゃからの」
「その根性を、内戦の終結と帝国統治に生かしてくださるように」
「ヴェンデリン。その辺の連中が言うような言動では興ざめじゃぞ。もっと、妾を楽しませい」
「俄か参謀にそういう仕事はありません」
テレーゼに俺に罵られて喜ぶ趣味があるというわけではなく、どうせ便宜上の名誉爵位持ちなので王様に付いている道化のような役割をして楽しませろという事のようだ。
勿論、俺にそんな才覚は無いのでお断りである。
王様の道化になれるような人とは、とんでもない才能と持つ人物だけなのだから。
でなければ、すぐに王様の怒りを買って処刑されてしまう。
ただ、皮肉や毒舌を吐けば良いというわけではないのだから。
「なかなかに可愛い娘じゃの。年は幾つじゃ?」
「はい。フィリップ公爵様。九歳になります」
「そなた。大きいの……」
道中でエリーゼが色々と聞いていたのだが、実はフィリーネはまだ九歳らしい。
どおりで、見た目に反して言動に幼い部分があるわけだ。
「それに、髪の色も特徴的じゃの……」
フィリーネは、俺達が帝国ではまだ一度も見た事がない銀色の髪をしていた。
「亡くなったお母様が、お父様が銀色の髪をしていたと言っていました」
「そうかえ。帝国には、銀色の髪の人間は滅多におらぬがの」
テレーゼの発言で、その場が一気に沈黙に包まれた。
帝国に銀色の髪の人間がいないとなると、残りは王国の人間という可能性が高くなるからだ。
「もし王国人だとしても一般庶民じゃないよね? 親善訪問団と決められた交易しか両国間には交友が無いし……」
ルイーゼが言うように、父親は商人か貴族かその随員という事になるが、王国でも銀髪の人間はそんなに多く無い。
貴族の中でも少なく、その中でも一番有名な一族となるとあの人物しかいなかった。
「ブライヒレーダー辺境伯様だね」
「ルイーゼ。他に候補者は?」
「親善訪問団に選ばれるくらい大物になると、ブライヒレーダー辺境伯様だけ」
「あなた。この娘の髪の色合いは、ブライヒレーダー辺境伯様にそっくりです……」
確かに、フィリーネの銀髪はブライヒレーダー辺境伯とほぼ同じに見える。
エリーゼにみならず俺にも、彼くらいしか似た髪色の人を思い付かなかった。
「フィリーネ。ちょっとお話があるんだけど……」
「何でもお聞きください。旦那様」
「(俺も旦那様か……)」
ここで話をしていても埒が明かないので、俺達は屋敷に移動してからブランタークさんも呼び出して話を続ける事にする。
「何だ? この娘っ子は?」
カタリーナと共同で行っている魔法使いへの訓練を抜け出して来たブランタークさんは、フィリーネを見て怪訝な表情を浮かべていた。
殺伐とした野戦陣地に、幼い少女は相応しくないと思っているのであろう。
一緒に戻って来たカタリーナと導師も不思議そうな顔をしていた。
「ヴェンデリンさん。新しい奥さんですか?」
「いや。そこでカタリーナがそれを言うかよ……」
「あははっ! バウマイスター伯爵は若くて羨ましい限りである!」
「導師。勘違いも甚だしいですよ」
別に、カタリーナと導師は戻って来なくても良かったのにと俺は思った。
「それで、この娘っ子は誰なんだ?」
「あのお爺さん。怖いです」
フィリーネは顔を近付けたブランタークさんが怖かったようで、エリーゼの後ろに隠れてしまう。
「俺。導師ほど怖くないと思うけどな……」
「導師様は怖くないです。このお爺さん怖いです」
「ブランターク殿。まだ幼き娘を怖がらせてはいかんぞ」
「珍しく子供に好かれたからって……」
ブランタークさんは、フィリーネに怖がられてしまい不満そうな表情を浮かべていた。
実は、お爺さん扱いされたのが一番不満なのかもしれないが。
逆に導師は、珍しく子供に怖がられなかったのでご機嫌だ。
「お話が長くなるので、これをどうぞ」
「うわーーー。美味しそうですね」
フィリーネは、エリーゼが準備したケーキを目を輝かせながら見つめていた。
王都の名店で買った物であったが、こういう時に魔法の袋は大いに役に立つ。
フィリーネは、大量の生クリームがホイップされたフルーツケーキを美味しそうに食べていた。
「まずは、これです」
俺は、フィリーネが持っていた一冊の古い日記帳をみんなに見せる。
俺達は、最初はあの村長が食い扶持を減らすためにフィリーネを差し出したのかと思っていた。
ところが、エリーゼが帰り道でフィリーネ本人から事情を聞くと、どうも他に事情があって俺達に押し付けたのが真相なようだ。
『なら、説明しろよクソ村長!』という気持ちが沸いてくるのだが、立場は俺達が圧倒的に上なので断られる事を恐れたのかもしれない。
ここに戻るまでに、フィリーネの持ち物にその事情とやらが書かれてあるのを知るのが精一杯であった。
「ちくしょう。あのクソ村長」
「まあ、そう言うでない。寒村の村長がこの娘を連れて親善訪問団が滞在していた迎賓館に訪問しても、まず門前払いが普通なのじゃから」
『ここに、王国の大貴族様の隠し子がいるのでお目通りを』などと言っても、普通は詐欺師扱いされるのが普通であろう。
頼まれもしないのに付いて来たテレーゼが、珍しくフォローを入れる。
それは、俺にもわかるのだが……。
「今回はまたとないチャンスだと、あのジイさんは考えたんだな」
「だから事情を言え!」
「下手に事情を言うと、俺達も内戦に参加していて面倒だからと断る可能性もあった。とか考えたのかも」
「こんなに小さい娘を戦場のある外に出して、危険だとは思わないのか?」
「それでも、ヴェルならブライヒレーダー辺境伯様に会わせてくれると思ったのでは?」
「妙に評価されているな」
「ヴェルは戦争で負けた事が無いからな。そういう評判は平民にも自然と流れるんだ」
俺は、エルの推論に妙な説得力を次第に感じ始めていた。
「ヴェル。その日記は読まなくてもいいのかしら?」
「読んでおくか。確認のために」
フィリーネはほぼ間違いなくブライヒレーダー辺境伯の隠し子なのであろうが、イーナにも促されたので、一応確認のために日記を読んでおく事にする。
一冊目は、フィリーネの亡くなった母親の物だ。
彼女は、前回の親善訪問団の時にブライヒレーダー辺境伯のお世話係りの一人に指名され、その時に彼と恋愛関係になったようだ。
その辺の細かな私小説のような話は省いて、ブライヒレーダー辺境伯が王国に戻った直後にあの村に戻って来て、その時には既に妊娠していた。
未婚の母としてフィリーネを産むが、彼女が幼い時に体調を崩してそのまま亡くなってしまう。
日記帳の最後には、残される幼い娘が心配だと書かれていた。
「親善訪問団の貴族の世話をしていて、担当がブライヒレーダー辺境伯だったそうです」
俺は、日記の簡単な内容をみんなに説明する。
「なんてこったい。紀行文だけじゃなくて、隠し子まで作るとか……」
「ブランタークさんは、気が付かなかったんですか?」
「前回は、導師やテレーゼ様とばかりいたからな。そんな俺にお館様は何も言わないどころか、『フィリップ公爵殿の護衛とは、光栄じゃないですか』とか言っていてな」
「それ。自分の逢瀬に邪魔だったからだと思う」
「だよなぁ……」
ルイーゼの指摘に、ブランタークさんはガックリと肩を落としていた。
「それで、証拠はあるのか?」
「それがあるんです……」
フィリーネは、村長からバッグ一つ分の荷物を持たされていた。
その中には、ブラヒレーダー辺境伯がフィリーネの母親に宛てた恋文、一週間ほどの逢瀬ではあったが子供が出来たら自分の子供であるという証明の手紙、ブライヒレーダー辺境伯家の家紋入りの豪華な装飾が施されたナイフなどが入っていた。
というか、そこまでするのなら連れて戻ればいいのにと思ってしまう。
もしかすると、本妻が怖かったのであろうか?
「言いたくはありませんけど、最低ですわね」
自身が高名な魔法使いなのであまり貴族に遠慮しないでいい立場にあるカタリーナなどは、結構露骨にブライヒレーダー辺境伯の所業を非難していた。
多分、エリーゼ達も同意見だと思われる。
文系好青年に見えるブライヒレーダー辺境伯の評価が大暴落した瞬間だ。
「恋文って、ブライヒレーダー辺境伯はこういう時でも文系だよなぁ……」
申し訳ないが中身を確認してみると、そこには『太陽のように美しい君』とか、『この胸の高ぶりを、君にどう伝えようか?』とか見ているだけで恥ずかしい文言が書かれている。
導師とエルも中身を見て、あまりの恥ずかしい内容にその場で腹を抱えて笑い出していた。
本人は真剣なのであろうが、第三者が見れば一種の喜劇で公開処刑でもある。
女性陣の冷笑と、男性陣のバカ笑いの差がシュールであった。
「ヴェルは、あまり手紙とか書かないよね?」
「苦手だから。ルイーゼよりは書く機会は多いけど」
「ボクも面倒だから、手紙とか嫌い」
前世では、メールすら億劫であった男だ。
必要も無い手紙をわざわざ書く趣味などない。
「それで、これは?」
続けてもう一冊の日記帳が出て来たが、そこにはもっと恥ずかしい物が書かれていた。
「『アマデウス・フライターク・フォン・ブライヒレーダーが愛しき君に送る。愛の詩』完全に空ぶってるな……」
その日記のページには、ブライヒレーダー辺境伯が自作した物と思われる恥ずかしい詩が記載されていた。
どうやら紀行文などは得意なようだが、恋文や詩などの才能は圧倒的に無いようだ。
俺にはどう見ても、ブライヒレーダー辺境伯の黒歴史にしか見えない。
もし俺がこんな物を書いてそれが世間に漏れたら、間違いなく自殺を考えるであろう。
そのくらい恥ずかしい出来の詩であった。
「ブライヒレーダー辺境伯様も意外と無責任ね」
「あまり感心できる行為ではありませんね」
常識人なので身分の高い人を非難するのを普段は避けるイーナに、あまり人の悪口を言わないエリーゼでもそうなのだから、今の時点でブライヒレーダー辺境伯の男と父親としての評価は地に落ちている状態だ。
庇っても無駄だと考えているブランタークさんは、何も言わずに黙っていた。
唯一の救いといえば、フィリーネが女性陣の同情を一身に受けている事であろうか。
「普通の女性って、こういう詩とかを貰うと嬉しいのかしら?」
「ええと……。恋は盲目と聞いた事があります。あくまでも本の内容なのですが……」
イーナは手紙や詩に書かれたブライヒレーダー辺境伯独特の恥ずかしい文章表現を見てから、一人ボソっと感想を述べる。
エリーゼも、自分がこの詩を貰っても嬉しくはないと思っているのであろう。
イーナにかなり曖昧な返答をしていた。
「ブライヒレーダー辺境伯様。詩人の才能はゼロね」
「お笑い芸人としての才能はあるかも」
「ルイーゼ。あんたねぇ……」
貴族のサロンなどで公開されれば絶対にウケるはずだが、それは笑いの才能では無くてただその詩を笑われているだけである。
笑われているようでは、お笑い芸人としての寿命は短いであろう。
その前に、お笑い芸人扱いでは本人も不本意であろうし。
「それで、あの娘がブライヒレーダー辺境伯の隠し子だと?」
「証拠が全て揃っているからな。フィリーネ」
「はい。旦那様」
俺もエルも、今のフィリーネからすれば旦那様のようだ。
声をかけられると、純真な笑顔と共に答えていた。
口の周りに少し生クリームが付いていたが、ブライヒレーダー辺境伯の血を受け継いでいる美少女なので余計に可愛かった。
「フィリーネ。クリームが付いていますよ」
「ありがとうございます。エリーゼ様」
エリーゼに口に付いたクリームを拭いて貰って、フィリーネは嬉しいようだ。
ヴィルマにも慕われる彼女の特性は、フィリーネにも発動していた。
「ええと。亡くなられたお母様の髪の色は何色だったのかな?」
「茶色でした」
「そうか。教えてくれてありがとう。ケーキの御代りが欲しいのならエリーゼに言ってね」
「はい」
フィリーネ本人は初めて食べるケーキに夢中なようで、自分の父親の事などどうでもいいようだ。
決して薄情なのではなく、生まれてから一度も見た事が無い父親の話をされても実感が湧かないのであろう。
「それでどうする?」
「それは勿論、ブランタークさんに」
「俺?」
まさか自分が指名されるとは思わず、ブランタークさんは目を丸くさせてしまう。
「だってほら、主君のご令嬢ですよ」
「それはそうなんだけど、俺は嫌われたっぽいしなぁ……」
フィリーネは少し変わった娘で、女性・子供受けが良いブランタークさんよりも導師の方を気に入っている。
なので、自分では面倒を見れないと彼から断られてしまった。
「というか、女の子なんだからそっちのお嬢さん達で面倒見てくれよ」
ブランタークさんは、エリーゼ達にフィリーネの面倒を頼みたいようだ。
「導師は……。無理だな……」
気に入られるのと、面倒を見られるというのは別問題だ。
それに、もしフィリーネが導師のようになってしまうと問題になるので、それは止めた方がいいかもしれない。
あとで、ブライヒレーダー辺境伯に恨まれでもしたら嫌だし。
「フィリーネよ。ケーキは美味しいかな?」
「はい。導師様」
「それは、良かったのである」
「変わった娘だなぁ……」
子供と女性ウケが良いブランタークさんが怖がられてしまい、逆にウケが悪い導師を怖がらないどころか、逆に気に入っている節もあるのだから。
可愛い容姿をしているのに、意外とゲテモノ好きなようだ。
「ここはやっぱりブランタークさんが? ほら、娘が生まれた時に備えて」
「それは、嫁さんが妊娠してから考慮する。というか、伯爵様はエルの坊主に預けるんじゃないのか?」
ただの庶民の娘ならそれでも良かったのだが、今ではブライヒレーダー辺境伯の娘である事が判明している。
となれば、それなりの対応が必要になるであろう。
このタイミングで、俺達はまた難儀を背負い込んだわけだ。
「そうですね。お館様の仰る通りです」
公の席でも無いのに、エルが俺をお館様と呼ぶ時は大抵碌でもない理由だ。
エルの顔には、してやったりという表情が浮かんでいた。
「家臣の身で、王国南方の雄であるブライヒレーダー辺境伯様のご令嬢を見習いメイドとして扱うなど非礼に当たります。ここはお館様にお任せするしか」
正論だが、エルの意図は一度俺が押し付けたフィリーネをお返しする口実が出来て嬉しくて堪らないのであろう。
まさかのフィリーネの出自に、俺が手痛いしっぺ返しを受けたわけだ。
「エル。本音を言ってごらん」
「どう考えても、ヴェルが預かるしかないじゃん。ざまぁ」
「反論できねぇ……」
エルはわざと恭しく頭を下げながら意見を述べていたが、その顔には清々しい笑みが浮かんでいる。
明らかに、厄介のタネを俺に押し付けられて嬉しいという風にしか受け取れなかった。
「お前のその爽やかな笑みに、ちょっと殺意が沸いた」
「現実問題として、ヴェルが預かるしかない」
「だとしてもだ……」
エルとのこの手のやり取りは、俺がバウマイスター伯爵で無くてヴェンデリンとしての自我を保つために必要なので問題ない。
エルも公式の場では弁えるので、問題になった事も無い。
それよりも、俺がフィリーネを預かって後にブライヒレーダー辺境伯に返しに行くと確実に嫁として押し付けられるという点にあった。
「フィリーネが十五歳になると、ヴェルは二十二歳。全く違和感がないな」
「しかも、隠し子だから序列が低くても何の問題もないわね」
エルとイーナの見解に、俺は溜息しか出なかった。
確実にブライヒレーダー辺境伯がそう言うであろうからだ。
「旦那様。私。邪魔ですか?」
つい熱を入れて話をしていると、いつの間にかケーキを食べ終わっていたフィリーネが目を潤ませながら聞いてくる。
どうやら話の流れから、自分がいらない人間なのではないかと思ってしまったようだ。
「そんな事は無いよ。ちょっとフィリーネをお父さんと会わせるのに時間がかかるから、その間にフィリーネに色々と習って貰おうと思って」
「お父様に会えるのですか?」
「外国に居るし、今は事情があって会わせる事が出来ないから、その間にフィリーネには少しお手伝いをして貰おうと思って。エリーゼ」
「はい」
「そういうわけだから、基礎的な教育を空いている時間にお願い」
「わかりました」
俺はエリーゼの両肩に手を置いて、フィリーネへの教育を頼んでいた。
「貴族の令嬢として、最低限の礼儀とかですかね?」
「エリーゼも忙しいだろうから、あとはメイド見習いでも構わないと思うけど」
父親がブライヒレーダー辺境伯なので、会わせるにしても最低限の儀礼などは必要なはずだ。
それっぽい衣装などは後でどうとでもなるし、今は内戦の終結が最優先である。
「それでしたら、私も手伝いますわよ」
どうやら、貴族としての行儀作法を教えるという話がカタリーナの心の琴線に引っかかったらしい。
彼女は、自分もフィリーネの教育に参加する事を希望した。
「ケーキ。美味しい」
ずっと静かにしているヴィルマは、自分もエリーゼからケーキを貰って美味しそうに食べているだけだ。
自分に、貴族としてのマナーを教えるなど出来ないと思っているのであろう。
「えっ? カタリーナが?」
「私は一度は没落したものの、諦めずに貴族として必要な事を学び、今にそれが生きておりますもの。フィリーネさんの事も安心して任せると良いですわ」
「そうか?」
「ヴェンデリンさん。私の貴族としての振る舞いに何かご不満でも?」
「カタリーナの貴族としての振る舞いは、少しわざとらしい」
形式に捕らわれ過ぎているし、常に前屈みで全力投球しているように見えるので、どこか一杯一杯で余裕が無いように見えてしまうのだ。
あとは、たまに思いっきり空回りしているのも問題であろう。
「ヴェンデリンさんは大人し過ぎるのです。貴族とは本来はこういう物でしてよ」
俺も俄か貴族なので良くわからないが、貴族が全員カタリーナみたいだと、それはそれで困ってしまうような気がする。
「それに、フィリーネが俺やカタリーナに似てボッチ体質になっても困るし」
「ですから、私はボッチではありませんのに!」
「ボッチな人ほど、自分はボッチでは無いというんだよ」
「旦那様。ボッチって何ですか?」
「カタリーナみたいな人の事さ」
「ですから、私はボッチではありませんのに!」
俺とカタリ-ナの掛け合いに、フィリーネは一人首を傾げる。
そして静かにしているルイーゼであったが、彼女は一人しょんぼりとしていた。
「どうしたの? ルイーゼ」
「あのフィリーネって娘。ボクより七歳も下なのに、ボクよりも身長が十センチ近くも高いんだ……」
理由を尋ねたヴィルマに、ルイーゼは己の成長速度の遅さを嘆く。
確かに、ルイーゼとフィリーネを比べると大半の人がフィリーネの方が年上だと思うであろう。
「でも、小さい方がヴェル様に撫でて貰いやすい」
「ボクは大人の女だから、撫でて貰っても嬉しくない」
「そう? カタリーナは、たまに撫でて貰って喜んでいる」
「似合わないね」
「大きなお世話ですわ!」
二人の会話がカタリーナに漏れ、彼女はルイーゼの発言に大声でツッコミを入れる。
結局フィリーネの扱いは、表面上は俺の見習いメイドとして傍に置く事にして、教育はエリーゼ達が交代で行う事が決定する。
当然周囲には秘密で、テレーゼにも秘密にして貰っている。
テレーゼも大貴族なので、その手の話を漏らさないのは国は違えど貴族としてのマナーのようで快く引き受けて貰った。
「その代わりに、貸しが一つじゃの。何で返して貰おうかの」
「……」
俺は、この場にいないブライヒレーダー辺境伯をわずかながらも恨んでしまうのであった。
「テレーゼ様。お茶をお持ちしました」
「すまぬの」
フィリーネを受け入れて一週間、テレーゼが言うにはそろそろニュルンベルク公爵が軍勢を集めて攻め寄せて来るはずであったが、なぜかその気配が無い。
エリーゼが調整したメイド服を着たフィリーネは、俺達の家の中で家事手伝いや貴族の令嬢としての最低限のマナーなどを習いながら生活していた。
元々、あの村でも居候だったので最低限の家事などはしていたようだ。
思ったよりもテキパキと仕事をしている。
そんなフィリーネは、なぜかうちを訪ねて来たテレーゼにお茶を淹れ、彼女はそれにお礼を述べる。
何をしに来たのかは知らないが、間違いなく碌でも無い事であろう。
彼女の言動が俺の胃に良くないのは、もはや決定事項であった。
「これは、極秘情報なのじゃがな……。ヘルムート王国派遣軍とやらが、壊滅したようじゃぞ」
「はあ?」
最初、俺はテレーゼが言っている事の意味がわからなかった。
「例の装置のせいで、ヘルムート王国北部も魔導飛行船の運行と通信が阻害されておるようじゃな。親善訪問団の消息も不明じゃし、『ヘルムート王国の王宮は、出兵論を抑えられなかったのでは?』というのが、妾と他の貴族達の推論じゃの」
「陛下……」
手柄や領地欲しさの貴族に、予算増を狙う軍部に、今の今まで親善訪問団の消息が不明という点も大きいのかもしれない。
通信が不可能なので諜報網が不全で情報もほとんど手に入らず、不安に思った貴族から限定的な出兵論が出て、それを抑えられなかった可能性もある。
ただ、これらの意見は全て推論である。
通信が不可能なだけで、ここまで何も情報が入って来ないとは困った物であった。
テレーゼも、従来の早馬や伝書鳩による諜報網の構築でどうにか情報を集めているが、その速度と精度の劣化は著しかったからだ。
お互いの密偵が殺し合っている事もあり、時には全く情報が入って来ない事もあった。
「完璧な情報ではないがの。様子見と、隙あらばギガントの断裂北部の占領でも狙っていたのであろう」
即席のロープウェーによる人海戦術で、推定五千人から八千人ほどのヘルムート王国軍が帝国領内に侵入して一部領地を占領するも、疾風の如く夜襲をかけてきたニュルンベルク公爵自ら率いる騎馬隊によって王国軍は壊滅したそうだ。
「王国軍。弱いなぁ……」
味方とはいえ、情けなくなるほどの弱さである。
「ニュルンベルク公爵は、普通に軍で活躍しておれば名将じゃからの」
足の遅い歩兵を後方に置き去りにしてでも、ギガントの断裂を渡ったばかりで疲れていた王国軍に速攻で夜襲をかけたかったようだ。
騎馬隊のみで戦力に不安があっても、時の利を逃したくなかった。
ニュルンベルク公爵が名将である証拠とも言えよう。
「それで、王国軍は?」
「かなりの貴族が討たれたようじゃな。誰かまでは情報が不足しておるが」
王国軍の指揮官に、北部の貴族でも兵を出していた者がいたのかもしれない。
何にせよ、聞くまでも無く王国軍は壊滅だ。
戻ろうにもロープウェーを渡らないといけないし、敗走してもギガントの断裂を渡らないと安全圏など無い。
「敗残兵狩りでやられるか、落ち武者狩りでやられるか、諦めて降伏するかじゃの」
「でしょうね……。それで、こちらに攻め寄せるのが遅れていると?」
「ヘルムート王国による次の出兵があるのか? 全滅したので萎縮して様子見するか? 見極めてから、こちらに攻め寄せてくるであろうな」
あとは、あまり敗残兵を放置すると治安が悪化してしまう。
ヤケになった敗残兵が、食料欲しさなどに村や町を襲う可能性があるので、ニュルンベルク公爵はそれらを掃討する義務があるからだ。
「クーデター政権だからこそ、民衆の支持を得られるように動くと?」
「どの程度が逃げおうせたのかは、全くの不明じゃからの。意外と手間取るかもしれぬ」
「反乱軍を、何人道連れにしてくれますかね?」
「そなた。味方なのに恐ろしい事を言うの」
俺にとって、王国軍は味方ではある。
だが、この状況で南に千五百キロも離れた敗残兵に手を差し伸べる余裕などない。
この混乱した状態で、ギガントの断裂をロープウェーで渡って中途半端な数の軍を侵攻させること自体が無謀なのだ。
更に、こちらとしては余計に情勢が混乱してしまって、下手をすると解放軍の敗北要因にもなりかねない。
数千人の王国軍を一撃で粉砕したとなれば、ニュルンベルク公爵は己の武勲を高々に語り始めるであろう。
それにより、彼に付いて行ってしまう貴族や民衆が増える可能性があるのだ。
それを考えると、誰が率いたのかもわからない王国軍を助ける気など一切沸いてこなかった。
俺達の足を引っ張る存在だからだ。
「主戦派を抑えきれなくなって、ニュルンベルク公爵に抹殺させたのかな?」
帝国内乱の情勢がほとんど入ってこない事で、王国で無謀な出兵論を唱える貴族が増えた。
そこで、『じゃあ、お前らだけで先遣隊を組んで行け』という話になったのかもしれない。
確率は低いが成功すれば万々歳で、失敗しても帝国軍が始末してくれるとか考えたのかもしれなかった。
王国政府にいる、怖い方々が。
「ギガントの断裂から、ここまで直線でも千五百キロですよ。反乱軍と解放軍の現在の勢力図と軍の配置状況を掴んで、ここまで組織的に敗残兵を纏めて逃げてくる指揮官の存在は期待薄ですね」
「そんな凄腕の指揮官がいたら、そもそも最初から全滅せぬであろう」
「それを言われるとなぁ……」
「ニュルンベルク公爵による適切な夜襲で、王国軍はホウセンカの種のように一撃で飛び散ったようじゃの。ただ、その夜襲で討たれた兵力は半数にも満たないらしい。よって反乱軍は、バラバラに別れて敗残兵狩りをしているようじゃ」
テレーゼからの情報はそこまでであった。
帝国南部に潜伏・逃走している敗残兵を壊滅させるまでは、ニュルンベルク公爵は動かない。
そんな事情もあって、俺達はソビット大荒地の野戦陣地に籠る事になる。
また手薄だからと城塞や町を占領しても、そこを占領した軍勢がモグラ叩きのように叩かれてしまうので、今度は素直に籠っているようだ。
軍勢が増えたので、陣地、土壁、防馬用の溝などの工事が進み、軍団の編成と訓練なども行われる。
兵士が増えたので、彼らの目当てにした商人が集まって町のような物も出来ていて、他にも戦地では付き物である色町などの管理も必要であった。
当然、その負担は全てテレーゼに行く事になる。
「妾に色町など必要ないのじゃがな。放置すると密偵が入ってくるし、病気でも蔓延させられたら戦力が落ちる。全く、未通女である妾がどうして……」
王国軍の潰滅からおよそ一か月半、テレーゼは執務室で娼婦に安く販売する性病予防薬の予算書にサインしながら溜息をついていた。
「俺にも、色町なんていりませんけど」
「ヴェンデリンは、五人も嫁がおるからの」
俺は、新しく開設される娼館の営業許可証を見ながら、書類の不備などを探していた。
最初は少し戸惑ったが、こうして実際に書類仕事をしてみると前世の記憶も役に立つ物である。
「うちの嫁さん達に襲い掛かるバカがいるかもしれないから、娼館は必要悪かな?」
「それは愛妻家で結構じゃの。何なら、妾も混ぜてくれて一向に構わぬぞ」
「はははっ。面白い冗談ですね」
「サラリと流しおって。しかし、頭の痛い問題ばかりじゃの」
軍勢が集って編成も終わり、訓練もしているし、野戦陣地の拡張も順調である。
だが、数万人の軍勢が戦わずに長滞陣しているのだ。
消費する食料だけを考えても、テレーゼと解放軍の経理担当者は頭を抱えているであろう。
「戦功による褒美は後回し。余裕のある貴族には食料や金銭の供与まで頼んでいる。中央を抑えているニュルンベルク公爵が羨ましいの」
援助をして貰っている貴族には、色を付けてお返しをしないといけない。
貴族の世界に、ボランティアとか寄付という言葉は無いのだ。
教会や貧民に対する寄付は、寄付によって名声などの利益を得ているのでアレを純粋な寄付とは誰も思わない。
もう一度言うが、貴族の世界にボランティアとか寄付という言葉は無い。
「反乱軍は、中央の国庫で何とかしているであろうからな」
一見良くは見えるが、それは大切な帝国資産の切り崩しという犠牲の元に成り立っている。
外征ならば領地なり略奪した物資や金銭で利益が出る事もあるが、内乱なので帝国内の金と食料と物資を食い潰しているだけである。
内戦が終わって、テレーゼ達が帝都の皇宮にある蔵に入ったら空でしたという可能性も十分にあるのだから。
「ヴェンデリンがいて助かっておる」
「そうですか?」
「他の貴族連中も、ヴェンデリンの手前、あまり強欲な事も言えないからの」
解放軍の中で一番武勲を挙げていて、他にも野戦陣地の構築、周辺の占領地域への治療魔法による巡回看護、更には参謀としてテレーゼの補佐を行っているし、食糧や金銭なども相当に持ち出している。
そんな俺が、名誉伯爵への叙勲以外で特に恩賞も貰っていないので、他の貴族も言い難いという事情があるそうだ。
「あとでちゃんと恩賞を出さないと、第二の内乱発生ですね」
「厳しい事を言うの。当然恩賞はちゃんと出す」
帝国の国力であれば十分に可能であろうが、財政への負担で暫く帝国はガタガタであろう。
解放軍に参加した貴族で新しい帝国の権力図を作らなければならず、そのためにはなるべく反乱軍に参加した貴族の領地や爵位を削らないといけない。
だが、あまりそれをやり過ぎると、また第二の内乱だ。
その匙加減の難しさに、俺ならばとっと逃亡して亡命しているであろうなと思っていた。
地球で言うと、褒賞の分け方の失敗で滅んだ項羽のようになってしまいそうだからだ。
「本当に、他に最適な人物がいたらとっくに譲っておるわ」
「それはご愁傷様です」
「何を他人事な。ヴェンデリンへの褒賞にも関わってくるのだぞ」
まだ銅貨一枚貰っていなかったが、名誉伯爵の年金と、あとは傭兵としての個別の依頼達成などで結構な現金を貰う予定になっている。
あとは、ソビット大荒地周辺の廃坑からの金属資源の回収で大分潤っている。
魔力を大量に使うが、魔力量を増やす鍛錬には便利だし、他の魔法使いでは届かない地下の新鉱脈から金属資源が採れるので、少なくとも損はしていなかった。
テレーゼは何も採れない廃坑だと思っているが、俺にとっては宝の山なので双方の利害が一致していたのだ。
「なかなかの金額なので、別の褒美も考えてあるがの」
「現物支給ですか?」
「察しが良いの。試しに書類を正式に認めたぞえ。欲しければ、サインをするが良い」
「どれどれ……。おいっ!」
その書類には、俺にテレーゼを差し上げるという内容が書かれていた。
しかもご丁寧に、公的な効力を発揮するように正式な文体で書かれている。
俺がサインをすると、正式にテレーゼが俺に譲渡されてしまうのだ。
「おいっ! 次期皇帝」
「アーカート十七世が生きていて、まだ自分でやると言うかもしれぬではないか」
「無理に決まっているじゃないか」
生きていても、在位直後にクーデターで政権を追われた皇帝になど誰も付いていかない。
何よりも困るのは、解放軍の戦功など無視して自分の都合で褒賞や貴族の再編成などを決めてしまう事だ。
中央で反乱軍に組していたり、捕まっていたり、中立を保った貴族に配慮して解放軍に参加した貴族を蔑ろにすれば、間違いなく第二の内乱が発生するであろう。
「冗談じゃよ。妾に精一杯種付けをしたければ、いつでも妾の部屋に来るがよい」
「テレーゼ様は、相変わらずですね」
「いい加減に諦めたらいかがですか?」
「妾は、しつこいのが生来の気質でな」
俺とテレーゼの会話を聞きながら静かに書類を処理していたエリーゼとイーナが、いつものように静かに切れていた。
ここ一か月ほどの風物詩になっていたが、テレーゼは全く諦めるつもりはないようだ。
「エリーゼとイーナに手伝って貰えて、仕事が減って大助かりじゃ」
そしてこの一か月で、テレーゼは妻達を呼び捨てで呼ぶようになっていた。
本来自分が処理すべき書類の一部を回しているのも、エリーゼ達を信用しての事である。
強かにもテレーゼは、俺達がどう転んでもニュルンベルク公爵側に付かないと理解して、こういう仕事を振って傍に置いているのだ。
「さてと。今日の書類はこれで……「失礼します!」」
大量の書類が無くなるのと同時に、突然フィリップ公爵家の若い家臣が一人飛び込んでくる。
どうやら、火急の用事があるらしい。
「ニュルンベルク公爵でも攻めて来たのか?」
「いえ。外にみずぼらしい乞食のような集団がいるのですが……」
男性ばかりで風呂にも入っていないようで汚いが、馬に乗っている者もいるし、全員武装して目がギラギラとしている。
人数も千人以上はいるようで、敵襲かと思えば『自分達は、ヘルムート王国軍である!』と言っていて、どう対処したものか守備兵がお伺いを立ててきたのだ。
「味方なのか?」
千五百キロを一か月で移動する事は、地球よりも少し体が頑丈なこの世界の人間ならば不可能ではない。
だが、山道や魔物の領域を含む敵地を超えて、ここまで千人以上の集団を保っている事の方が異常であった。
「偽装かな?」
「知己がいるのか、顔を出せば良いではないか」
「それもそうですね……」
俺よりも王国の貴族に詳しいエリーゼを連れて、俺は野戦陣地の正面門近くの土壁の上へと登る。
眼下には、髪も髭も伸ばし放題で、王国軍だとわからないように紋章の入った鎧や盾を捨てて来たので汚い服装の男性が多数集まっていた。
見ようによっては山賊にも見え、なるほど警備兵達が緊張しているわけだ。
もしかすると、王国軍の敗残兵に見せて実は反乱軍という可能性も否定できないのであろう。
「指揮官はいるのか!」
俺が大声で叫ぶと、集団が割れてそこから二名の男性が現れる。
「あれ? どこかで見たような……」
過去に会っているような気がするが、なぜか思い出せない。
髪も髭も伸ばし放題なので、余計に見分けがつかないのだ。
「エリーゼは、わかる?」
「ええと……。何名かは、治療した事があるような……」
子供の頃から王都の教会で治療をしていたエリーゼは、とにかく顔が広い。
彼女に治療されて感謝している人も多く、それが彼女の『聖女』という二つ名にも繋がっていたのだ。
「エリーゼ様! 昔に治療をしていただいたアレクシスです!」
「聖女様! 俺は五年前に治療していただきました」
数十名の男性が、エリーゼを見付けて大声でお礼を述べている。
偽装という可能性も捨てきれないが、その内の何名かをエリーゼ自身が覚えていたのが大きかった。
そして、先に前に出て来た二名の男性が俺に声をかけてくる。
「バウマイスター伯爵。よもや忘れたとは言わせないぞ!」
「紛争で私達を散々に打ち破っておいて、忘れたでは立つ瀬がありません!」
「出た! 元ブロワ兄弟!」
二人の指揮官はかつてブロワ辺境伯家との紛争で争った、今は元ブロワ家の人間になっている、兄フィリップと弟クリストフであった。
「お代り!」
「私も!」
野戦陣地に押し寄せた山賊のように汚い集団は、本当に敵中を突破してきた王国軍の生き残りであった。
念のために反乱軍の密偵がいないかを数時間かけて確認してから彼らは収容され、髪を切り、髭を剃り、風呂に入って出された食事をマナーも忘れて貪るように食べている。
他の兵士達も、他の場所で食事の最中であった。
「まさか。元ブロワ兄弟とは……」
「バウマイスター伯爵。過去の因縁はともかく、その呼び名は止めてくれ」
「私達の今の家の家名は、フレーリヒなので」
辺境伯の次期当主候補から、王都の名ばかり法衣騎士家の当主と家臣へと転落した兄弟は、あまり貴族同士の交流にも呼ばれず、エドガー軍務卿などのツテで軍や役人の仕事をしていたはずだ。
「なるほど。帝国の内乱に乗じて領地を得ようと軍を出したと」
「バウマイスター伯爵は、何か勘違いをしているようだな」
「今のうちに、これだけの兵力を出せる余裕などありません」
フィリップとクリストフに指摘され、俺はこの二人の財力では軍勢など出せるはずがないという事実に気が付く。
「では、なぜに兵を?」
「レーガー侯爵家だ」
「レーガー侯爵家?」
「軍系法衣貴族の名家です。あなた」
相変わらずなかなか貴族の名前が思い出せない俺に、エリーゼがそっと教えてくれる。
「バイマイスター伯爵よ。奥方が聖女殿で良かったな」
フィリップは、なかなか貴族の名前と顔を覚えない俺に呆れたような表情を向けていた。
「その件については賛同する」
「話を戻すぞ」
このレーガー侯爵家は、対帝国強硬派で有名なのだそうだ。
何でも、過去に当主を戦争で七名も戦死させているらしい。
帝国への恨み骨髄というわけだが、既に最後の戦死者が出てから二百年以上も経っているので恨みの実情は怪しいところだ。
「今は仇討ちというよりは、停戦維持派であるエドガー軍務卿やアームストロング伯爵家へのアンチテーゼであろうな」
これは俺も知っていたが、実はこの両家は見た目とは違って停戦を保持したい穏健派であった。
いつあるかわからない戦争に向けて準備は怠らないが、出来れば戦争などしたくないと思っているのだ。
「軍上層部の本音としては、戦争なんて本当は嫌だからな」
フィリップの言う通りで、実は軍の偉い人ほど戦争を嫌がる傾向にある。
戦争が無ければ決まった年数は今の地位で安泰でいられるのに、もし戦争になって負けでもしたら責任を取らされてその地位を追われてしまうからだ。
「戦争を望むのは、一部の野心的な中堅とか、今は主流派から外れているレーガー侯爵家とかだな」
「もう一つ。レーガー侯爵家を追い詰めたのは、バウマイスター伯爵ですよ」
「俺?」
クリストフが話に加わってきて、レーガー侯爵家が暴走した原因は俺だと言い始める。
「なぜ俺が?」
「軍はこのところ軍縮傾向にありました。王国政府としては当たり前の選択でしたが、軍の幹部達は面白くなくて当然です」
陛下は、徐々に軍縮を行っていた。
だが、ポストなどのパイが減れば当然軍系の貴族達は不満を述べる。
「その不満が、対帝国出兵論に化ける未来も可能性としてはありました」
それを防いだのが俺だと、クリストフは言うのだ。
「わかりませんか? パンゲニア草原とヘルタニア渓谷ですよ」
治安維持を行ったり警備をする場所が増えたので、実質的には軍の予算とポストは増えている。
帝国と戦争をしないでも予算が増えたので、ほとんどが元の停戦派に戻ってしまったのだ。
「レーガー侯爵家が嬉しいはずもありません」
そこで、賛同者をある程度集めてから陛下に出兵案を提案したらしい。
「普通ならば突っぱねて終わりですが、北部の魔導飛行船や通信の停止に、親善訪問団の消息不明がありました」
いくら帝国に問い合わせても、碌に返答すら来ないのだ。
国家の威信を考えると、様子を見るために兵を出さざるを得なかったというのが真相のようであった。
「それで?」
「レーガー侯爵家が総大将になって、八千人の先遣隊がギガントの断裂を渡りました」
様子見なので静かに偵察部隊を出しながら慎重にやれば良かったのだが、無能にもレーガー侯爵はロープウェーを守る部隊と偵察で見付けた町などを占領する部隊に軍を分けてしまった。
「自ら陣頭に立って、嬉々として略奪をしていたそうです」
「それで、あなた達も兄弟して略奪に勤しんでいたと?」
「言ってくれますね。バウマイスター伯爵殿」
クリストフの目が釣り上っていた。
俺とこの兄弟の過去の因縁を考えると、いくら遠い帝国領内で再会したにしてもそれを喜べるはずがない。
いくら落ちぶれてもフィリップは法衣騎士ではあるし、クリストフも俺に謙りたくないのであろう。
「俺達は、エドガー軍務卿に言われて従軍したのさ。バカなレーガー侯爵の御守りのためにな」
そういえば、前にエドガー軍務卿から聞いた事がある。
フィリップは、軍人としては優れていると。
厳しい条件ではあるが、上手くやれば功績は大で昇爵の可能性もある。
弟のクリストフも、功績稼ぎのために軍官僚として従軍したのだそうだ。
「そんな事情もあって、いきなりレーガー侯爵に煙たがられてな」
「レーガー侯爵も相当に無能ですがね。私達の経歴を見れば、下がいて大いに安心したのでしょうね」
『家と領地を失った無能兄弟は本陣でも守っていろ』と、後方の本陣で王国軍五百名ほどを率いて待機していたらしい。
後方にいたからこそ、ニュルンベルク公爵の夜襲を防げたのは皮肉としか言いようがなかった。
「それで、レーガー侯爵は?」
「ニュルンベルク公爵自身に斬られたそうだ。逃げて来た兵士達がそう言っていた」
馬に乗ったニュルンベルク公爵自らの剣による一閃で、クビがポンと上空に飛んだらしい。
総大将の討ち死にで、派遣軍は大混乱に陥る。
しかもご丁寧に、他の参陣した貴族達も軍勢を割って略奪に勤しんでいたようで、彼らも各個撃破の対象になっていた。
「俺達は、生き残りの敗残兵を収容しながら北方に逃げたわけだ」
南方のロープウェーは臨時で作った貧弱な物であったし、すぐにニュルンベルク公爵によって落とされてしまったそうだ。
敗走ルートの予測も簡単であろうから、ロープウェーに逃げた将兵は討たれるか降伏して捕虜になったはずだとフィリップは説明していた。
「何で、北方に逃げるかね?」
「帝国が内乱状態なのは知れていたからな。何とか中央を押さえている反乱勢力の対抗勢力と合流できないかなと」
「ギガントの断裂のどこかで、またロープウェーを張って逃げるという手は?」
「誰がロープを張るんだ?」
最初に帝国領に侵攻する時に張ったロープウェーのロープは、貴重な諜報員が張るのを協力してくれたらしい。
だが、帝国側にいる敗残兵が王国側にロープを張る手段が無い。
騒いで対岸の人に頼もうにもその人がいないし、騒げば敗残兵がいると地元の住民達に通報されてしまうからだ。
「あれ? 北方千五百キロ横断は意外と好判断?」
「魔法具や魔法の通信が阻害されていたからな」
フィリップはクリストフと共に、半ば本能的に軍勢を北上させた。
途中で味方の敗残兵を収容し、時には小規模な捜索隊や地元貴族の指揮する捜索隊を撃破する。
食料は、王国軍に所属している魔法使い達が魔法の袋を持っていたので、それを細く食い繋ぎながらなるべく人気の無い山道などを進んだ。
鎧や盾には王国の紋章があるので途中で廃棄し、道がわからなければ見付けた地元住民を拉致して道案内をさせる。
可哀想ではあったが、案内を終えたら一応は金貨などを渡して解放したそうだ。
「通信魔法の阻害のおかげで助かったな。あれが無ければ、途中で捕まるか全滅であったと思う」
反乱軍の動きの遅さを見るに、自分達も通信魔法の阻害で被害を受けているようだ。
「さてと。どうしようかな?」
「おい。どういう事だ? バウマイスター伯爵」
遠く孤立した帝国領での再会であったが、その相手は過去に因縁のある相手であったし、解放軍の貴族や兵士達から見ても内乱のドサクサに紛れて自国に侵攻した敵軍の敗残兵など温かく迎え入れる理由が存在しない。
まず味方では無いし、自分達は直接戦闘はしていないものの誰がどう見ても侵略者なので、このまま処刑したい心情もあるであろう。
「交戦したのは反乱軍方とはいえ、あんたらは侵略者だから」
助け舟を出した結果、出した俺達まで恨まれてしまう可能性がある。
今、風呂に入れて飯を食わせているが、解放軍の兵士や貴族で厳しい視線を向けている人は多かった。
「バウマイスター伯爵達も、同じ王国人だがな」
それでも、傭兵扱いとはいえ解放軍に所属して戦功をあげた。
名誉爵位も貰っており、少なくとも表面上は受け入れられている。
「あんたらは、扱いが難しい」
「まさか、俺達を見捨てるつもりか?」
「それも出来ないから面倒なのに……」
それをすると、今度は王国に戻った時に問題になってしまう。
気に入らない相手でも、どうにかして保護しないといけないのだ。
「食事を終えたら、俺に付いて来て貰おうか」
「フィリップ公爵閣下との面会か?」
「そうだ。テレーゼ様の判断一つであんた達の待遇が決まる」
俺は、その辺をプラプラしていた導師を捕まえてから、兄弟を連れてテレーゼの元に向かう。
なぜ導師なのかといえば、これでもこの人は王国では物凄く偉い人だからだ。
立場上まずいので今は傭兵扱いだが、普段解放軍の兵士達に混ざって訓練に参加したり、陣地の構築工事などに参加していても違和感が無いのが不思議だ。
『一応、魔法使いってのは知的なイメージがあるんだが、導師はその対極にいるな。実力は大陸有数なのに』
これがブランタークさんの、導師への印象であった。
「おう! バウマイスター伯爵にボロボロに負けて没落した元ブロワ兄弟ではないか」
導師は兄弟を見るやいなや、俺でも直接言わないような言葉を彼らに向けて吐いていた。
「導師は容赦ないですね」
「言葉を偽っても仕方がないであろう。事実なのだから」
こう見えて、導師は陛下への忠誠心が厚い。
王国の足を引っ張りまくった兄弟への言葉が辛辣なのには、そういう理由もあるのであろう。
「フィリップ公爵様の元に行かなくても良いのですか?」
言い返そうにも事実なので何も言えないらしく、クリストフが顔を引き攣らせながらテレーゼの所に早く行こうと急かしていた。
「それもそうであるな。早く行くとしよう」
合計四人でテレーゼの元を訪ねると、既に事情を知っている彼女は笑顔で二人を出迎える。
「色々と大変であったようじゃの。しかし、北に逃げるとは大胆な考えじゃな」
「王国北部地域も魔導飛行船が動きませんので、ギガントの断裂を渡るには簡易ロープウェーが必須なのです」
ただし、ギガントの断裂の幅の関係でそう簡単には張れない。
お目溢しの密貿易に使っていた物は反乱軍によって切られてしまい、フィリップ達が帝国在留の諜報員と共に苦労して張った物もとっくに切られてしまっている。
「敗走時点で二千名ほどはいたのですが、敵軍の探索を逃れながらロープウェーを張り直し、そこから全員でロープウェーを渡って戻るなど不可能です」
降伏や玉砕も考えたそうだが、どうせ死ぬなら最後まで足掻いてみようと思ったらしい。
「王国側が得た帝国内戦に関する情報は少ないのですが、北部に反乱勢力と対立している勢力があると聞いていました」
合流できれば、受け入れて貰えて戦えるかもしれない。
駄目ならそこで全員玉砕だと、決死の北上を続けたのだそうだ。
「フィリップ殿は……。妾とフィリップ殿は名が同じじゃの。ファーストネームと家名の差があるにしても。しかし、そなたは優秀な指揮官のようじゃの」
テレーゼは、合計千五百六十七名を率いて敵領地を千五百キロも突破したフィリップの指揮官としての手腕を褒めていた。
確かに、そう誰にもでも出来る事ではないと俺も思うのだ。
「その割には、酷い没落劇だったけど」
「ヴェンデリンは辛辣よな」
「被害者ですからね」
「巨大な領地などというものは、新米の領主や次期領主が簡単に全てを御せる物ではないからの。フィリップ殿もクリストフ殿も結果的には大失敗したが、妾にもその可能性はあったはず。既に罰は受けているし、今回はとんだ貧乏クジじゃ。ヴェンデリンも、あまり苛めてやるな」
人の集まる組織とは本当に難しい。
優れたリーダーが率先して引っ張る組織はその時には良いが、そのリーダーがいなくなると一気に崩壊する事がある。
逆に周囲の意見を調整しながら物事を進めるリーダーは、大切な決断が出来なくて失敗する事もあるし、成果をあげても中途半端になってしまう事がある。
組織の崩壊を防ぐために、時には周囲の意見を尊重する必要もあった。
それでも、リーダーが入れ替わっても特に混乱する事も無く続くというパターンもあるので、どちらが正しいとはいえないのだ。
テレーゼからすると、この兄弟はブロワ辺境伯家という巨大な組織に引き摺られて失敗した被害者という見方も出来るらしい。
「はあ……」
「そなたの子や孫が、同じ事をせぬ保証はないのじゃぞ」
「それは本人の責任ですから。もし能力が無いのなら、領主にならない方が多くの人達が幸せになりますし」
「ヴェンデリンは相変わらず辛辣じゃの。まあ、過去の因縁などはどうでも良いのじゃ。フィリップ殿達への待遇が問題であっての。身分が王国軍人のままでは拙いのじゃ」
帝国の内戦なのに、王国軍の軍人が参戦している。
しかも解放軍の方にしかいないので、反乱軍から『解放軍は、ヘルムート王国に国を売った!』と宣伝されると厳しい物があった。
「傭兵扱いで、王国軍組は全てヴェンデリンの指揮下に置く」
「軍の指揮なんて未経験ですが……」
いきなり、未経験の俺に千五百名以上の軍勢を指揮できるはずがなかった。
「何のためにフィリップ殿がいる。任せておけ。そもそも、ヴェンデリンは妾の傍で控えて貰わないと困る」
決戦になれば、双方の魔法使いが魔法を撃ち合う事になる。
下手をすると一瞬で総大将を吹き飛ばされて敗北というケースもあるようで、テレーゼは俺達を傍に置いておきたいらしい。
これは決して自分の身ばかりを案じているわけではなく、テレーゼが死んでしまえば解放軍は一気に瓦解してしまうからだ。
「ニュルンベルク公爵も、傍に高位の魔法使いを複数置くはずじゃ」
「高位の魔法使いねぇ……」
「ブラッドソンとあの四兄弟が宮仕えでは最高峰であったが、中級レベルの魔法使いはまだ層が厚い。在野にも優れた魔法使いはおるし、彼らを高額でスカウトしている可能性もあるからの」
また、魔法使いの殺害をお互いに図らないといけない。
勝つためには仕方が無いが、共に帝国の魔法使いなので内戦後のダメージを考えると頭が痛いのであろう。
テレーゼはつまらなそうな表情を浮かべていた。
「元王国軍も妾の中央軍に置く。千五百名ほどで練度高いから大いに役には立つが、帝国人で彼らの指揮を受けたい者はないないであろうし、逆にすると使い潰そうとするやもしれぬ。そなたの下なら、いらぬ騒動も少ないであろう」
「そういうのを、押し付けとも言いますがね」
「能力のある指揮官に精鋭じゃ。貴族ならば、上手く使いこなせよ」
「わかりました」
どうせ断れないし、最悪盾にすれば良い。
酷い言い方だが、戦争なので自分の身は自分で守らなければいけないのだから。
「では、これで……」
俺と導師は、兄弟を連れてテレーゼの元を辞する。
結局俺は、中央軍の一軍となった王国軍の指揮官も兼任する事になってしまう。
傭兵扱いながらも、帝国名誉貴族で参謀でもあり、同じく傭兵扱いの王国軍残余兵も指揮する事になったのだ。
実際の指揮はフィリップに任せて、クリストフは王国軍に関わる雑事を担当する軍政官兼参謀や副将の扱いになる。
間違いなく俺の事など大嫌いであろうが、その辺は大人なので何とか対応して欲しいどころだ。
「バウマイスター伯爵様だ!」
「導師様もいらっしゃるぞ!」
「俺達は、まだ戦えるぞ」
王国軍兵士達は、俺や導師の姿を見ると大きな歓声をあげていた。
何とか苦労して生き延びたとはいえここは敵地であり不安だったが、そこに有名な味方がいたので心強かったのであろう。
ただ一番の問題は、俺と指揮官である二人の仲が最悪という点にあった。
「ところで、装備の件なのですが……」
それを公にすると兵士達が不安がるので、クリストフはお飾りとはいえトップの俺に丁寧な口調でお願いをしてくる。
「防具か……」
「確か、王国軍の装備品なので捨てて来たのであったな」
導師は、みずぼらしい恰好をしていた兵士達を見て溜息をついていた。
武器はさすがに手放していなかったが、王国の紋章入りの鎧や盾などは脱ぎ捨ててきていて、全員ボロい普段着姿であった。
この一か月、着替えも洗濯もしていないので服はボロボロだ。
一部鎧を着けている者もいたが、彼らは諸侯軍の兵士や騎士らしい。
どうせ王国貴族の紋章など帝国軍は知らないであろうと、そのまま装備しているようだ。
「数が少ないのは、盾になったからであるか」
導師の問いに、フィリップは首を縦に振る。
諸侯軍の敗走兵とはあまり合流できなかったし、防具があるので矢面に立つ場面が多くて戦死した者も多く数が少ない。
急ぎ、千五百名分の防具や予備の武器が必要だとクリストフは説明していた。
金がかかるので、担当者である彼が俺にお伺いを立てているのだ。
「新品は無理だが、鹵獲品を補修した物がかなりある。担当者に言っておく」
「助かります」
帝国の紋章が入った物が多いが、どうせ王国軍人と名乗れない以上は問題ない。
戦死者の物なので嫌だと言うかと思ったが、それはあまり感じていないようだ。
もしかすると、日本人特有の感覚なのかもしれない。
他にも、着た切り雀の者が多いので下着や服も必要である。
寝泊まりするテントの確保も必要であった。
俺の隣でクリストフが経費の計算をしながら顔を青くさせていた。
気持ちは何となくわかる。
戦争とは、とにかくお金がかかるものなのだ。
「最低でも、これくらいはかかります」
「だろうね」
かなり大きな金額が書かれていたが、俺は見積もりに不備が無い事を確認してからそこにサインを入れていた。
「補給担当者に見せれば、準備してくれるはずだ。他の業務の邪魔にならないように、サイズ合わせをしてから受領してくれ。下着などはサイズを言えば在庫から出してくれるはず。他のが欲しければ、商人達が市を作っているから、そこで買うしかないな」
「私達は多少は持っていますが、兵士達には無一文の者が多いです」
国内の任務ならば末端の兵士でもサイフくらい持って行くが、敵地への侵攻だったのでフィリップとクリストフが少額の公金くらいしか持っていなかったそうだ。
「逃走途中にいかにもな値段で食料を売ってくれた村などがあったのですが、ワケありの食料は高額でしたので」
道案内への謝礼などもあって、今はあまり残っていないそうだ。
「支度金を、一人につき金貨二枚出す。適度に節度を守って羽を伸ばし、決戦時に恥ずかしくないように恰好を整えさせてくれ」
「わかりました」
「王国の金貨でも、商人は受け取るから」
金の含有量も重さも条約で同じなので、俺達も普通に王国の貨幣で買い物をしていた。
俺はクリストフに人数分の金貨を渡す。
兄弟には別口で多目に金貨を渡していた。
「バウマイスター伯爵よ。また金がかかるな」
「テレーゼは渋いからなぁ」
解放軍の一番の弱点は、とにかく金が無い事である。
参加している貴族達は全員が自前で戦争に参加していて、報酬は勝利後の出世払いである。
総大将であるテレーゼはまだ皇帝ではないので、この方法は特に間違っているわけでもない。
ただし、戦後に色を付けて報酬を出す必要はあった。
俺も今までに相当な額を立て替えている。
だからこそ、たまにテレーゼは体で払おうと意図しているのかもしれない。
「色々とすいません」
「すまん」
俺の事など嫌いであろうに、二人は頭を下げていた。
ブロワ辺境伯家の後継者候補の時にはこんな事は出来なかったのであろうが、優秀な指揮官としてなら頭は下げられる。
もしかすると、立場や地位とは俺が思っている以上に重いのかもしれない。
「しかし、意外にも兄弟の仲が良い」
「ここまで落ちぶれれば、争うのも疲れてしまいますので……」
「煽る家臣もいないからな」
本人達だけなら、あの不毛な兄弟喧嘩は無かったのかもしれない。
そのくらい、今の二人はいがみ合う事もなく普通に仕事をしているのだから。
「お礼に、バウマイスター伯爵の所のエルヴィンを貸してくれ。あいつは、指揮官として物になるはずだ」
フィリップは、エルを預かって指揮官としての心得を実地経験込みで教える事を提案していた。
「エルヴィンには、後方で大御所に立って冷静に大軍を指揮するような才能はない。だが、前線や少し後方で自分も汗をかいて一万人くらいまでの軍勢なら上手く動かせる将になれるはずだ。バウマイスター伯爵の護衛ならうちから出す」
フィリップは、エルを俺の護衛としてではなく指揮官見習いとして教育する案を出していた。
彼なりに、俺に恩を返そうとしているのであろう。
「それならお願いしようかな」
「どのくらいの期間になるかはわからないが、出来る限り教えよう」
こうして、エルがフィリップ付きとなって彼から軍の指揮の仕方を実践形式で習う事になる。
「突然な感じもするけど、良い機会ではあるな」
エルはフィリップの傍で、彼と共に軍の指揮を学び始める。
新しい武器や防具の支給が終わり、貰った慰労金で必要な物を購入したり英気を養った王国軍は、俺達の屋敷の周囲にテントを張ってそこで寝泊まりするようになっていた。
俺をトップとする部隊なので、その中心に纏まったわけだ。
「装備が整えば精鋭か」
「一部諸侯軍の残存兵を除くと、普通に訓練を続けていた王都軍ですから。エルヴィンさんにも動かしやすいと思いますよ」
そのまま王国軍を名乗れないので、今は俺が指揮官の傭兵軍という扱いになっている。
千五百名もの人達が部隊として機能すると、その瞬間から大量の書類が発生するのが常で、クリストフはそれを物凄いスピードで処理していた。
「エル。俺はテレーゼ殿の傍を離れられない。フィリップ殿と上手く協力して王国軍組を指揮してくれ」
「フィリップ殿がいるから、何とかなるかな」
「エルさん。私もお手伝いしますから」
ハルカも、エルを手伝う事を志願していた。
「綺麗な女性だな。エルヴィンの婚約者か?」
「はい。そうです」
「そうか。少しカルラに似ているか?」
「おい……」
「兄さん。さすがにそれは……」
当たり障りの無い自己紹介でもしていればいいのに、ここでフィリップが余計な事を口にしてしまう。
クリストフも、自分の兄に顔を顰めさせながら注意していた。
「エルさん。カルラさんとは?」
「ええと……」
前に好きになったがフラれた女性だとは、エルも男の意地で言いたくなかったようで口を濁らせてしまう。
だが、逆にその態度がハルカの疑念を抱かせた。
「エルさんには、他にも婚約者がいるのですか?」
「勿論、いないよ」
この世界にも嫉妬深い女性は一定数いるが、貴族の妻などはそれを表に出すと恥ずかしいという風潮がある。
他の婚約者の有無も、序列の問題や結婚生活の条件などに関わるから聞いてくるだけ。
のはずなのだが、ハルカの背後に初めて感じるドス黒いオーラに俺達は顔を青ざめさせていた。
怒らせれば、今のエルでも刀では勝てないのだから。
そして、エルが浮気をした可能性にあの人物も反応していた。
「エルヴィン! 私の可愛い妹を差し置いて浮気かね!」
疾風の如き風が舞うのと同時に、タカオミさんが刀を抜いてその刀身を一瞬でエルの首筋に当てていた。
元々達人なのに、妹の事になると更に強くなるようだ。
「君は独身だと聞いているが、うちのハルカ以外に愛人や婚約者がいるのを隠しているのは不義理だよねぇ? 普通、先に言うよねぇ!」
「タカオミさん! 少し切れているから!」
興奮のあまり、タカオミさんがエルの首に当てた刀身を動かしてしまい、エルの首筋から少し血が流れていた。
「フィリップ殿」
「兄さん。責任をもって説明を……」
「口が滑ってすまないとは思うが、この男は何なのだ?」
フィリップは、いきなり刀を抜いてエルの首筋に当てたタケオミさんに驚いていた。
エルの剣の腕前を知っていたので、余計に驚いたのであろう。
「ミズホ伯国の剣士、タケオミ・フジバヤシ」
「俺の義兄になる人です」
「そうか、何か大変そうだな……」
それからフィリップがカルラの事情を説明したので、タケオミさんはようやく刀を引いていた。
「そういう事でしたか」
ハルカも安堵の表情を浮かべていたが、俺達はみんな気が付いていた。
彼女が意外とヤキモチ焼きで、もうエルは浮気や女遊びが出来ないのだと。
「可哀想にな」
ブランタークさんは、エルにぽんと手を置いて慰める。
「ブランタークさん。結婚してから一度もそういう店に行っていないでしょう? 噂だと、奥さんの尻に敷かれていると……」
「無責任な噂だな。俺は結婚しても自由人だし」
「ブライヒレーダー辺境伯家のお抱えで、結婚までしていて。そんな自由人いませんよ」
「他人事みたいに言うな。エルの坊主だって、結婚すれば今まで通りにはいかないからな!」
なぜかしょうもない言い争いを始めてしまう二人であったが、もう少し周りを考えてそういう発言はした方がいいと思う。
ふとハルカを見ると、また背後からドス黒いオーラが復活していた。
「エルさんは、そういうお店に頻繁に行くと?」
「いえ。そんな事はありません」
必至に否定していたが、ハルカは信じてくれなかったようだ。
「エルさん。私達は夫婦になるのです。お互いに秘密を抱え合うのは良くありませんので」
「すいません! 今は絶対に行っていませんから! ブランタークさんとは違って!」
「俺も行っていないぞ!」
そう言うのと同時に、ハルカは話があると言って彼を引き摺っていく。
エルのあまりの哀れさに、誰も声を出せないでいた。
ブランタークさんだけは己の無実を主張していたが、人は結婚すると変わるようだ。
独身時代なら、平気で色町に遊びに行った話をしていたのに。
「完全にとばっちり。フィリップ殿は残酷だな。いくら妹に追い落とされたからといって」
カルラは、自分が自由の身になるために兄達を追い落とす工作に全面協力した。
多分その件で、二人に恨まれているのであろう。
「バウマイスター伯爵。兄さんは知りませんが、私はカルラをもう恨んでいませんけど」
最初は酷い妹で恩知らずだと思ったそうだが、自分がカルラと似たような立場になってみると、ようやく彼女の苦悩が良くわかったのだそうだ。
「ブロワ家に恩など無いのに利用されていましたからね。私も利用していましたけど。あの才覚を私達を叩き潰す時だけに利用して、今は慎ましい生活でも文句を言わずに喜んで受け入れている。私達の没落には因果があったというわけです」
最近、手紙を貰ったそうだ。
「ホールミア辺境伯家の弓術指南役の妻として一生を終えるそうです。そのために色々と画策して申し訳なかったと。この点に関しても、私達が無能なのが悪いので何も言えません」
「クリストフ。別に、俺ももうカルラにどうこう言う気は無いのだが。そんな事よりも、ここで功績を挙げて褒美でも貰った方が前向きであろう」
「その褒美のタネが、フィリップ殿のせいで婚約者に引き摺られて行ったけど……」
「バウマイスター伯爵。それは心配ない」
「何で?」
「良い指揮官とは、人に指揮されても優秀だ。エルヴィンも、すぐに嫁に上手く指揮される男になれるさ」
「物凄く強引な持論だなぁ……」
変なトラブルはあったが、王国軍は衣食住を整えると翌日から訓練を開始していた。
実地でエルは百名ほどの部隊を預けられ、慣れない仕事に四苦八苦しているようだ。
「今回はさわりくらいでいい」
「今回は?」
「ああ。時間が無いからな。この一回でケリが着くかは不明だが、決戦が近い」
フィリップは、自分が指揮する部隊の訓練を見ながら、ニュルンベルク公爵との決戦が近いと予想していた。
「王国軍残党の捕縛と殺害は終わっているはずだ。だから、そう遠くは無い」
そうフィリップが予想してから三日後、彼の予言通りにソビット大荒地を埋め尽くすかのような反乱軍の大軍が姿を見せる。
クーデター後から初めて、直接に総大将同士が戦う事になるのであった。




