そらとぶ石うす
数十年前、バンコクにて、自分用のおみやげを探していたとき、荒物屋の店先にあった「石うす」が目にとまった。
そう、あのゴリゴリとスパイスをすりつぶす、すり棒つきのずっしり重い石のやつである。
普通なら干しマンゴーとかタイシルクとか、とち狂っても打ち上げ花火あたりが定番だ。
でも自分は昔から「変なモノ」が好きである。 マカオに行った際は骨董屋の店先にあった怪しい液体の詰まったビンを買って日本まで持って帰った前科がある。 勿論、中身は合法なものだと思う(多分
そういうわけで、現地の荒物屋で見つけたスイカ(中玉)サイズ(といっても、そこそこ、否。 死ぬほど重い)石うすを、うきうきしながら購入した。
値段は当時のレートで日本円換算で数千円、「日本で買うこと」を思えば安いものだ。
問題は、そのあとだった。
石うすは、直径30センチ、高さ30センチの円筒形。
サイズは中玉スイカ、しかしウスなので中が少しくりぬてある。
でも中身は100%石、さらにはご丁寧に石のゴッツイすり棒までついてやがる。
つまり――死ぬほど重い。
その重さ、計算したら20K。 つまり小学生の子供が一人、旅行の荷物に追加したようなものだ。
そんな重量物をもって旅行するなぞ、今、冷静に考えれば神をも恐れぬ狂気の沙汰である。
だが、旅行中のハイテンションもあって当時はノリで石うすを購入、店主も現地民だとおもったのか笑顔で石うすにヒモをかけ持てるようにして渡してくれた。
ところが、というか、案の定、問題は帰りだった。
日本よりさらに暑い、否。暑いを通り越しで熱いというべき太陽が照り付け、空気さえも燃えるように感じる灼熱地獄の中、自分の安宿までの地獄の行軍は始まった。 その距離数キロ。
ウスの重さからくる手に食い込むヒモの痛さで何度も休憩をはさみつつも、荷物を引きずるように宿のあるカオサン通りまで、石うすを引きながら帰る姿はホボ奴隷労働者。 後ろにムチを持った役人が要れば完璧だ。
今ならわかる、あれだけの大量の石材を運んだピラミッド建設や大阪城建築の偉大さが。
あんなもの、まともな神経では作れようが無い。 狂気の沙汰だ。
それをやり遂げた先人の偉業が分かるようだった、怠惰な自分には3日で目を回すだろうから。
そうこうしながら、石うすを運ぶという奴隷労働のようなデスマーチも終わり、カオサン通りの安宿までたどり着くと、文字通り死んだように眠りにつくのであった。
偉大な先人たちに思いをはせながら。
タクシーにのれ? んなモノ、貧乏バックパッカーにそんな資金は最初から無いのです!
ただそれで話は終わりではなかった。
次の日、宿から、空港まで行く際に事件は起こっていた。
ブーン と爆音をたて、街中を走り回る装甲車。車上には銃を持った兵士をのせて戦争映画のように、はしっているではないか。 後から判った事だが、軍がクーデターを起こし、町中の要所を占拠したと後日聞くこととなった。
旅行の最終日、死ぬほど重たい石うすを持ったまま日本に帰る日、その日起こした軍のクーデターにばったり遭遇し、装甲車が街を走る場面に遭遇する人間はそうは多くあるまい。
宝くじに当たるよりレアではないだろうか?
少なくとも、通常な運の持ち主では無い事は確かだろう。 もっともそれが良い事か悪い事か分からないが。
そんな物々しい雰囲気の中、クソも重たい石うすを巨大な手提げバックに入れ、背中には巨大なリュックを背負う自分の姿はさそ不審者に思われただろう。
自分が兵士なら、真っ先に銃を突きつけながらボディーチェックをするだろうから。
だが、ここでも自分の奇運が幸いしたのかしらないが、空港までの道中は全くのスルー。
しかし、案の定荷物預かりの際、荷物のセキュリティチェックで受け渡し台に乗せた際、係員のお姉さんが不穏な顔をした。
「Excuse me... What is this?」
そりゃそうだ。
バックの中には石うすをはじめ、タイの土産物が満載。
つまり、荷物は20Kをゆうに超える超重量物になっていた。女性が持ち上げれないくらいの超重量物の荷物を預け、更には背中の巨大なバックパックを持つ浮浪者のような人物。
百歩、いや、千歩譲っても不審者まったなしの人間が、怪しげな重たい荷物を預けようとしたら、そりゃそうなるよな。
コイツ、爆弾テロでも起こすのか? と。
「ストーン ウス。えっと、ルックヒア!」
私は必死に身振り手振りで説明して。 奥の手でバッグの中の石うすを見せたら、お姉さんは「Oh!!」と苦笑いで笑ってくれた。
でもそのあと、「Very heavy 」と肩をすくめた。
ルンペンのような自分の格好に同情されたのか、追加料金は取られることもなくその場は無事通過、何事もなく出国手続きをした後、航空機に乗り込み、福岡空港に到着後、日本の税関で同じように聞かれ、同じように中身の石うすをみせたら、笑いながら職員は通してくれた。
無論、冷ややかな視線込みで。
国外より、重たい石うすをワザワザ空輸して持ち込む奇人変人は自分が最初で最後であろう。
空港から家までもの道のりも、やはり修羅場だった。
重たい荷物を持ち、新幹線ではなく在来線に乗ること半日、自分をホームレスと侮った乗客がたまに石うすの入ったバッグをける不心得もいたが、みな一応にけった足を痛そうにしていた。 重たい石の塊である石うすの入った荷物をければ当然であるが、まさに ざまぁーである。
6時間の道中の後、
家に帰りついた自分を見た母は最初、無言だった。ホームレスのような姿に言葉をうしなったのだろう。
「臭いから、早く風呂にはいりなさい」
これが彼女の次の言葉だった。
風呂からでて、土産を渡す際、干しマンゴーと共に母にそれを見せたら、
「……ありがとう。えっと……これ、何?」
「石うす!」
「……一体どこにおくの?……キッチンにも置き場所が……」
そんな訳で、母からもあっさり拒否された石うすは行き場を無くし、自分の部屋のこじゃれたインテリアとして鎮座し、タイから空輸された彼はそこで本来とは違う人生(臼生)を過ごすこととなった。
部屋のインテリア兼防犯用具。 不審者が侵入した場合はサルカニ合戦の臼よろしく、犯人の頭上にズドンと落下し、マリオに出てくるドッスンのように侵入者をペチャンコにして活躍してもらう防犯要員だ。
幸か不幸か未だにその機会は訪れていないが、やはり自分の気に入ったモノは裏切らない。 何に転用しても良いモノだ。
以来、私は「おみやげに迷ったら買いたいものを買う」という哲学を持つようになった。
ただし、次は自分の波長があったものでも、ちゃんと持って帰る事も考えておこうと思う。
#
尚、校正時、AIにもツッコミを言われました。
つまり、20kgの石うすを旅行バッグで持ち歩くというのは、
「旅の最後に筋トレイベントを追加した」ようなものです。
うるせーよ!




