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最悪の記憶



 ■暦 2X46年 中枢ドーム 最深層 


 ”実験開始”の()()()() 


 深夜、視聴覚室にて


「……開いた」


 雫は一人、視聴覚室にて、情報端末を利用していた。

 灯りも一切付けず、監視カメラの死角になる様に机の陰に隠れるようにして。自由時間であれば別に何の制限も無く利用可能なこの場所を、わざわざ深夜にこそこそと利用している理由はただ一つだ。

 それが、誰かに見られれば、確実に咎められる事だったからだ。

 本来であれば制限の掛かる情報端末のロックを解除し、更に中枢ドームの管理資格者以外に触れることの出来ない情報にふれるのは、この”箱庭”の規則以前に、ドームの住民の法を犯した完全なる犯罪だ。


 最も、本来あらゆる制限がかけられたこの箱庭で、法を犯すような所業が出来ること自体が、あり得ないことではあるのだが、しかし雫はそれを実行していた。

 しかもそれは別に、何か目的があってやったことではなかった。少なくとも彼女自身が、なにか望んでやろうとしたことではなかった。


 ――ちょっと調べものがあってね。でも、セキュリティが固くてどうしてもね。


 伸介はそう言って困った顔をしていた。なら手伝おうと思った。彼女の動機はそれくらいだ。それだけで、彼女は伸介が散々に悩まされていたセキュリティを突破してしまったのだ。

 彼女は元より高い知性を設定され、デザインされて生まれてきたが、それがドームのセキュリティを突破するまでに至っているなどと、誰も知る由もなかった。


 そして彼女は、見るべきでないものを見た。


 [月神計画]


 ドームの中枢、最深層の者しか決して見ることの叶わない、最重要計画を彼女は見た。


 [――以上の実験結果から、魔力加工工房の所有者となるには一定の魔力保管庫、即ち魂の強化が必須となる。これはイスラリア博士が初期段階で設定した――][――ただしこの世界において、神を制御下に置けるだけの魂の強化が達成できている者は極めて少な――][――幼少期から魔力で満たされた空間で子供達を育成し、その後にその魂を一人に収束させることで強化を――]


 雫は臓腑が冷えていく感覚を味わっていた。

 この計画書が果たして何を意味するものであるのかを、彼女は理解できてしまった。この計画書にのる子供達とは自分たちで在ることを、彼女は理解してしまった。その果てに、自分たちがたった一人に統合されるという事実を。


 魂の統合


 無論、それが人道的な手法で行われる訳もないだろう。それが人道に基づいた物であるならこのようにひた隠しにする理由はない。堂々と行い、悪しきイスラリアを撃つための最強の兵士を生み出せば良い。

 それができないから、こんな風にひた隠している。

 そして、この先犠牲になるのは、自分と仲間達だ。


 止めなければ。いや、皆に逃げるよう伝えなければ――――


〈伝えてはいけない〉


 だが、まるで自分の意思に反するように筋肉が硬直し、雫は転んだ。

 異様だった。意思と肉体の反応が乖離するように、雫は動くことも出来なくなった。呼吸すら難しくなって、雫は声も出せなくなって、パニックになった。


〈伝えてはいけない〉


 それは、生まれたとき、彼女の魂に刻まれた教育だった。

 救世の使命、潜在意識の根底に刻み込まれた聖者の適正。

 それが、まるで直接、何度も何度も彼女を殴りつけるようにして訴えてくる。


〈皆を救うために全てを打ち明け、逃がす。そんなことをすれば、世界を救えなくなる〉


 家族とも言える仲間達が殺される未来など、あってはならない。いや、家族でなくとも、こんな非人道的な行いが許されて良いはずがない。

 この箱庭の中で過ごした日々が、仲間達が、彼女に道徳を芽生えさせていた。至極真っ当な、当たり前の感情を、彼女に芽生えさせていた。


〈そんなことをしたら、この世界の未来はどうなる?〉


 だが、世界の救世を担う使命感は、遙かに根深く彼女を、彼女達を支配していた。


 計画書には、悪意や私欲の類いは一切存在していなかった。淡々と書かれた機械的な文面には、あらゆる思索とその頓挫、致命的な資源不足に対する嘆きと憤り。その果てに、非道に手を染めなければならない事への絶望と自嘲が綴られていた。

 この計画書を立てた者が、何も望んで、進んでやりたいと願っていることではない。ただ、もうこれくらいしか出来ることがないのだということ。現在イスラリアを浸食する【迷宮兵器】では、とてもではないが間に合わないと言うこと。もうあと数年後には、ドームを維持するための資源が尽きてしまうと言うこと。それらの目の逸らしようのない事実が存在していた。


〈計画を明かすこと、逃げること。それは世界の破滅を意味している〉


 自然と、雫は自分の胸を掻きむしっていた。恐ろしい焦燥感が身を包んでいた。この計画書を最初に書いた人もきっと、こんな気分だったのだろうという気づきがあった。

 考えなければならないこと、動かなければならないことは沢山在るはずなのに、彼女は虫のように地面に転がり、打ちのめされ続けた。


〈お前は〉〈世界を〉〈見捨てるつもりか〉


 無為に時間は流れ、そして



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 翌日、「学校」の教室にて


「あーあ、おふぁよお……伸介」

「はよう、蓮。寝癖酷いよ」

「昨日、寝る前にゲームやりすぎちってさあ」


 ()()()()()、子供達は集結し、授業開始までの時間を過ごしていた。子供達は思い思いに教室でくつろいでいた。蓮や伸介も、何時も通りの朝を満喫していた。


「その調子じゃ、テストの成績落とすよ?」

「テストなんて良いって。それよか来月は課外活動だろ?!楽しみだな!!」

「と言っても、結局ホールで遊ぶだけなんだけどね」

「今年は海だからな!!海!!!」


 蓮が大きい声で叫ぶと、教室中から笑い声が聞こえてきた。彼の活気の良さは何時も通りだ。時に喧しく思われる事もあるが、この場の誰も、彼を心から嫌う者などいなかった。


「あんたってほんと海が好きよね。いい加減私は飽きてきたわよ」

「いいじゃん!!青い海!青い空!白い砂浜に白い肌!!」

「変態」

「え、いやちょ、やめろおー!一般論だ一般論!!!」


 彼に対していちいち口出しする真美だって、彼を慕っている事に変わりは無い。どれだけ彼を悪く言っても、口端は小さく上がっていた。

 優しい世界だった。皆が全員に対して敬意を払っていた。箱庭は完成されていた。


「あ、雫!遅かったじゃん!!どうしたんだよ!」


 そして、その日は珍しく、雫が一番最後に遅れて教室にやって来た。

 普段であれば規則正しく。授業開始の15分前には机に座っているはずの彼女であるが、今日は遅れての登場だった。優等生の彼女にしては珍しいことで、だから、子供達は全員、彼女を少し心配そうに見つめていた。


「すみません、昨日は少し、眠れなかったんです」

「ははーん、さてはシズクもゲームしてたんだな?D&Gの新作だろ?」

「アンタと一緒にしないでよバカ」

「んだとこら!!」


 それでも、雫が小さく微笑むと、全員、何時も通りに彼女へと笑いかけた。やはり少し元気はないようだったが、なおのこと彼等は雫を気遣うように普段通りに接した。


「……大丈夫かい?雫。本当に、体調が悪いとかじゃない?」


 唯一、伸介だけが少し離れて、眉をひそめていた。心配そうに彼女の顔を覗き見ながら、問いかけた。


「それとも、何か見つけた?」

「いいえ、伸介様」


 だが、伸介の質問にも、雫は首を横に振って、笑った。


()()()()()()()()()()


 雫は嘘をつい「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 そして雫の頭は背後から出現した巨大な真っ黒いバケモノの腕でぐちゃぐちゃに踏み潰された。




              ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 ウルは、幼いシズクが目の前でぐちゃぐちゃのミンチになって潰れたのを目撃した。


 子供達しかいない狭い教室に、真っ赤な血だまりが生まれた。肉片が周囲に飛び散り、笑顔のまま固まった雫の同級生達に跳ね返っていった。むせ返るような鉄の匂いが充満したが、それよりもなにも圧倒的な異臭を漂わせている存在が、教室に出現していた。


「あああ!!!あああああああああああ!!!!!ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 肉片となった血だまりを、黒いバケモノが殴打し続けている。

 悍ましいバケモノだった。3メートル以上はあろうかという黒い肉の塊だ。手足はかろうじて判別がつくが、それ以外は何処にも統一性はなく、非対称に歪んでいた。右腕は丸太のように膨張していたが、左腕は爛れ、腐っているようにも見える。右足は粘液のように地面に広がり、悪臭を漂わせ、左足はあまりに暴力的に振るわれる両腕の衝撃に耐えきれず、へし折れている。


 破壊と、自壊を繰り返した醜悪なバケモノが、ウルの目の前で幼い雫を踏み潰した。


「…………」


 ウルは、それを見て頭を掻いた。焦るような様子はなかった。足下にへばりついた雫の肉片を無視して、そのまま黒いバケモノへと歩み出す。その両腕を真っ赤に染めたバケモノは、呆然とその場に立ち尽くしていた。だが、ウルが近付くと、警戒するように、両腕を持ち上げた。

 血肉がこびりついた黒い拳が、ふり下ろされればまっすぐに降ってくる位置までウルは近づき、そして口を開いた。


()()()()()()


 黒い怪物は、拳をふり下ろさなかった。代わりに、ゆっくりとウルへと近づき、どこから発しているかもわからないような、醜い声を発した。


「――――ウ゛……ル゛」

「見た目違うな、髪でも切ったか?」


 真っ黒な醜い怪物と成り果てたシズクと、ウルは再会を果たした。



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― 新着の感想 ―
ウル君さあ、君格好良過ぎじゃね?
[良い点] 本当に、こちらの読むテンポを裏切り引き込み、読んでいて自然と映像が思い浮かぶ素敵な文章だなぁ
[一言] この漢微塵も動揺しねぇ。すげぇ
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