魂の接触④ 彼女の旅Ⅱ
「こうして見ると、滅茶苦茶嫌われてるな俺」
「――――」
「そういうもんかね?まあいいけど」
「――――――――」
「ところで、此処何処なんだ?」
また別の場所にウルはたどり着いていた。
あの”視聴室”とでも言うべき場所で映像を見終わった後、ウルは新たに出現した白い扉をくぐり抜け、現れたのがこの部屋だ。先程とは違って部屋は明るい。建物の中だというのは分かるが、風が吹いて、観賞用なのか植物が植えられている。子供用の遊具が幾つか並んでいる。都市の中で時折見掛ける公園のような場所だった。
その中央の机にウルは座っていた。
机の上には幾つかの筆記具が転がっている。机には薄らと落書きの跡が残っていて。傷もあった。しかしその割りに、指で触れると汚れている様にも見えない。何度も丁寧に掃除して、使い続けてきたのだというのが分かる。
色濃い、生活の残り香があった。
ここを使っていた者達の残滓が、奇妙な郷愁を呼び起こした。
「――――」
「――」
「――――――――」
白いもやは、その数が少し増えていた。2人か3人か、見た目では少しハッキリとはしない。もう少し多いのかも知れないし少ないのかも知れない。彼等は、もしくは彼女等は楽しそうに遊んでいる、様な気がする。
蜃気楼のようなそれらは、ウルが近付いてもぼんやりと、よくわからないままだった。目を離した隙に消えたり増えたりした。
ウルの傍に居る白いもやは一つだけだった。それはウルの腕をひくと、そのままテーブルの中央をもやもやとした指で指す。すると虚空から映像が出現した。
彼女の旅の続きが始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
彼との旅は続いた。
イスラリアにおける最大の戦力の一人、【勇者】と早期に遭遇したのは全くの偶然だった。そもそも接触時には彼女が勇者であるなどと気づきもしていなかったものだから、それが明かされたときの驚きはとてつもなかった。
彼女が此方の正体に気付いてしまうのではないかと、焦らざるをえなかった。
そんな彼女と、早々に巡り会う彼の運命はどうなっているのだろうと訝しみもした。
結果としてみればそれは杞憂ではあったのだが、とはいえ、それでもやはり恐ろしかった。勇者に、イスラリアという世界を護るための守護者だという彼女に自分の正体が知られたら、どれだけ自分が親しい関係を築いたとしても殺されていただろう。
彼女と言葉を交わすときは、必然的に緊張が奔る。それを微塵も表に出さないように、善良なる聖女の顔を取り繕い続けた。自分を誤魔化して、上面を見せかけるのは容易かった。
「皆が幸せそうにするのが、私は好きなんだ。暖かい気分になるから」
偽物の自分とは違う、本物の彼女の眩さに、目が潰れそうになることを除けば、なんてことはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
彼との旅は続いた。
人骨の兵士、ロックとの遭遇は彼女にとって望外の幸運だった。
最初は敵の戦力を錯乱させて、あわよくば強力な使い魔を得られれば、という明確な打算による勧誘だったが、結果として彼との旅になくてはならない戦力になってくれた。
戦い以外の場においても、明るく振る舞って場を賑やかにして、笑いを届ける彼の存在は、旅の最中で、どれほどの助けとなったか、計り知れなかった。
だからこそ彼を、自分の為に利用するのは胸が痛んだ。
邪教徒に使われることに彼は苛立ちを覚えていた。
その彼をその比ではない悪行を強いる事に、躊躇いを覚えずには居られなかった。
結果、彼に全てを明かすのは遅れに遅れた。
ずっと彼の前では、彼の約束を真摯に守ろうとする上っ面だけは維持し続けていた。
『まー、んなこっちゃろうとおもったわ。んじゃやろうカの?』
本当に事の全てが動き出す直前、グリードに突入する前、密やかに魔王との密約を結んだ頃、臆病者が全てを明かしたとき、彼はにっかりと笑って見せた。
自分に対して怒りはないのかと問うと、「無い」と即答されてしまった。
『心配せずとも、ワシはお主と行く道をちゃんと選んだとも!カカカ!!!』
そんな彼の選択を最後まで疑わしく思ってしまった雫の頭をロックはそっと撫でた。彼の言葉と優しさに、顔を上げることが出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
彼との旅は続いた。
リーネとの出会いはウル達の主導によるものだったが、結果、戦闘能力という一点においては革命的な進歩をもたらした。彼女が雫達に与えた白王陣の力は、革命的な発展をもたらした。
冒険者としての活動を駆け足で進む自分たちにとって、未熟さ故に阻む壁の数はあまりに多かった。それを打ち砕くだけの力を彼女は与えてくれたのだ。
だが、そういった実利面以外でも、彼女の存在は雫にとって衝撃的だった。
生きていくためと関係ない、夢と情熱のために駆ける少女の存在は、鮮烈だった。
世界をあれほどの窮地に貶めながら、イスラリアで夢と情熱を掲げる彼女に対する苛立ちは僅かでも覚えないわけではなかったが、無論、それを知らない彼女に罪はない。彼女自身が放つ活力の前ではそんなことどうでも良くなってしまった。
「家族と自分の誇りを取り戻すの。その為だったら死んだって良い」
当然でしょう?と、そう訴える彼女の輝きは、あまりにも眩しかった。
懐かしい、あの光の庭で、彼や彼女が目を輝かせて自分たちの将来を語る姿をあまりにも彷彿とさせていて、まっすぐに彼女を見れないことが何度もあった。
どうか、彼女の願いが叶いますように。
だけど、その彼女の願いが叶うための世界をひっくり返すのも己なのだ。それを自覚する度に、シズクは自分の首を滅多刺しにしてしまいたくなる衝動に駆られた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
彼との旅は続いた。
「幸せになりたいんだ。こんどこそ、自分の望んだ事を、頑張りたいんだ」
エシェルと、彼女と旅路を共にすることになった過程は複雑だった。正直、良い出会いとはとても言い難かった。雫は彼女の境遇は利用できるとは思っていた。精神が衰弱した彼女なら、籠絡できるとも思っていた。
だけど、真に味方になるとは思っては居なかった。
それを成したのはウルの人徳だろうか。彼女は複雑な経緯と、骨肉の争いの果てに、最後には健全なる精神を取り戻していた。
家族に虐待され、弟に殺されかけて、身内に裏切られた。
考えうる限りの悲惨を一身に受けても尚、幸せになるために頑張りたいと、そう願う彼女が、雫にはあまりにも眩かった。惨たらしい過去に縛られることなく、自分と自分の愛した人が幸せになるために頑張ろうとするのだ。尊く思わずにはいられなかった。
自分とは、あまりにも違う。
ウルのとなりに立つ自分を、彼女が嫉妬していたのは知っているが、本当に眩く、羨まずに居られないのは自分の方だった。彼女の方が遙かに前へと、先へと進んでいるのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
彼との旅は続いた。
成り行きで彼と協力者になった冒険者達がいた。
同じく流されるままに、自分たちで贅肉を落とす羽目になった神官達がいた。
別れている間に、彼と強い信頼で結ばれた戦士達がいた。
一度も顔を合わせなかったが、彼にその魂すら捧げた聖女がいた。
類い希なる才能を持ち、その力を振るう場所として自分たちを選んだ鍛冶士がいた。
隔絶した強さと、鮮烈な意思、そして優しさを秘めた剣の少女がいた。
更に多くと、彼女は巡り会い続けた。
彼を取り巻く世界は広がり続け、それに彼女は飲み込まれていった。そして彼女自身もまた、その世界を広げていった。その方が効率が良いからと、そう言い訳しながら。
いつの間にか、自分は暖かな場所の中にいた。あの白い教室と同じくらいに優しくて、暖かな場所に彼女はいて、その場所を彼女自身が創っていた。
お願いだから、赦してと彼女は願った。
どうかこの場所は、この楽園だけは見逃してくれと彼女は祈った。
必ず自分は出て行くから、だからどうか今だけは赦してくれと彼女は懇願した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いやー……しかしまあ、アレだな」
「―――――――」
「ド陰キャだなシズク」
「―――――――!」
「しょうがねえだろそう表現する以外あるかよ」
幾つもの彼女の過去を眺めながら、ウルは白いもやと共に歩いていた。彼女の内面、仲間達に向けた感情を読み取ったウルの感想に、白いもやは何かしらの抗議の声を上げた、様な動作を取った。モヤモヤが激しく動いて、ウルを掠めた。
視界が塞がってやや邪魔だったが、ウルは言葉を撤回する気は無かった。
「卑屈、陰湿、なにかにつけて罪悪感。厚化粧で心を隠す。昔のエシェルなんて目じゃねえや」
彼女の中の虚無と、その内側に潜む陰湿な自己嫌悪を察しない訳ではなかったが、実際に直接彼女の視点からそれに触れてみると想像以上だった。本当に彼女は普段ウル達と行動していたとき、殆ど本心を晒してこなかったのだと思い知ることになった。
エシェルなどがこれを知ったらさぞかしショックを受けるだろう。彼女は口にはしなかったが、何でも出来るシズクに対しては憧れを抱いていたようだったから。
「――――」
「わかってるって。本当にそれだけだったら、俺たち全員、此処に来ていない」
コレは彼女の魂から見た、彼女自身の事。
偏見にまみれていて当然だ。ヒトは自分の事を理解出来ていないものなのだから。
暴れる白いもやもやを抱えながら、ウルは進む。廊下は何処までも続いていたが、視界は段々と傾きを見せている。徐々に、下へ下へと降りていた。
「ただ、あいつの暗い部分の根源を見つけないと、会話にならないのはわかったよ」
シズクの心の奥底にある圧倒的なまでの罪悪感。彼女と真に心を交わすなら、そこを理解しなければまるで話にならない。必ずしも他人の過去を暴く必要はないとウルは考えているが、彼女の場合話が別だ。
幾重にもかかった重々しい過去のベールを剥がさなければ、その本心に触れることすら出来ない。
「だからこそこうして道先案内してくれてんだろ?“マミ”」
ウルは白いもやにそう問うた。
「あれ、違った?」
言っている内に、白いもやの揺らぎが激しくなる。ウルがそれを手放すと、蜃気楼のようにウルの周囲に付いてきていたもやが、一つにまとまっていく。瞬く間に固まったそれは、ウルよりも一回り背丈の低い子供の姿になった。
「――――気付いてたの?」
声は、未だ重なって聞こえる。男なのか、女なのかハッキリとしない。見た目も、少女のようにも少年のようにも見える。だが、その言い方から、ウルの指摘は遠からず当たっていたことをウルは理解した。
「まあ、勘だけど」
シズクの肉体を強化し、神の器として調整するための残酷な儀式。
その過程で、シズクが自らの友人達を生け贄の様に捧げられたことをウルは知っていた。その魂を彼女に捧げられたと言うことを知っていた。だとすれば、そう言う事もあるだろう。と、予想はしていたのだ。
取り込んだ魂との対話を経験したことがあったウルには想像がし易かった。
「ずっとシズクの中に居たのか」
「残滓みたいなものだけど」
くるりと、彼女はその場で回る。一つの動作をするだけで、ウルには何人もの別人の姿に見えた。蜃気楼のように、万華鏡の様に、次々に様々な子供たちの姿に変わる。
「魔力と、記憶と、魂の残滓の集まり」
「シズクとは?」
「あの子は、私たちを拒絶している」
悲しそうに、首を横に振る。そして再びウルを先導するように前へと進み出た。
「私達の記憶の断片から、道を作ってる。だから離れないで」
「離れるとどうなる?」
「あの子の下に集まってる”黒いものに”飲み込まれる」
「悪感情か……まあ、そりゃそうだわな」
月の神、邪神としてイスラリア中の畏れを集めることで力をシズクは得ていたが、そのやり方が安全であるかと言えば、やはり安全ではないようだ。エシェルはよく、鏡の精霊の力を引き出すと、胸糞が悪くなるような感情に飲み込まれることがあると言っていたが、シズクのそれはその規模ではないだろう。
月の神としてのシズクは長続きしない。遠からず破綻する。
それを理解して、ウルは先へと進んだ。
廊下を更に進んでいく。殆ど直角に崖を下るような斜面になっても、ウルは何事もなく歩き続けた。次第に照明が暗くなっていくのをウルは感じた。明るさだけではく、皮膚がべたつくような感覚をウルは覚えた。地面が粘り気を帯びてくる。湿気と、鼻を突く異臭がする。無機質で清潔な印象を帯びた廊下が、赤黒く穢れていく。
「この先に、“それ”がある」
先を案内するように進んでいた“マミたち”がピタリと足を止めた。それ以上先を進もうとしない。そうしようとしても動けないというように、苦しそうな顔をしていた。
「この先に、私達は行けない。近付くことも許されていない」
「シズクが拒絶していると?」
彼、あるいは彼女たちは頷く。ウルは納得した。
「なるほどね。確かに本命だわ」
ウルは前へと進む。ウルは先に進めないと言うことは無かった。だが、足を踏みこんだ瞬間、強烈な嫌悪感と敵愾心が身を引き裂いた。一歩だって踏みこんでくるなと言う、彼女の情念がウルを拒絶していた。
踏み込んでいくたびに、自分が貫かれるような感覚と、彼女を貫くような感覚に怖気を感じながらも、ウルは進み続ける。
「ウル、さん」
途中で、後ろから声をかけられ、振り返る。既にウルが通った道は道ではなく溶けて消え無くなっていた。おどろおどろしい暗闇の中、白いもやだけが薄らと光って見える。
「ウルでいいよ。」
「ウル、お願い。あの子を助けて」
空間が溶けて消えて見えなくなる最中、最後に見えた白いもやはハッキリとした姿になっていた。その子供はとても辛そうな顔をしながらも、ウルへと叫んだ。
「大人しくて、控えめで、優しい子なの。皆と一緒にいるだけで喜ぶような、良い子なの。だから」
「知ってる。分かってる。大丈夫さ」
ウルは笑った
「此処まで来て、手ぶらで帰る気は無い。精々頑張るよ」
そう言うと白いもやは、安心したように笑って、消えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ウルは廊下を歩き続ける。
空間の変容は歩みを進めるごとに酷くなっていく。最早照明の灯りは殆ど無い。悪臭はむせ返るように酷く。足下の感触は腐った生物の死骸を踏みつけたかのように最悪だ。ウーガが移動要塞に転生する前の、迷宮化した状態をウルは思いだしたが、それでもここまで異様では無かった。
それでもウルはひたすらに先へと進んだ。そして、ようやくたどり着いた。
「………これか」
これまで、シズクの記憶の断片を見るとき何時も出現していた白い扉――だったものの前に到着した。
「えぐい」
最早、元の扉の原型は存在していなかった。砕け、ひび割れて、歪んでいた。乾いた血が幾つも付着している。悪臭を漂わせる腐肉が扉と融合していて、薄気味悪く脈を打っていた。
間違いなく、この先に彼女の”核”とも言うべきものが存在している。
あるいは元凶が。
そのあまりにもおどろおどろしい威圧感と、明確な拒絶の意思にウルは気分が悪くなっていた。だが、此処は魂の内側で、実際の肉体があるわけではない。異臭や見た目のおぞましさで体調を崩す、なんてことは起こらない。
深々と息を吐き出して、顔を上げる。マミに言ったとおり、こんな所まで来て、気後れして引き下がる気は無いのだ。
「鬼が出るか蛇が出るか」
そう言いながら、扉に手をかける。コレまでのように勝手に扉が開くこともなく、やむなくウルは手に力を込めた。
「おっじゃましますよっと」
力尽くで、扉を開く。血と腐敗臭が流れ込む。扉が開いた先に出現した闇の中へと、ウルはためらいなく踏みこんでいった




