陽月騒乱⑤ 機構
ディズが変調を起こしたことをシズクは理解した。
命の奪い合いの最中に起こる興奮とは違う、異様な情熱が彼女の内側から放たれ、その感情と連動するように炎が巻き起こる。
「お、おああああ、あああああああああああ!!!!?」
その力がウルに全力で向かっている。灼熱が弾け、空間が灼け、ウルが吹っ飛ぶ。
何故この状態になって尚、ウルは女性関係で死にかけているのだろうかという奇妙な郷愁のようなものがシズクの胸中に溢れたが、今は考えるべき事ではない。
彼女の狂乱は、好機と捉えるべきだ
ディズは変調している。本来ならば全力でこちらを警戒すべきなのに、意識の比重が明らかにウルの方へと向かっている。それは大変に都合が良いことだ。
狙い撃ち、殺す。
決断し。即座に動いた。意識がウルへと注がれているディズの背をとり、狙い撃つ。シズクの模倣により生み出された終焉災害も、黒炎や白炎といった呪いや儀式の術式をはらんだ大罪の炎すらも、一方的に飲み込んで焼き払う破邪の力を纏った炎を避ける。
無防備なその背中を抉り殺す弾丸を放った――――が、
「《だーめーよ》」
弾丸は阻まれる。纏う炎が翼のように変じ、彼女の身体を守るように翻った。聞き覚えのある声に、シズクは眉を顰める。
「本当に、厄介ですね」
「《わたし、まだおこってっかんな?シズク》」
更に翼は変じる。最下層の一帯をもまたぐほどの巨大な金色の翼へと変わる。その翼が全て、先の破邪の炎で創り出されたものだというのはすぐに分かった。それほどの力を自在に形作る能力は――――
「天衣……!」
「【救世執行/神衣神剣】」
――――自由自在に変じる神の衣と剣。
色欲による不可視の動力は、それ自体を切り裂かれる。自在の刃はやや相性としては不利。ならばと支配下に置いているバベルの塔を素材として、再び死霊兵を呼び起こす。大量の飛蝗の兵達が溢れ、一気に神の衣へと殺到する。
「【魔断乱舞】」
「【餓蟲蚕食】」
無双の刃と自在の衣、一体一体が小さな羽虫の集合体であるならば、刃による両断は無意味化する――――筈だった。だが、刃が纏う焰が、虫たちを一斉に焼いていく。
単なる炎ならば問題は無かった。炎すらも喰らう飢餓の蟲だ。
だが、当然のようにこれは単なる炎ではない。神殺しの緋終の焰だ。
「ッ」
刃は容赦なく虫たちを切り裂き、身体を引き裂く。炎は情け容赦なく神である筈の肉体を破壊する。再生は出来ない訳ではないが厄介だ。【緋終】の焰によって壊された場所を切除しなければ再生もままならない。
距離を取らねばならない。そう動こうとすると――――
「【終断】」
――――ユーリが、その鋭い刃を振るってくる。拮抗はまだ崩れていない。ディズが失ったバランスを他の存在が維持しようと務めている。
だが、拮抗が崩れかけていることには違いない。ならば、
「【模倣/鏡の精霊】」
この好機は逃す道理はない。
「【凍樹鏡乱】」
アカネの激昂によって出現した、触れるモノ全てを朽ちさせる鮮烈なる緋色の樹林。それとは真逆の、凍てついて、光を全て返す蒼銀の樹林が薄暗い天井から発生する。光も炎も全てを反響する鏡の森林は瞬く間にその場の全員を飲み込んだ。
無論、容赦なく緋色の刃は氷の森林を切り刻み破壊する――――が、
「《むにゃ!?》」
「厄介」
砕けた鏡の樹林は、砕けても尚光を反射し、主を隠す。更に受けた力を反射し、相手へと返す。
樹林の全てがトラップであり、攻撃を封じるための牽制でもある。ユーリと、伸びてきたアカネの目を眩ませ、シズクは自身の姿を樹林のなかに潜らせる。
「ちょっとは落ち着け!!!」
「やだ」
ディズとウルの声が樹林の反響でよく聞こえてくる。その位置をシズクは正確に見定め、そして再び銃をかまえる。攻撃の反射は自分だけ一方的に無視出来る。アカネもユーリも距離がある。ディズの心臓に今度こそ狙いを定め――――
「――――んで、お前は相変わらず抜け目ねえな」
引き金を引くその直前に、ウルが囁いた声は、明らかにシズクに対して向けられたものだった。
「【混沌よ、顎を導け】」
何かの炸裂音がする。同時に鏡乱の樹林の中を何かが突き進む。砕き、時に反射をしながらも一直線に此方へと向かって来るのは
「竜牙槍――――!?」
天祈のスーアがウルに与えた竜牙槍の最高傑作。白皇の顎がまるで獣のように分離し、此方に飛びかかってきた事にシズクは目を見開く。同時に放とうとした銃口の先を其方にずらし、引き金を引いた。放たれた咆吼に竜牙槍ははじけ飛ぶ。
同時に、シズクは自身の失敗を悟る。
一瞬意識が逸れ、気がつけば音が一人分消えていた。それが誰かなどと考えるまでもなく――――
「ウル様――――」
「呼んだ、か!?」
一瞬の動揺、その隙を突いて眼前に現れたウルがシズクの腹に蹴りをたたき込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「っが!」
「ああ、っづぅ……!」
シズクは地面にたたき付けられた。
だが、勢いが付きすぎていたのか、横でウルも同時に地面に墜落し、悲鳴を上げた。未だに身体は焼け焦げ、頭を打ったのか血も流れている。
「ああ、くっそ……!ディズめちゃくちゃやりやがって……!」」
ほんの少し前まで、ディズとやりあっていたダメージは明らかに残っている。にもかかわらず、その状態であっても尚、一歩一歩踏みしめながら、まっすぐにこちらに向かってくるのは圧があった。
「っ」
シズクは肉体の再生を急ぎ、即座に身を翻してその場を離れた。その直後、シズクがいた場所にウルの手刀が突き刺さる。槍ではなかった。その指先にも灰色の炎が纏っている。何かしらの術式が仕込まれているのが分かった。
「だあ……、ここで、決めたかった……!」
回避され、ウルは悪態をつきながらこちらを睨む。
「んで、改めて、こうしてちゃんと話すの、久しぶりだなあ?茶でも煎れる、か?」
「【終焉災害/病】」
シズクは一切応じず、力を行使した。
【怠惰】と【色欲】の混合、生命操作による病の嵐を引き起こし、自身を包み込む。人目見れば分かるその不吉さは意図的であり、凶悪な牽制だ。どれだけ神の力を持っていようと、今の自分たちはヒトの延長線上にしかいない。灰の炎で復活出来たとしても、その過程で傷は痛むし、苦しいのだ。どうしたって無視は出来ない。
まずは距離をとる――――
「――――無視すんナ、よ!」
だが、そう考えている間に、黒い風の中から腕が突き出て、シズクの首を掴んだ。
「ッ!?」
その勢いのままに壁にたたき付けられる。中から出てきたウルの有様は酷かった。皮膚はただれ、至る所が膿んで、それを灰の炎で焼き払っていくがまるで回復が追いついていない。
今すぐに身もだえて転げ回りたくなるような不快感と激痛に満ちているはずなのに、
「話の、続き、ダ」
彼はこちらをまっすぐに見る。
神が生み出した病の嵐を前に真正面から突っ切る。その択を彼は選ぶか?
選ぶ。ウルは選ぶ。
わかりきっていたことだ。彼との付き合いは短いが濃密極まっていた。窮地において、それがどれほど際どかろうとも正解への道であるなら何一つとして躊躇なく選ぶ男だった。その姿を幾度となく、シズクは目に焼き付けてきた。
そう、わかりきっていたことなのに、牽制?距離をとる?
ディズが真っ当ではないと断じたが、彼女だけではない。
自分もまた、狂ってきている。
「お前、何が、したいんだよ」
ウルはこちらの首を強く押さえ込み、その目はこちらを見つめて離さなかった。息が苦しく感じるのは、彼に押さえ込まれているからではないだろう。
自分はおかしくなっている。何時から?
最初から?戦いが始まってから?
それとも、彼が来た時から?
「――――ありません」
彼が来てから動揺――――なんだそれは?
「そんなものはありません」
人間らしく、狼狽えるなんて権利はない。
「私は世界を救う機構」
その命を潔く、世界のために捧げろ。そうでなくば、
『【我は陽天を掠め、欺瞞を照らす月鏡】』
彼等を何のために――――
『【神月ヨ太陽ヲ喰ラエ】』
竜化現象を引き起こし、ディズの空間浸食に抵抗する。燃える世界を凍てつかせ、その燃焼する力を奪い去って己の力とし、取り込む。それに従って白銀の鎧が更なる変質を遂げる。
太陽神の解放とは似て非なる変貌。悪感情を扱い従えるその力は、ヒトとしての形から変質させた。外の【涙】が形なき怪物へと転じるように、自身もまた変わっていく。
だが、構わない。躊躇わない。最早、知ったことではない。
『【其は願い求め、星をも掴む渇望】』
重ねて、シズクは、己が地獄を唄い、叫んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「っっ!!」
唱えられた魔言、竜の力を浸食するその魔言にウルは寒気を覚える。それが誰であろう、【強欲】の代物であることにすぐに気がついた。無論、強欲の竜の本質的な恐ろしさがその力ではなく、当人に依存しているものであったとしても、肉体の畏れは止められない。
「【無貌ノ月/終焉災害】」
何せ、今のその力の使い手もまた、強欲に並ぶほどに怖ろしい存在なのだから。
『【終焉模倣/死】』
彼女が唱えるとともに、バベルがうごめく。既にバベルはシズクの支配下にある。方舟破壊のための下準備以外でも、当然彼女はこの巨大なる設備を操れるのだ。
肉壁が自在に動き、それを竜の力が浸食する。瞬く間にシズクの背後に出現するのは、あまりにも巨大なる一つの【魔眼】だ。異形極まり、見るだけでも怖ろしいが、その瞳の色だけはシズクと同じ白銀で、美しかった。
『【死零魔眼】』
そして、瞳が瞬きを一つうった。
「か」
途端、ウルは全身が凍り付いた。
凍り付いた、などと生やさしい。まるで全身の細胞一つ一つが途端に機能を停止したかのよう――――というよりも事実そうなった。瞬き一つで、命の脈動全てが止められたかのように錯覚した。効果範囲は甚大であり、あの巨大な瞳が映す全てが一斉にそうなった。
「――――!!」
『………………!!』
背後で戦う二人も影響を受けたらしい。が、ウルも二人を配慮している場合ではない
幸いと言うべきか、常に【灰炎】で心臓周りを焼くことで、身を守っていた。最早竜に近しい自分の肉体は心臓を射貫かれねば死なず、その心臓から広がる灰の炎がウルの氷を溶かす。
「っが、っは……!!」
なんとか蘇生を果たしたが、しかし当然、シズクは既に手元にはいない。距離をとった彼女は、既にその膨大な力でもって更なる変化を遂げていた。
「…………!!!だ……から!ヒトの話聞けっての畜生!!!」
なんとか凍り付いた舌を回しながら文句を叫ぶ。が、既にその声が届いているか怪しい。
『――――――…………AAAAAAAAA!!!』
元々現実感のない、ヒトらしからぬと散々な評判を受けていた彼女であったが、しかしとうとう遂に、彼女はヒトの形すらも失ってしまった。
触れるだけで凍り付いてくほど美しい、巨大なる白銀の竜がウルの前で出現する。
彼女と同じ銀の瞳、長い角、最深層すらも囲い込んでしまいそうなほどの長い胴に、その身を旋回する銀の球体。
最早、対話など望むべくもない異形へと成り果てた。
ウルはその姿に苦々しく顔をしかめ、そしてため息を吐くと、睨んだ。
「まだ諦めちゃやらねえからな……!」
『AA――――――』
ウルの宣告が聞こえているのかいないのか、それとも無視しているのか不明だが、彼女は構わず更に力を解き放つ。周囲の温度は更に下がり、凍り付く。魔眼はまだ再起動していないにも拘わらず、その場にいるだけで先ほどとと同じように凍り付きそうなほどの寒気が満ちていた。
同時に、背中は燃えあがるような熱に焼かれていた。シズクが巻き起こす絶対零度と拮抗するその炎は間違いなく、ディズから放たれているものだ。丸焦げになりながら凍死しそうな感覚に顔をしかめていると、不意に背中の熱が引いていく。
振り返らずとも何が起きたかすぐに分かった。
『それで、どうします?』
ウルの代わりにディズを相手取ってた眷属が、背中を護るようにそこにいた。
『貴方の目論見では、双方をぶつけ合いながら、頃合い見て漁夫の利を狙う作戦でしたよね』
「そうだな」
『今貴方、思い切り双方の神から狙われてません?』
「そうだな」
『貴方が二人にぶっ殺されたら全部解決しませんか』
「勘弁してくれ。ちょっとありえそうだなって思っちゃったから」
ウルは頭痛を覚えた。
作戦が何もかもすんなり上手く行く事なんて殆ど無かったし、今回もそうだろうと覚悟はしていたつもりだったが、想像の斜め上の状況に跳ねすぎだ。
「……まあ、標的が明確に俺なら、むしろ誘導はしやすい。っつーかあいつらだってバカじゃない。相対する神を無視出来ない事は理解してるさ」
『わかっていなかったら?』
「俺が死ぬ」
『かわいそうですね』
ユーリからの雑な憐れみが五臓六腑に染み入った。
『それで、逃げ回るだけでは最終的に勝ちは拾えませんよ。他に策は?』
「……あるにはある」
『あるなら最初から出しなさい』
「形成に時間がかかる。お前との戦いでも使わなかったろ」
『つまり?』
ウルはちらりとユーリを見る。ユーリは鬱陶しそうにため息をついた。
『縋るような目で見ないで下さい。貴方は主でしょう』
「悪かった――――俺を護れ、ユーリ」
ウルの言葉に鼻を鳴らし、ユーリは剣を構え直した。
『いいでしょう。求める以上、貴方も仕事を果たしなさい。我が主』
「こえー眷属だこと…」




