そこに何の謂れもなかろうと
「――――――」
緋色の森。
終焉災害と成り果てた緋色の少女、アカネが創り出した終焉の森の中心にシズクはいた。触れれば神すらも殺す力、魔王が掠め取った【天愚】の座に納まり、昇華した少女の力が満ち満ちた場所にあって尚、白銀の女神は平静を保っていた。
目を瞑り、静かに“彼女”からの攻撃をまっていた。
「《シーィィズクゥ!!!!!!》」
そして、来た。緋色の少女の攻撃だ。
わざわざ自分から声を上げて突撃をしてくる辺りに、どこか誰かを殴りかかることへの不慣れさが出ていて可愛らしくも思えるが、その突撃の速度と破壊力は何一つとして可愛らしくない。
「《ううううううりゃああああああああ!!!》」
自らが創り出した緋色の木々をなぎ倒しながらの突進。当然、その衝撃によって木々は倒れ、へし折れ、崩れ倒れていく。その結果破片は舞い散り、その全てが降り注ぐ。言うまでも無くそれらの破片全てが【緋終】の力を有しているのだ。
「【狂え】」
シズクは色欲の力でそれらを弾き飛ばす――――事は出来ない。緋色の力に直接の干渉は出来ない。権能の干渉すらも消し飛ばしてしまうからだ。故に動かすのは周囲の壁や、上空から落下してきた本棚だ。それらを傘にして防ぐが、当然それらの盾も瞬く間に崩れ落ちてしまう。
「《にゃああ!!!》」
「!!」
そして、身を守っている間にアカネの突撃が直撃する。シズクは弾き飛ばされ、壁に叩き付けられる。守りに構えた腕の鎧がグズグズに崩れていく。破壊された部分は完全に取り除かねば破壊が広がっていく。本当にタチの悪い力だった。
当人の猪突猛進と、それと相反した力の悪質さ。
厄介だ。しかし対応そのものは出来なくはない。
アカネの激昂を、シズクは気に留めることはない。ただひたすらに障害として捉えていた。そしてその冷静さから、アカネの力を無慈悲に、正確に見極めていた。
どれだけ彼女が太陽神の力を流用しようと、神を殺すほどの力を振る舞おうと、彼女自身は直接戦うことになれていない。だから単調でわかりやすい。パターンも少ない。意表こそ突かれたが、厄介さで言えばディズの方がよっぽどだ。そして今、彼女は出てこない。
ならば、この間にディズごとアカネを仕留める。
そうすれば――――きっと彼は、悲しむだろうか。
思考と思考の間に生まれた隙間。その空白に生まれたノイズに一瞬シズクは思考を止めた。そしてその隙を突くようにアカネが飛び出してくる。
「《にゃああ!!!》」
だが、もうその時にはシズクも思考を元に戻していた。作戦に変わりは無い。もう彼女の戦い方は読み切っている。シズクは先と同じように身構えるように見せかけながらも、迎撃の準備を完了させていた。
「【銀糸・綾取り】」
緋色の森の中では、得手とする銀糸の結界も通じない。張り巡らせた側から全てが崩れて崩壊してしまうからだ。だからシズクは自らの両手に見えぬ程の細い細い銀糸を広げ絡める。
カウンターで絡めて、そのまま首を断つ。それでも再生するだろうが、動きは止まる。その間に心臓を破壊する。そう決めていたが、
「っだ!!!」
「――――っ」
カウンターの直前、突発的にアカネの軌道が変わった。まるで何かにぶつかったかのように突進の軌道が変更され、眼前で飛び上がる。シズクは眉を顰め軌道の先に視線をやると――――
「読みやすいって思った?」
ディズが既に剣を構えていた。
なるほど、見誤っていたとシズクは理解した。
ディズとアカネ、この二人の絆は想像よりも遙かに強固だ。アカネは激昂しようともディズから肉体のコントロールの全てを奪うような真似はしないし、ディズはアカネの激昂に合わせて、協力出来るくらいには彼女を信頼している。
「ぐっ」
この状態を隙と捕らえるべきではない。そう理解した直後、刃がたたき込まれた。鎧では防ぎきれず、シズクは切り裂かれ、更なる奈落へと叩き付けられ――――
「――――ですが」
「む」
彼女が接近したことで、見えぬ銀糸でのカウンターには成功した。見えぬ銀糸は彼女に纏わり付く。一方的に首を刈り取ることはできなかったが、やむを得ない。
「一緒に墜ちて下さい」
銀糸に二人は絡まり、共に奈落へと落下した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【真なるバベル・最深層】
「【破邪神拳!】」
シズクの奇襲によって絡んだ見えぬ銀糸を崩したディズは、なんとか姿勢を整えて地面に着地した。細い銀糸は殺意に満ち満ちて、呪いが付与されていたので厄介であったが、【天拳】の力によってなんとか浄化は出来た。
全くもって、如才ないし油断もならない。身体の傷を癒やしながらも改めて思った。
――ディズ、へーきか?
「大丈夫だよ。ありがとうアカネ」
激昂していたアカネからの声に応じる。激昂状態で戦ってる状態の中でも何度か会話し、理解していたが、彼女は怒りを振るったまま、冷静さを保てる強靱な精神力を持っている。
その上で、
――まだまだやれっからね!
ちゃんと怒りは継続しているらしい。やる気満々の彼女を頼もしく思いながら、周囲を見渡した。すると、ディズ達が墜ちてきた上空から何かが輝きながら墜ちてくる。最初それはシズクかとも思ったが、そうではなかった、輝きながらディズの元へとまっすぐにやってきたそれは、
「【天剣】……」
ユーリが創り出した飛翔する【翼剣】が、ディズのもとへとやってきたのだ。それに手を伸ばすが、ディズが触れるよりも速く硝子細工のようにバラバラに砕け散り、ディズの内側に吸い込まれていった。
「ユーリ」
友人である彼女に貸し出した【天剣】の力、その“大部分”が戻ってきた。
力が返された。それはつまり彼女に不測の事態が起こったと言うことだ。言葉選ばずに言うならば、死んでしまった可能性の方が遙かに高い。その事実にディズは動揺――――は、しなかった。
「君なら大丈夫だよね」
確信と共に、内側に戻った力を起動する。
「【神剣展開】」
ディズは剣を創り、【星剣】と合わせて構えながら周囲を見渡した。
「随分、落ちたな」
シズクの一撃によってバベルの最下層まで落ちていた。無限に続くと思われていた螺旋図書館の奈落の、その底だ。本来ならば、上層からまっすぐに奈落へと落ちても決してたどり着くことができない最下層。
方舟イスラリアの一番深い闇の底にディズはたどり着いた。
――きもちわるぅい……
自分の内にいるアカネが極めてシンプルな感想を漏らす。実際彼女の言うとおり、その場所はあまりにも薄気味が悪かった。ここに到達するまでの道中も、異形が浸食し、元の静謐な図書館の雰囲気を浸食しているのが見えたが、此所は最早それどころの騒ぎではない。
完全に、生物の臓物の内側だ。
ディズとて、この場所を見たことはない。グレーレと歴代の王たちが管理し、誰にも立ち入らせなかった空間。
間違いない、此所は――
「――方舟イスラリアの最深層。最も忌むべき場所」
空から、声がした。見上げると目映い輝きを身に纏った白銀の女神、シズクが姿を現した。ディズは警戒を向けたが、彼女の視線はディズから外れていた。彼女が視線を向けているのは、ディズの位置から少し外れた、この巨大な地下空間の中心部だ。
ディズの視線も自然とそちらへと向かった。
「……アレは」
そして見た。
〈――――――a a a a a〉
最深層の中央に盛り上がるようにして存在している巨大な物体。大小様々な生物の血管が結びついて絡まったような、あるいは複雑怪奇な魔導機械のパイプが交差するようにして繋がるようになったその先、巨大な生物の瞳のような物体がそこにあった。
「【悪感情凝固・廃棄孔】、世界を穢す、邪悪の根源」
そう言いながら、シズクは掌を掲げる。途端、周囲の薄暗い闇を一気に切り裂くような、鮮烈なる白炎が彼女の掌から生まれた。目が眩むようなソレにディズは眼を細めながらも、シズクのしようとしていることを止めることはしなかった。身構えつつも沈黙し、見守った。そして、
「【白炎】」
〈a a a―――― 〉
彼女がそれを放つ。まっすぐに落ちた白炎の大きさはとても強かったが、中央で脈動する巨大な瞳と比べると小さく、ささやかに思えた。しかし着弾した瞬間、
「ッ!」
爆弾のように、その白い光と力を炸裂させた。直撃した瞳はその爆炎によって一瞬にしてはじけ飛ぶ。ディズの周囲にも得体の知れぬ肉片と血液が飛び散り、異様な肉が焦げる匂いが一帯を満たし、ディズは眉をひそめた。
焼け焦げた後は見る影もなく、瞳は、その場所からえぐり取られ、消し炭になった――――が、しかし
「…………コレは」
「やはりこうなりますか」
ディズは眉をひそめ、シズクも冷酷な眼でその現象を見続ける。
跡形も消えて無くなったはずの“瞳”があった場所、そこが突如としてうごめいて、盛り上がっていく。周囲に飛び散った肉片達が地面に吸収され、周辺全体が脈動した後に、まるで波のように“寄って”いく。えぐれ、消し飛んだ部分を埋めるようにして、瞬く間に大穴は埋まる。
〈a a a a a〉
そしてしばらくすれば、盛り上がった肉の形が変わり、本当にあっという間に、寸分違わぬ元の瞳の姿に戻ってしまった。
「【方舟】を一個の生命と見立てたとき、此所はその巨大な臓器のほんの一区画」
シズクはその瞳のすぐ側に降りて、ディズと向き直る。ディズも自身の怪我を癒やすと彼女の前に相対した。
「そこで暴れて、“ほんの僅かな穴”を空けても、即座に再生してしまう」
僅かな孔、この空間全体を焼くほどの炎をたたき込んだとしても、それは【方舟イスラリア】全体から比べれば本当に些細な傷だ。人体についた小さなかすり傷に過ぎない。
「羽虫が……いえ、微生物がほんの僅かに害をなしても、何の意味ももたらさない」
それが、歴代の王たちがこの場所を対処出来ない理由だ。
この場所を取り除くことは出来ない。生物の器官の一つであり、どのような形であっても除去することができないのだ。だから、これに対処する方法は限られる。
「方舟の心臓を砕かねば、この凝固装置の破壊は出来ない」
「それがバベルであり、ゼウラディア?」
「ええ、ですからどうか、死んで下さい。ディズ様」
シズクは笑顔で、気軽なお願いのような言い草でそう言った。
ディズは彼女の言葉に傷つく事はしなかったが、息を一つ吐いて、問うた。
「その後、君はどうする?」
「方舟を砕き、星石を回収して、後は世界のためにこの命を使います」
シズクは即答する。だがディズは眉をひそめた。
ディズ達とて、こうなった後、今の外世界の状態を調べなかったわけではない。魔力の薄い環境を、複数の斥候達が事細かに状況を調べあげた。
「……魔界、いや、外の世界の崩壊は明らかだった」
そして導き出された結論は一つだ。外の世界の回復と再生には膨大な時間がかかる。例え神の力があろうとも、瞬く間に再生などできはしない。
「魔力の源、【星石】と君であっても、全てが上手く行くとは思えない。まして、悪感情を燃料とする危険な月神では」
時間がかかると言うことは、それだけ負担もかかると言うことだ。
ディズはシズクを見上げ、悲しそうに言った。
「死ぬよ」
「それを躊躇すると?」
そう言いながらも、更にシズクの内側から溢れる力が膨れ上がり、膨張していく。バベルの外、悪感情信仰の加速をそのまま反映するように、彼女の姿は変貌していく。
あの怖ろしき強欲の竜の姿にも似ているが、ソレよりも増して強く、禍々しく、そして痛々しい。
「《シズク!!》」
「貴方を殺し、方舟を壊し、私自身をも燃やし尽くして、世界を救う」
怒ったようなアカネの声に対しても、彼女はまるで応じなかった。無数の周辺の空間が歪み、うごめいて刃を創り出す。空中を自在に舞う銀竜の刃に守られながら、彼女はまっすぐにディズへと、そして自分自身へと殺意を向けた。
「――――君を止めるよ。ここで殺してでも」
ディズはそれに応じるように、構え、自身の力を解放する。今なおこの世界であらがいを続ける戦士達、その彼等の無事を祈る者達の願いを力として、彼女と同様に自身を変貌させていく。人ならざる者へと自身を定義していく。
――ディズ
「このまま、あの子を放置出来ない。ひとりぼっちには出来ない」
例えその果てに彼女を殺すことになろうとも、突き進む彼女に手を伸ばさねばならない。ディズは自らの信念に基づき、長きにわたって研ぎ澄まし続けてきた刃をシズクへと向ける。数瞬の間が空き、そして双方は激突――――
「勝手におっぱじめんなコラ」
――――する直前に、出現した灰色の炎が二人の殺意を引き千切った。
「っ……」
「――……」
対峙する二人の間にちょうどまっすぐに着地した影を前に、二人は一瞬動きを止める。止めざるをえなかった。二人の間に割って入るようにした”彼”から溢れる力は、双方の神にとっても無視しかねるほどの禍々しい力にあふれていたからだ。
「元気そうで何より……いやほんと、俺よりも遙かに元気そうだな。羨ましい」
そして彼はゆっくりと立ち上がり、その姿をさらした。
いくつもの戦いを経由してきたのだろう。彼の体の至る所に血の跡が無数にあった。治癒しても尚残った傷跡も数えきれないほどあった
しかし昏翡翠の双眼から放たれる光だけは、この場に居る誰よりも強い。そして握りしめた二つの大槍はシズクとディズ、双方へと向けられた。
「ウル」
「ウル様」
「お前等どっちもぶん殴ってやるからそこに直れや」
かくして、役者は揃う。
一千年の祈りの果てに、太陽の神を託された勇者と
一千年の呪いの果てに、月の神と成り果てた勇者と
一千年の運命とは一切関係なく、ただ意思のみでここに立つ灰の王
全ての衝突が始まり、その果てに世界の命運が決する。




