この上ない喜びと共に
【竜呑ウーガ司令室】にて
「……どうだった?シンタニ」
リーネはシンタニが持ち込んできた機材画面を確認しながら尋ねる。
彼がこちらに来てからしばらく、彼に“魔界の魔道具”の扱い方を確認し、そのいくつかの技術を既にリーネは学習したが、流石に一朝一夕で全てを完璧に使いこなせるようには成らない。細かな操作は彼の役割だった。
「……成功はしたよ。とはいえ、まだ経過をみなければならないだろうけれど」
その役割に準じてシンタニは送られてくるデータに目を通しながら、小さくうなる。送られてきているのは、現在のウルのデータ情報だった。今日に至るまでの準備時間はあまりにも少なかった。この土壇場で“ぶっつけ本番”になる可能性を考慮し、ウルには常に情報を送ってもらう必要があったのだ。
彼こそが、この作戦の全ての要なのだから。
「朗報、といって良いかしらね」
シンタニの言葉に頷くと、通信魔具をリーネは手に取る。通信先は無論ウルだ。バベルは迷宮化し、通常の通信魔術は連絡困難になりつつあったが、魔界製の通信技術がイスラリアのそれと比べて遙かに優れていたのが功を奏した。ノアを通じてまだ連絡は続けられる。
「ウル、彼女にもリストをつけて、経過観察するから。連絡を取るための通信魔具も。――ええ、わかってる。それじゃあね」
端的に連絡を終えると、リーネは再び机に戻る。弟子の男から渡された資料をもとに猛烈な勢いで術式の改善を再開し始めた。指先に血は滲むが、それでもなお手を動かすことを彼女は辞めない。
「最低限の条件は整った。それでもまだ研究は続けるのかい?」
「やるわよ」
少しためらうようにシンタニが尋ねると、彼に視線を向ける事もせずリーネは即答した。
「世界がもう終わるかもしれなくても?」
「例え世界が終わったってやるのよ」
あまりにも力強い彼女の言葉に、シンタニは首を横に振る。そして彼もまた自身の作業を開始した。銀竜の攻撃で撃沈したウーガと、それを復旧するための作業員達とカルカラの号令、騒がしい司令室の中であって、その場に集った魔術師達はどこまでも静かに作業に没頭していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【螺旋図書館深層】
「ひ…………っでえ戦いだったぁ……」
『カカ、本当に、のう。泥仕合にもほどがあったわい』
「……」
心臓を貫かれた筈のユーリは眠っている。呼吸はしているし、死んでいるわけではない。果たしてそれがどの様なトリックで、ウルが何をしたのかはロックには分からないが、少なくとも何かをしでかしたのは間違いない。
「ああ、つかれた……血まみれだよもう」
『なんじゃよーわからんかったが、上手くいったのカの?』
「まー、恐らくな。息してるし」
そうして作業を終えたウルはたち上がると、こちらに向かって肩をすくめた。そしてふと思い出したような顔になると、こちらを忌々しげに睨み付ける。
「全く、修羅場に巻き込みやがって」
『言うて、途中から修羅場に巻き込まれたのワシになっとらんかったカの?』
「それは……いや、否定はしねえけど……納得いかねえ」
『カッカッカ!すまんすまん!』
実際、悪いとは思っていたが、それでも天剣をそのままシズクの所に連れて行く訳にはいかなかったのだ。例え、太陽神の力のほんの一端を持つに過ぎないにしても――――いや、あるいは神の権能を持ってすらいなかったとしても、彼女ならばシズクを殺しかねない。
本当に、ウルが来てくれたのは行幸だった。
『ふむ、さて』
そしてそのままウルから距離をとる。そして訝しんだ表情のウルに向けて、ロックは自身の身体を変形させ、剣を構えた。
『では、ワシの仕事をしようカの?』
「おい……って」
ウルは怒りに眉をひそめたが、何かに気づいたのか目を見開いた。
ロックの身体が徐々に――今度こそ本当に――霧散し始めていることに気づいたらしい。彼だけではない。散々ユーリによって切り刻まれ、粉みじんとなった七首の竜達もそろって霧散し、形を保てなくなりつつあった。
ウルをここに誘導するときには誤魔化したが、とうとう限界が来たらしい。
「……リーネに」
『あー、無理じゃ無理じゃ、わかっとったからなあこうなるのは』
ウルの言いたいことはすぐに分かったが、ロックは首を横に振った。ここからなんとか出来るなら、主がとっくになんとかしているのだ。
もとより自分の体は、卓越した術者の手によって創り出されたとはいえ、単なる死霊兵にすぎない。その器で、七首の竜をも操ってデタラメな力を使いこなすのは無理があった。
どれだけ主の力が膨大だろうと、そればかりはどうにもならない。ここで死闘を演じずとも、こうなっていただろう。
『ま、そもそも死霊術も無限に続くものでもなかった。覚悟はしとったわ』
「それでやることが、世界崩壊の手伝いかよ……少しでも身代わりってか?」
ウルは呆れたようにため息を吐き出すと、ロックがにやりと笑う。
『カカカ!そこまで殊勝ではないわ!』
そう、そこまで殊勝ではない。そんな保護者のような立場ではない。彼の考えているのは常に享楽で、自分のことに過ぎない。だが、だからこそ見過ごせないことがあった。
『無理強いで全部背負わされた小娘に、業まで押しつけられるのを見すごすのは、むかつくじゃろ?』
そう言うと、ウルは吹き出した。そして笑う。
「そりゃそうだ。ムカつくわ」
『じゃろ?』
二人で笑う。全くもって、気の合う男だ。
本当に、主には感謝してもしきれない。
こんなにも得がたいものを与えてくれたのだから――――それ故に、
『ま、だからこそ、最後まで主を護る騎士をやらせとくれや』
ロックは剣を構える。それは幾度となく、訓練で彼と対峙したときに見せた構えだった。
「――やんちゃな爺め」
ウルもそれに応じて、竜牙槍を構えた。彼もまた、何時もの構えを見せた。
奇しくもそれは彼との出会い、殺し合いをする羽目になった時と同じ構図だ。しかし彼の姿はその頃よりも遥かに洗練されていて、ロックは嬉しくなった。
『カッカッカ!すまんなあ!』
「気にする仲かよ」
『それもそうじゃの!』
言葉を交わし、じりと姿勢を低くする。
そして一瞬の間を置いて、双方は飛び出した。
『ッ――――!!!!』
崩壊する寸前であっても尚、ロックの動きは一切の淀みなかった。
シズクが何度も魔術を学び、強化と補強を繰り返し続けたロックの肉体は崩壊の間際であっても尚、彼の意思と力を過不足なく伝えた。
紛れもない最高の一振りだった――――その上で、
「【魔穿】」
ウルが、それを超える一撃を放ったことに、ロックはこの上ない喜びを得た。
『シズクを頼む、さらばじゃウルよ』
「任された、じゃあなロック」
ああ、なんて楽しい人生だったのだろう!
自分にこんな喜びを得る機会を与えてくれた少女に、騒がしい日々を共に駆けてくれた少年に、あの賑やかで楽しいウーガで暮らす友人たちに、すべてに感謝し彼は笑う。
そうして好好たる老騎士は周囲の骨竜達もろともに、無二の友へと願いを託し、小さな骨片一つ残し、散った。




