一方その頃
「……凄まじい、な。分かっていたけれど」
竜呑ウーガの内部に建設された特別研究施設――――とは名ばかりの、司令室に強引に増設された研究区画の中に収まり、仕事を続けていたシンタニは驚愕していた。目の前で発生した……というよりも、竜達が創り出し浸食した銀糸が目の前を掠めるくらい危うい目に遭うことで再認識した。
方舟の戦いは最早異世界に等しい。外世界の“禁忌生物”など、所詮はガワも骨肉も持たない脆い生き物に過ぎないのだと実感した。
勿論、その生物がもたらした汚染は、世界を犯す毒と変わる。侮ることなど全く出来ない厄介極まる存在でもあるのだが――
「感心してる場合じゃ無いわよ。余計な時間がかかったわ全く」
そんなことを思っていると、自分と同じく研究を進めるイスラリアの魔術師、リーネがやってきた。なにやら一瞬白く輝いていたように見えた彼女は再び光を納め、元の状態に戻っている。表情には疲弊が浮かび、助手の男にローブを手渡されながら汗を拭っていた。
「休まなくても良いのかい」
「そんな暇はないのよ。わかってるでしょう」
「……そうだね」
それでも彼女はそのまますぐに研究に戻る。気力に満ち満ちていた。若い、というのとは少し違う。きっと自分と違って、まだ何もあきらめてはいないのだ。
「そっちは出来そうなの」
「おおよそは」
酷く曖昧な回答になってしまったことにシンタニは苦い顔をする。だが、そうなるのも仕方が無いのだ。
「“こんなの”はハッキリ言って、無茶に無茶を重ねた所業だ。分かるだろう?」
「そうね。情報だけを頼りに遠隔操作で術式を組み立てるようなもの」
目の前に広がる無数の資料。外の世界、あの忌まわしきドーム最深層に蓄積した無数の研究資料、それに加えて方舟の内部世界で培われ続けてきた魔術研究。隔絶した二つの世界で重ねられた研究がこの場で組み上がり、凄まじい速度で合致していく。
研究は培うものだ。ズルも近道も行わず、どれだけ間違いがあろうとも重ねてきた努力が花として開きつつある。研究者としては冥利に尽きるだろう。
だがそれでも足りない。何もかも足りない。時間も人手もなにもかも足りない。眠る間も惜しいくらいに研究は重ねているが、それでも本当はもっと時間が欲しくてたまらない。
リーネだってそれは分かるはずだ。これほど優れた研究者であるのなら。
「貴方の言いたいことは分かるわよ。でもね」
リーネはいくつかの魔法薬を口にして、それを放り棄て、そのまま再び目の前の資料と、一つの術式の完成に没頭する。
「だけど、やるのよ。諦めたら、そこで終わりよ」
「…………僕には、そこまでは……」
「じゃあなんでここに来たの」
眼鏡越しに、少女の鋭い瞳がシンタニを射貫いた。恐ろしい目だった。あの最深層の怪物達、冷たく凍えてしまった者達の瞳とは対極の、全てを焼き払うかの如く苛烈な目だった。
「私は貴方のことを許さないわ。貴方は地獄を知って、止めもせず目をそらしただけなのだから。許してはいけないと思っている」
「……」
「でも、貴方はここに来ることを選んだのよ」
突きつけられたその言葉は、ズタズタになったシンタニの心に情け容赦なく突き立った。血が噴き出すような熱と痛みを感じた。
「ウルは強要はしなかったわ。貴方がここに来たのは貴方の意思よ」
「……」
「シズクを、このままにしてはおけないと、そう思ったから来たのでしょう」
そうなのだろうか。
シンタニには本当に分からなかった。あの地獄を目の当たりにして、自分の中にある何かが壊れてしまったと自覚していた。感性が鈍くなって、上手く反応が出来なくなっていた。
だけど、それでも自分からここに来たのはそう思ったからなのか。
「だったら、進んでみなさいよ。貴方を救えるのは貴方だけよ」
それだけ言ってリーネは再び目の前の作業に没頭した。もうこちらにはわずかたりとも意識は向けていない。凄まじい集中力だった。声をかけても、反応すらしないだろう。
「…………進む」
シンタニは小さく呟くと、彼もまた目の前のPCでの作業に没頭した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「襲撃が一旦退いた……か?」
プラウディア外周部でも、戦いがわずかに小康状態に陥っていた。
銀竜の襲撃がやや収まっていた。勇者ディズが展開した金色の天使が銀竜達を押さえ込み、出現する魔物達の量も一端減ってきていた。
とはいえ、銀竜達そのものが撤退したわけでもない。あくまでも小康状態でしかないだろうということはイカザにも分かっていた。
「全員、無事、か……?」
イカザが汗を拭いながら周囲を確認する。残念ながら皆の前で英雄として余裕ぶった表情でいることは難しかった。ウーガからの支援とも攻撃ともつかない襲撃を受けて、部隊はかなり混乱した。その状況を整えるのにかなり駆け回る羽目になったからだ。
あるいは、私がこうやって動くのも目論んでのものだとしたら性格が悪いな!
内心で愚痴っていると、今は部下として動いてくれている騎士の一人が応じた。
「けが人はおりません。怪我が重い者は……」
そう言って、彼はバベルの方角を向く。正確にはその側に鎮座している巨大な山のようにも見える移動要塞、ウーガを見つめていた。
「ウーガに転送、か。全くとんでもない無茶をしたものだ」
「灰王の狙いは何なのですか」
「現状だろう」
イカザは周囲を見渡した。他の騎士達もイカザ同様に疲弊している。魔力を奪われ、それでも戦い続けて疲労困憊している。しかし一方で銀竜達もまたそうなって、特に小型の者などは墜落して霧散しているようなものまでいる。魔物達も似たり寄ったりだ。
戦場全体が、上から凄まじい力で押さえ込まれているような状況だった。
「疲弊したが被害は小規模、さりとて返す刃で邪神を攻めることも出来ない」
「小康状態を作るためだけにここまでのことを?……無茶苦茶だ」
部下の騎士は引きつった笑いを見せる。怒るべきか笑うべきか感謝すべきか判断に困っているのだろう。本当に、その通り無茶としか言い様がない。説得も何も無く、ただただ力だけでこの状況を作り上げているのだ。
イカザだって呆れた気分だ。しかし一方で、このあまりに暴力的かつ、無茶苦茶なやり口にイカザは経験があった。黒い王の所業と、この無茶はどうしたって被って感じるのは気のせいではないだろう。
「新たなる王の誕生か。やれやれだのう」
と、そこに、年老いた男が姿を見せた。今にもへし折れそうな、枯れ木のような立ち姿であるが、その片手に握った炎の剣は雄々しく力強い。イカザは彼に頭を下げた。
「神官殿、引退していたのに、無理に戦わせて申し訳ない」
「この状況で隠遁生活送る方が無茶だとも」
全くその通りだ。既にこの世界に安全な場所などない。さりとて、流石にもう休んだって誰も文句は言うまいというほどに戦い続けてきた男に、この期に及んでもなお戦場に立ってもらわねばならない事は申し訳なく感じるが――――
「なに、気にすることはない。癒者から「最近お菓子食べ過ぎです」と怒られたのでな?ちょうど良い運動になる」
だが、そんなイカザの心中など気にするなと言うように彼はケラケラと冗談めかして笑った。つられて周りも笑い出す。疲労と緊張の中にあった空気がほぐれた。こういった緊張の調整を言葉で済ませる辺り、彼はやはりベテランだ。
更に彼は、どこか愉快そうな表情でウーガを見つめた。
「それに、あの灰の王にも話を聞いてみたくなったしな?」
神官はその見た目からはかけ離れた、若々しい表情でニヤリと笑った。
「……本当に、何を考えているのでしょうね、彼は?」
「存外、地べたを這いずり回って走る我々をあざ笑っているのやもしれませんよ?」
「はっはっは!だとしたらウルのヤツ、一発殴ってやらねば気が済みませんな!」
そう言って神官達は楽しそうに笑うのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その頃、ウルとロックは、
「お、おわぁー!!オワー!!!死ぬ死ぬ死ぬ!!!バカ!死ぬ!!」
『カカカア!!!ほんっとどうなっとんじゃあの娘!?!』
「いちいち走り回らないで下さい。首が落としにくい。死んで下さい」
死にかけていた




