警告③ 今は
【真なるバベル】地下、【螺旋図書館】内部
「見る影も、無いな」
バベル内部の侵攻を開始したディズは、ガルーダの背から塔内部の状況を確認して眉を潜めた。
イスラリアの中心にして人類守護の要であった筈の【真なるバベル】は“七首の竜”に乗っ取られた。悍ましい様相に姿を変えてしまったが、内部も負けず劣らず悍ましい有様だ。
人工の壁が肉壁に浸食され、脈打っている。血管が脈打っている。竜達が造り出す迷宮だってここまで怖ろしい姿にはなってはいないだろう。
しかし、一方で納得もする。迷宮は竜が自身の肉体を“延長”させて造り出す回廊である。そしてその理屈にのっとるならば、生き物の体内を思わせる光景はまさに竜の【迷宮】だ。
「此処こそが、【大悪迷宮フォルスティア】か」
シズクが造り出したシズクの迷宮。バベルを基盤に造り出した彼女の城だ。
「ですが、思った以上に壊されていませんね」
同じくガルーダの背から状況を確認していたゼロが眉を潜めながら言う。
確かに、見た目はまがまがしい有様になっているが、一方で塔としての形そのものまでは失われていない。そのままに乗っ取ったような形だ。魔界側にとってこの場所は憎むべき場所である筈なのに、その手中に収めたバベルを壊そうとしている形跡が少ない。
「まだ壊せない、という方が正解かもね。方舟の呪いを解くつもりなら、不用意に破壊して不可逆な状況には出来ない」
「善意故という訳ではなく?」
「そういう類いの容赦は期待出来ないかな。彼女には」
ディズがそう断言すると、ゼロは眉を顰めた。
「……月神シズルナリカはどういう人物なのですか」
「聖女とも呼ばれていたし、悪女とも呼ばれていた。その全ては嘘だった。でも――」
問われ、ディズは少し考える。彼女とは友人のつもりだったが、そこまで親しい関係だったかと言われると微妙だ。彼女は誰とも親しく接していた一方で、誰からも一定以上の距離を取っていた。
彼女の本質を知ってるのはウルだけだろう。
だから、彼女の詳細は分からない。でも、分かっていることはある。
「――彼女も、感情がないわけじゃない。だから彼女にとってもこれは地獄だよ」
決して彼女は、ヒトからかけ離れたような心の形をもってはいなかった。全て嘘で覆い尽くしていても、感情は確かにあった。ウルの前では良くこぼしていた。
だからこそ、この状況を引き起こしたことに、何も感じないわけがない。ディズはそう思った。
「…………」
「ゼロ?」
すると、そのすべてを聞き終えたゼロが顔を伏せる。そして堪えきれない、というように勢いよく顔を上げると、叫んだ。
「この世界酷くないですか!?」
「うーん、純粋かつ直球な感想だ」
言うまいと我慢していた言葉を思い切り言われてしまった。子供の感性と思い切りは強かった。
「んもー!友達の頼みだからってなんでマスターはこんな世界なんとかしようと頑張るの!!もう見捨てたって良いでしょうこんなの!!」
ガルーダの背中で、ゼロは駄々をこねるように手足をジタバタと振り回しながらあらん限り叫んだ。敵の本拠地であまり賢い行動とは言い難かったが、懸命にこの地獄の最前線で戦っている彼女には叫ぶ権利もあるだろう。ディズは彼女の狂態を黙って見守った。
「落ち着いたか」
「…………はい」
そのうち、ファイブに肩をたたかれてゼロはため息をつく。そしてふっきれたというようにゼロはディズを見た。
「こんな戦い、ちゃっちゃと終わらせましょう!」
「だね――――っと?」
その時、不意に奇妙なる鐘の音が響いた。通信魔術で届くノイズのような音声が聞こえてくる。今居る場所が迷宮化しているバベルであるからだろうか。その音声はハッキリとは聞き取りづらかったが、最後の部分だけはハッキリと聞こえた。
〈終焉――【灰の王】が――しました〉
「これって……」
「……ウルだね」
それは間違いなく彼の事だった。あまりに無茶苦茶な登場をしてきたが、どうやらその登場に見合うめちゃくちゃを外でしているらしい。
その事に戸惑うべきか、警戒すべきか判断に迷った。そもそも自分たちとも敵対すると宣言している相手なのだから、当然の感情だ。
だけど、この閉塞感すら感じるような世界の行く末に対して、彼の暴走に、敵対感情とは別のものを感じないと言えばそれも嘘となる。
――せめて、アカネを傷つけないようにしたいが。
そんな風に思いながら小さくため息をついて、ディズは前を見据えていた。そう、前を――――その彼女の背後で、何かが蠢いていた。
「【――――】」
酷く静かに、それはディズが罠であった迷宮から脱出した際に切り裂いて見せた空間の裂け目だ。本当に、意識を向けなければならないほどに小さく開いたその裂け目から、白い手が伸びてくる。
それは彼女の背中を貫くような速度で伸び、
「――――やあシズク」
その手を、ディズは振り返ることなくつかみ取った。隣にいたゼロはその時にようやく、奇襲に気づき、目を見開いた。
「っえ!?」
「―――――」
「君みたいに天才ではないけれど、こういう経験は私の方が遙かに上だよ」
ディズはそのまま振り返り、星剣を振り抜く。彼女の腕は切り裂かれるが、血は出なかった。そのまま空間に開いた穴へと引っ込んでいく腕を追うように、ディズは星剣を振るい、僅かな空間の隙間を広げていく。
「皆、スーア様やグロンゾン達の救出を頼むよ」
「勇者!!」
ゼロたちへとそう告げると、ディズは空間へと消えていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『OOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』
機神が吼え猛る。人形の暴走と粘魔の本能、そしてそこに溶け込んだ者達の意思。その全てが破壊という一つの衝動に収束している。そこに選別は無かった。敵味方の区別もない。そのような上等な能力は有していない。
自分を含めた一切を憎悪する機神はその力を振り回す。が、
「【狂え】」
その破壊の意思は、眼前の王へは届かない。触れることすらままならず、機械の腕は弾かれる。魔術師のように術を唱える様子もなく、道具に頼る様にも見えない。ただそこにあるだけで、機神は跳ね飛ばされ、哀れにも空回る。
都市を蹂躙する理不尽の権化が、逆に理不尽を押しつけられている。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
手が届かぬと気づいた機神は、その身に搭載された巨大なる竜牙槍をむき出しにする。その一つだけでも塔のように巨大なおぞましい兵器の炎が、ただ一点、目の前の障害を焼き払うためだけに放たれ――――
「【黒瞋咆哮】」
――――それすらも、黒い竜の咆吼がまとめて飲み込み、圧倒し、機神を焼き払った。
「…………なん、じゃありゃ」
今なおプラウディアで戦い抜いている戦士の一人がぽつりと呟く。それは、その光景を目撃した全ての戦士達の代弁だった。機神を単身で圧倒するソレはヒトの形をしていたが、最早誰一人としてそれをヒトとは認識しなかった。
「灰の、王……」
頭に響いた奇妙なる名。それが誰を示すのか、全ての者が理解した。
『GARRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
だがそれでも尚、止まりはしないあたりが、前代未聞の人形兵器であり、無数の悪意を飲み込んだ邪悪である証明でもある。砕け散り、焼き払われ、それでもなお人の形に戻ろうと粘魔は蠢く。蠢いたそれらが無数の巨大なる腕となって、湧き上がるようにして灰の王へと敵わぬと知って尚、手を伸ばす。
暴走という表現がふさわしいその執念は――――やはり、届きはしなかった。
「【其は死生の流転謳う、白き姫華】」
灰の王が手をかざす。途端に機神の身体に、粘魔の腕に、無数の白蔓が伸びて絡み、拘束する。一見すると単なる植物でしかない筈のソレを、しかし機神はどう藻掻いても引きちぎることもできなかった。それでもと必死に、届くはずもない腕を伸ばそうとするが――
「【愚星咆吼・皇弾】」
――竜牙の顎が生み出した昏い光弾が、その必死の抵抗すらも押し潰す。
『AAAAAAA――――――!!!』
粘魔の腕は一つ残らず弾けて飛び散り、雨のように周囲に降り注ぐ。機神の装甲や兵器の大部分は融解し、圧力で砕け散り、機神の身体から炎が巻き上がる。太陽の加護を踏み砕き、あれほどまでに見るものを畏怖させていた機械の神は、無残な姿になって地に伏した。
『OOOOOOOOOOOOOOO……』
そして、ウルの背後に控えていた飛翔するウーガが、残骸となった機神の身体を重力の力によって押さえつける。それを見届けた灰の王は仕事は終わったと言うように、その闇を強く身体から放ち、見守る戦士達の視界からその姿を消した。
〈恐怖せよ、恐懼せよ、畏怖せよ〉
ほんの一瞬前まで、全て吹き飛ばそうとしていた嵐が、次の瞬間には消え去るという異常を前に戦士達は呆然とする。だがそれは安堵ではない。その嵐すらも一瞬にして跪かせる脅威が、たった今戦士達の頭上に現れていたのだ。
それが幻でないというように、戦士達の耳に、再び声が響く。
〈灰王の矛先が向かぬよう、平伏せよ〉
奇妙なるその声と警鐘の音は、彼等の頭に何時までも響き続けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
避難済み宿泊施設の一室にて。
「あ~~~~~しんっど……ぜんっぜんやること終わってないのにもう帰って寝たい」
プラウディアで戦う全ての戦士達を畏怖させた、灰の王は地べたに倒れ込み、死ぬほど疲れ果てていた。彼の協力者であるエクスタインは、その無残な有様を実に楽しそうな笑みで見つめていた。
「粘魔部分は無事みたいだけど、とどめささないの灰王様?」
「無理、めちゃくちゃタフだぞアレ。あんなのに力使い果たしてる場合じゃねえっての……後はリーネ達に任せるしかねえ」
そこはウーガの皆を信じる他ない。肝心要の大勝負はウルが請け負う他ない以上、それ以外のフォローは全部任せるくらいしなければ、絶対に体力魔力共に最後までもたない。
用意した“お茶”も飲み干した。魔王の戦いは本当にギリギリだった。
「なら一度帰還?」
「今はウーガも修羅場っぽいし、戻って動けなくなるかもな……適当な魔法薬店あさるか」
「灰王様の最初のお仕事は火事場泥棒かあ」
「店主が生きてたら後で金は払うよ。っつーかノアなんなんだあの珍妙な演説」
〈ぴあ〉
異形となった指先についた“黄金の指輪”をウルが指で弾くと、小さな泣き声が聞こえた。しかしそれに対してエクスタインが肩を竦める。
「あ、君が寝てる間に僕が頼んだ」
「お前かあ……」
「後々、ハッタリ効かせといた方がいいでしょ?」
「気遣いの出来る友人を持てて俺は嬉しいよ――――まあ、あんまやりすぎると、すっ飛ばして目を付けられるから気をつけろよ」
「目?」
エクスタインが首をかしげる。するとウルはため息を吐き出して、身体を起こす。そしてそのまま立てかけていた槍を握り――――次の瞬間、目の前に飛翔してきた星天の剣を砕いた。
「うっわ!?」
「――――追撃なし、今はこれで許すとさ」
触れるだけで全てが切り裂かれてしまいそうなほどの鋭利な殺意と共に込められたメッセージにウルは苦笑した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真なるバベル周辺
「――――」
そのウルへと、殺意の刃を放った剣の化身は、差し向けた刃から手応えが返ってこない事についてとくに反応することはなかった。攻撃が防がれたことについても驚く様子もなく、至極当然と言った風情だ。ただ、視線だけはじっと、刃を放った先へと向け続け――――結果として、対峙していた七首の竜から目を背けていた。
無論、それは明確な隙であり、七首の竜は一斉に襲いかかり、
『GAAAAAAAAAAA――――AAAAAAA!!?』
「邪魔だ、喚くな」
その次の瞬間、大きく開いた顎の全てが串刺しとなり、強制的に口を閉ざされた。突如突き刺さった刃に悶える竜達の首を尻目に、ユーリは視線を彼方から外さず――――
「まあ、良いでしょう。今は」
『GAAAAAAAAAAARRAAAAAAAAAAAAAAAAA』
――――ため息を一つついて、自らを貫いた刃をかみ砕いた七首竜と再び対峙した。




