陽殺しの儀⑪ 邪悪なる神
凶悪な破壊の音が連続して響いた。
金色の輝きに包まれたガルーダに護られながらも、今自分がどのような状況下にいるのかゼロは判断が出来なかった。グレーレの創り出した最高傑作に、神の権能を用いた守りによって、本来であれば正規の手段以外では通れぬ迷宮の道を強引にこじ開ける。
迷宮の構造、それ自体を真正面から破壊し、粉砕し、突き進む。
無法の極みと言えなくもなかったが、最早手段のえり好みなど出来る段階では無かった。
そして間もなくその破壊の音も止まり、ゼロは顔を上げる。気がつけば自分の身体を護っていた金色の光は消えて無くなっていた。
【大悪迷宮フォルスティア】へと足を踏み入れていた。
「…………これは」
ゼロが最初に抱いた感想は「美しい」だった。
プラウディアの“真なるバベル”。内部に存在する来訪客達を迎え入れる祈祷の間。イスラリア人の信仰心を根付かせるために構築された人類社会に培われる美的意識を刺激するために生み出された荘厳なる神の間。それに等しい。
竜や魔物の気配など皆無だ。それどころか心の奥底から奇妙な安堵が押し寄せる。今までいたどんな場所よりも安らぎ、自分の安全が守られる場所だと、本能が感じ取っていた。
言うまでも無く、異常な感覚だ。
ここは迷宮の中で、そしてこの最奥には自分達、イスラリア人を殺戮せんとする魔界の神を宿した【勇者】、シズクがいるはずなのだ。それなのに心が安らぐ等という感想を抱くこと自体が、罠で、危険だ。
ゼロは首を横に振る。自分の感情を正常に戻す。
「勇者。急いでこの場を――」
移動しましょう。と、自分がしがみつくようにしていた勇者へと声をかける。彼女の呼びかけに振り返った。
「初めまして、ゼロ様」
そこには勇者ではなく、美しくも儚い、月神の微笑みがあった。
「【魔よ来たれ】」
ゼロは即座に魔術を編んだ。
イスラリア人の最高傑作。そうあらんとして創り出された彼女の魔力保有量も、その構築速度も、既に常人を遙かに凌いでいる。天剣の如き異端ではなく頂点としての機能が彼女にはある。
「【蒼極雷】」
その機能の全てを使い、彼女は躊躇なく魔術を放った
邪神に――――ではなく、自分の背後へと、
『カカカカ――――!!』
自分の背後に迫っていた死霊兵達が焼き払われる。
これまた話を聞いていた。彼女の使い魔である死霊兵。分裂、形状変化、巨大化。邪神となってから大幅に強化され、既に死霊兵というカテゴリからすらも逸脱した厄介なる敵。
やはり、背後から敵は迫っていた。
想像はついた。戦いに挑むまでの打ち合わせで、幾度となく邪神の意地悪さを聞かされてきた。目の前に居る邪神は幻影――――
「――――【嘘】だと思われましたか?」
「なっ」
白い指が伸びる。邪神が美しく笑う。ゼロの細い首に指が巻き付いて押し倒される。
「素直で、可愛らしい。貴方のような幼い子を、殺さねばならないのは心が痛みます」
目の前の悪意は本物だ。
喉を締められ声を封じられる。指先を絡め取られて術を組む事も出来ない。馬乗りになられて、瞳を封じられて、そして、喉元へと、その歯が迫る――――
「【破邪神拳】」
次の瞬間、神の拳が生み出す魔払いの鐘が打ち鳴らされた。
『カカカ』
バチリと、ゼロの目の前まで迫っていた邪神が砕ける。真っ白な皮膚が剥げ落ちて、その内から死霊兵がカタカタと骨を鳴らしながら此方に迫っていたことに気がついた。だが、それも天拳の破邪で砕けて消える。
「ゼロ!無事か!!気をつけて!!もう仕掛けてきている!!」
声の方を向く。ディズが両手に金色の拳を装着し、魔を払う鐘をならしていた。そして此方へと近付いてくる。ゼロは潰されかけた喉をおさえながら起き上がった。
「ゼ――――」
「【蒼極雷】」
そして、近付いてくる勇者へと雷を放った。
雷は真っ直ぐに勇者を焼き払う。がくりと膝を突いて、勇者は地面に倒れ伏せた。今度は肉体がはげて下から死霊兵は出てこない。本物が死んだように見える。だが、見えるだけだ。そもそも此方の攻撃で彼女が死ぬわけが無い。
「ゼロ」
勇者の声がする。
「ゼロ」「ゼロ」「無事かいゼロ」
複数の勇者の声がする。いつの間にか周囲を囲われている。
「ああ、無事かね我が子よ」「さあ、良い子だ、此方へおいで!」
マスターの声まで反響し始めた。自分の周囲にはいつの間にか数十人以上のマスターと勇者達が取り囲んで、笑っていた。骨の鳴る音と重なって、騒音のように反響し、ゼロの耳を阻害した。
「…………なるほど、本当に、性格が悪いんですね」
ゼロは大きく息を吸って、吐き出す。
相手のして欲しくないことを積極的にする。敵の心の“やわらかな”所を嬲るような所業を躊躇無くとる。邪悪なる神、嘘の竜、対の勇者。色々と腑に落ちるかのような攻撃だ。
無論、だからといって、このまま好き放題されて黙ってみているつもりは、無い。
「【蒼王陣・蒼炎乱舞】」
故に全てを焼き払う。
侵入時に砕けた瓦礫に指で触れる。そこを起点に周囲に魔力のラインが描かれ、周囲一帯が魔法陣に包まれた。即座に起動したそれは蒼い炎を産みだし、周囲の勇者とマスターを一瞬にして焼き払う。目を背けたくなるような地獄絵図が生まれたが、次第にそれは骨だけとなって砕けちった。
「――――ぶっは!無茶するね!?」
独り、蒼い炎に焼き払われても尚、平然としていた勇者を除いて。僅かに煤けた彼女は焦げた部分を払い近付いてくる。ゼロはそれでも油断せず、指先を彼女へと向けた。
「…………本物ですか?」
「疑うなら攻撃する?」
「今ので消えなかったなら本物です。これ以上邪神の思惑にのりたくない」
「そうだね。私もそう思う」
これで此方を倒すつもりは無いのだろう。とするとコレは此方の威力偵察か、消耗目的だろう。どのみち、このやり取りで消耗するのは間違いなく不毛だ。
「速攻で仕掛けてきたねほんと。仲間を増やした瞬間コレだ」
「貴方が仲間を引き連れるのを、今日まで拒んだ理由ですか?」
「逆に利用されるってわかりきっていたからね」
幻術、幻覚の類いに対する対抗手段は勿論ある。ゼロもその備えはある。
幾つもの魔眼を彼女は有しているし、半端な魔術による幻惑は一目見ただけでその現象を打ち破ることも出来る。だが、それが意味を成さなかった。強引に力を振り回して周囲を焼き払わなければならなかった。
「【嘘】【模倣】の権能……」
大悪竜フォルスティア。その有する力は、想像以上に邪悪な物であるかも知れない。ゼロは自分の認識を改めた。
「どうする?今からでも後ろに下がるかい?ガルーダの中ならまだ安全かもだけど」
ちらりと背後を見る。幸いにして、ガルーダは未だに健在だ。中に避難していた真人の兄弟姉妹達は、先の悪辣な攻撃の被害は受けなかったらしい。中から這い出てきた彼らは此方に手を振り無事を知らせてくれた。
天魔のグレーレは仕事をキチンとこなしたらしい。この迷宮内部にてガルーダは安全領域となるように。
そこにいれば確かに安全であるかも知れない、が―――
「いいえ」
「即答だ」
ディズの提言に対してゼロは即座に首を横に振った。
確かに、邪神相手に数の利で押し通せるという発想はただの幻想だと理解した。兄弟姉妹達にはガルーダに待機してもらおう。
だが、出会い頭にこれだけの仕打ちを受けてスゴスゴと引き下がるのは、マスターの娘としての誇りが傷つく。
「此方を妨害したと言うことは、脅威と見なしたと言うこと」
「それも一理あるね」
「それに」
「それに?」
ディズが問う。ゼロは細く長い睫毛をピクリと揺らし、無表情に答えた。
「こういうことを仕掛けるヒト。キライです」
「うーん流石に擁護しがたいなソレは。シズクってば本当にアレだから」
再びゼロは足下に魔法陣を展開した。精緻に組み上げられた。
「邪神がこちらの仲間を利用するというなら、“こちらも利用してやります”」
消えて失せそうになっていった死霊兵、その無数の骨片らを魔力で捕らえる。敵の操る死霊術。それらを今の僅かな戦いのやりとりで彼女は読み取り、そして解析を完了させていた。それらを奪い、我が物とする。
『―――――カ、カカカ、カカカカカカ!!』
無数の死霊兵がその形を取り戻し、再び立ち上がる。しかし先ほどのとはまた様子が異なった。蒼い、ゼロの放つ魔力をその身に纏っている。既に彼女の尖兵となった死霊兵達は、ゼロとディズの露払いをするかのように、一気に前進を開始した。
「後ろへ。私たちの役割は、貴方を消耗無く送り届けることです」
「頼もしいよ、全く」
死霊兵等と共に、一気に勇者とゼロは迷宮行進を開始した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『カカカカ!無茶苦茶するのう!』
死霊の王は笑う。
自身の身体を分けて用意した尖兵らを、見事に利用されてしまった。末端も末端とは言え、自分の身体を悪用されているにもかかわらず、彼は実に楽しそうだ。
《これくらいは、できるのでしょうね。言ってしまえば、彼女は人間よりも精霊に近い。あるいは神に》
『豪勢じゃのう?』
《いずれは、全てのイスラリア人は、彼女のようになる》
真人計画、イスラリア人の最終形態。
【真人創りのクラウラン】が産みだしたゼロという少女。現行の全てのイスラリア人の頂点とも言える存在。見た目と性格は、生意気な小娘にしか見えないが、決して侮っていいような相手ではない。
『これは、時間をかけては、魔界は負けるのう?』
《元より、この戦いは不利なもの。危険だからと廃棄された邪神を再利用しなければ、対抗すら出来なかった》
『それで?どうする、主よ』
問いに対して、白銀の神は少し沈黙し、応じた。
《順調と言って良いでしょう。ですがもう少し時間が欲しい》
なので、
《悪いヒトに、手伝ってもらいましょうか》
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大罪都市グラドルにて。
「ラクレツィア様!!衛星都市エインとキーラから救援要請が!!」
《勇者ディズに強化された結界はまだ健在でしょう!泣き言を言っていないで現状維持に努めさせなさい!!冒険者ギルドにも要請を出しなさい!》
グラドルのシンラ、ラクレツィアの腹心の部下の一人であり、甥でもあるマクロンは苛烈な指示を必死の表情で聞いていた。
この場に彼女はいない。通信魔具から矢継ぎ早に指示が飛んでくるとはいえ、現在グラドルの責任者は彼女の代理である自分だ。しかし全くそれを喜ばしいとは思えなかった。
例の粘魔騒動から今日までの間、グラドル神殿内における政権争いは苛烈を極めた。それをなんとか抑え続け、ようやく安定してきたと思った矢先に、まさかの世界崩壊の脅威、邪神の出現である。
空がひび割れ、太陽神を睨むようにして出現した白銀の竜。
他の全ての都市国がそうするように、グラドルも脅威に向けた対処は必須となった。
衛星都市、大罪都市、全てへと容赦なく襲いかかる魔物達に白銀の竜。結界の外部から絶え間なく襲撃し、ヒビを入れて、内部へと侵入しようとするその猛威をなんとか抑えなければならなくなった。
ラクレツィアの代行である自分に次々と報告がとんでくる。救援要請に、防衛能力の不備、危機的な状況、その全てを受け止めるだけで彼はてんてこ舞いになっていた。
頼む。頼むから少し休ませてくれ!!!
父などは叔母のラクレツィアの立場を奪ってやれ、などと息巻いていたがとんでもない。彼女がどれだけの辣腕を振るっていたのかよく分かった。既に彼はパンク寸前だった。せめて一時間ほどでも良い。この場で寝かせてくれ。
「マクロン様!!!大変です!!」
ひい、と悲鳴を上げなかったマクロンは自分を褒めた。大変なのは分かっている。今はもうどこもかしこも本当に大変だ。魔物も竜も大暴れしている状況で、しかもグラドルは神官の数が極端に今は少ない上、グラドル領は魔物の出現自体が大人しいものだから、魔物の対処にも全く慣れていないときたものだ。
だから、いちいち大げさに話を持ってくるな!と言いたいのだが、しかし部下のその決死の表情はどう考えても「大げさ」などではなかった。
では何か?それを聞き出すのにマクロンは相応の勇気が必要だった。
「どうしたというのだ!」
頭の中のラクレツィアが「そんなことでどうするのか!」と叱咤してくる姿を思い浮かべながら、マクロンは尋ねる。
「スロウス領で……!!」
「ス、スロウス領……?それがなんだというんだ!」
スロウス領は、現在、かの魔王ブラックの支配する地域で在り、そして真っ当な都市部が一つも無い、不死者がひしめく混沌の大地だ。だが、それ故に今回の事態に対しても何の被害の報告も、此方から何かしらの警戒を向ける必要も無いエリアでもある筈だった。
だのに、この事態で尚もマクロン自身に直接進言しなければならない事態が起こったと?だとすればそれは一体―――
「スロウス領の、穿孔王国スロウスの大穴から、超大型人形が出現し、凄まじい速度でプラウディアに向かっています……!!!」
「は……!?」
その言葉の意味を理解できず、マクロンは硬直した。




