王の軌跡
自身の存在理由、守るべき場所、イスラリアという世界
アルノルド・シンラ・プロミネンスはイスラリアを美しいと思った。
透き通るように青い空と白い雲、無限に続くような平原と草華。空を突くような山脈に地の底まで続くような断崖絶壁、そこに住まう不可思議な生き物たち。都市の中、限られた場所に住まうヒト達。限られた資源、限られた知識で創意工夫をこらす都市民達。精霊達と交わり、様々な奇跡で皆を助ける神官達。都市の外、見知らぬ土地や場所で様々な発見をする名無し達。
全てが素晴らしく思えた。
勿論、汚い側面もある。見たくない部分も存在する。神官達の間では不正が起こり、一部では精霊の力を独占しようとしている。都市民達の空気は淀み、陰湿な社会が形成されている。名無し達は生きるのにも一苦労で、多くのものが都市の外で命を落としている。美しい外の世界には魔物達が蔓延り、様々な危険が巻き起こっている。
でも、それでもアルノルドはこの世界が好きだった。
その想いに嘘をつくことはできなかった。いつも自分についてくれた手伝いの子供に、自分の想いを何度も語ったことがある。密やかにバベルの外で購入した冒険者達の冒険譚などを読みふけり、その事を自分の従者の子供に読み聞かせて。
今思えば、自分の言いたいことを一方的にまくしたててばかりで、まともな会話でもなんでもなかった。自分がとんでもない身分の者で無ければ、従者の子も最後まで話なんて聞いてはくれなかった事だろう。それを思い出す度、アルノルドは公務の最中だろうと頭を掻きむしりたい衝動に駆られるのは墓まで持っていく秘密の一つだった。
そのような具合に、彼はイスラリアという大地を好いていた。王の立場がなければ、きっと無謀にも冒険者になって世界を巡っていただろう。そんな好奇心旺盛などこにでもいる子供だった。
その夢を捨てることになったのは、先代の王が倒れ、【天賢】を受け継いだ時だった。
天賢を受け継いだアルノルドは知りたいこと、知りたくなかったことを全て知ることになった。何時か自らの足で探りたいと思っていた世界の秘密が、情け容赦なく彼の脳髄を満たした。
天賢の加護は、血みどろの簒奪戦が始まっていた世界から魔力と神を奪うことでその争いを収めようとしたイスラリア博士の知識を獲得することとイコールだったからだ。
彼は絶望した。
世界は欺瞞に満ちていた。
空も大地もその果ても、全ては“世界”の再現であって本当ではなかった。
この世界を維持するための淀みは今も本当の世界を汚し続けている。
絶望して、悲嘆し、怒り、従者の子供にそれを訴えて泣きふせった。
彼は世界に絶望し、泣いた。
「顔を上げなさい。王よ」
その彼に、若き日の従者ファリーナは初めて力強い叱責を浴びせた。
「貴方は絶望するほど弱くない、悲嘆にくれるほど不幸ではない。」
彼がどれほど自分の好きを押しつけたとしても、嬉しそうに微笑んでいた彼女がこれほどまでに怒りの表情を見せるのを彼は初めて見た。だが、同時に力の入らなかった身体に力が満ちていくのを感じた。
彼女の怒気が、エネルギーが、自分の中で満ちていくのを感じた。
「世界に欺瞞が満ちているなら、貴方が本物にするのです。貴方はきっと、それができるヒトです」
世界救済の計画の原点があるとしたら、それは間違いなくこの時だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「スーア、ファリーナ」
「アルノルド」
「父上」
「夢を見ていた」
「ええ」
「はい」
「昔の夢だ」
「懐かしかったですか?」
「……思い出すだけで、とてもこそばゆくなる思い出もあった」
「そういうこともあるかもしれません」
「そうか」
「懸命に生きていれば、そういうこともあるものです」
「ファリーナは物知りだ」
「貴方ほどではありませんよ。アルノルド」
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「まさか、修行僧に混じろうとするとは!前代未聞でありますぞ!?」
天拳のグロンゾンと出会ったのは、特殊な天陽騎士育成の修行場だった。
アーパス山脈の奥地に存在するその場所では、天拳を引き継ぐためのたった一人を生み出すための修行場で在り、最も果敢にして王に忠実なる戦士を生み出すための育成機関でもあった。
「天拳候補生の中でもとびきりの麒麟児と聞いてきたので、直接見てみたかったのだ」
アルノルドが会話するその男こそが、麒麟児のグロンゾンだった。精悍なる体躯を晒した大男。豪傑、という言葉がこれほどまでにしっくりとくる者は居ないと思えるような拳士だった。
修行者同士、殺し合う寸前まで争いを続け、誰が真に天拳を継ぐに相応しいかを比べるこの名も無き修行場にて、彼は既に彼以外の全ての修行者達から「次代天拳」と認められていた。それほどまでに彼の実力は隔絶して強く、そして慕われるほどに快活だった。
天拳となった彼に仕えて、共に戦ってもいいと、全ての修行者達が認めたのだ。
アルノルドはその彼の実力を確認したかった。故に単身で侵入したのだ。
「ほう!それでどうでしたかな!?」
「痛かった」
結果、彼の頭部には巨大なたんこぶができた。
「打ち合いが始まる前にすっころばれましたからな!!」
「拳法は難しいな」
「それ以前の問題でしたな!!!」
あまりにも不格好から繰り出されたへなちょこの転倒によって一瞬で正体が明かされてしまったアルノルドは沈黙した。結果として彼と直接的に対面できたのだから良しとすることにしたが、絶対にファリーナにこのことは言えなかった。
彼も恥を覚えることくらいはある。
「まずは拳法よりも身体の動かし方を覚えるべきですな!ランニングとか!!」
「走ると転ぶのだ」
「おお……」
「王にドン引きしているな?」
「滅相も!ありますな!!思ったよりも我等が主は貧弱だ!」
グロンゾンはガハハと笑った。あるいは不敬な態度と言えるかも知れないが、しかしそこに悪意は皆無だった。晴れやかな心地よさすら感じた。そう言った彼の生まれ持っての快活さが、他の修行者の皆にも伝わったからこそ、認められたのだろうかとアルノルドは理解した。
「そんな貧弱な私が主で良いのか?」
改めて問うと、グロンゾンはニッカリと微笑み、アルノルドの前で跪いた。
「わざわざこんな場所まで直接足を運んだ王は、貴方以外にはいませぬよ」
それはそうだろう。
この修行場はどう考えても、王の来訪を予期した場所には建てられていない。王にとって配下とは向こうから頭を垂れるためにやってくるものであって、自分から赴く相手ではない。そう言う意味ではアルノルドのこの行動はハッキリ言って王として優れたる長所とは言い難い。
だが、それでも、だ。
「直接、目をかけて貰えるというのは嬉しいものですな!」
期待され、望まれる。それが相手に伝わるのは決して悪いことではなかった。
「どうかご照覧あれ我等が王よ。この拳、太陽まで届かせて見せましょう!」
力強く突き上げられた拳が太陽の光で照らされる。天拳の証しである黄金の籠手が輝いて見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
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「グロンゾンには色々と、世話になった」
「巨神での戦い方は、彼が教えてくれましたものね。転ばない走り方も」
「戦いでは、あまり走る機会はなかったが」
「式典で転びそうになることは減りましたよ」
「……ばれていたのか」
「1度面倒になって太陽祭中ずっとちょっと浮いていたでしょう」
「スーアもファリーナも私をよく見ているな」
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「何故俺の正体を知りながら殺さない」
天衣のジースター。あるいは星野仁。
魔界からの侵入工作員である彼と遭遇できたのは当時の天祈による複数の精霊の力を併用して行った“予知”と幾つかの幸運が重なった結果だった。
地下迷宮の中で小鬼に殺され掛かっていた彼を助け出し、外に連れ出された彼は、アルノルドに対して疑わしい視線を隠そうとはしなかった。それは、既に何時どのような形で殺されても仕方が無いからこその開き直りだったのかも知れない。
「魔界の情報が知りたいのだ。それも現在の情勢を」
「寝返れと?」
「完全に裏切れとは言わない。だが、此方にも協力して欲しい。情報が必要だ」
魔界の情報はそれなりにある。今日までの間に、歴代の王たちが向こう側の情報を獲得しようと試みたことは何度もある。邪教徒たちの尋問などを行い、本当にあらゆる手段で情報を集めていた。
が、しかし直近でこうして来たばかりの魔界の住民から、しかも落ち着いて話を聞ける機会は稀だ。この好機を逃すわけにはいかなかった。
「情報の対価に望む報酬を与えよう。恐らく、お前のいた世界よりも物資は多様だ」
アルノルドは問う。
天祈の予知は断片的だった。「交渉の余地在り」と、その程度の情報しか与えられていない。だから後は自分でなんとかするしかないのだが、精々威厳たっぷりに見せるので精一杯だ。内心では魔界の彼がそっぽを向かないか心配だった。
「………………薬はあるか?」
幸いなことに、星野仁は背中を向けることはなかった。たっぷりと考えた後に、彼が口にしたその言葉に、今度は逆にアルノルドは首を傾げる。
「あるが」
勿論ある。
イスラリアでは都市内で病にかかることは殆ど無い。癒者と精霊の力によって病の危険性をいち早く排除し、未然に防ぐことが出来るからだ。それでも魔物との戦闘での怪我や、あるいは呪物の類いによる身体の損傷を癒やすための者は多く存在している。
しかし、現在の魔界は薬を作り出せないほど厳しい状況と言うことなのだろうか?と思っていると星野仁は続きを話し始めた。
「臓腑が一部腐り、意識も戻らず眠り続けている者を蘇らせるような薬は」
少し話が変わってきた。
「………誰に飲ませるのだ?」
「娘だ。嫁の連れ子だ」
「複雑だな」
複雑だった。普通の男女の交際関係とは全く隔絶した社会に生まれたアルノルドには彼の心中は上手く察してやることは出来なかった。
「正確には元嫁の連れ子だ。此処に来る前に別れた」
「凄い複雑だ」
無論、現在一方通行のイスラリアへの転移を試みる者達の事情は複雑なことが多い。あるいは精神を病む者も居る。帰って来れない場所へと行くのだ。移動する前に関係を清算する。と言うことはあるかもしれない。アルノルドはついていこうとした。
「元嫁は従姉妹だ。血はつながっていないが」
「すまないちょっと待ってくれ」
脳の裏側に星空が浮かびはじめた。アルノルドは理解を諦めた。市井の知識も経験も浅い自分には彼の事情を完全に理解するのは難しいようだ。
「全てを癒やす薬は存在する。だが、個数は完全に制限されている。報酬として渡すには数年単位だ。イスラリアで高い地位を築いてもらう必要もある」
話を戻した。
万能の神薬は存在する。だが、これはアルノルドの立場をもってしても容易には渡すことが出来ない代物だ。全ての傷と病を癒やし、老いすらも消し去るとされる最強の秘薬。その力故に、1度イスラリアではこの薬を巡った大きな騒乱が発生したことまであったから。
その個数は完全に管理されている。安易には持ち出せない。今はまだイスラリアでの戸籍すら持たない仁にそれを渡すなどもってのほかだ。身分も、実績も必要になる。報酬として渡すにしてもどれほど時間がかかるかも分からない代物だ。
「それをもらえるなら、どのような努力も惜しまない」
だが、仁は頷いた。
「良いのか。帰って、その薬を娘にやれるかもわからないのだぞ」
「構わない。どのみち帰還の目処も怪しい。間に合わなくとも当然、間に合えば幸運だった。それだけだ」
「子供のためか……」
アルノルドが小さく漏らすと、彼は少し興味深そうに此方を見た。
「貴方にも子供がいるのか?」
「もうすぐ、創られる」
「創られる?」
「王は、自然分娩で産まれない。天賢の力を預かれるだけの力を得られるように、デザインされて産まれてくる」
「ああ、なるほどな」
「つまり、我々はパパ友だ」
「…………」
「……………………違ったか?」
ちょっと違ったらしい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ジースターにも無茶を色々と言った」
「私が知る限りでも、彼はよく、応えてくれましたね」
「敵でありながら、よく仕えてくれた」
「はい」
「魔界の事もよく知ることが出来た」
「ええ」
「魔界に住まう人々が、やはりただの敵と言うわけではないと言うことも、知れた」




