彼我の差
遙か昔、世界中から奇跡の流星、【星石】を奪った大悪党、イスラリア博士。
その彼が創り出した【星舟】が、ソラにぽっかりと大穴を空けている世界が日常と代わり、そこから世界を汚す悍ましい【涙】を零し始めてから更に数百年。
何処にでもあるが何処にもない。
故に対処不可能だった根源が、その姿を現した。
奇妙な力で海上を浮遊する謎の大陸、イスラリアが世界に出現したのだ。
そのイスラリアへと、今日まで生き延びてきた人類は、持てる全ての戦力を結集した。
それは全く後先を考えない全力投入だった。温存してきた全ての人員、兵器を結集させていた。余剰戦力も何もかも注ぎ込んだその全力っぷりは、あまり賢いやり方とは言い難い。
だが理由もある。
単純な話で、最早、人類はとっくに限界を迎えていたのだ。これ以上は耐えられない。そう思っていた矢先に、ずっと叩こうと思っても出来なかった敵の本拠地が姿を見せたのだ
この好機を逃せば次は無い。
そんな、思考が彼らを駆り立てた結果が、この全力投入だった。
J地区の残存人類からの警告も飛んできたが、彼らはその全てを無視した。幾多の戦艦には、旧時代の大量殺戮兵器も積まれていた。その全てを使い果たし、あるいはその余波でJ地区の人類が滅ぼうともイスラリアを滅ぼす。彼らはその意気込みで結集していた。
《警告します》
そのような流れで、即席の連合軍としての連絡網が完成し、いざ戦争の火蓋を切ろうとした矢先、空に浮かぶイスラリアから声が響いた。
《イスラリアに結集した全ての人類に告げます》
少年とも少女ともつかない声だった。子供の声なのは間違いない。幼いその声は、どのような技術を用いているのか、結集した軍艦、軍用機、その全ての兵士達と指揮官達の耳に届いた。
《包囲を解き、自分たちの国へと戻りなさい。それ以上の接近は許可できません》
連合軍が、その子供の声が此方に対する警告であると理解するのに、しばらくの時間が必要だった。それほどまでにその声には緊張感というモノが存在していなかった。
《こちらの要請が聞き届けられない場合、残念ですが皆様の乗ってきた乗り物を全て破壊しなければならなくなります》
「……なに言ってんだこのガキ?」
汚染された海を戦艦で切り裂くようにして移動していた兵士の一人が眉をひそめる。
奇妙な言い回しだった。
此方を排除すると言うのならまだ分かる。侵入者の排除なんて当然の発想だ。しかしこの少年もしくは少女の言い方はソレとは少し違う。「乗り物を破壊しなければならない」などという言い方は、無駄に遠回りだ。
素直にお前達を皆殺しにしなければならない。とでも言えば良いのに。あるいは本当に声の印象の通り、喋っているのは子供なのだろうか?
「ざっけんなよクソガキ。心配しなくたっててめえ等全員殺してやるよ」
兵士の誰かが狂気めいた笑い声を揚げながら呟いた。
この「イスラリア殲滅作戦」に集結した兵士達の中で、イスラリアの呪泥に被害を被っていない者は一人も居ない。世界の大半が汚染され、人類が獲得できる資源はごく僅かとなった。彼らにとって空に浮かぶ黒球は忌まわしく悪そのものなのだ。イスラリアから聞こえてきた声が例え子供だろうと拭われるような敵意ではない。
情報統制が上手くいっているともいえる。
かつて、イスラリアが世界中の魔力を回収することとなった契機、魔力と神、精霊を巡った世界中の血みどろの争いとその歴史の全ての原因はイスラリアになすり付けられた。この時代の人類はその歴史を信じ学んできた。実体を知る者はいない。
もっとも、かつての歴史を知ろうとも、現在イスラリアが事実として世界の敵なのは変わりないのだが。
《残念です》
子供の声が、そう告げた。
「総員警戒!なにをしてくるか――――」
と、ある軍艦の艦長は警告を告げようとした。
告げようと、した。全てを言い切る前に彼はその異変に気がついた。
艦橋から見える光景がゆっくりと”斜めに”傾いている事に。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《スーア様、私も戻り応援に向かった方がよろしいですか?》
「必要ないかと。ただ、この機に応じてシズクが動く可能性もあるので連絡です」
《なるほど……では、問題ないと》
「ええ。ただ」
《ただ?》
「彼らは兎も角、高そうな乗り物を壊さずに運ぶのは難しそうです」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「う、うお、うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!???」
日々を接触禁忌生物との戦いにあけくれ、様々な脅威に立ち向かってきた兵士達は絶叫をあげた。恐ろしい猛獣が出現しただとか、大量の兵士が出現しただとか、あるいは見たこともないような兵器が出現しただとか、そういった脅威であれば彼らはまだ平静を保つことは出来ただろう。
だが、自分たちが乗ってきた軍艦が全て空に浮かび上がり、兵士達の身体が何か見えない力で操られ、浮遊し出すという事態には流石に対処できない。
彼らは全くの無抵抗だった。なにが起きたのかも、この現象に対してどうして良いのかも分からなかった。彼らにとって魔力という万能物質は過去の歴史に存在するだけの代物で在り、「奪われた資源」以上の情報が無かった。
長い年月は彼らの憎悪を育てたが、警戒を鈍らせた。
憎悪は伝えやすく、恐怖は伝え難い。
尤も恐怖が伝わったところで、彼らに出来ることはなにもないだろう。現代技術の結集であり、あらゆる兵器を詰め込んだ軍艦、軍用機、その他全ての制御を一瞬にして奪い去り、その中に乗り込んでいた全ての兵士達を一カ所にまとめて空に釣り上げる不可視の兵器に対処するだけの技術は世界に存在していない。
《申し訳ありません。兵士の皆様は兎も角、皆様の移動要塞についてはどう危険であるのか此方には知識がありません》
再び子供の声が響き出す。が、今度は兵士達も指揮官達も、ロクにその声を聞くことはできなかった。彼らは今、全力で悲鳴を上げるのに精一杯だ。自分たちの身体が遙か高くに舞い上がり、自分たちと同じような様々な国の兵士達が一緒に空に浮かび上がって宙ぶらりんになっている地獄絵図を前に絶叫することしか出来ない。
《ので》
指揮官の一人は見た。
自分たちの乗ってきた軍艦と、空からおちてきた軍用機達が自分たちとは遠く離れた場所で一カ所にまとめられていく光景を。巨大な手の平がここら辺に転がる全ての兵器をかき集めて、一カ所にまとめて握っていくかのような異様な光景だった。
途中、幾つかの爆発が起こった、筈だが、何故かその規模は驚くほど小さく、小規模だ。考えうる限りの最強の殺戮兵器も積み込まれているはずなのに、その爆発規模は圧縮された兵器達と一緒に、どんどん小さく固まっていく。
丁度この辺りの郷土料理にライスボールというのがあったな。なんてことを彼女は思い出していた。
《このようにさせていただきました。皆様は、申し訳ありませんが自力での帰国をお願いします。陸地へは、運ぶようにいたしますので》
最早それが元はなんだったのかも分からなくなった塊は、そっとやさしく、海に放り捨てられた。それをしでかした子供の声は、本当にどこか申し訳なさそうだった。
「……ははは……………」
どこからともなく、乾いた笑い声が聞こえた。憎悪も毒気もなにもかも抜かれたような間抜けな笑い声だった。しかし今の自分たちの心情をこれほどまでに表現した者は無かった。
「どうしようもねえよ……」
世界の救済
人類を苦しめてきた邪悪の根源の破壊
世界の命運、自分たちの運命、その全てを賭けて挑んだ戦いが、子供のおもちゃ箱のお片付けのような気軽さであしらわれたとき、彼らの兵士としての尊厳は全て粉みじんに粉砕されたのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
Jー04 “新”中枢ドーム研究区画にて
「……ですから、申し上げましたでしょう」
新谷博士は、モニター越しに現在人類で生存している全てのドームに向けての連絡を行っていた。モニターに映る各地の代表者達は、つい先程届いた対イスラリア連合軍の悲惨な壊滅状況を呆然と、あるいは頭痛を抑えるような痛ましい表情で見つめていた。
新谷は淡々と、彼らに告げた。
「全てを彼女に託す以外手段はないと」




