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華は咲き


「あー、汚えな、クソ」


 そんな不快感と怒りに満ちた罵声が「学校」のホールに響き渡った。

 つい先月くらいまでは、子供達の歓声と楽しげな声に満ちていたその場所が今は見る影もない。子供達の声も、彼らの姿も一つも無い。あるのは荒れ果てた机と、数十人の子供達が倒れて、苦しんで辺りに撒き散らした吐瀉物が乾いた跡だった


 ”最終段階”による衰弱は一斉に引き起こされたわけではなかった。


 可能な限り、子供達に作為を悟らせないためにタイミングをバラけていた。発症の時間はある程度までしか予想は出来ない。結果、子供達の病が蔓延したとき、憩いの場のホールは地獄絵図と化した。

 子供達の涙と汚物とうめき声、建て前でも子供達の治療をしてる”体”を見せなければならなかったため、清掃も後回しになった。


 そして、子供達が居なくなったこの場所を、清掃員達が手を付け始めたのが、今だ。


「お偉いさんがたの人体実験の後始末も楽じゃねえな」

「おい、よせってバカ」

「事実だろ」


 二人で作業に当たっていた内の一人の、言葉を選ばない物言いにもう一人は咎めるが、咎められた方はその忠告を鼻で笑った。


「どうせ聞いたところで、頭の良い研究者様がたは、ヘとも思わねえって。んでもって」


 ホールの中央に備え付けられた真っ白な机にこびりついた赤黒い汚れに眉をひそめ、荒々しくモップをかけて汚れを落としながら、男は口元を皮肉げに歪めた。


「その人体実験を見殺しにしたんだから、俺たちも同類だろ」

「……どうしようも」

「あーそうだな!!どうしようもねえよ!全部イスラリアが悪いんだもんなあ!」


 叫びながら彼は清掃を続けている。

 J地区中枢ドーム最深層はイスラリア対策の総本部であり、万が一が起こった際、重要な人員と設備を確保し閉鎖することで窮地を逃れるために出来たシェルターでもある。

 生命維持に必要な全ての設備が備わっているために、人口密度は高い。在籍している職員は彼らのような清掃員などの作業員等や、接触禁忌生物の侵入に備えた自警部隊も全て含めれば100人超が生活をしていた。

 そして、詳細までは伏せられているが、子供達が人体実験の対象として選ばれ、そして彼らが死去したのは知っている。そういった秘匿情報の一切を護り、一切を口外しないと言う条件のもと、彼らはこの最深層での安定した生活を享受することを許されている。


 つまり、子供達を見殺しにする事を条件に良い生活を過ごすことを許されているのだ。


「……ま、良いじゃねえか」

「なにが?」

「此処のガキどもだって上層の連中よりずっといい生活出来たんだ。三食ついて安全に守られて、休日にはバカンスだ。幸せだっただろうさ」


 子供達を見殺しにしたこと。そうすることで自分が今の職場と報酬を得ていること。その事実を今日も無視して、自分たちの心を誤魔化すことに終始する。


「……そーかもな。よかったなガキども幸せの絶頂期に死ねて」


 勿論、そんな訳がないことは彼らは知っている。だが彼らにはもう、そうやって誤魔化すしか手段は無かった。ごまかしが利かなくなれば、それは自分の罪と向き合うときだ。彼らにはそんな気力も勇気も無かった。

 だから誤魔化す。昨日も今日も明日も。彼らはずっとそうしてきた。

 そしてそれは彼らだけではない。ここに暮らし、住まう職員達は誰も彼も同じだった。目の前の惨劇から目を逸らし、誤魔化し続ける。それこそが、この職場で長く続けるコツだった。


「そういや、生き残りのガキは?」

「俺が知るわけ無いだろ。まあ、博士達が連れて行ったとこはみたから、また実験してんじゃねえの」

「そうかよ。そのガキがゲロ吐いてなきゃ良いな。掃除が手間だ」

「ああ、全くだ」


 薄っぺらい笑みを互いに向けて、今日も二人は自分たちを誤魔化して、惨劇の痕跡を無かったことにしていくのだった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「全員の継承が成功したわけではない、か」

「魔力の継承の成功率は70パーセント超か。この人数でこの継承率は上出来か?」

「魔術容量の拡張も飛躍的ですね」

「当然だ。彼女はそうなるよう創られている」


 全てに現実感がない。


 雫は眩い照明で照らされた天井を眺めながら、ぼんやりとそう思った。


 あの特別休暇日から今日までの間に起こった出来事は何もかも瞬く間で、その僅かな間にこの数年間築き上げてきた世界の全てが崩れ、そして最後の欠片を自分が破壊した。

 その事に対して感情が動かない。道理として絶望して、悲しむべきだというのは分かる。それが至極当たり前の反応だ。以前の彼女ならそうしていただろう。


 しかし身体が動かない。心が凪のようにして、なににも反応しなくなっている。


 あの後、最深層の職員達がやって来て自分を抱き寄せている”ナニカ”を引き剥がして、いままで立ち入ることが出来なかった対イスラリア研究区画に連れてこられてから、雫は全てをされるままになっていた。

 今もこうして彼女は検査を受けている。


「しかし手間がかかった。小賢しい子供ってのは厄介だよ。教育なんて必要だったのか?」

「道徳学ぶにも知性は必要でしょう?」

「過剰って言ってんだ。もう少しバカの方が制御しやすかったよ」

「始末しやすかった?」

「そうだよ。全く。なんで家畜にハッキングされなきゃならないんだか」


 一つ、それとは別に自分に変化があったとすれば、


「あの子が?」

「そ、イスラリア人のクローンだって」

「道理で……人形みたいで薄気味悪いわ」

「わざわざ容姿もデザインしたらしいわよ。イスラリアに侵入しやすいように」

「男に好かれて、媚びやすいように?」

「そ。悪趣味極まれりよね」


 耳が、最近良く聞こえるようになった事だろうか。


「ったく。ようやく大量の給仕から解放されるぜ」

「なんだ。そんなに嫌だったのか?」

「自分たちよりも良い物をガキどもが喰ってるって考えたら気も滅入るだろ?」

「人工肉なんて、俺1度も喰ったことねーやそういや。俺も食いたかったぜ」

「その為なら病気で死んだっていい?」

「冗談。ゲロ塗れだったらしいぜ?そんな死に方ゴメンだよ」


 職員達の声が、良く聞こえる。

 奇妙だった。自分がいる部屋の中だけでなく、外の声も聞こえてくる。地面や壁を通して、彼らの密やかな囁き声が聞こえてきた。聞くに堪えないような言葉すらも、彼女は全てを拾い集めた。だが、それでも彼女の心は動かない。全てがどうでも――――


「ま、これで――――」

「ああ、これで、()()()()()()()()()()()()()()


 ――――今、なんと言った?


「は?」


 雫は起き上がった。自身の身体についていた幾つかの検査器具が外れて、職員達が慌てるようにして彼女を押さえ込んだ。


「E31、まだ検査は終わっていない。ちゃんと横たわって――」

「来年以降?」


 雫はじっと、今会話をしていた職員達に視線をやる。彼らは自分たちが見られている事に驚愕した様子だった。彼らが居る場所は、雫のいる検査室を硝子で区切った操作室だ。自分たちの会話の声が聞こえていたなどと思いもしていないのだろう。

 しかし、雫は聞こえていた。そして聞き逃すことは絶対に出来なかった。


 来年?来年以降?


「お前は不安定なプロトタイプにすぎない。E31」


 しがわれた声がした。恐ろしく老い耄れた老人が自分の顔を覗き込んだ。延命治療の証拠となる長い耳が見えた。雫は彼を呆然と見つめていた。


「人格形成、魔力容量拡張、全てを確立するためのテストだ。」

「………」

「今回の試験の結果で有用なデータが取れた。あと、二,三回同実験を繰り返し、ようやく本番に移れる。その際には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「数十人」

「単身でそれを担わせるなど愚の骨頂だ」


 魔力に触れる機会を意図的に増やし魔力容量を強化した数十人の子供達の魂を一つに集め、完成した一個体と、新たに用意した数十人の子供達を再び統合し、それを繰り返す。

 彼らはそれを繰り返しやって来た。何年も何十年もかけて繰り返し続けてきた。


 そしてそれは明日からも同じように続いていく。


 シズクの脳裏に友達の死に顔が過る。彼らは全員、苦しみ、嘆き、朦朧としながら、悔しさを雫に吐露していた。自分の運命を呪い、泣きついて、死んでいった。

 それが、世界を救うための実験の犠牲だった。というのなら彼らの怨嗟にも理屈が付く。あの大量の怨嗟の果てに、世界を救済できるというのなら、彼らの苦悩は、死は、確かに意義が在ったと。


 だが、

 皆の死は、終わりは、ただのテストだった?

 本番で失敗しないために、うっかり転んでしまわないようにするための、テスト?

 そして自分と同じ境遇の子供たちを、これから数十――――数百人創り出すと?


「次の実験ではお前が教師役となり、生徒達の育成をしてもらう。D36と同じだ」

「……」

「拒否するのであれば眠ってもらう。魂のみを抽出し、次の被検体に回す。非効率故、望ましくないがな」


 雫の腕にいつの間にか付けられていた腕輪がカチカチと音を鳴らし始めた。鎮静剤か、致死剤か、雫という存在を止めるためのものなのだろう。


 だが彼女はそんなことはどうでもよかった。


 自分の内側、奧の奧から何かが溢れ出てきた。それは蓮達が育み彼女に与えた何もかもとは対極の濁流であり、それが彼女の内を支配した。彼女の心にようやく芽生えた小さな灯火を一瞬で押しつぶし、満たされた。

 心臓も、脳も、全てが凍り付くような濁流に従って、彼女は顔の筋肉を動かした。


「――――――承知致しました」


 雫は笑みを浮かべた。それは学校で彼女の仲間達に向けるものとは違った。たどたどしくも、皆を安心させるような優しい笑みではなかった。


 それは――――あまりにも美しかった。


 彼女が暴れ出したときそれを抑える役割だった職員達すらも息を飲んだ。空想の中だけに生きる女神の如く神々しく、悪魔のように妖艶だった。人ならざる者の美が、彼女の中から零れ落ちた。


 まるで、彼女自身が()()()()()()()()()ことを示すように。そして、


「この先の実験も上手くいくよう、誠心誠意、皆様に協力させていただきます」


 雫は嘘をついた。

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― 新着の感想 ―
おー、これは「全部滅茶苦茶にしてから勇者に退治される邪神」を目指すルートですか…
[一言] シズクの心が、本当に救われますように ウルー!お前の出番だぞ〜!文句言ってる場合じゃねぇよこんなのぉ!
[一言] 自分たちより圧倒的に強い存在を作り出そうとするとして、どうしてそれを制御できると考えるのか。 これがよくある人間の研究者ってやつだねえ。
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