ろくねんせい / 愛満ちて
■暦 2X45年
「雫!大丈夫!?雫!!」
中枢ドーム外 人類生存圏外
真美の必死の声が闇の奧から聞こえてきて、雫はゆっくりと目を開いた。目を開くとそこには真美がいた。強化スーツの兜を脱いで、泣きそうな顔をさらしている。不安にさせてはならないと、雫は笑みを浮かべた。
「真美様、どうしました?」
「どうしました、じゃないわよほんとうにもう……」
真美は雫を強く抱きしめた。普段から彼女がしてくれている事だが、いつも以上に力強く感じるのは、強化スーツを彼女が身に纏っているから……ではないだろう。
「なにがありましたか?」
雫は周りを見渡して尋ねた。彼女の質問に、真美と同じくらい心配そうな顔をした蓮がギョッとした顔になった。
「なにがって」
「記憶の混濁かな。自分のことは分かるよね」
伸介の問いに雫は頷き、周囲を見渡す。
いつもの自分たちの居場所、中枢ドーム最深層の「学校」ではない。そこは荒れ果て、荒廃し、放棄された建造物の中で、雫はボロボロの机の上に寝転がっていた。
此処は外だ。接触禁忌生物が蔓延る危険な外の世界である。
そして徐々に、雫は記憶を取り戻してきた。今日は校外での訓練であり、接触禁忌生物を相手にした実戦だったはずだ。幾度か繰り返してきた鍛錬の一つだが、今回は聖子先生の監視を離れて、自分たちだけで判断していくより実践的な訓練だった。
その最中、雫が一人、単独行動に走ったのだ。
「ビックリしたわよもう……いきなり走り出すんだもん」
「よく、自警部隊の人達が襲われているって気がついたな」
彼女が向かった先には、たまたまタイミングを同じくしてドームの周辺警備に当たっていた自警部隊の人々が接触禁忌生物に襲われているところだった。恐らくセンサーから零れたのだろう。明らかにその場の兵士達の数では対処できない数の禁忌生物に襲われており、あわや、兵士達の頭が彼らに食い千切られる寸前に雫が庇い、結果彼女はその勢いを殺せず頭を強く打って昏倒した。
その後の様子は雫には分からないが、蓮達の姿を見ると、彼らも戦闘に参加し、そして無事に勝利したらしい。彼女の隣には救出された兵士達の姿もある。
雫は安堵の溜息を吐き出した。
「雫、どうして無茶をしたんだい?」
が、その彼女に伸介が強く問いただした。普段穏やかで冷静な言葉を吐く彼にしては酷く珍しく、とても怒っている様に見えた。
「ちょっと、説教は後にしなさいよ」
「いや、今聞かないといけない。どうしてだい?」
真美の制止も聞かない。雫は身体を起こして、倒れている兵士達を見る。
「彼らが危ういと思ったからです。騒ぎが聞こえたから」
最近、魔力強化で彼女の耳は人並み以上に優れた聴覚を獲得しつつあった。蓮や伸介達では聞こえない音を感知すると言うことはあるだろう。
それ自体は別に良いことだ。
「お手柄だね。でも、どうして彼らを助けようとしたんだい?」
雫が飛び出したタイミングは相当に危うかった。兵士達と禁忌生物との接触は事故のような形だったのだろう。彼らは陣形が乱れ、禁忌生物に近接での接触を許していた。あの状況下で飛び出せば確実に巻き込まれるのは明らかだ。
その状況下で雫は飛び出した。その状況下で前に出れば自分がただでは済まない。そんなことくらい、一目見てわかっていただろうに。
「“皆”を、助けないといけないと」
雫は答える。伸介は眉をひそめた。
ここの所、彼女がよく使う言葉だ。皆のため。誰かを優先して、誰かのためになにかをしようとしている。優しいのだと真美は言っていたが、彼女もまた、少し不安げにしていた。自分のしたいことは少しも口にしないのに、自分以外の誰かを優先しようとするのだ。
「皆……その中に君はいないの?」
伸介は、重要なところを問う。雫は、伸介の言葉に対しても少し、ぼおっとしていた。言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかっていた。
「私ですか?」
「うん」
「私は、世界の礎です。そうデザインされて生まれてきました」
だから、自分はどうなってもいい。
彼女は暗にそう言っていた。
今日まで、暴かれなかった彼女の暗部が顔を覗かせた事に、全員がショックを受けた。真美など特に、泣きそうな顔をしている事に雫は驚いているが、何故悲しませているのかピンと来ていない。
伸介は彼女の行き過ぎた思想がどこから来ているのかなんとなく分かっていた。彼は自分の出生についても色々と調べている。自分たちが物心つくかつくまいかというくらいの幼い頃に、保育の手間を抑え、知識を与えるための技術が此処にはあり、それによって自分たちがデザインされたことも知っている。
恐らく彼女は、その時の教育が偏っていたのだ。
彼女がクラスに来たとき、酷く鈍い反応だったのも恐らくはそれが原因だ。しかし、原因が分かったところで、幼少期に植え付けられた思想を拭うというのは――
「俺の“皆”の中にはお前もいるからな」
だが、伸介が色々と考える前に、蓮は真っ先にその言葉を口に出した。雫を真っ直ぐに見つめる彼の瞳には、誰よりも強い力が込められていた。
伸介は、色々と考えていた自分が少し恥ずかしくなった。ごちゃごちゃと考える前に、真っ先に言うべき言葉があった。
「僕もそうだね」
「私もそうよ。雫」
伸介と真美もそれに続く。他の仲間達も同じように頷き、声を上げ、彼女を囲んだ。
「僕たちがいる限り、君は皆の中にいる。忘れちゃダメだよ。雫」
伸介の言葉に、蓮は強く頷く。真美は彼女を真正面から抱きしめた。一人、仲間達の愛を一身に受けても尚、それをどう受け止めて良いか分からないらしい雫は呆然と、小さく
「ぬくい」
と、呟いて、そのまま疲労のためか再び眠りに就いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「君たちは、新兵なのか?」
帰りの間際、雫が助け出した自警部隊の面々が声をかけてきた。隊長とおぼしき男の声は訝しんで聞こえた。それはそうだろうと伸介は思う。自分たちはどう考えても自警部隊の適正年齢ではない。なのに、彼等が身につけているものよりも良い装備を身につけている。
「いえ、違います。僕たちは……」
伸介は口を開くが、そのまま閉じた。万が一外部の者達と接触しても自分たちの素性は明かせない。その事は先生からも告げられている。
「すみません」
「良いんだ」
首を横に振ると、こちらの面倒な事情を察してくれたのか、彼は首を横に振った。
「その子に伝えておいてくれ。ありがとう」
「はい」
再び眠りに落ちて、蓮に背負われている雫をチラリとみて伸介は頷く。彼女がそれを喜ぶかは分からないが、彼等の気持ちを無碍にはすまい。
「情けないところを見せたけれど」
隊長の男もまた、負傷した部下達を見つめ頷く。
「君たちのような幼い子を守れるようになるくらい、我々も頑張るよ」
その声には強い決意があった。
自警部隊の職場は厳しいと伸介も聞いている。危険が多く、見返りは少ない。なのに、彼の言葉には強い意志があった。自ら厳しい道を選んで尚、必要なことの為に戦おうと決意した者の声だった。
「ありがとうございます」
伸介は感謝を告げた。
彼のような者がいるからこそ、そういった人々を護りたいと心から思えるのだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……」
雫が次に目を覚ましたときは、自室のベッドの上だった。
暗い部屋の周囲を見渡すと、自分の周囲には沢山の子供達がベッドの周囲を囲うようにして眠りに就いていた。真美など、膝を地面について此方を覗き込むような姿勢のまま眠りに就いている。雫は彼女をそっと抱き上げて、自分のベッドに寝かせて、部屋を出た。
既にホールの照明も落とされて、最低限の灯りのみで照らされている。
イスラリアによってゼウラディアの存在が隠された影響か、太陽の光が正しく差し込まなくなって久しくなった現在において、照明に費やされるエネルギーも決して無駄には出来なかった。
僅かな灯りを辿って、彼女はホールの中央、憩いの場にやって来た。いつも自由時間になれば限界まで皆が集って遊ぶその場所は、今は勿論子供達の姿はない。
代わりに、見覚えのある人影が、中央の椅子に腰掛けていた。
「聖子先生」
雫が声をかけると、聖子先生が雫に気付き、立ちあがる。慌てて彼女へと駆け寄ると、ペタペタと身体の調子を確かめるように触れていった。
「怪我の状態は?」
「平気です」
「良かった」
聖子先生は深く安堵したように溜息を吐き出す。やはり、他の子供達と同じように随分と心配をかけてしまったらしい。雫は申し訳なくなった。
「迷惑をかけました」
「今日は、無茶をしましたね」
「はい……」
雫は少しうつむく。自分の中の言葉を拾うために時間をかけた。その間聖子はじっと、彼女の言葉が紡がれるのを待った。
「……私は、“皆”を守るために、この命はあるのだと思っていました」
そして顔を上げる。どこか、縋るような目で、彼女は聖子を見上げる。聖子の目は、いつものように本物の母親のような慈愛に満ちていた。
「その為に私達は生み出されたのだから」
「そうですね。それは疑いようのない事実です」
「でも」
雫は自分が出てきた部屋を見る。もう既に5年もの間連れ添ってきた仲間達が眠る自分の部屋を見つめた。彼らが先に自分に向けてきた悲しみと怒りは、雫の心を締め付けた。
「“皆”の中に私もいるのですね。少なくとも、彼らの中には」
未だ、自分以外の誰かの助けになりたいという想いは彼女の根幹にある。きっとそれは、そうなるように生まれたからに他ならないのだろう。
でも、それでも、その考え方が蓮や真美たちを傷つけるというのなら、辞めなければならないと、そう思えるくらいには、彼女は仲間達を大事に思えていた。
「自分を、大事にしなければいけなかったのでしょうか」
不意に、温もりがやってきた。聖子が雫をゆっくりと抱きしめていた。雫は懐かしくなった。最近は彼女に抱きしめられることも少なくなっていた。昔、学校に転校してきたときはよくこうしてもらっていた。
「私にとっても、貴方は無くてはならない大切な存在ですよ。雫」
「……はい」
「決して、命を投げ出すような真似はしないで下さい。約束ですよ」
最後にもう一度強く抱きしめて、彼女は笑った。そして彼女を部屋まで見送った。部屋の中にいる子供達を起こさないようにと小さく小さく「おやすみなさい」と二人は言葉を交わし、雫は真美の居るベッドへと戻っていった。
「とても、大切な命なのですよ。貴方は」
最後の聖子の言葉は、薄暗い施設の闇に消えて言った
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「児島博士。此方資料になります」
「ギリギリ及第点か。問題のE31の数字はやや怪しいが……」
「短期学習の際、利他的思想の比率が高すぎたのかも知れません」
「臆病者どもが、保険をかけすぎたのだ、全く」
「もう少し様子を見ますか?」
「堪え性のない首脳陣の口数が多くなってきた」
「では……」
「実行に移す」




