にねんせい
■暦 2X41年
雫がこの「学校」に参加し始めてから1年が経過した。
大の大人達にとって1年というのはあっという間というが、子供達にとっては濃厚で、慌ただしく、そして苦難と充実に満ちたものだった。
「なー雫ー。今日の宿題分かった-?教えてくれよー……」
「まーた蓮ってば雫に頼って!先生に怒られるよ?」
「そーいうお前だって持ってきてんじゃん」
「わ、私は雫ちゃんと一緒にやろうとしてたの!」
そんな濃厚な日々の中で、子供達はすっかり雫という存在を受け入れていた。勉学の面において彼女が酷く優秀であると気付いた子供達は、授業終わりに出される宿題を彼女の周囲で解くのが恒例になりつつあった。
「なー頼むよー雫」
「――――はい。大丈夫ですよ。蓮様。わからなければ、教えて差し上げますから」
そして、雫もまた、彼らのグループに所属することにはすっかりと慣れて、馴染んでいた。ここに入ってきて暫くの間の、浮世離れしたような態度は微塵も見せない。笑いかけ、悲しむ相手には手を差し伸べる。彼女は瞬く間にクラスの中心の一人となっていた。
「雫ってほんと頼まれたら断らないよねー。それじゃつけこまれるよー?」
「つけこまれるのですか?」
「バカな男子たちに宿題押しつけられたりしたら言いなよ?やっつけたげるから」
真美は彼女の頭を撫でる。年は変わらないが、後からやって来た雫を彼女は妹のようにしてかわいがっていた。授業の成績、学力、身体能力、そして"実技"、全てにおいて雫がクラスでトップに立った時はショックを受けていたが、雫は瞬く間に彼女の自尊心を回復させることに成功していた。
「ありがとうございます、真美様。お気遣い、とってもうれしいです」
成績が高かろうとも、決して彼女は子供のように調子に乗って、出しゃばらなかった。施されれば手を取って、微笑んで、そして感謝を告げる。そして男女問わず魅了する笑みを浮かべるのだ。際立って優れた容姿を持った彼女は、それを扱う術を身につけていた。
恐ろしいまでの、成長だ。
聖子は彼女らの仕草を監視カメラにて監視し、改めてそう思った。
彼女が今居るのは学校の外、生徒達は立ち入る事が許されていない場所であり、子供達の観察を行うための監視場所でもある。「学校」「教室」「校庭」「外」「寮」全ての場所に対してくまなく設置された監視カメラの映像がこの場所に集められている。
勿論、その全ての情報を常に記録し、目を通す訳にもいかない。必要な監視の時のみこの場所は使われる。
「随分と人間らしくなったじゃない。貴方の飼育が上手いのかしら」
そして今回は、子供達を産みだした博士の一人、中山博士が子供達の様子を直接見るために、この場所を利用することを希望したために聖子が案内した。
立場上、彼女は子供達の親の一人、と言うことになるが、しかし今の言葉からも分かるとおり、彼女は子供達に愛情なんてものは向けていない。映像に映る子供達のはしゃぐすがたを見ても、眉一つ動かすことはなかった。
「家畜が家畜を育てるって皮肉よね」
暴言にちかい言葉を聖子に浴びせる。彼女は特に驚く様子はない。聖子に向ける態度としては彼女はまだマシな方だ。会話をしようとしているのだから。他の職員などは、此方と言葉を交わそうとすらしない。明確な敵意を向け、突発的に暴力を振るう者まで居る。
膿んでいる。と、聖子は想う。
J地区中枢ドームJー00最深層。
この場所はあまりにも膿んでいた。中枢ドームの最下層。それは地上で最も安全な場所であると共に、誰からも遠ざけられ、追いやられた場所であると言うことでもある。イスラリアから地上を取り戻す。その理念の元続けられた研究は先鋭化を繰り返し、行き着くところまでいってしまったのだ。
彼らの焦燥と怒りは、表情に出ている。あからさまに精神の均衡を崩してしまっているものも珍しくない。薬物に依存している者も当然のように存在している。彼らを教師役に据えず、自分に教師役が回ってきた理由はソレだ。
だから中山博士はマシな方だと言えた。
少なくとも彼女の暴言、敵意は、自身の“罪悪感”を慰めるためだ。分かりやすい。
「懸念していたけどE31の情緒は順調に育ったようでなにより」
彼女は映像を見て、溜息を吐く。実際、映像を見る限り子供達は実に楽しそうにはしゃいでいるようにも見える。雫を含めて、誰一人除け者になっていない。
数十人という人数であって、零れるような子供が一人もいない。奇跡的で理想的な関係がそこにはあった。
しかし、
「いえ、残念ながら、まだ問題があるようです」
聖子は首を横に振った。中山は眉をひそめる。
「どういうこと?」
「見ててください」
そう言って、彼女は映像の中の雫を指さす。彼女は子供達の中心となって会話を続けている。そして不意に右耳にかかった髪をかき上げて、
「今、髪をかき上げる動作をしましたでしょう?」
「したわね。それが?」
「今の、私がした動作の模倣です」
「……は?」
中山博士にとってもその答えはあまりにも想定の外だったのだろう。驚愕に眉をひそめ聖子に振り返った。聖子は更に映像を見続ける。
「今の笑い方は真美の笑い方、今のは蓮の走り方」
雫、彼女の一挙手一動足、それを見て、その仕草の意味を言い当てる聖子の洞察力、それ自体も優れた物であるが、それ以上に雫のその仕草に中山は驚愕していた。
言葉遣いが彼女に似てきたという報告は受けていた。幼い子供のこと、それくらいはありうると納得していたが、コレは常軌を逸している。
「彼女、恐らくですが、他人に好まれる仕草を模倣しています」
「……そんなこと……ありえるの?彼女、短期学習を終えてまだ1年でしょう?」
資源枯渇と人手不足の理由から、幼児期は【保育管】の中で育成と学習を行う。つまり彼女は生後1年と言っても良い。生まれて間もない赤子の所業とは思えなかった。
模倣は確かに学習手段の一つだ。しかし、それを違和感なく使い分けて使いこなすのは全くワケが違う。
「1年でここまで至りました。まだ、違和感を感じる時はありますが、それも恐らく後一ヶ月もすれば無くなるでしょう……ですが」
「真似できているのは形だけ?」
「まだ、子供達とも真に心を通わせているかは、わかりません」
むしろ、模倣が上達したことで、彼女自身の情緒がどの程度まで成長したのか、余計に掴みづらくなったとすら言える―――実際、中山博士が彼女を勘違いしたように。
「児島博士がまた怒りそうだわ」
中山は彼女に視線を全く向けない。用が済んだと言うように手元の資料を幾つもまとめて、席を立つ。聖子は頭を下げた。
「申し訳ありません。引き続き望む結果を得られるよう努力します」
「別に、貴方を責め立てたいわけじゃないわ。失敗作さん」
扉を出る寸前、彼女は振り返り笑う。皮肉に歪んだ笑みだった。この最深層の住民らしい、歪で、苦痛と怒りに心身を支配されたものが浮かべる顔だった。
「貴方で完成していれば、こんな茶番せずに済んだのにね」
その言葉に込められた悪意を読み取れないわけではなかった。だが、聖子は決してなにかを言い返したりはしなかった。
どれだけ研究者達に蔑まれようとも、今己に与えられた役割を果たすため、彼女は忠実だった。例えそれが、自分の愛する子供達に対する裏切りであったとしても。
「大丈夫ですよ。皆の想い、無駄にはしません」
彼女は胸元を強く握りしめた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「うっわ、聖子センセの今日の数学の課題エッグ」
「ぜーったいこんなの私達の年の子供がやる課題じゃないよねー。児童虐待では?」
「上層の警備隊に通報する?まあ。アイツラ此処に立ち入る権限無いけどねー」
勉強部屋の子供達は何時も通り楽しく会話を続けていた。
じゃれあい、笑い合いながら、出された複雑怪奇な課題を解き明かしていく。彼ら自身が言っていたとおり、それらの課題は明らかに彼らの年代であれば意味を理解することすら出来ない内容である筈だが、彼らにとってそれは日常だ。時に雑談と冗談を交えながら、着々とこなしていった。
「――――なあ、先生達、こっち見るの辞めた?」
が、不意に蓮が課題を書く手を止めて、小さく囁く。それに応じるように真美も囁いた。
「まあ監視用の作業員は配備されてるだろうけど、音声まで全部聞いてるわけじゃないでしょ。多分」
男女二人のリーダー格がそれぞれそう言うと、子供達は肩の力を抜いたようにだらっと机にもたれかかった。別に、“フリ”をしていたわけではない。が、見られていると感じながら遊ぶというのは緊張を伴うものなのだ。
「最近監視多くない?」
「ほんとーに。プライベートまもれよなーもー」
大人達が自分たちを監視しているのを彼らは知っていた。自分たちの存在が彼らにとって酷く重要であるということくらいは理解できている。此処は閉鎖的であるが、求めた情報が得られないというわけではない。
制限こそされているが、断片的な情報をつなぎ合わせれば、この程度の事は想像が付いた。彼らは早い内に自分たちを覗き見てつぶさに観察する「目」の存在も場所もつまびらかにしてしまっていた。
「しょうがないさ。それだけ僕らが大切って事だろ?」
「伸介は良い子ちゃんだなあ。嫌だぜ。風呂入ってるとき覗かれんの」
「アンタの裸なんて見たって誰も喜ばないわよ」
「おめーもそうだろツルペタ」
「ころーす!」
とはいえ、知ったからといって、ここから逃げだそうだとか、そういうつもりは彼らにはない。彼らは自分たちが大切に育てられていることを知っている。
「ま、俺たちがイスラリアをやっつけた暁には、こんな監視無くなるさ!」
蓮が行儀悪く机の上に立ち上がり、拳を突き上げる。
そう、それこそが彼らが此処に集められ、学習を施されている目的だ。彼らは既に生まれて、物心ついた辺りから、自分たちが何のために集められたのかを理解していた。
世界から【星石】を、【魔素】を簒奪した邪悪なるイスラリアから全てをとり返すための兵士育成機関「学校」その生徒達が自分たちだ。彼の言葉は何も間違いでは無かった。
筈なのだが、他の子供達の反応はやや鈍かった。
「そんなことまーだ信じてるの?私達もう二年生よ?」
真美の言葉にクラスの女子達は一斉にうんうん、と、頷く。男子達も彼の言葉には半信半疑と言ったところだ。友人達のその反応の悪さに蓮は口を尖らせた。
「信じなくてどうすんだよ!?その為に生まれたんだろ?!俺たち」
「まあ、コレに関しては蓮が正しいかな」
伸介が彼の言葉に同意する。普段、やや猪突猛進気味な彼を冷静に諫める役割の彼にしては珍しいものだった。
「少なくとも聖子先生含めた僕らの管理者は、僕らがそうなることを目指している。そうでなきゃ、魔術の鍛錬なんてしないだろ?」
そう言って彼は右手から微かな炎の玉を生みだした。まるで蝋燭の炎の様に揺らぎながら、その熱を保っていた。
「お、すげえ無詠唱」
「何の役にも立たないけどね。ライターでも使った方が良い。この程度なら」
伸介は手を軽く振るとそれを消す。
「ほんとーにイスラリアだと魔法使い?魔術師?がいっぱい居るのかな?」
「現代兵器でも役に立たないくらいのバケモノ揃い、とは言われている。イスラリアからの連絡手段が限られていて、かなり断片的だから、定かでないけど」
「コミックヒーローかよ。いや、ヴィラン?」
子供達は次々と考えを口にする。いつも通り、騒がしかった。
「どのみち、真っ当な兵士達ではどうにもできないのは事実さ。もし本当に何とかなるなら、僕らみたいなのを育てる必要は無い。本職の優秀な兵士達で【方舟】は制圧出来る」
しかし【涙】がこぼれてから数百年、ソレは成功しなかった。
イスラリアへと向かう手段が限られているという条件を抜きにしても、空を覆う黒球から邪神の涙がこぼれ落ちない日は無い。あの呪泥から溢れ出る恐るべき接触禁忌生物たちの対処で手一杯……どころか、それすらも対処が出来なくなりつつある。
あらゆる場所が魔力汚染で穢された。無事な資源は極めて少ない。
「人類は、追い込まれている。その希望として僕たちが育てられたなら、それを疑うのは少し無責任じゃないかな」
「伸介!良いこと言うな-!!そう!俺たちで世界を救うのさ!」
蓮は調子よく伸介の肩に腕を回して吼える。
果たして伸介の言葉の意味を理解しての言葉なのかは怪しい。伸介は小さく苦笑するが、しかし、別にそんな反応はいつもの事だ。彼の楽観的な思考を彼は嫌っていなかった。
「少なくともアンタにゃ無理よ。いっつも肝心なところですっころぶんだから」
「んだとこらー!」
その彼を真美がバカにして、彼がプリプリと怒り出すのもいつもの流れである。蓮だって本気で怒ったりはしない。じゃれあってるだけだった。
満ち足りている。と、伸介は想う。この場所は満ち足りている。上層の一般市民のように両親のいる一般家庭とは全く異なった環境にいる。移動場所も限られていて、確かに制限が多い。場合によっては同情されることもあるかもしれない。
それでも自分たちにとって此処は楽園だ。そう思う。だから伸介もその楽園を維持するために、幾らか周囲に気を回すことを忘れたりはしない。
「雫、キミはどう思う?」
少し、輪から外れていた雫に、伸介は声をかけた。
「はい」
「大丈夫?少し疲れたなら、先に部屋に戻っているかい?」
雫は随分と親しみやすくなったが、今でも時々まるで電池が切れたように反応が鈍くなることがある。誰も声をかけなければ同じ場所でじっとしていることが今でもある。
ただ、少し人と話すのがおっくうなタイプであるなら、あまり干渉してやるのは可哀想なのだが、彼女はそれとはまた少し違う。本当に、ひたすらになにもしなくなるのだ。時々こうして声をかけてあげると元に戻るので、伸介はそうするように心がけている。
「ぼーっとしていました」
雫は笑う。もう元通りだ。少し安心した。真美も彼女の様子がおかしかったことに気がついたのか、彼女の額に触れたりして、体調を確認した。
「だいじょうぶ?雫、時々昔みたいになるよね」
「あれ、昔ってそんなだった?」
蓮は首を傾げた。どうやら昔、彼女とどう会話していいものか全く分からず彼女のいないところで七転八倒していたことをスッカリ忘れてしまっているらしい。都合の良い頭をしている。
「もう呆けてきたんじゃないの。蓮」
「んだとコラ!」
再び蓮と真美が巫山戯合う。雫は二人を見て笑った。
「皆を見ていました」
「皆?」
確かに、雫が座っている場所は、クラスの皆が見わたせる場所だった。課題に皆で取り組みながらも、それぞれ割と好きな事をしている。早めに課題を済ませて読書をしたり、ゲームで遊んだりしているものだっている。そんな彼らを彼女はつぶさに観察していた。
「皆さんを見ているの、私、好きなのです」
「……それって、真似るため?」
美奈がおずおずと尋ねる。彼女が何人かを模倣する癖があるのは既に皆知っていた。勿論、それは悪いことではないと皆理解している。赤子が親を模倣するように、彼女も学んでいるのだと伸介は皆に説明していた。
「いいえ」
しかし彼女は首を横にふる。その後暫く沈黙した。自分の内側へと視線を落として、それを言葉にしようと苦心していた。蓮も真美も他の皆も、彼女がたどたどしくも真摯に言葉を紡ごうとするのを見守った。
やがて彼女はもう一度口を開く。
「自分のことは、まだ分かりませんが、皆さんを見ていると、暖かい気分になるのです」
その答えはあまりに簡素で、しかし彼女の言葉を借りるなら、暖かなものだった。真美は感極まった。と言わんばかりに彼女に抱きついた。
「ソレって私達のこと好きって事!?好きって事だよね-!!かーわいい!」
「そうなのでしょうか?」
「そーだよ!!んふっふー!愛いヤツよのー」
不思議そうにされるがままにされる雫を真美は猫かわいがりする。やり過ぎるようなら止めてやるべきだが、雫も別に嫌そうではないので、そのままにすることにした。
やっぱり、満ち足りている。
伸介は改めてそう思う。低い天井。偽物の空。それでも彼はこの空が好きだった。此処は楽園だと、心の底からそう思えるほどに――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「模倣か」
「月の権能の顕れでしょうか?」
「推測でものを言うな。他の子供達はどうか」
「互い仲間思いで頭も回る。此方の監視にも気付いているそぶりを見せるものの、概ね従順。健康優良児が揃っていますよ」
「よろしい。継続し、情緒を育てろ。だが、その周囲のケアも忘れるな」




