黄昏、あるいは黎明のただ中で
中枢ドームの崩壊は進行していた。
ドームには大抵、破壊を押さえ込むための機能が用意されている。禁忌生物が侵入した際、その汚染を抑えるのが困難だった場合、その区画を切り離してその場所のみに崩壊を留める機能が用意されている筈だった。だけど崩壊は止まらない。それはこのドームが備えた全ての機能が処理しきれないレベルの破壊が巻き起こっている証拠でもあった。
「ヤバいヤバいヤバい!!急げ急げ!!」
浩介は崩落して、揺れる階段を全速力で駆け上っていた。
未だに頭の中は混乱している。最深層で起こった滅茶苦茶な現象のなにもかもが、彼の常識を大幅に超えていた。そしてそれに対する説明がまだなにも成されないままにこの脱出劇が始まってしまった。立ち止まる隙すら無い。
「おい!!最後尾急げ!!下の階層崩れつつあるんだぞ!」
「わかって、る!」
しかも、この脱出劇の先導者は誰であろう、イスラリア人達だった。この世界をこんなことにした元凶達が、何故か自分たちの先頭を走っている。
理性では、その理由も分かっている。そもそもそんなこと言ってる場合じゃないというのもあるし、彼らが先頭に立って、階段を防ぐ巨大な瓦礫を押しのけてくれているのだ。強化装備を身につけた自分たちでも、あそこまで容易に重いものを押しのける事なんて出来ない。
彼らの助けがこの脱出の大きな助けになってくれているのは分かっている。だが、感情がついてこない。
彼等が憎いハズなのにそういうのを考える暇がない。
次々と発生し続ける状況を感情が飲み込んでくれない。心が追いつかなかった。
「――――!?」
だが、不意に強化スーツの聴覚が、小さな音を拾った。あまりにもか細く、ドームの崩壊音でかき消えてしまいそうなほどの声だったが、それは浩介の耳に届いた。
「人の声が!」
「何!?」
既に崩壊は進んでいる。浩介は踊り場から引き返して、一つ下の階層に戻り、声のする方へと走った。
「……か!……す……!!!」
「何処だ!助けに来たぞ!!」
やはり、聞こえる。間違いなく助けを求める声だった。道の奧へと進むと、大量の瓦礫で塞がれた扉が見えた。その扉の奥から、複数人の助けを求める声が聞こえてくる。
閉じ込められたのだと分かった。だが、
「くそっ!?こんなの……!」
瓦礫の量が、多すぎた。
一つ二つではない。上の階層がまるごと下に落ちてきているに等しい有様だった。扉の前にたどり着くことすらも困難だ。浩介は自分の判断を呪った。慌てず、隊長の判断を仰いでから仲間と一緒に来るべきだった。だけど今から引き返して間に合うか――
「コースケ!下がれ!」
「……!」
その指示に、浩介は反射的に後ろに跳んだ。その直後、破壊の光熱が目の前の瓦礫の山を一瞬で吹っ飛ばした。誰がそれをしたのかは、勿論分かっている。ウルだ。
「なんで!!」
「放置もできんだ、ろ!」
そのままの勢いで、彼は瓦礫の破損で歪に歪んだ扉を力尽くで開く。激しい破砕音とけたたましい電子音を慣らしながら、自動ドアはその扉を開けた。
中にはやはり、複数の研究者と思しき者達が並んでいた。怪我をしているのか血を流し、涙目になりながらも救助が来たことに安堵している様子だった。
「こっち来い!!急いで逃げるぞ!!」
そしてそんな彼らに片っ端から声をかける。足を怪我したのか動けなくなってる連中を、ウルは次々に肩に担いでいった。周囲の研究者達は自分よりも小柄なウルが大の大人を次々と担いでいく光景にギョッとしていたが、それを指摘する余裕もなかったのか次々に外へと脱出していた。
両腕で大の大人を一人ずつ担いだウルは、そのまま更に一人をどうにか持ち上げようとして、此方を見る。
「一人くらい担げるのか?!」
バカにしてんのか!と、言いたいが、彼の目にそんな様子はない。ただただ此方の能力を確認しようとしているだけだった。彼と自分の身体能力に致命的な差があるのは、虚勢の張りようのない、ただの事実だ。
だから浩介も歯を食いしばり、強く頷いた。
「行ける!」
「頼む」
そうして怪我人達を担いで二人は脱出した。背中に呻く怪我人を担ぎ、その重みに耐えながら、自分の前で、自分よりも大量の怪我人を抱えて、此方を気遣うように動いているウルを見て、浩介は叫んだ。
「クソッタレ!!!」
誰であろう、自分自身に怒りを抑えることが出来なかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「そこのゲートを出れば外だ!!!」
魔界の兵士の声で、ウル達は足を速めた。
怪我人を担いでいる以上下手に揺らすことも出来なかったが、それでも急いだ。崩落の速度は明らかに速まっていたからだ。目の前の瓦礫を蹴り飛ばし、ウルは一気に巨大な門を飛び出した。
「死ぬ、かと、思った……!!!」
外は、やはり赤黒い不気味な空と廃墟の世界が広がっていた。
が、崩れ去ろうとしている建物の中よりはずっと開放的だと、ウルは大きく溜息をついた。後ろから、リーネやエシェルにグレン、そして魔界の兵士達、中にいた被災者達も外へと出てきた。
出てこれたのは、それだけだった。七天達も、シズク達も、姿を見せない。
「他の、みんなは……」
ウル達が出て、暫くした後に崩壊した門を見つめ、エシェルは不安げな声を放つ。気持ちは分かる。ここに入ってきたときと比べて、あまりにも人数が減ってしまっていた。リーネは彼女に寄り添うように背中に触れた。
「あのヒト達が死ぬわけ無いでしょ。それに、シズクも、ロックだって……」
『呼んだカの?』
カタカタという聞き覚えのある声が聞こえてきたのはその時だった。
「うおおあ!?」
「じ、人骨!?」
まさしく人骨が突然、ウル達の目の前に姿を見せたのだ。
魔界の兵士達は悲鳴を上げる。彼らからすれば、動く人骨などあり得ないホラー現象に過ぎないのだろう。が、ウル達にはそれは見覚えのある光景だ。
「ロック」
ウルが前に進みでて、話しかける。ロックはカタカタと笑った。
『ま、察してるとは思うがの。このワシはメッセンジャーで本体ではない』
「本体は、シズクと一緒か――――悪いな」
『構わんよ』
見ている内に、その人骨の一部が少しずつ崩れていっているところをみるに、時間制限まであるらしい。ウルは今日で何度目かになる溜息を吐き出して、尋ねた。
「んで、なんのメッセージだよ」
『うむ、ワシとシズク、お主のギルド辞めるわ』
予想できた内容だった。が、直接言われると割とキツかった。
「……次々と退職届出されるな。人望ねえのか俺」
『仕事内容考えるとお主のギルド超ブラックじゃぞ』
「すげえや返す言葉もねえ」
ウルとロックはケラケラと笑った。
大罪竜と戦い、挙げ句そのまま邪神の本拠地だとか言う場所まで殴り込みにいかされるギルドなんてブラック以外の何物でも無かった。退職者が出るのも道理である。
『それとシズクから伝言じゃ。聞くか?』
「聞くよ。なんて?」
『「貴方との契約を破って御免なさい。どうか幸いであってください」だそーじゃ』
「………」
ウルは沈黙し。顔を伏せた。額に握りこぶしを当てて、ゴリゴリと額を抉った。
『お?怒っとる?』
「…………やっぱデコひっぱたいときゃ良かったって思ってる」
本当に、心底そう思う。そうでないならデコピン10発くらい喰らわせていたら多少は気も晴れたかも知れない。彼女が光り輝き始める前にそうしなかった自分の判断の遅さをウルは呪った。
『これから主のデコを叩くのは苦労しそうじゃの!!カカカカ!』
ロックは大笑いする。途端、激しい音を立ててロックの身体の一部が破損した。時間切れだ。見る見るうちに砂塵のようになっていくロックを前に、ウルは叫んだ。
「ロック!」
『ではまたの、友よ!次会うときまで達者でおれよ!!』
そう言って人骨は完全に崩れ去った。崩落の音はまだ続くが、それ以外はひたすらな静寂が再び戻る。誰も、何も言葉にする事も出来ないまま、時間が過ぎた。
「…………」
その中ウルは一人、動いた。と思うと、身に纏っていた鎧を脱ぎ捨てて、竜牙槍も地面に突き立てる。何事かと全員が見守る中で、ウルはそのまま地面にごろりと寝転がった。
「ちょ、ウル?!」
エシェルが驚愕し、彼の元に駆け寄りしゃがみ込むと、これ幸いとウルは彼女の膝を枕にして、そして呟いた。
「ちょっと寝るわ」
そのまま目をつぶった。数秒後、速攻で寝息を立て始めた。
「本当に寝た!?」
「ふて寝だろ」
あまりにも唐突な昼寝を始めたウルを、グレンは見下ろす。いつの間にやら彼の両手からは黄金の籠手が失われているが、それに気付く余裕の在るものはこの場には居なかった。
グレン自身もその事を気にすることなく、ただただ自分の弟子の寝顔を憐れみながら眺めていた。
「流石に同情してやるわ。弟子よ」
地の底からの振動は、更に激しさを増していく。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中枢ドームからの脱出が完了した。
と言っても無論、自警部隊の仕事は何一つとして終わったわけではない。怪我人は無数にいるし、そうでなくともこのような場所で彼らを野ざらしにしておくわけには行かない。接触禁忌生物らが何時此処を襲いに来るか分かったものではない。
「怪我人を優先して地下通路へと運び出せ!」
宍戸隊長は迅速に部下達に指示を出していく。研究者達の中には困ったことに重要な書類があるからと中に戻ろうとする者達も何名かいた。彼らを押さえ込み、なんとか次々に別のドームへの避難を進めていく。
「隊長!どうしてもここから動こうとしない方々が……」
「力尽くで運び出せ」
「それが邪魔したら裁判にかけると……」
宍戸は溜息をついて、その迷惑な連中が乗り込んでいるというトラックへと向かった。
中に入ると、果たしてどこから持ち込んだのか大量の機材がトラックの中を占領していた。トラックのバッテリーまで勝手に拝借しているらしい。頭が痛くなった。
「成功、しました」
「そう、か……そうか……」
宍戸が入ってきたことにも彼らは気付かず、PC画面に集中している。文句の一言でも言ってやろうかと口を開くが、その前に、知った顔がそこにあることに気がついた。
「新谷博士?」
「…………どうも、宍戸少尉。だったか」
眼鏡をした、50代の細身の男。新谷博士だ。彼のことは宍戸も知っている。
何しろ彼と自分は同年代であり、同じドームの出身だ。しかし別に親しかったわけでもない。ただ、彼は同期の中では一際に頭が良くて、中枢ドームでの勤務が早々と決まっていたため、印象に残っていた。彼の方もまさか自分のことを覚えていたのは意外だった。
記憶よりも随分と彼の姿はやつれて見えた。その彼は、自分の顔を見ると引きつった笑みを浮かべる。この崩壊のショックで精神が不安定になってしまったのかと宍戸は本気で不安になった。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫……ではないです、僕は。ああ、しかし、世界にとっては、朗報だ」
彼は笑う。朗報という割りに、彼の表情は本当に歪だった。喜ぶような、悲しむような、絶望するような表情だ。本当に彼が発狂しているのではないかとすら思えた。
「彼女が、帰還しました」
「彼女?」
「【雫】です」
雫、シズク、その名前を宍戸は知っている。ここまで同行し、そして結果として自分たちの事を助けてくれた少年が口にしていた名前だ。あの地下の最深層で白銀の輝きを纏い、悲しげに笑っていた少女の名前だ。
その名を彼は口にして、どこか投げやりにも見える引きつった笑いを見せた。
「我々の最終兵器、最後の希望。困難極まる任務、イスラリアに埋め込まれた神の回収を果たし、戻ってきた」
その時、ずっと続いていた揺れが更に一層激しさを増した。宍戸は地面に叩きつけられそうになるのを必死に堪えて、その場の全員に避難を呼びかけようとした。
が、彼らは一人として驚く様子も、怯える様子も見せなかった。この揺れも当然であるかのように受け入れていた。その姿があまりにも不気味で、宍戸は一歩後ろに下がる。
新谷は立ち上がり、そして車の小さな窓から外を見る。
「このどうしようもない戦争が、もうすぐ終わります。結果がどうなるかは、わかりませんが」
更に激しい衝撃音と振動が、車内を包み込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
衝撃音の後、中枢ドーム外に逃げ出した全ての者達はソレを目撃した。
白く巨大な半円球のドームが崩壊していく。
そして崩壊していくそのドームの奥底から、白銀の光が漏れ出していく。遠くから目撃するそれは、まるで卵が崩れ、中からなにかが生まれ出てくるかのように見えた。
事実、ソレは生まれようとしていた。
赤黒く汚染された空の全てを切り裂くかの如く光を放ち、それは脈動しながら動き出す。身体を持ち上げ、空を覆うほどの翼を広げ、七つの瞳で空の黒球を睨み付ける巨大なるその存在は、幻想の生命体、竜に他ならない。
美麗極まる、白銀の竜
それを目撃したものは、思わず両の手を合わせ、祈った。
自然と、見る者を平伏させ信奉させるだけの美しさをソレは体現していた。
そして竜は羽ばたく。人類に呪いを振りまく忌まわしい黒球、呪われしイスラリアへと飛翔する。そして竜は口を開き、唄を奏でる。
澄んだ音色だった。廃墟と呪い、空も大地も海も全てが穢れたこの世界において、尚も美しく奏でられるその鈴の音は、まさに福音に思えた。
そして、まるでその唄に呼応するように、イスラリアは蠢いた。
最初は気のせいであるように思えた。しかし、次第にその実体も掴めないような黒い太陽が揺れていく。赤い線が幾つも刻み込まれる。それが、硝子が砕けるような”ヒビ”であると次第に皆気づき始めた。
一際に大きな鈴の音が響く。イスラリアが、否、正確に言えば誰もが"イスラリアだと呼んでいた次元障壁”が崩壊した。
黒い太陽が空から消え去る。
1000年、空を支配した闇が消えて失せる。
そしてその後から、隠されていた方舟が姿を現す。
金色のヴェールに包まれた、方舟。
まるで大陸を切り取って、そのまま空に浮かべたような奇妙な景観。しかしそれこそが、かつて世界から神も精霊も奪い去った邪悪どもの住処である。
アレが。と、誰かが言った。
長い年月が経っても尚、彼らは知っている。脈々と受け継がれてきた憎悪が、彼らの魂には刻まれている。決して赦してはならない邪悪があそこにはいるのだと、彼らは教えられたのだ。
白銀の竜よ。誰かが言った。
我等が神よ。誰かが祈った。
魔界の住民達の祈りと願いは白銀の竜達へと向けられた。彼らは祈り、願い、そして呪った。あの忌まわしい方舟を、悍ましきイスラリアを、そしてそこに眠る邪神ゼウラディアを、どうか破壊してくれと頼んだ。
その願いに応えるように、白銀の竜は光を纏う。唄うほどに強くなる光は収束し、そしてその願いと呪いを凝縮したような光球を生み出す。彼女が生まれ出たドームよりも更に巨大な球体となった光熱は、揺らぎ、そして撃ち出される。
墜ちろと誰かが呪った。
砕けろと誰かが呪った。
死ねと誰かが呪った。
呪いに押しだされ光玉は奔る。莫大な熱を伴って真っ直ぐに。
だが、その直後、金色が空を駆ける。
金色に輝くソレは白銀の竜と同じく崩壊したドームから飛び出した。最早この世界では見ることもなくなった星空を流れる流星のように空を流れながら、なにもかもを焼き払う銀の熱球へとぶつかる。
膨大な熱はその瞬間たわみ、歪んで、そしてイスラリアの手前で爆裂した。
イスラリアは砕かれず、無事であり、そして白銀の竜の前には、金色の天使が現れた。剣の様に伸びた七枚の翼、緋色と金色二つの剣を両手に握った輝ける緋金の天使。白銀の竜に相対するに相応しいほどに美しく、そして紛れもなく世界にとっての敵だった。イスラリアを守る守護者に他ならなかった。
世界中の人類が、天使を見上げ、呪い、忌避し、しかして魅入られた。妬ましいまでに、悶えて泣き伏す程に天使もまた、美しかった。
白銀と黄金はそのまま激突する。
世界の終端に相応しい、太陽と月の二神の激突が始まった。
イスラリアと魔界。かつて別たれ、今日まで続いた長きにわたる呪わしい戦いの終わりの始まりでもあった。
「ま、こんな有様だ。ロクでもねえだろ?この世界」
黄金と白銀の激突を、黒の魔王は崩壊した廃墟の屋上から眺め、嗤う。
「殺し殺され、積もった恨みは世界を侵す毒に変わり、母なる星を穢し続ける」
空も大地も海も、何もかもが黒く呪われた世界を見渡す。魔王にとってもその光景は未知だが、何一つとして予想から外れた光景では無かった。
「その呪いの果てを小娘二人に押しつけて殺し合いだ。マジで救いがねえ」
不出来で、窮屈な、どん詰まり。
期待以下の想像通りだった。
「そんなわけで、俺は好きにやるよ。狭苦しくてたまらないからなあ?」
だから魔王は予定通り、全てを踏みにじるために動く。
「お前はどうする?ウル坊」
そんな世界の中心で寝転ぶ少年に魔王は問う。
言うまでもなく、彼にその言葉が届くことはなかった。




