六輝竜神② 悍ましい者
「不味い」
少し距離を開けた場所から、天剣のユーリが朦朧としたまま、崩壊した建造物から、野ざらしになった外へと出るその光景を、アルノルドも確認した。七天の権能によるつながりが、彼女の危機を訴えていた。
見るからに真っ当な状況からはほど遠い彼女を見て、急いだ。急がねばならなかった。
『――――』
何せ、グリードも彼女に気が付いて、そして動いていた。たとえ相手が手負いで、意識が朦朧としていようとも、七天の一角である彼女を確実に落とせる好機を見逃すほど、温くない。
「最悪、天剣だけ回収じゃね?」
後から追いかけてくる魔王の冷静で、冷徹な言葉に、アルノルドは首を横に振る。
「それはしない」
「人事に口出しはしねえが、その心は?」
魔王の指摘、提案は確かに正しい。遠目にも彼女の姿はボロボロだ。最早、七天の役割を果たせる状態であるとは到底思えない。別に、グリードがとどめを刺さずとも、そのまま死んでしまうかもしれないような有様だ。
この危うい戦況を崩してまで、彼女の救助に走る理由は、無い。アルノルドの権限を持ってすれば、彼女の天剣だけを回収することも出来るからだ。
しかし、それでもアルノルドは救助に動く。その理由は―――
「可能性」
「ハッハ!!てめえもギャンブルじゃねえか!!」
魔王の指摘は、全くもって正しかった。本当に、か細い可能性に対して、イスラリアの命運の全てをベッドしているのだから、狂気の沙汰も良いところだ。
だが、それでも―――
「【天罰―――】」
だが、金色の拳を握り固めて、グリードの背中にたたき込もうとした矢先、違和感に気づく。グリードの背中が揺らぎ、消える。幻影の魔術と気づいたときには既に遅かった。
『弱った仲間を狙うと、誘導しやすいですね?』
天から声が降り注ぐ、魔王は闇を身体に纏い舌打ちし、アルノルドも同じく守りを固めたが、既に遅かった。光輪の光熱は即座に降り注ぐ。
「ほんっと遊びがな――――」
魔王の抗議も、光に吞まれて消える。空が丸ごと、墜ちてくるかのような広範囲攻撃は、アルノルドも魔王も、丸ごと飲み込んで、破壊しつくした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『さて』
瀕死の天剣を狙う。
その動作によって容易に天賢王達をつり出すことに成功したグリードは、しかしその状況下にあっても尚、特に喜びもしなかった。圧倒的な強者であって、残心をグリードは体得していた。
手応えはあったが、まだ死ぬまい。二人の有する渇望、強欲をグリードは見誤らないし、侮りもしない。とどめを刺そうとすれば反撃を喰らうし、折角、天剣を落とせる好機が失われる可能性が高い。今は初志貫徹がいいだろう。
それに、まだ敵はいる。そう思っていると、先ほどから戦っていた黒衣が再び舞う。
「ちょうだい!」
だが、黒衣の舞う姿を、強欲は既に十分に視た。
『だ・め・よ』
瞬間的な転移によって背後に出現し、丸ごと此方を吞もうとする欲深なる少女に、強欲は蹴りをたたき込む。グリードの足はミラルフィーネの腹に突き刺さる。真っ当なヒトであれば、そのまま衝撃で肉体が弾け飛んでいただろうが、鏡の精霊は頑強だった。ので、そのまま蹴り飛ばす。
「っが!?」
遙か遠く、迷宮の壁にめり込んで瓦礫に吞みこまれる。
どれだけ規格外であろうと、肉はヒトのもの。腸を弾けさせるような蹴りを食らって容易には動けまい。
障害は消えた。で、あれば、本来の目的を果たそうか。
「――――…………ぁぁ」
地下通路から這い出て、しかし何処にも焦点を遭わせずふらふらとしているユーリへと突撃する。もう言葉は重ねない。必要は無くなった。間もなく殺す相手から得られるものは何も無いのだから。
突き出す拳になんら特殊な仕掛けは無い。しかし、それであっても万象を砕け散り、消し飛ばす最強の暴力によって、天剣の頭蓋をかち割るべく、放った。
『あら?』
しかし、拳は、直前に防がれる。
竜殺しの槍を身構えた少年が、それを塞いだ―――――と、表現するにはやや怪しい。グリードの一打を受けた竜殺しはその瞬間、魔力の許容量を超えて爆散し、少年の身体を叩きのめしたのだから。
「――――っ!!!!」
「ぅ…………」
彼は声を発する余裕も無く、背後のユーリもろとも巻き込まれ、壁に叩きつけられる。肉と骨が壁にぶつかる、鈍い音と、焦げる音がした。
「―――――っ【揺、蕩え】」
しかし、それでも少年は立ち上がり、天剣と、グリードの間に立ち塞がる。色欲の権能を使い、自身を障壁にするようにして、彼女を守る
『あら、少年。本当に恋人だったんです?』
流石に、その妨害はグリードも予想外だった。
というか、この少年が、この状況、この修羅場において尚、出張ってくること自体が、意外だった。だって、もう、随分と弱っている。色欲の権能による【揺らし】ももう限界だ。
『【光螺閃閃】』
実際こうして、魔力を温存した収束した熱光を、権能の脆い所に打ち込むだけで、【揺らし】を貫通してしまうくらいに、弱い。
「っぐ……!!!」
腕や脚を焼かれ、悲鳴を上げる。しかし、それでも尚少年は天剣の前から動かなかった。
『ラースまで従えて、何というか、本当におかしな子』
左手の異形にも気づく。つくづく、異常な少年だ。よくよく、自分は異常だの、竜らしからぬと他の仲間達からも誹られる事も多いが、そんな自分でも、少年は異物に思える。
『ねえ、どうしてそこまでするのですか?』
だから攻撃の手は止めずとも、思わず、尋ねてしまった。
『アルの坊やの願いも、魔王の坊やの野望も、理解は出来ます。鏡の子の渇望は、可愛らしい。でも、貴方』
「っがあ!?」
再び、光熱で身体を貫く。弱いところを少しずつ狙い、身体を削る。まだ倒れない。
『何のために、ここまでするんです?背後の天剣も、もうそこまでの価値はありませんよ』
近くで見れば、ユーリの片腕は失われていた。精神状態は言うまでも無く最悪で、本当に、この場で最も弱い少年よりも更に価値が低く見える。
なのに、少年は命がけで守ってる。先ほどからからかっていたが、恋仲、番の類いでもないなら、本当に彼がそこまで命を賭けて助けてやる理由が感じられない。
『貴方の渇望を、教えて』
それは、半分は動揺を誘うための口撃だったが、もう半分は純粋な好奇心だ。
自分の渇望も、他人の渇望も、グリードにとっては好ましい。未知の渇望があれば、知らずにはいられない、強欲の竜としての性だった。
「期待しているところ、悪いが、そんな大層なもの、ねえよ……!!!」
だから、少年の答えは、強欲にとっては残念だった。
「仲間が死地に向かうのが嫌だったから、来ただけだ……!」
『あら、つまらない』
本当に、つまらなくて、かなしかった。
誰かの為、というヒトの行動理念は、陳腐だ。別に、それを下らないと唾棄するつもりはないが、その類いの強欲は見飽きてるし、食べ飽きている。そんな理由でここまで来ていることは異常と言えるが、それ以上、得られるものは少なそうだ。
『残念ね、【六輝輪光】』
「――――――!!」
光輪の力を解放する。六属性の入り交じった。純然たる力の圧に、色欲の権能も正面から砕かれる。少年の身体は焼け焦がれ、膝を突く。
だがまだ死んでいない。というよりも、グリードが殺しきってはいない。
少年自身にはもう用はないが、“少年の身体”には用がある。
『その“魔眼”は回収させてもらいましょうか?』
少年の最高硬度の魔眼、その存在には目をつけていた。
魔眼の竜であるグリードであっても、精錬が極めて困難な最高硬度の魔眼。ヒトの身でそれを獲得しているのは奇跡の類いだろう。生物の強度が高すぎる竜と比べると、ヒトはそういった、思わぬ飛躍は起こりやすい。そしてその飛躍の結晶が目の前に転がっている。
大変都合が良い。回収して、再利用しよう。そう思い、手を伸ばし――
『あら?』
その瞬間、伸ばした掌に、砕けた黒い槍の穂先が、グリードの掌に突き刺さった。
ダメージ自体は、問題ない。竜殺しといえど致命傷には至らない。が、グリードは動かなかった。
「―――やらねえよ。この女は」
死にかけていた少年が声を吐き出す。魂を鷲掴み、震わせるほどの強い声。グリードへと向けられる満ち満ちた殺意。
自分を睨みつける彼の目から、グリードは目を離せなかった。
魔眼の希少さ故に、ではない。彼の瞳の奥に見える、禍々しい焔に目を奪われて、
『あら、あら、あら』
そしてその隙を突くように、混沌を、運命を捕らえる魔眼がグリードを捕まえ、砕いていく。魔眼を行使するその瞳に一切の震えはない。死の間際、圧倒的な力を持つ自分を前に、微塵も揺らがない。
殺す。
ただその意志のみが込められていた。その様をみて、グリードは―――
『ふ――――――うふふ、ウフフフフフフフフフフフフフフ!』
―――笑った。心底、楽しそうに、
『思ったよりもずぅっと――――悍ましいですね!少年!!』
友を、愛するヒトを守りたいという、人類らしい陳腐な業。
少年はそれを寄る辺にここまで来たという。グリードはそれを勘違いだと見なした。人類らしい、思い上がりと、自分の抱いているものがこの世の何よりも尊いものだという、短命の者らしい、“勘違い”によってここまで来てしまったのだと。
その判断を、グリードは翻す。
少年の奥に、暗黒があった。憤怒の黒炎よりも尚、色濃い暗黒は勘違いでは生まれない。彼は確信している。己の願い、望みの為ならば死すらも厭わないと確信して此処にいる。まぎれもない、強欲だ。
だが、誰かを助けたいという願いは、こうも禍々しくなるものなのか
強欲の化身すらも戦かせるようなものを、渦巻いて滾らせるものなのか。
ヒトの願いとは、他者を思う気持ちとは、ここまで昏い輝きを放つものなのか。
最高硬度の魔眼。竜の命と英知をもってしても、数百年の年月をかけてようやく生み出せるその輝きを、刹那の時で創り出す真相の一端をグリードは知った。
竜の数百年にも匹敵する。人類の業の、闇の、体現者。
グリードが、焦がれ望む―――
『素敵だけど、怖いわ、ね!』
身体の破損を厭わず強引に、グリードは運命の拘束から抜ける。混沌がとらわれた身体を丸ごと破壊し、引きちぎるようにして抜け出す。大量の血がこぼれたが、グリードは気にしない。
『まとめて、殺してしまいましょう』
魔眼は諦めよう。グリードは即座に思考を切り替える。
破損した光輪の回転を加速させる。もう一切の加減はしない。王たちを狙うときと同じように込められた破滅的な光は速やかに、少年と天剣を纏めてなぎ払う光熱となり―――放たれた。
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数年前
大罪都市プラウディア騎士団、訓練所にて
「師よ。どうすればよいのですか」
ユーリは泣いていた。
一人、両手で顔を覆って、ボロボロとこぼれ落ちる涙をなんとか押さえ込もうとしていた。それでも涙は止まらなかった。
「どうすれば、とは」
少女の周囲には、無数の騎士達が倒れていた。騎士団の精鋭達。圧倒的な剣術の使い手にして、血のにじむ努力を重ねて超人的な力を得てきた、歴戦の戦士達。
彼らが一人残らず倒れている。たった一人の少女によって、あっけなく打ち倒され、悔しさをにじませながら、悶えていた。
彼らをそんな有様にした少女は一人、ただ泣いて、そして、自分の師にそれを訴えた。
「剣の、握り方が、分からないのです……っ」
彼女は泣いた。しかしその理由を、その場にいる誰も、理解できなかった。




