降臨
大罪都市ラスト
ラウターラ魔術学園、賢者クローロの教室にて。
「改めて言うような話でも無いが」
教室の主、クローロは生徒達を前にして、授業を開始した。彼が今回受け持つのは、若き魔術師の卵達だ。魔術師を志して、間もなく一年になろうかというほどの頃合い。
この時期が、魔術師として、最も慢心しやすい時期でもある。教えられる範囲での魔術を身につけ、自分がこの世界の事象の支配者となったような錯覚をする時期だ。万能と錯覚するような魔術の幅広い活用法に、目が眩む時期だ。
「魔術とは、この世の事象をヒトの手で再現する試みだ。つまり、この事象を司る精霊と神が担う力の類別は、そのまま魔術にも当てはまる」
だからこの時期には、必ずクローロが子供達に授業を施す。
彼らの魂にこびりついた慢心を、そぎ落とすために。
「全ての現象の基礎。火、水、風、土、そして光と闇、この六つ。火水風土は精霊が司り、光と闇は唯一神が司る。この世の万象はこの六つからなる。故に魔術属性もこの六つ」
魔術師はこれらの力を扱い、時に混ぜ合わせ、自身の望む現象を引き起こす。雷のような魔術も、これらの属性の複合によって引き起こされる。全ての源流はこの六つから成る。
無論、目の前の子供達もそんなことは理解している。故に、そんな基礎中の基礎を語り出すクローロに対して、どこか侮った表情を向ける者もいた。
「光と闇は、特に扱いが困難だ。お前達が扱いを許されるのはまだ先だが―――」
「先生ー」
そして、侮った者達の中でも、一番野心に充ち満ちた少女が挙手をした。
普段であれば、授業中、自分の講義を中断させるものに対して、クローロは一切の容赦をしない。無言、無詠唱で無礼者の頭に心臓がとまるような冷や水を浴びせかけ、たっぷり悲鳴を上げさせてからまた、話を進める。
「なんだ」
しかし、今回はそうはしなかった。しれっとした表情で、質問に応じる。普段の彼を知る学生達が彼を視れば、ヒェと悲鳴をあげることだろう。クローロの事をあまり知らない幼くも若い学生は、意気揚々とそのまま質問を投げかけた。
「全部の属性を一気に混ぜたら、どうなるんですかー?」
その生徒は、少し厄介な少女だった。才気があるのは間違いないが、それ故に慢心し、たびたび授業で、教師が困るような質問をなげかけて、授業を中断させる悪癖がある。未だ、誰もなせないような困難な研究を耳ざとく、彼女は知っているのだ。
六属性の魔術の融合なんて所行を出来る者は未だ一人もいない。
応えられる者はいなかった。
「なるほど、ならやってみよう」
「え?」
が、しかし、クローロはその質問を拒まなかった。不意に彼は指を鳴らすと、大気中の魔力がゆがんだ。六つの属性、基礎魔力が彼の手の掌から出現した。それを手にひろげたまま、彼は少女の前に立つ。少女はぎょっとしたが、自分が質問した以上、逃げることも出来なかった。
六つの力はクローロの掌で廻り続け、収縮し、強い輝きを放ち、そして
「うっ!?!!」
最後に、激しい音を立てて、力が爆散した。結構な火力だった。クローロが防御の魔術を敷いていなければ、生徒達は吹き飛ばされていただろう。
「こうなる」
全員が驚愕する中、クローロはしれっと言った。学生達の、クローロを見る目つきは変わった。少なくとも、安直に揶揄するような真似をすべきでは無い相手だと、分かった。
「増幅と減衰、反発と吸収、あらゆる相互作用が一度に発生し、あらゆる事象の可能性が同時に起こり、その全てを起こそうとする」
その結果が、今目の前で起こった現象だ。
「爆発だ。事象を押さえこむ力が無いとこうなる」
クローロが生み出した属性の魔力は、決して強い力では無かった。掌で払えば消滅してしまうほど、酷く弱い魔力。それが、一挙に混じり合うだけで、それほどまでの強力な現象が引き起こされる。
「お、押さえ込めるんですか?」
眼前で爆発を引き起こされた少女は、速くも衝撃から復帰したのか、再び質問を投げる。その目にはクローロへの嘲りでは無く、好奇の光が宿っていた。やはり優秀な少女ではあるらしい。
慢心、侮りでその才気を曇らせず、研鑽に向けさせるのもクローロの仕事だった。
「現在、この現象を押さえ込み、その膨大なエネルギーを操ることが出来ているのは、天祈のスーア様のみだ」
その天祈すらも、四属性に限っての事である。六属性の同時干渉なんてことは、人類の歴史上、実行できた試しは無い。
「それができたらどうなるんでしょう」
「【万象】をこの手にできるだろう。理論上の、全ての魔術現象をその手に収め得るに等しい」
万象の力、それはまさに、魔術師であってもかならず教えられる、神の領域である。唯一神ゼウラディアに至るだけの力を、魔術の研鑽によって至れれば、それは最早、神話を終わらせたに等しい偉業と言えるだろう。
子供達が沸き立つのを確認し、クローロは指を鳴らす。教室の奥から、彼が用意した大量の資料が、彼の教卓へと運ばれ、山のように積もっていった。
「だが、目指そうとした結果、学園の教室を跡形も無く消し飛ばした者が大量にいる。その多くがお前達よりも遙かに有能な魔術師だった」
運ばれたそれらは、全て、一つ残らず、六属性の魔力の融合、その研究の失敗の軌跡だった。この研究をてがけた者達の中には、それこそクローロを挑発してきた少女以上の天才もいた。しかし、彼らの研究は何一つとして成果と言えるものには至らなかった。
どれほどまでにこの研究が困難で、危険かを物語っている。しかし、
「危険だから行うな、と言ったところでお前達の内、何割かはこの研究に手を出すだろう。それは魔術師であり研究者のサガだ。故に、止めはしない。ただし」
クローロは教卓の書類に手をかけて、微笑みを浮かべた。もとより森人として、端麗な容姿をもった彼が、サディスティックに微笑むと、背筋が寒くなるような禍々しい美しさが醸し出され、幾人かの生徒達が息を吞んで悲鳴を上げた。
「私に不備や欠点を指摘されなかった場合に限りだ。望む者はいつでも来ると良い」
この授業は、彼らの心をへし折るためのものである。
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「お疲れ様です、クローロ先生。今回はどうでした?」
「何時もながら、愚かしくも野心的な者達に溢れていました」
「それは喜ばしいわね」
そして、普段より一時間ほど遅れて授業を終わらせたクローロは、いつも通り、報告としてネイテ学園長の下にやってきていた。彼の答えに、学園長は満足そうだ。
困難な課題に直面させ、自分の無知さと無力さを痛感させ、矯正する。ネイテ学園長発案のこの授業は、なかなかに効果的だった。彼女曰く、強欲都市のとある冒険者の指導教官の授業を参考にしたと言っていたが、果たして何故に、冒険者むけの“しごき”を魔術の授業で再現しようという発想に至ったのかは謎であるが、兎に角上手くはいっていた
「特に、浮き足立っていた連中は挑戦的に此方に殴りかかってくれましたから、念入りにへし折ることができましたよ。しばらくは他の教授相手にも、口数少なくなることでしょう」
「よいですね。まだまだあの子達は、慢心を得るには速すぎますから……それにしても」
そういってネイテはクローロがネイテに頼んで用意させた資料を前に、興味深げ首を傾げた。
「結局の所、実現は可能なのでしょうか。【六魔の融合】は」
おっとりと、しかしどこかいたずらっぽく、彼女は問うた。
彼女は時折、こんな風に質問を投げつけてくる。日中の生徒のように知らずに試すのではなく、知っていていて此方を試してくるのだから、尚、性質が悪かった。
「もっとも近いところまで研究を進めた者がいました。魔術、魔力を融合する器として“ヒト”を選んだ者がいたのです」
クローロはため息をついて、彼女の問いに応じた。
その研究者は、この学園の生徒では無かった。とある衛星都市の、魔術ギルドの研究者であったらしい。
「雷の魔術のように、我々は複数の属性を同時に操り、時にそれを混ぜ合わせて融合できる。そういう機能が存在している。生物こそが、魔力の最強の器である。その男は実践に移しました」
「危なそうね」
ネイテは端的に述べた。彼女の懸念は正しい。
「幾度となく人体実験を繰り返し、最後には自分を使って、他の者達と同じように、爆散させました」
言うまでも無く、これらの行いは許されるものではない。
魔術の万能感に酔い、その限界に苦悩し、ヒトとして持つべき当然の倫理感を喪失させ、致命的な墜落を起こす。その典型的な末期だった。しかし、そんな彼が、最も、近いところまで六属性融合の研究を進めていたのは紛れもない事実だった。
それは、彼自身の爆散によって引き起こされた被害範囲によって証明された。
「それが、今のところ一番近かった、と」
「とはいえ、ヒトでも強度が足りなかったようですが」
「では、ヒトよりも強い生物がそれを成せば?たとえば、竜とか」
「どうでしょうね。そもそも、人類の敵対種である竜が人類の研究に協力してくれる可能性はゼロですが」
クローロは苦笑した。あり得ないことを想像するのは、本当に空想の遊びだ。
「竜は、そもそもこういった研究は行わないでしょう。彼らは生まれながらにして強者にして、生態系の頂点ですから」
「最初から何もかもを持っている竜は、それをしない、と」
「研究とは、研鑽とは、不可能が多い弱者の権利ですよ」
出来ないから、調べようとする。足りないから、それを埋めようとする。
調べ、工夫し、足りないところを埋める。もしヒトが最初から、太陽神ゼウラディアのような万能の存在であったなら、当然、そういった発想には至らない。何かを埋める必要も無く、ただそこに在ればいいだけなのだから。
竜を神と同列にするのはあまりにも不敬だと神殿から怒鳴られそうだが、しかし、生物としての強度が、神に最も近いのは竜だとクローロは確信している。
「竜でありながら、研鑽や、研究を行う者がいるとすれば、竜の中でも異端でしょうね。強者として生まれた生物として、致命的に間違っている」
「では、もしそんなのがいたら……?」
ネイテの問いに、クローロは、実に端的に回答した
「人類は、滅ぶでしょうね」
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大罪迷宮グリード
深層 五十五階層
地下空間は静かだった。先ほどまでの激闘が嘘であるかのように、静寂に包まれていた。天賢王も、魔王も、ウルも、そしてあれほどはしゃいでいたミラルフィーネすらも、沈黙を保ち、“それ”を見つめていた。
「なあ、アル」
「なんだ」
そんな中、魔王ブラックは、宿敵である天賢王アルノルドに、問いを投げた。アルノルドはいつも通り素っ気なく、しかし律儀に、その質問に応じた。ブラックは、見上げるようにして、質問を投げた。
「……あれ、竜かね?」
「おそらくは、違う」
全員の視線の先には、輝ける存在が在った。
六つの輝きが連なって、光輪の如く成り、それを背負う一人の少女。
最早、その肉体はヒトガタをなぞるだけで、定かでは無かった。極まった魔力体が揺らめいて、凝縮し、その熱量だけで周囲を焼いている。嫉妬の大罪竜の姿にも似ていたが、それよりも安定していた。何より
『思ったより、仰々しいですね。ちょっと派手過ぎて、恥ずかしいです』
光輪を背負った当人が、平然としている。アルノルドが言ったように、完全に竜という生物のカテゴリから逸脱した。神域へと至った魔性。
強欲の化身。万象を望み、それを得た者。
「どう思う?」
「どうもこうもない」
紛れもない、イスラリア史上を遡っても類を見ない、最大の脅威であろう事は間違いなかった。相対する王二人にとって、最悪の状況に等しい。
だが、二人の思考は、眼前の脅威とは別の方向へと向かっていた。
「アレは、強すぎる。竜の枠組みすら、超越するほどに」
「だよなあ、って、こーとーはーだ」
アルノルドの言葉に、魔王は同意し、その視線をグリードへと、正確にはその後方へと向ける。二人は敵同士であり、長きにわたる共犯者でもあった。それ故に、彼の懸念はすぐに伝わる。
「【裁定者】が来る」
間もなく、その懸念は現実の物となる。
『あら』
直後、虚空から這い出た【手】が、グリードの身体を掴んだ。




