五轟 大罪の化身
闇の魔眼を有する眷属竜は既に敗北していた。
理由は単純明快だ。あまりにもこの竜は弱すぎたが故だ。
この竜はあまりにも弱すぎた。
生まれてからの年月も、他の眷属達と比べ圧倒的に若く、成長できていないというのもあるが、そもそもそれ以前の問題だった。この竜は、通常時何の力も持たないのだ。
闇の魔眼は闇を見る。
裏を返せば、光在る世界において、その力は一切発揮できない。
形すらも保てない。揺らぐように揺蕩うのみだ。アルノルド王一行との戦いが始まった直後、本当に何でも無い攻防の最中、風水の竜達による攻防の合間にもぐりこむようにして鏡の精霊に飲み込まれ、封じられた。
言うまでも無く、それが狙いだった。ソレこそが役割だ。
自身は保険だった。鏡による強力なる封印、簒奪の力に対する保険。
無為に帰すなら、それはそれで構わない。
本来の通り、5つの竜の相克によって、相克は成る。
だが、そうはならなかった。砕けた四極は鏡に飲まれた。
何一つ光届かぬ闇の中、四極の魔眼と闇は入り交じった。
天祈を再現した四極を超え、そのさらなる先、【五轟】へと至った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「あ、う゛?」
エシェルが血を吐き出しながら、ぐらりと身体をゆらす絶望的な光景を、リーネは間近で目撃した。あまりにも唐突すぎる、その現象に、流石に理解の追いつかなかったリーネだったが、反射的に思考は友の安否へと走った。
治療しなければ、助けなければ!
友の最悪を想像する。傷は、明らかに深い。急がなければ、彼女が死んでしまうと、そう思い、身体はその為に動こうとする。だが、同時に、彼女の腹を突き破った手が、四極の竜のソレよりも更に禍々しい色をした竜の腕が、その腕が放つあまりにも危険な気配が、彼女の行動を阻害した。本能が、近づくことを拒絶した。
エシェルの封印を破った?
何の竜だ?四極?魔眼なのに鏡の内側から?
あるいは別の?プラウディア?
いや違う、この入り交じった輝きは四極と同質。それよりも更に禍々しい!!!
魔術師としての性故か、その現象を理解することに、注意が削がれる。そして、その隙を、【四極】から【五轟】へと至った竜は見逃さない。まるで、虫のようにも見える異様な関節をもった禍々しいその腕は伸びる。
あっけなく、リーネの小さな身体を引きちぎるために。
「さ、せ、ない」
しかし、その腕を、誰であろう、エシェル自身が掴んだ。口から血をこぼしながら、死にものぐるいの表情で、自分の身体から伸びた腕を、その両手で引っつかんだのだ。
「エシェル!!」
「離、れ、て」
そのまま、エシェルは片手を此方に広げる。
同時に、転移の鏡がリーネの背後に出現し、それに身体が吸い寄せられる。エシェルがやったのだ。自分を守るために、自分が死にかけていることを無視して、力を行使したのだ。 その悔しさと悲しみで視界がにじむ中、最後にリーネが視たのは、彼女の腹から這い出てきた、禍々しい、怪物のような竜の姿だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「【会、鏡……!】」
『A』
封印空間から吐き出した、竜の姿は、悍ましかった。
色彩は、四極の時よりも遙かに増して表現しがたい。禍々しい光を放っている。四足の獣のようにもみえるが、その脚が異様に長い。まるで蜘蛛のようで、その脚が虚空を掴んで、空中にとどまっている。
身体は異様に細い。頭部は虫のようにも見える。牙のような二つの顎の中心に、身体よりも更にデタラメな輝きを放つ魔眼が座していた。
『A――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』
その、グロテスクな姿に相反して、竜は美しい声で鳴いた。
本当に美しい声だった。しかし、その声によって迷宮は更に震える。既に崩壊しきっていた迷宮は更にその崩落の速度が増していった。瓦礫が雨のように落下してくる。
もしも間近でその声を聞いたなら、頭がおかしくなって発狂していたかも知れない。意識が朦朧としすぎて、その声を正しく聞き取れない事が今はラッキーだった。
「う……ごぼ……」
『A――――――?』
全く、これのどこらへんが竜なのかと問いただしたい気分だった。口から大量の血をこぼしながら、エシェルは力なく笑った。そんな風に笑うエシェルに、竜は不思議そうだ。
意識が朦朧としている。どんどん身体が冷たくなっていく。
このままだと間違いなく死ぬ。
だけど、ああ―――
「しに、たく、ない……!!!」
彼に抱きしめて欲しい。頭を撫でて、唇で触れて、愛して欲しい。
カルカラとまた、仲良くなれた。友達も沢山出来た。信頼できる部下達も増えた。女王と呼ばれるのは未だに全然慣れはしないけれども、それでも、そう嬉しそうに呼んでくれる子供達の笑顔を見るとなんだかたまらなく、嬉しくなった。
だけど、まだこれっぽちも満足なんて出来ていない。
満たされない。
砂漠に雫が零れたとて、乾きが失せることなどない。
もっと、もっともっともっと、幸せが欲しい。
その為なら、何だってするし―――
「【魔本解放・星邪封印解放】」
―――何者にだって、成れる。
ミラルフィーネの力を抑え込む魔本と、天祈の施してくれた封印。
自身がヒトの形を保つための重要なる【楔】を、エシェルは躊躇無く捨て去った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
五轟の竜は、生誕して間もなく、成功と過ちを理解した。
闇の魔眼の相克、これは上手くいった。保険であり、賭けでもあった封印空間の打開策は完膚なきまでに成功した。間違いなく喜ばしい結果だったといえる。
そして、過ちは―――
「―――――嗚呼」
この、ヒトでも、精霊でもない怪物を、産み落とさせてしまったこと。
「嗚呼、嗚呼、嗚呼、痛い、わ。フ、フフフフフ」
自身の腕にて引き裂かれ、血にまみれた黒いドレスが瞬く間に再生する。鏡からこぼれ落ちる【神薬】が彼女に注がれる。大事に保管してあったであろうそれを、彼女は自らの為に躊躇無く零し、飲み干していく。
無論、冷静に考えるならばそれは成功だ。
【神薬】の回復は、脅威だ。数に限りあるといえど、此方が与えた傷を瞬く間にリセットされてしまう。その在庫を、天賢王でも七天でもない、ただの同行者に消費させたのだ。大きなアドバンテージを得た。そう考えても良いはずだった。
しかし、五轟に宿った本能が、受け継がれた経験が、全てを見通す魔眼が、否定する。
「だから、ねえ?」
失敗だ。
コレは間違いなく失敗だ。
五つの相克が必然であったとしても、それは避けられなかったとしても―――
「―――ちょうだい?」
こんな存在を産み落とす、隙を与えるべきでは、なかった。
全てを書き換える虚飾の黒翼を羽ばたかせ、底の見えぬ強欲の眼で世界を嗤い、それを阻む外敵への灼熱の憤怒を滾らせる。
人類が溢れさせる悪感情。奈落へと棄て、世界を呪う邪悪。それらを全て躊躇いなく、腸に収めた精霊に捧ぐ、異端の巫女。
大罪の悪感情 その化身
「ウフ、ウフフフフフフフ、アハハハハハハハハハハハハ!!!!」
『A――――――――』
ああ、しかし、そうであっても、敵がどれほど危険であろうとも、母を傷つけさせたりはしない。その全霊でもって、この怪物と立ち向かえ。
その為に、自分は生まれてきたのだから―――!!!
「アハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!」
『A――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!』
大罪の化身と、強欲の愛し子はその全ての力を互いに解き放った。




