四極③ 憎悪
―――頼む、グレン、お前しかおらんのだ。あの地獄に立ち向かえる勇士は。
剃り上げた頭を深々と下げながら、グロンゾンは懇願した。
―――お前にはもう、理由が無いのは分かっている。全てがどうでも良いのだということも。だが、頼む
仮にも官位持ちの、それも今は一時席を外しているとはいえ太陽神の戦士がやるべき所行では無かった。まして、自分のような、一線を退いた酔っ払い相手に見せて良い姿では無かった。
そして無論、そんな姿を見たからとて、グレンが感傷にくれる事は無かった。たとえ、かつての同郷の懇願であったとしても、今の彼にはどうでも良いことだった。
―――我らが友を焼いた紅の竜、その元凶に、挑まねば成らぬのだ―――あの子達も。
なるほど、確かにグレンの仇、それを生み出したのが大罪の竜であるのは知っている。だが、子の罪が親にもある、なんてことをグレンは考えない。仇は紅の竜。ただ一体だ。
だが、結局最後、グレンは彼の願いを聞き入れた。
弟子達が殺されたら、さぞかし酒が不味くなるだろうという、身勝手で自分本位な理由故に。
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「……ほんっと、めんどくせえ」
金色の籠手を握り、グレンは心底面倒くさそうな顔で眼下を見下ろしていた。想像していたとおりの、あるいは想像していた以上の地獄がそこにはあった。
誰一人として無事な者はいない。というかつい今さっき、自分の弟子の一人が致死レベルのダメージを追って奈落に落ちた。が、助けに向かおうとすれば、あのよくわからない竜のよくわからない翼に引き裂かれて、血みどろの肉塊になって終わる。
旧友から渡された―――と、いうよりも強引に押しつけられた武器を、グレンは鳴らした。
「【破邪天拳】」
預かったその権能を振るう。そしてその衝撃にグレンは眉をひそめた。
破邪の鐘。一方的に相手の魔術効果を消し去る強力無比な神の権能。だが、そんな強大な兵器だ。振るうだけで、その音の衝撃が身体を揺らしてくる。
これは容易には使えない。あまりにも繰り返し使い続ければ、そのうち装着している身体が砕け散る。その性質を高めようとするほどに、自分に威力が返ってくる。
「なんつーもん預けるんだあの禿……」
しかも、相手は雑魚ではない。グレンの眼下で鬱陶しい光を放っているあの竜はどう考えても大罪竜の眷属か、それ以上の力を有しているのだろう。そんなものを相手に自分の身を案じて威力を調整しようものなら、それはそれで死にかねない。
心底、かったるい。
本当に、心からそう思う。なんだって気まぐれを起こして単身で降りてきてしまったのかと後悔するばかりだ。
だが一方で、彼自身も腹立たしいことに、その身の奥にある、くすぶり続けていた何かが、再び炎の如く揺らめいたのを感じていた。それは最早、自分自身の感情ではどうにもならない、グレンという生物に宿った習性に近い。血肉に宿った、あらがいがたい本能。
竜という存在そのものに対する、灼熱のような、憎悪と殺意
こうなることを見越して、グロンゾンがグレンをここにやったのだとしたら、あの男は相当な悪党だな?と、そう思いながら、その金色の籠手で握り拳を作ると、そのまままっすぐに落下し、その勢いのまま一直線に、禍々しい輝きを放つ竜へとその拳を叩き下ろした。
『VA』
振り下ろされた拳は、竜に着弾することは無かった。強力無比な魔力障壁が何重にも発生し、グレンと竜の間でその侵攻を阻んだ。しかし、その間にも金色の鐘は鳴り響き続ける。無数の障壁は、その音が響くたびに、一枚一枚が砕けて散っていく。
「よう、久しいな紅色……!」
入り交じり、変貌し続ける竜の魔眼の中に、僅かに懐かしい色が混じっているのをみて、グレンは笑った、地上で、教え子達の前でも、同僚達の前でも、ウル達の前でも一度たりとも晒さなかった。凄まじい笑みだった。
「お前はもう殺してるんだ。さっさと――――」
更に、左の拳を振りかぶる。光が集約する。紅蓮焔が彼の左拳にまとわりつく。
怨敵を殺す。その為だけに積み重ね、鍛え上げられた拳が今宵、再びその緋色を叩き潰す為に輝きを放つ。
「失せろやぁ!!」
『VA!?』
拳が振り下ろされる。障壁が砕け、竜がその拳をたたき込まれて、弾け飛ぶ。
即座に竜は空中でその姿勢を正すが、その背後にはディズの姿があった。
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突然現れた救援、黄金級のグレンの存在をディズは視認した。意図はどうあれ、それは支援だろう。救助部隊が、その戦力を更に別けて、この修羅場に突っ込んだというのは通常であれば、好ましくないかもしれないが、今はその判断に感謝した。
この戦場は壊滅寸前だ。情けないことに、救助は今まさに必要なタイミングだった。
弾け飛んできた四極の竜に、ディズは剣を振るう。
「【魔断】」
剣速は十二分に出ているのを感じた。この死闘の果てで、未だに剣の速度を衰えさせること無く振るうことが出来ているのは上出来と言えた。
『VAA』
問題は、その上出来、といえる範囲では、この竜を捉えることは難しい。
「速い」
当然ではあるが、自在に、超速で飛び回る竜の翼がこの竜の一部であるならば、この竜自身がそれと同等の速度で飛び回ることが出来ない訳がなかった。魔断の黒い剣閃が躱される。その寸前で回避される。
やはり、視られて、此方の動きを奪われている。敵に剣を見せすぎた。
だが、だからといって戦い方を付け焼き刃で変えることは出来ない。今以上の戦い方をディズは知らない。ただでさえ、現状は全力で手一杯なのだ。
「【雷火】」
『VAVA』
発展魔術は、最早何の予備動作も無くはじかれる。あの四極には常に障壁が展開している。膨大な魔力が作り出す障壁だ。半端な攻撃では意味が無く、そして極まった攻撃を前にすると、回避する。しかも、攻撃が直撃しても耐久性は高い。
本当に、尋常の敵ではない。しかも、時間が無い。
ウルとユーリが落下してどれほどが経った?あの傷は致命傷では?グリードと相対している王と魔王の状態は?瓦礫に埋もれてしまった天衣、ロック、それにリーネ、エシェルもどうなった?彼らを飛翔する翼が狙ってしまったら何処までしのげる――――
―――あまりにも未熟だ。
その、思考の混乱が、想起した師の一言で、静寂を取り戻した。
「―――そうだね。そうだった」
背負うものがあるのはいい。それをディズは肯定する。守るべき者、愛おしいものが増えるのは、彼女にとって喜ばしい。
だけど、それは背負うものだ。剣に乗せて、無理矢理振り回すものでは無い。
余計な不純物があまりにも多すぎる。それを振るうにはあまりにも、ごちゃごちゃとしすぎている。それが剣を鈍らせる。判断を遅れさせる。
「我、勇者。七天に在らずとも、世の礎足らんとする者」
呼吸を整えるように、星剣を構え直す。その不可思議なる刀身の輝きは、それまで以上に高まった。光が星空の如く輝いて、ディズのみならず、周囲の皆へと力を分け与える。彼女自身の意思を反映するように。
「凶星を断ち、人々の幸いを守らん」
『VAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
目映き力と共に彼女は跳ぶ。
凶竜はさらなる輝きでもってそれを迎撃した。




